「ノナの家」nonahouseは かつこ内親王、かつこ内親王2の続きのブログです。

神様達の名前は、沢山出てきますが、宗教とは全く関係ありません。
mikunenona@gmail.com

七面山の旅の後に

2021-10-30 07:30:00 | 日記
9月25日にいきなり話してきたのは、サン(スサノオノミコト)でした。


お疲れ様だったな。

どなたですか?

サンだよ。
七面山の山頂に、K(会長)が行ってくれて良かったよ。
あの御来光は、なかなか見られないと思うよ。
前日には、ゼウスが雷を落としていたしな。
利他の心で行ってくれたから、「オス!おら悟空」のところにも、行って欲しいよ。

清須城ですか?

清須城だな。清須の城に行ったら、面白いと思うよ。
とにかく、七面山は素晴らしかったので、Kには褒美があるよ。

褒美ですか?

Kは、白い帷子着ていただろう。

はい。

私のところが、背中に写るようにしたからな。
Kは、私の分け御霊だから私がいつも背中にいると、伝えてくれ。

わかりました。

不動(明王)は、イラタの神(天之御中主之神)の下だが、私の下の薬師如来もいるようにした。
信じて進めと、伝えてくれ。


少し前にも記しましたが、K会長は七面山に1人で登ったので、助けてもらうために白い帷子に神様の名前を書いていました。



不動明王は、動かないから北極星でもある天之御中主之神(あめのみなかぬしのかみ)の下にいると、ずいぶん前に聞いていました。
写真を見ると、真ん中に一番大きく書いてあるのがわかりますね。

過去記事を検索すると、2015,1,28でイラタの神が長く話していました。
最近も北極星について調べて納得した話でした。
少しだけ、抜粋します。



深川不動明王を助けに行ったのですか?

深川不動は、私の下だからな。
不動とは、動かない星の意味だ。
私は北極星とも言われている。
だから、動かない物は私の下になるのだ。
深川不動は、高らかに言っていたぞ。M子達が行って救われたと。
見た見たと、M子のことを言っていた。
住吉神社には、沢山の神がいただろう。
神達は、人が沢山いると、疲れてしまうのだ。行っても夜だったりするぞ。
困った時の神頼みは、通用しないのだ。
困った時だけ助けるというのは、甘やかすということだからな。
ミラクルが起こるとすれば、神に感謝し、生きていることに感謝し、回りに感謝することだ。
神社に行っても、私達はいないのだ。私達は自然の中にいるからな。
風の中に、砂の上に、木の上に、水の流れに、池の上に。
「セカヒロ」の人達は、わかってくれるから、来てくれるのだろう。


🐶 イラタの神(天之御中主之神)の話


K会長が、スサノオノミコトの分け御霊だと聞いたのは、今年の春でした。
彼は、今まで聞いて来なかったので、私も始めて聞いたのです。

私は、スセリヒメの分け御霊で、Iさんはニギハヤヒの分け御霊だと、ずっと聞いていて、K会長はスサノオノミコトだとすると、親子関係になりますね。

彼は、かなり年下なのに頼りになるのは、そういうことかな?と私は思っています。

帷子を見ると、天之御中主之神の少し下の右側にスサノオノミコトで、左側にツクヨムが書いてあります。
合体したので「サン」ですね。
その辺りが背中に写るようにしたのでしょうか?
確かに、K会長も癒しの力が強くて、以前に羅臼のホテルで背中に手を当ててもらったら、ものスゴく熱くなったのを思い出しました。

スサノオノミコトが言っていた清須城は、少し前にも言われていたのですが、「ドラゴンボール」の作者の鳥山明さんが清須市に住んでいらっしゃるかららしいです。


9月27日にやっぱりいきなり話してきたのは、ゼウスでした。


よーーーーーわく(弱く)ならないで欲しいからな。

どなたですか?

私は、「世界に広がる友達の輪」の実行委員長のゼウスだよ。
オリンピックは大変だったが、無事に終わって良かったな。

はい。本当に。

コロナも終息に向かっているようだな。

実際は、どうなのですか?

コロナウィルスは、今はかなり弱毒化しているからな。
だから、問題はないと思うが、、、
繋がりがないと孤立してしまうから、頼りにしているよ。
M子は、友達をまだまだ作ってくれよ。
利他の心で頼んだよ。


ゼウスは、ずっと「世界に広がる友達の輪」の実行委員長をやってくれています。
私が昨年1月26日が最終になっている「魂の会」は、元々「世界に広がる友達の輪」を広げて欲しいと言われたことから始まりました。
長い名前なので、「セカヒロ」と言っています。
「セカオワ」の真似ですね。

ゼウスが話してきた9月27日のコロナウィルスの感染者は全国で1147人だったようです。
ピークは、8月20日の25851人で、この下書きを作っている10月29日は287人です。

専門家からのきちんとした説明もないし、情報操作もあるのではないかという懸念もありますが、とにかく日本に置いては、激減したことは確かなようですね。

マスクのない世の中に早くなって欲しいし、「魂の会」を開ける状況になるといいなと思います。


続きます。
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秋分の日の七面山 その5

2021-10-27 07:30:00 | 日記
三保の松原から、静岡駅に向かっている時に、そういえばこの日、ほとんどご飯を食べていない私達はさすがにお腹が空いていて、Iさんの提案で、「うなぎ」を食べて行こうということになりました。

Iさんお勧めの鰻屋さんは、私達三人が朝から行っていた、静岡浅間神社の前にある「かがり火」さんでした。





テイクアウトは営業していましたが、お店は5時からとのことでした。
5時まで、30分くらい時間があったので、私達は参道の商店街にまた行くことになったのですが、やっぱり閉まっているお店が多かったです。

5時になって、お店に入ると私達ともう1人男性の方で満員になっていました。
アクリル板を置いていたりするのでそうなるのかもしれませんね。

お店の方が五人前の鰻を焼いていて、5時半前に目の前に現れた鰻重です。





しばし、無言で食べる私達。
とても、美味しくて満足しました。

食べ終わり、車で静岡駅に向かう途中、Iさんのお勧めのおでんの青葉横丁にも、行ってくれました。
もう、だいぶ暗くなっていましたね。



最後まで、しっかり旅のプロデュースをしてくれました。

静岡駅に着いて、私とSさんは東海道で、Iさんとみこちゃんは、新幹線で帰りました。
私が家に着いたのは、10時くらいで一番遅かったと思います。
夫と別の家になっているので、その点は楽になりました。


そして、次の日に神様達と話したことです。
始めに話してきたのは、カラツの神でした。


昨日は、私も行っていましたよ。
カラツの神です。
みんな楽しそうでしたね。
テラ(地球)の未来は、つまらないことになって欲しくないので、M子さんに伝えていきたいと神達も言っていました。
秋分の日に、太陽が並ぶ日に、七面山に登ったK(会長)さんは、一生の宝になったと思いますよ。
前日の雷は、ゼウスのせいですけどね。
台風も禊いでくれて、前日もゼウスが禊いでくれたから、あの富士山のご来光になったのですよ。
元はと言えば、半年前に言っていたことですが、みんなで行ってくれたから良かったのですよ。
知多半島の荒熊の神が話したいそうです。


荒熊の神だ。
昨日は、私達も行っていたよ。
霊峰富士の美しい御来光は、神達も感動して見ていたよ。
Kは、コロナ禍で、よく登ってくれたな。
M子達が行った杉の木は、神達が集合していたよ。
宇宙からも来ていたよ。
良かったな。Iは全部揃ったのだろう。
利他の心で、ありがとう。


Iさんは、レイラインの場所の最後の一つを今回廻って、全部が揃ったということになりました。
彼と出会って6年の中で私が行っていないのは、元伊勢と大山(だいせん)ですね。


Iさんは、ニギハヤヒの分け御霊だと最初から聞いていますが、そのニギハヤヒが話してきました。
私の話では、ニギハヤヒはセナの神と言っていましたが、スサノオノミコトが「サン」という名前になった時に「レイ」という名前になっています。


セナの神だ。レイとも言う。
昨日は、ありがとう。
Iは私の分け御霊だからな。
全部揃ったので、テストに合格だよ。
テストは、一番最後の場所になったということだな。
レイラインの秋分の日のあの瞬間が12時だったのも、大きな意味があるのだよ。
M子は、いい仲間がいて良かったな。
いくも、ずっと一緒だったよ。


🐷 わんわん!



このタイミングに、ブログを読んで下さっている方達にお知らせしようと思います。
ずっと、一緒にいろいろなところに行っていたいくちゃんが、8月6日に亡くなりました。
享年61歳で、本当に早過ぎる死に私達仲間もかなりショックを受けていました。
みんなで水戸に行った4月25日には、まだ元気だったのに、その後に変調があり、病院で検査をした5月末には余命3ヶ月と言われるとは思いませんでした。

それを知ってから、なんとか出来ないかといろいろやっていましたが、本当に珍しい1%しか掛からない癌は、スゴい速さでいくちゃんを連れて行ってしまいました。

秋分の日くらいが丁度四十九日のタイミングでもありました。
故郷の青森に行ったのも、次の日でしたからね。
ニギハヤヒがいくも一緒だったと言っていましたが、感じる人達はそれを思っていたようです。
Iさんが、「うなぎ」と言ったのも、いくちゃんが好きだったからです。

そして、いくちゃんが話してきました。


いくです。
一昨日から、一緒にいたよ。

みんな感じていたみたいね。

いつも楽しかったから、また行く時は一緒に行くね。
「うなぎ」も美味しかったし、楽しかったよ。
ねーさんがやっぱり中心なのだから、これからも体に気をつけてね。

うん。ありがとう。
青森に行ったんだね。

青森に行くよ。
魂は菩薩界にいるから、呼んでくれればいいみたいよ。

わかった。またね。


いくちゃんについては、ノート一冊分くらい話していました。
亡くなってすぐに菩薩界に行く話も聞いていました。
だから、また一緒に旅は出来るのだと思います。

グループのアルバムに、いくちゃんの写真を集めたら500枚近くになっていました。
大体が、私とみこちゃんと三人の写真が多いのですが、彼女はかわいらしく絵になるので、1人の写真を集めてみました。





みこちゃんが三峯神社に行った時に撮った写真です。
いくちゃん、今までありがとう。
これからもよろしくね。
コメント (18)
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三保の松原

2021-10-25 07:30:00 | 日記
Iさんは、本当に温泉が好きで、全国の神社を回るだけではなく、全国の温泉のこともよく知っています。

今回行った「森のなかの温泉 なごみの湯」も、たまたま聞いて行ったのですが、なかなかの人気ぶりに、レストランも満員状態で、大変そうでした。

今、流行りのスタイルなので、近所の人は1日いるだろうと思いましたよ。
私達三人を待っている間におくつろぎのIさんです。



私達は、ゆったりした後に、静岡に向かいました。

途中通った久能山(くのうざん)東照宮は有名ですが、海岸線の道はいちごロードになっていて、ビニールハウスがずっと続いていました。
久能山東照宮については、Iさんは以前に記事にしていました。


🐷 久能山東照宮



私は40年前くらい前に当時勤めていた会社の旅行かなんかで、多分イチゴ狩りのついでに行ったような気がします。
大体が結婚する前の記憶なのは、夫がどこにも行かない人だからだと思いました。

私自身仕事が忙しくて、行けなかったのもありますけど、Iさんに会ってなければ、夫は病気でほぼ寝たきりなので、やっぱり今もどこにも行かない生活だったのでしょうね。

そして、その後に行ったのは、「三保の松原」でした。
私は名前は知っていましたが、行ったことはないです。
でも、ずいぶん前に記事にはしていたのですね。
検索すると、2014,3,29にありました。


🐶 羽衣天女の話


「三保の松原」から、富士山が見えるというのは、実はスゴく稀なことみたいですよ。
特に夏の季節は見えないと、少し前に「ちびまる子ちゃん」でまる子が言っていました。
まるちゃんが住んでいたのは、「三保の松原」がある静岡県の清水市ですからね。

記事を作るので、富士山が見える確率を調べてみると、7,8月は全体が見えるのは0%となっていて、9月は30%となっていました。
時間帯は、朝の8時が一番見えやすく、午後は見えないのが通常みたいです。

ですので、この日は奇跡的な富士山だったようです。
時間は3時半くらいですからね。



奇跡のダイヤモンド富士と、奇跡の「三保の松原」の富士山となりました。
やっぱり、ありがたいことですね。

Iさんは、それがわかっていたので、私達の感動が薄いと言って、ちょっと不満気でした。


なんかさー。黄色い声とか出ないのかなぁ。
キャーー!スゴい!!とかさぁ。


若い女子達じゃなくて、本当に申し訳ないですね。

海岸に行く前にまずは御穂神社(みほじんじゃ)にご挨拶に行きました。
まずは、拝殿に。


摂社、末社を丁寧に回りました。







そして、ここから「羽衣の松」まで「神の道」がずっと続きます。
両側の松の木は、樹齢4~500年で450㍍の道になっていました。



Iさんは、車を先にある駐車場に停めて私達を待っていてくれました。

そして、「羽衣天女の松」に向かいました。
以前、記事にした時に調べましたが、一代目の松は海に沈み、二代目は瀕死になり、今のは、三代目の樹齢200年の松のようですね。




この先が海岸になり、冒頭の富士山を眺めることが出来ました。



朝から繋いできたお酒は、ここで無くなりました。






続きます。
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秋分の日の七面山 その4

2021-10-23 07:30:00 | 日記
七面山の二丁目は、こんな感じです。




手前にある自動販売機のところが休憩所になっていて、道の突き当たりにK会長はいました。
そして、右側の奥が「神力坊」です。


「神力坊」を右に曲がると、言われていた杉並木でした。



IさんとK会長が前を歩きながら、杉の木を指して「ねーさん、これ?」と聞いていたのは、富士山の山頂の岩を探した時と同じでした。

振り子で聞いてみると、


もっと先

少し先


と言われ、ここと言われた杉の木です。



Iさんが、杉の木の根元に、水とお酒と朝買った鮭のおにぎりをみんなで握って置きました。

みんなで撮った写真です。










そして、みんなでお祈りをして、良かったと思った時に、「キンコンカンコン」と鐘の音が放送で流れました。

なんと、時計を見ると丁度正午の鐘が鳴っていたのですね。
計ったようなタイミングでした。



こんなことをしている間は、誰も人が通らなくて良かったですね。
怪しすぎますから。
普通だったら、もっと人通りがあったと思いますので、、、

K会長が、


ねーさん、二丁目まで来ただけで、結構歩き疲れたでしょ?
これって、何丁目まであるか知ってる?

えーと。十丁目くらい?

五十丁目まであるんだよ。

えーーー!そんなにあるの?
本当に大変だったんだね~。

さすがに疲れたよ。

がんばってくれて、ありがとう。


という会話をしていました。
少し前に、富士山にも登っていたので、相当疲れていたと思います。
今回は、K会長のお陰様で、素晴らしい御来光も見ることが出来て、本当にありがたいことでした。
彼が途中で会った鹿さんです。



私は、前回の「白糸の滝」の前の像のお萬様はやっぱりスゴい女性だったのだと思いましたし、半年前に、七面山のことを教えてくれた、北海道のYさんとみち子さんを改めて尊敬しましたよ。

登山口まで降りて、K会長とは別れて私達は、静岡に向かって車を走らせていましたが、Iさんが「道の駅 なんぶ」で近くにいた方に教えてもらった温泉施設に行こうと言って、そこに寄って行くことになりました。


「森のなかの温泉 なんぶの湯」に着いたのは、1時くらいでした。

調べると、2019年にリニューアルオープンしたようで、今流行りの感じになっていて、休憩所には本やマンガがふんだんに置いてあり、近くの人達は一日中いられるところみたいでしたよ。



露天風呂やサウナもあって、私達は1時間くらい楽しみました。


続きます。
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奇跡のダイヤモンド富士

2021-10-21 07:30:00 | 日記
さて、七面山での合流地点は、二丁目の神力坊(じんりきぼう)と神様に言われていました。

K会長は、上から降りて来て、私達4人(Iさん、Sさん、みこちゃん、私)は登山口から山道の階段を昇って行きました。



この話の前に、七面山山頂からのK会長の素晴らしい御来光の写真のことになります。


K会長は、今年9月に長くお勤めしていたホテルを卒業することはだいぶ前から決まっていました。

最終日にも、まだ辞めないで欲しいと引き留められたそうですが、やっぱり自分のやりたい事は決まっていたので、卒業となりました。

このタイミングじゃなかったら、富士山の頂上に2回トライすることもなかったと思いますし、直後に七面山に登ろうとはきっと思わなかったでしょうね。

七面山に登る少し前に、レイラインの場所がある北緯35度に沿った感じで、台風14号が禊ぐように過ぎていました。
そして、前日の22日の夜は雨と雷の禊ぎがありました。
23日の朝6時前くらいに私がホテルの窓から撮った傘雲をかぶった富士山です。



天気になって良かったと思いながら、三人で静岡浅間神社に向かいました。

時間的には、そのすぐ後にK会長から送られた七面山の頂上から見えた富士山の真上に出る御来光でした。
まさに、ダイヤモンド富士ですね。








傘雲の上の神々しい光は、なかなか見ることは出来ないと思った通り、K会長の近くにいた男性が、「30年近く毎年登っているけれど、ここまでのは始めて見た」と感動していたそうです。

コロナ禍で、登った方はいつもより少なかっただろうと思いますし、レイラインが並ぶ「秋分の日」だからという奇跡の御来光ですね。

K会長は、宿坊の「敬慎院」に直前に泊めてもらえるか電話したと言っていました。





そして、「敬慎院」の前の門の「随神門」から、春分、秋分の日のみ御来光が一直線に門から入って、本堂の御神体を照らすとのことだそうです。

K会長が撮った「随神門」です。



そして「随神門」から入ってきた御来光。





本当に、この場にいたら一生忘れない光景だったろうと思います。

私達は、下から「神力坊」のある二丁目に着きましたが、K会長が見当たらなくて探していました。

彼は一番奥のところにいましたよ。



白い帷子(かたびら)にビッシリ神様の名前が書いてありました。

助けてもらうためだとのことでした。

富士山に登った時に、足の爪が割れてしまったと言っていたので、ずいぶん無理して登っていたのだと思います。

「神力坊」は、お寺ですが、休憩所にもなっていて、信者さん達が置いていかれるのか、お菓子も沢山あり、お茶も飲めるようになっていて、美味しい漬物とお茶で、休憩することができました。

Iさんが、

ねーさん、杉の木はどれだかわかっているの?

わかんないよ。
教えるって言われているけどね。


ということで、言われていた杉の木を探すことになりました。


続きます。
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