「ノナの家」nonahouseは かつこ内親王、かつこ内親王2の続きのブログです。

神様達の名前は、沢山出てきますが、宗教とは全く関係ありません。
唯一無二の魂に感謝します。

いろいろな神様の話

2019-06-16 07:30:25 | 日記
5月15日に、カラツの神が話してきました。


カラツの神です。
M子さんに話したい神が多過ぎて、また整理券配っています。
変わらずに話してくださいね。
M子さんを頼って来る人が多いので、大変だと思いますが、羅漢が増えるということですから、笑って対処してあげてください。
死が別つまで、後30年はがんばって欲しいです。
今は、解る人だけに解ればいいのですが、誰でも解るようにしたいのです。
サーーーーンーーーーシーーーーの神が待っています。

サンシですか?

そうです。


カラツの神が言っているほど、沢山の人が私のところに来ている訳ではないのですが、今回記事にしていた四国のNさんも、大宰府のSさんも神様達の言う羅漢になったようですね。
やっぱり、素直な気持ちで動くことが大事だと感じています。

まさか、テストに合格とかがあるとは思いませんでしたが、神様達も精霊達も、存在に気付いて欲しいのでしょう。

そして、生きていることは、何にも代えがたい素晴らしいことなのだと、知って欲しいのだと思います。

解ってくれる人が少しでも増えればと、私に伝えてくるのでしょうね。


と、いうことでサンシの神が話してきました。


サンシの神です。
リーーーーラーーーー星から話しています。
世界は、時を越えて解ることが多いのですが、宇宙のことはツンツンとしないとわからないと思います。

ツンツンですか?

ツンツンとは、かつての人がやったことです。
みーーーーわーーーーくーーーー(魅惑)ですね。
聞いた通りでした。
魂の話は、伝わるということですね。
死ーーーーが別つまで、話してくださいね。

はい。

リラ星からも応援しています。
アメノミナカヌシとアメノウズメは、リラ星から行った魂ですからね。

サンシの神様は、リラ星にずっといるのですか?

私は、時々テラ(地球)に行っていますよ。
キリマンジャロにいつも行っています。
アフリカは、まだ人が少ないですからね。
目と鼻の先のことですよ。


キリマンジャロの上には、イラタの神(天之御中主之神)のお兄さんのルーツの神がいると聞いています。
やっぱり以前に聞いた通り、イラタの神とアメノウズメは、リラ星からずっと一緒に動いているようですね。
ツンツンというのは謎ですが、コンタクトを取ることなのでしょうか。


5月18日は、Iさんが熱海のマンションに夜中に行っていました。
私は、次の日の昼くらいに行ったのですが、4月に「魂の会」もあり5月の連休は、私の友人達を呼んだりしていたので、多少溜まっていた気を祓いに行ってくれたのですね。

私は、いつもの如く何も感じないのですが、彼が言うにはガジュマルががんばっていたとのことなので、確かにそうなのかもしれません。
お札を置いているトヨウケヒメも祓ってくれたと言っていました。

それよりも、Iさんが寝袋で寝ていると、右の肋骨の辺りに何かが入って来たそうで、痛いなと思っていると、どんどん入って来て右側が痺れる感じになったとのことです。


私が、マンションに行くと、それは何だったのか?と聞かれたので、振り子で聞いてみました。

すると、いきなり話してきたのは、ツタンカーメンでした。


ライオンのナイフだよ。

どなたですか?

ツタンカーメンだよ。
エジプトの神達が行ったんだよ。
「飲んだら乗るな、乗るなら飲むな」の腕輪があるから行けるのだよ。
友達が来ましたよ。
ツンデレのIは、ライオンのナイフでまた強くなりましたよ。


Iさんの胸の下の肋骨の辺りには、ナイフの入った傷跡が今もあります。
やっぱり、ツタンカーメンが言っていた通りなのでしょうか。

友達というのは、多分「魂の会」に来てくれて、レラ姫だと言われたアケミさんのことだと思います。

Wご夫妻は、その少し前にエジプトに行かれていたからですね。



彼女は、1人しかいないように見えますが、実は沢山の観光客がいたようで、この時は人払いされたような感じだったらしいですよ。


アケミさんからの📩


こんにちは
先程エジプトミッションをおかげ様で終えたところです。
教えて頂いたカラ王朝の末裔のためか、遺跡で「お帰り」という様なメッセージを受け取りました。
ありがとうございました。
スフィンクスのとなりに立って
天と地をつないで来ました。
これで何が起こるのか分かりませんが、、、
これからアテネに渡ってレモンミッションをして来ます。


🐶羅臼の神、リンダの話


Wご夫妻は、ギリシャの後は、フランスからイギリスへと激しく巡って6月6日に日本に帰って来ました。

お電話でお話すると、28日間も海外にいたようです。
精力的ですね。

前回の大宰府のSご夫妻もそうですが、ご主人のバックアップ力が強くて、どちらも素晴らしいカップルだと思いました。


続きます。
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坂本八幡宮の話 その3

2019-06-14 07:30:37 | 日記
5月20日の朝に、大宰府の坂本八幡宮の梅の精が話してきました。


梅の精です。
昨日、Sさんが来てくれました。
テーーーースーーーートーーーーに合格です。


テストですか?


私達は、ずっといたのに、誰も見向きもしてくれませんでした。
大宰府の梅は、あまり珍しくはないのですが、昔は私達の方がスゴかったのです。
菅原道真の梅が飛んで来た話は有名ですが、あれは京都から持って来た梅の枝が、庭についたという話ですよ。
私達が助けたのです。
Sさんは、ムース持って来てくれました。
作ってくれたと言っていましたね。
民達が、坂本神社に毎日来ています。
今年だけにならないで欲しいと思います。
M子さん、ありがとう。
話せて嬉しかったです。


菅原道真の「飛梅伝説」は、確かに有名な話ですね。


🌟飛梅(とびうめ)は、福岡県太宰府市宰府(旧・筑前国御笠郡太宰府村)にある太宰府天満宮の、神木として知られる梅の木の名称である。

樹齢1000年を超えるとされる白梅で、本殿前の左近(本殿に向かって右側)に植えられており、根本は3株からなる。太宰府天満宮に植えられた梅のなかではいちばん先に咲き始めるとされる。




飛梅は元来、菅原道真の配所(府の南館)跡に建立された榎社の境内にあったが、太宰府天満宮が造営されると本殿前に移植されたといわれている。
このほか、後代に道真を祭神とする神社に株分けされたものが各地に現存する。

平安時代の貴族・菅原道真は、平安京朝廷内での藤原時平との政争に敗れて遠く大宰府へ左遷されることとなった延喜元年(901年)、屋敷内の庭木のうち、日頃からとりわけ愛でてきた梅の木・桜の木・松の木との別れを惜しんだ。
その時、梅の木に語りかけるように詠んだのが、次の歌である。


東風(こち)吹かば 
にほひをこせよ 梅花(うめのはな) 
主(あるじ)なしとて 春を忘るな


現代語訳:東風が吹いたら(春が来たら)芳しい花を咲かせておくれ、梅の木よ。
大宰府に行ってしまった主人(私)がもう都にはいないからといって、春の到来を忘れてはならないよ。


伝説の語るところによれば、道真を慕う庭木たちのうち、桜は、主人が遠い所へ去ってしまうことを知ってからというもの、悲しみのあまり、みるみるうちに葉を落とし、ついには枯れてしまったという。
しかして梅と松は、道真の後を追いたい気持ちをいよいよ強くして、空を飛んだ。
ところが松は途中で力尽きて、摂津国八部郡板宿(現・兵庫県神戸市須磨区板宿町)近くの後世「飛松岡」と呼びならわされる丘に降り立ち、この地に根を下ろした(これを飛松伝説と言う)。
一方、ひとり残った梅だけは、見事その日一夜のうちに主人の暮らす大宰府まで飛んでゆき、その地に降り立ったという。


現実的には、菅原道真を慕った方が、苗木を秘かに持ち出して植えたようで、梅の精が言っていた話は、合っているように思いました。

大伴旅人も、大宰府に左遷されたように言われていますし、菅原道真とは時代が違いますが、やっぱり同じような感じだったのでしょうか。

どちらの話も藤原氏の絶大な権力からのようで、実際には、170年の隔たりがあるのです。

明治時代から、150年の今と考えると、藤原氏の世の中は本当に長かったのですね。


そして、6月6日に、Sさんから後日談の📩がきました。


先週日曜日に太宰府に住んでいる友人に会い、「梅の精」の話をしたところ、なんと、私が行った翌週にそこ(坂本八幡宮)で梅ちぎりがあったそうです。

私が駐車場と言っていたところは、友人は梅園と言っていました。
真ん中の空間で、大伴旅人の時代に、花見の宴を行なっていたのではないかと言われているようです。

「古都太宰府保存協会」の主催で、樹木の話を講義し、梅ちぎりする会を毎年行っていて、その講師が、なんと、友人のお父さんだったんです!!!
今年の梅は、そのお父さんも今までみたことないくらい、大きくてふっくらしていて、最高の梅だったそうです。

なんか、ムースをお届けした身として、とても嬉しいニュースでした。



梅の精は、Sさんはテストに合格と言っていました。
伝えることが出来て、めでたし、めでたしですね。


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坂本八幡宮の話 その2

2019-06-13 07:30:49 | 日記
5月19日に、Sさんから、朝早くにお電話がありましたが、きちんとお話しすることが出来ずにいて、改めてお電話で話したのは、彼女から📩が来てからでした。


Sさんの📩


M子様

今朝は朝早くお電話して失礼いたしました。
遅くなりましたが、坂本神社の写真とご報告です。

坂本神社は、狭い敷地にそぐわず、駐車場がとても広々としていました。
車を停めて見渡すと、梅の木が、生垣のようにズラリと四方を囲んでいて、「うわぁ、たしかに梅の木だらけだぁ」と叫んでしまいました。



そして、車を降りて神社に向かうと、駐車場の敷地を出る手前、神社から数メートルのところに、石で囲まれた結界を結んだようなところがあり、竹筒がぶら下げてあって、その中に、赤飯とか干し大根?のような、干からびた食べ物が入っていました。



まだ朝の7時で、御朱印の受付は9時からなのにもかかわらず、並んでいる人も4〜5人いました。
ちょっと人目が気になりましたが、ムースを置くなら、きっとここなかぁと。
私がゴソゴソと、クーラーボックスから、ムースを取り出し、夫の田舎から美味しい新茶を送ってもらったばかりだったので、お茶も添えてみました。
ムースだっら、コーヒーか紅茶が良かったですかね(笑)
ムースは、前日の夕方から探し始めたので、思うようなものがなく、結局、手作りすることにしました。
お菓子作りなんて、20年ぶりぐらいで、自信は全くなかったのですが、梅の精さんたちは、たくさんいらっしゃると伺っていたので、ドーンと作って、スプーンを多めにつけてみました^_^
ちなみに桃缶のムースです。



私がゴソゴソ並べていると近所のおじいさんが、「ここには何があるとね?」
と聞かれたので、「わ、わたしもわかりませんけど…」
としどろもどろで答えていると、「今までは、な〜んにもなかったけど、「令和」になって、急にこんなのができたんよねえ。」
と言って、神社へ向かわれました。
私は、自信はないものの、ここしかないよね〜と思い、小さな声で、唯一、ソラで唱えられるあわの歌を唱えて、そそくさとムースを片付けて、神社の敷地に入りました。

伽藍さまにも和菓子を供え、猿田彦さまの石には、お酒を撒いて、本殿でお参りし、しばらくいた後、車に戻りました。そして、車を出す直前、気がつきました。

ムース食べてなかった!と。

慌てて、車の中で、夫と二人で、窓を開けて食べましたが、そんなんで、良かったのでしょうか?
梅の精さん、失礼があったらごめんなさい。不慣れで、役不足なもので…

そして、帰り道にもう一つ石碑がありました。








大伴旅人さんは、太宰府に来てすぐ、奥様を亡くされたんですね。
酒壺になりたいと歌を詠んだくらいの酒好きだったとの記述がありましたが、さぞかし当時は寂しくて、きっと飲まずには、いられなかったんでしょうか。
最近は賑やかになってきて、喜ばれていらっしゃるのかな?

というわけで、すっかり長くなってしまいましたが、
梅の精さんたちにムースを届けるなどという素敵なお使いができて、本当に楽しい一日でした。
坂本神社は、とても素敵な場所で、20分かからないぐらいのところだったんです。
これからは、ちょくちょく、お参りに行こうと思います。M子さんに感謝です。
ありがとうこざいました。



大伴旅人を調べてみて、やっぱり驚いてしまいました。


🌟大伴 旅人(おおとも の たびと)は、飛鳥時代から奈良時代にかけての公卿・歌人。
名は多比等とも記される。大納言・大伴安麻呂の長男。官位は従二位・大納言。

生誕 天智天皇4年(665年)
死没 天平3年7月25日(731年8月31日)

養老4年(720年)2月29日に大隅守・陽侯史麻呂の殺害に端を発した隼人の反乱の報告を受け、3月4日に征隼人持節大将軍に任命され反乱の鎮圧にあたる。
5月頃軍営を張り、6月中旬までには一定の成果を上げる。
その後、8月3日に右大臣・藤原不比等が亡くなったことから、8月12日に旅人は京に戻るよう勅を受ける。

神亀5年(728年)頃大宰帥として妻・大伴郎女を伴って大宰府に赴任する。
60歳を過ぎてからの二度目の九州下向であったが、この任官については、当時権力を握っていた左大臣・長屋王排斥に向けた藤原四兄弟による一種の左遷人事、あるいは、当時の国際情勢を踏まえた外交・防衛上の手腕を期待された人事の両説がある。


私が、驚いたのは、藤原四兄弟の中に、前回の四国の話の藤原房前(ふじわらのふささき)がいるからです。

『万葉集』には房前である藤原北卿とあり、大伴旅人への答歌等が見られるそうですよ。
年齢は違いますが、同じ時代を生きていた人達なのですね。


旅人が九州にいる間に、神亀6年(729年)に長屋王の変で左大臣・長屋王が自殺、天平2年(730年)9月には大納言・多治比池守が薨去と大官が次々と没したことから、旅人は太政官において臣下最高位となり(太政官の首班は知太政官事・舎人親王)、同年11月に大納言に任ぜられて帰京する。
翌天平3年(731年)正月に従二位に昇進するが、まもなく病を得て7月25日に薨去。享年67。


大変な時代だったのだと思いました。

そして、次の日に、梅の精が話してきました。


続きます。

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坂本八幡宮の話

2019-06-12 07:30:05 | 日記
今年の4月1日に元号の発表ががあり、5月1日から、「令和」になりましたね。




「令和」とは、万葉集の梅の花の歌からということがニュースになっていました。


🌟「令和」の典拠は、『万葉集』巻五の「梅花謌卅二首并序(梅花の歌 三十二首、并せて序)」にある一文である。

この序文は天平2年1月13日(グレゴリオ暦730年2月8日、ユリウス暦730年2月4日)、大宰帥(大宰府の長官)である大伴旅人(おおとものたびと)の、大宰府政庁近傍にある邸宅で催された宴の様子を表しており、「梅花の宴」とも呼ばれる。
作者については、旅人や山上憶良(やまのうえのおくら)らが挙げられている。

大伴旅人の邸宅は政庁の北西、現在の坂本八幡宮(現・福岡県太宰府市)付近と考えられている。


✨時ときに、初春しよしゆんの「令」月れいげつにして、気き淑よく風かぜ「和」やはらぎ、梅うめは鏡前きやうぜんの粉こを披ひらき、蘭らんは珮後はいごの香かうを薫かをらす。


私は、帰りの電車でネットニュースを見ていて、坂本八幡宮の氏子の方々が、沢山の人達が押し寄せたために、ダウンしてしまったという記事を読んで、大変だなぁと思っていました。

そのことについても、Wikipediaに載っていました。

🌟坂本八幡宮(さかもとはちまんぐう)は、福岡県太宰府市坂本にある八幡宮。
登記上の宗教法人名称は八幡神社(はちまんじんじゃ)。元号「令和」のゆかりの地とされる。

新元号ゆかりの地として一躍脚光を浴びるようになった。
以前の参拝者は1日あたり20人ほどだったが、「令和」発表直後には3000人に急増したという。

「令和」発表後に参拝者が激増したことを受けて、令和初日の2019年5月1日午前0時から「御朱印」の授与が開始された。

ゴールデンウィーク期間中ということもあって、御朱印を求める長蛇の列ができた。
初日の5月1日には、約1万5000人が行列に並んだ。
連日5000人以上の参拝者が殺到し、その対応で氏子らが極度に疲弊したため、7日から見合わせられた。
その後、全国的な再開要望を受け、5月18日より授与が再開された。
坂本八幡宮に限ったことではないが、早々に御朱印がヤフオク!に出品され、波紋を呼んだ。


私は、以前にも書いたように御朱印は集めていないのですが、最近御朱印はブームになっていて、明治神宮でも大変な行列になっていると聞いていたし、並んでいる人達が御朱印を書いている方に心ないことを浴びせたり、すぐに高く売っていたりで、一体どういうことなのだろうと思ってしまいます。

実際、神社の収入源ということを考えると沢山の方がいらっしゃるのは、ありがたいことでしょうが、来年になったらどうなのだろうと、考えてしまいました。


私がふと思ったことですが、大宰府というと、最近お知り合いになったSご夫妻は坂本八幡宮のお近くにお住まいなのかな?とお電話したことから、話は始まりました。


Sご夫妻と初めてお会いしたのは、今年の荒熊神社の節分祭の時でした。
以前からたまにコメントはいただいていて、今回お会い出来ればと言われていたのですが、当日、どの方かと思っていると、すっかり荒熊神社のスタッフのようになっていて、驚きました。
もっと、驚いたのは、福岡から車でいらしたと聞いたからです。
年代的には、私とあまり変わらないので、なんと元気なのかと感心していると、今回の「魂の会」もご参加いただいて、車で前日に出雲に行かれての参加と聞いたので、本当にご夫妻共に体力ありますね。

私がお電話で坂本八幡宮の話をすると、すぐに「行ってみます」とのお返事でした。

そのことで話してきたのは、カラツの神でした。


5月18日


カラツの神です。
ありがとうございます。
M子さんのことは、私が守ります。

ありがとうございます。

新しい元号になって、半月が過ぎましたね。
鎮魂の中ではなくて良かったです。
「おどかし」の話をしていましたね。


讃岐の龍神の話ですか?


人は、とても驚くのです。
目立って動くと驚くので、見えないようにしています。
霊能者と言われる人達は、見えたり聞こえたりするので、周りの人が去って行くことが多いので、言わないようにしている人が大半です。
M子さんの能力は、特殊なのです。
目の前にいても感じないですが、Iさんは感じるので、本当にいい関係ですね。
縁がまた新たに出来るでしょう。
明日の話ですよ。
S夫婦は、坂本神社に行くと言っていましたね。


坂本神社には、何を持って行けばいいですか?


強いて言えばムースですね。
お菓子のムースが好きだと言っていました。


どの神様がいらっしゃるのですか?


坂本神社にいるのは、梅の精ですよ。
梅の精が話したいと言っています。


私は、また不思議な梅の精の話を聞くことになりました。
カラツの神は、坂本八幡宮とは言わず、坂本神社と言っていましたが、梅の精も同じでした。


梅の精です。
坂本神社に人が沢山来て、大変です。
今までほとんどいなかったのに、「令和」のお陰ですね。
世の移り変わりは、ずっと見ていました。
目立ったことがなかったので、私も緊張しています。


カラツの神が、梅の精さんは、ムースが好きだと言っていましたが、、、


好きなのはムースです。
プリンよりムースが好きです。


Sさんに、伝えておきます。


お願いします。


梅の精さんは、ひとりなのですか?


梅の精は、沢山いるのです。
「梅花の宴」が開かれたのは、1000年以上前のことですけどね。


大伴旅人(おおとものたびと)がいたのですか?


大伴旅人が近くにいたので、開かれたのです。
旅人は、いい人でしたよ。
私達は、好きでした。


私がIさんに、この話を伝えると、


僕もムースが好きなので、気が合いますなー。


と、言っていましたが、プリンもケーキも好きなので、限定ではないように思いました。(笑)


そして、次の日の朝にSさんから電話がありました。


続きます。
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竹生島の話

2019-06-10 07:30:55 | 日記

Nさんの📩の続きです。

竹生島に行かれた時の話ですね。

私は、もちろん行ったことはないのですが、以前に記事にしたことがあったと思い出していました。

2015,1,19に記事はありました。


🐶弁財天の話

https://blogs.yahoo.co.jp/minako_aragami/70074833.html


まだ、Iさんとお会いする少し前でしたが、彼がコメント入れてくれていたのだなと思いました。


Nさんの📩


竹生島は船便の関係で、基本的には上陸時間は75分なのだそうです。
私は友達と会う約束があったので、今津港を出て彦根港に帰る上陸時間95分のルートを取りました。

75分で時間を持て余している人もいましたが、私には95分でも足りませんでした。
水辺の鳥たちの営巣地になっているのか、鳥と小さな生き物の楽園といった感じの島で、とても気持ちがよかったです。



帰り道、竹生島を後にする船の中から遠ざかってゆく島を見て、寂しいというのか去りがたいというのか、涙が出ました。そのくらい素敵な島でした。



「面向不背の珠」は、ガラス玉を4つに割ってそれぞれにご本尊と脇侍を配し、つなぎ目を金具で装飾してわからないように玉に仕立てなおしたような造りでした。

今の技術や素材を使えば簡単に作れそうなものでしたが、あの時代にこの透明度を保ったままどうやって作ったのだろうと、とても不思議です。










志度から来たと言うと、係のおじさまが、ご親切に、以前興福寺であった志度寺縁起の展示の時のパンフレットのコピーをわざわざくださいました。

現在、香川県立ミュージアムで同じ志度寺縁起絵巻の修復記念展示がされていますが、そのパンフレットの内容とは微妙に違っていました。
龍神に奪われた説と、荒天を鎮めるために珠を差し出した説があるようです。


珠の大きさは直径12cmくらいでしょうか、大きく見えました。
これを乳房に隠そうと思えば、相当の覚悟で身を切らねばなりません。私も乳房は一般より大きい部類だと思いますが、それでもこれ入るかな?簡単には隠せないだろうな、というサイズ感のものでした。

けれどもふと、電話でお聞きした「死んでもなお好きだった」というフレーズが思い出され、私がもし彼女なら、やはり迷った末に愛する人の願いを受け入れ、決死の覚悟でもってそれを遂行しただろうと思います。

先日、恐怖心と闘いながら、これで何かが変わるのならと、壁から龍を下ろした時のことを思い出していました。

竹生島の弁天さんが、なぜ一族の女性の中で、叔母でも姉でもなく私を呼んでくださっているのか、真珠島の弁天さんを訪ねただけで真珠島の弁天さんが私が来てくれたと喜んでくださるのか、私にはわかりませんが素直に嬉しいです。


もしかして私、前世でこの海女さんとなにかご縁があったのでしょうか。
今はもう海女の墓は柵で囲われ、顔出しパネルが置かれて観光の種にされているような感じです。

子供の頃楽しみにしていた、海女の命日を偲ぶ十六度市は何十年も前に取りやめられ、市が立っていた場所はお寺が経営する老人施設になっています。
ただの伝説と思っていましたが、本当にあったことで、誰かがなにかを必要とされているのなら、教えてくださいね。

できる範囲で対応・努力します。


小田和正さんのコンサートは来週の四日市公演からの伊勢神宮初参拝と、愛媛公演を残すのみとなりました。


時代の変わり目が私の人生の中での大きな大きな変わり目ともなりました。


実家は無くなってしまったけれども、悪い龍のお蔭でM子さんとのご縁をいただけたこと、ミクネの神様から教えていただけたこと、シドの神様の加護を知れたこと、代々お世話になってきたであろう弁天さんたちにご挨拶ができたこと、Iさんにご縁を繋いでもらえたこと、瀬田のおじさまや満濃池の龍神さんたち眷属の皆様にもなんだか親近感を持ってウキウキできること、どれもこれも有り難く、私にとってはひとつひとつのお話が大切な宝ものになりました。


お忙しい中長くていつもすみません。本当にありがとうございました。


その後の📩


6月2日に四日市でコンサートがあり、友達と熱田神宮にお参りします。
3日は同じく2人で伊勢神宮にお参りしてからその友達とは分かれ、
翌4日は後から来る主人と合流して荒熊神社さんに伺う予定です。

夫が子供の頃、祖父母の保養地?かなにかでよく訪れていたという浜名湖を前から見たいと言っていたのですが、今回名古屋まで行くなら近いからと、連れて行ってくれることになりました。


そこの最寄駅が「弁天島駅」でちょっとびっくりしています。そこも弁天さんが祀られているようなので、お社が分かればご挨拶してこようと思います。


Nさんは、本当に激しく動いていました。

まさか、私は荒熊神社さんにも行かれるとは思いませんでした。

つぶて浦の鳥居では日輪が出たそうです。



そして、私の建てた鳥居と並んだ写真も送ってくれて、ずっと悩んでいたことから、解放されたような明るい笑顔でした。


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