「ノナの家」nonahouseは かつこ内親王、かつこ内親王2の続きのブログです。

神様達の名前は、沢山出てきますが、宗教とは全く関係ありません。
mikunenona@gmail.com

スセリヒメとマスラオの話

2021-07-30 07:30:00 | 日記
7月3日に発生した熱海市の伊豆山地区の土石流で、沢山の家屋が流されて、20数名の方が亡くなり、まだ行方不明の方も何人かいらっしゃるようで、本当に痛ましいことでした。
被害に遭われた皆様のご冥福を祈ると共にお見舞い申し上げます。



今回、事故が起こった場所は、私が何度か行っている伊豆山神社のすぐ近くだったということもありますが、伊豆山神社の本宮には私の物語のスセリヒメとマスラオがいるという話になっているので、一体どうなっていたのだろうと思っていました。

伊豆山神社には、「魂の会」の皆様と何度か一緒に行っていました。

始めは、伊豆山神社の本宮までは行かず、途中の白山神社まで。

次は海の近くにある走り湯神社から階段を昇って伊豆山神社まで。

そして、その後に伊豆山神社から本宮のある山の上まで。

というように、ルートは少しずつ違うのですが、三回のトータルでは一番下から一番上までを歩いたことになりました。

2番目の一番下から階段を昇って伊豆山神社まで行った時は、セカヒロ「魂の会」in熱海を開催した2017,2,19でした。
もう、4年前になるのですね。

当日は10時に熱海駅で待ち合わせて、バスで「逢初橋(あいぞめばし)」のバス停からかなり急な坂を降りて行きましたが、今回の事故現場の道だったと思います。


🐶 セカヒロ「魂の会」in熱海


一番下にある走り湯神社から、伊豆山神社までは837段の階段となるのですね。



昔からの参道の階段をハァハァしながら昇って行きました。

そして、本宮まで登ったのは、次の年の2018,4,29でした。


🐶 伊豆山神社の話




この時に、本宮のある場所に行ったのは、スセリヒメがわらび餅が欲しいと言っていたからで、かよちゃんが美味しいわらび餅を用意してくれました。

ちかちゃんのご主人とお子さん三人も参加してましたが、一番下の3歳だった男の子のはるま君が、山道を楽しそうに歩いていて、自然は子供を元気にすると感じた出来事でした。


🐶 伊豆山神社の話 その3



そして、7月6日に、スセリヒメと話してみました。


スセリヒメです。

土石流の事故は、大変でしたね。

大変でした。
急でしたからね。
私とマスラオは、M子さんのマンションの裏山にいますよ。
しーーーーとーーーー(使徒)達が沢山いるので、安心です。
れーーーーいーーーーわ(令和)になって、雨の被害が多いですね。
地球の環境は、人間が壊してきた代償ですね。
これ以上犠牲者が増えないといいですけど。。。
しばらくは、伊豆山神社にも行けないと思いますよ。


次に話してきたのは、子供のマスラオでした。


マスラオです。
ノンストップで、濁流は流れていきました。
家が建つ前で、良かったかもしれませんが、亡くなった方も作業している方も大変です。
私達も、使徒達と押さえていたのですが、水の流れは下に入っていたので無理でした。
あの場所は、何度も崩れている場所なのですよ。
時代が経ってしまうと、伝える人がいなくなってしまうのですね。

なぜ、マスラオさんは生まれたばかりなのに知っているのですか?

私は伊豆山にいる、ニニギやアメノオシホミミに聞いていました。
伊豆山権現は、アメノオシホミミですからね。


🐶 アメノオシホミミ、ナセの神、コノハナサクヤヒメの話


マスラオが言っていたことは、やっぱり、以前に聞いた通りだったのだと思いました。


続きます。
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7月3日に

2021-07-27 07:30:00 | 日記
7月3日の熱海の土石流の映像は、衝撃的でした。

この日は、「蒼いとびら」の予約が入っていたので、私は田町に電車で向かっていた時に、ネットニュースの映像が飛び込んできて、10年前の東日本大震災の時の津波を思い出しました。

沢山の方から、ご心配をいただき、ありがとうございました。


その時に、心配して最初に📩をくれたのはノブエさんでした。
丁度、ずいぶん前の記事の話を彼女としていたので、タイミングだったのかと思います。

ノブエさんの飼っているウサギのふーちゃんの話を大阪のKKさんとしていたのです。
KKさんとは、ご紹介で今年の2月に初めてセッションさせていただきました。

KKさんが飼っているワンちゃんの楽(らく)ちゃんが、弱って食欲もなくどんどん痩せてしまうというお話しでした。
楽ちゃんは生命力を見るとそれほど弱っていないので、すぐにどうこうではないと思いましたが、楽ちゃんはお母さんのKKさんのことを心配していました。

ペットのことでのお話しは、今までいくつかありましたが、飼い主の皆様は献身的な愛でいらっしゃるので、死んでしまったら、ずっと心残りで「どうしてあげたら良かったのか?」とご自分を責めている感じで、ペットロスはなかなか癒えないのかもしれませんね。

ただ、ペットと話してもみんな飼い主の方に、とても感謝をしていて、ご自分のことをもっと考えてくださいと言っていたりします。


ノブエさんのうさぎのふーちゃんの話は、もう7年位前の話です。
私が動物とも、振り子で話せるのだと思った出来事でした。

ふーちゃんが、一週間くらいご飯を食べなくなって、心配したノブエさんの📩から始まりましたが、ふーちゃんのいるうさぎ小屋が高い場所にあったので、それがストレスでガンになってしまったという話でした。

私がそれを言うとすぐに、ノブエさんのご主人は、うさぎ小屋の足をノコギリで切っていました。

その後、病院にも行ってなんとか治ったのですが、アストラの実のセコも行ってくれたりして、ふーちゃんは今も元気なのですね。
うさぎの寿命は、平均7年くらいだと言われているそうですが、ふーちゃんは8年以上がんばっていて、実は今年の春にふーちゃんの子供も死んでしまったそうで、最後の1匹(羽)になってしまったのです。

私は、ノブエさんにふーちゃんの写真を送ってもらうように頼んでいました。




まだまだ、しっかりしている様子ですね。



春までいたふーちゃんの子供との2ショットです


🐶 うさぎのふーちゃんの話



7月3日のセッションは、初めていらして下さったトモさんでした。

セッションには、ご紹介かブログを読んでご連絡を下さる方になるのですが、トモさんは後者で、8月にご実家のある新潟に転職が決まったので、東京にいる間にと、ご連絡をくださいました。

私のブログにたどり着く方は、何かを検索してが多いのですが、彼女は「骨寺村」で、ヒットしたので読んで下さったそうです。

彼女が大学生だった時に、骨寺村の研究をしていた教授について骨寺村に行かれていたそうで、とても懐かしくブログを読んで下さったそうです。

ミクネの神(天之常立之神)がいると言っていた駒形神社の奥宮は駒ヶ岳の山頂にあるのですが、そこにも行かれたとのことでした。

教授が書かれた本もいただき、まだ若いトモさんと、またご縁が出来て嬉しく思っています。



私は、骨寺村の若神子(わかみこ)社の近くで、激しく鼻血が出てしまったことと、「骨寺村荘園交流館」のシアターで観た映像で号泣したことを思い出していました。


🐶 岩手の旅 その6


骨寺村については、世界遺産登録の際に翻訳に携わっていた岩手県在住の愛さんとお子さんのゆーた君もご縁が出来ました。

愛さんが骨寺村の記事にコメントをしてくれていました。

以前世界遺産登録関連の翻訳をしていた時に骨寺村のことを知りました。
最初に登録を試みていた時は骨寺村も世界遺産の構成資産に含まれていたのですが、構成資産の範囲が広すぎて趣旨がぼやけている的な理由で一度登録が延期になり、再申請の際に骨寺村は資産から外されたのです。

骨寺村は、当時の地形・風景がそのまま保たれている、という希少価値で最初は構成資産に含まれたのですが、もし世界遺産になったら住民達が自分の生活をある程度犠牲にしてでも景観を維持しなければならない…それでも、世界遺産登録に向けて住民の方々も努力してきたのに、今度は上の都合で資産から外される…という、中々の振り回されっぷりでした。
岩手の人も、この経緯は勿論、骨寺村の存在自体、ほとんど知らないと思いますが!まあ、世界遺産から外れてちょっと安心した気持ちも正直あります。


ということで、結局、骨寺村は世界遺産の登録からは外れてしまったようですが、重要文化的景観ということになっているそうです。

800年前と同じ景観というのは、貴重なことなのでしょうね。

骨寺村については、実は岩手県の八幡平在住のあくえりさんの話から始まりました。

あくえりさんを守っているらしい孔雀王が
「ほーーーーねーーーー、ほーーーーねーーーー」と言ったことからでしたね。
上記のうさぎのふーちゃんも、「たかい、たかい」と言ったことから話は始まりました。


🐶 半年前のあくえりさんの話



Iさんも岩手県の骨寺村に行った時の話はまとめていますが、やっぱりいろいろなご縁でRPGは続くのだと思いました。


🐷 邪馬台国徒然 7


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渋沢栄一の話 その2

2021-07-26 07:30:00 | 日記
前回、渋沢栄一さんのお孫さんの鮫島純子(さめじますみこ)さんが出演していた番組は、6月7日放送のNHKEテレ「グレーテルのかまど」という番組で、私は本当にたまたまチャンネルを替えていて観た物でした。

この時のテーマは「オートミール」で、渋沢栄一さんがオートミールを食べていたというお話しでした。

子供の頃、物語にオートミールが出てきたような気がしますが、私はそういえば今まで一度も食べたことがないと思い、買って来ました。
実は、ダイエット食として流行っているらしいことも知りました。



渋沢栄一さんは、ヨーロッパに行って知ってから、ずっと朝食はオートミールだったらしいですよ。
調べてみると、昭和天皇も朝食にオートミールを召し上がっていたらしく、長命な方々は健康にも気遣っていたのかもしれませんね。

調べると、レシピもいろいろありますが、最近見たのが、私には簡単なので、ご飯として食べたりしています。

オートミール30g、水100cc、お茶碗に入れて電子レンジで1分加熱です。


そして、6月16日に、えいいちの神が話してきました。


れーーーーすとらん(レストラン)に行ったらいいよ。

レストランですか?

埼玉だよ。
深谷にあるレストランだ。
高くないから大丈夫だよ。
都会よりはね。
渋沢栄一だよ。

渋沢栄一さんは、オートミールがお好きだったのですか?

オートミールは、毎日食べていたよ。
イギリスに行った時に気に入ったからな。
米は太るから、三食は食べない方がいいと思ったのだよ。

長生きでしたね。

長生き出来たのは、回りの人のお陰だよ。
何度も病気になったからな。


渋沢栄一さんは、55才の時に顔に皮膚ガンが出来て、手術をしていたそうで、左側の頬にその傷痕があったらしいですよ。
昔は、今の医療技術がないのですから、よく治ったと思いますね。


続きです。


齢(よわい)を重ねないと、わからないことは沢山あるよ。
若い時は、回りが見えないからな。
今、思っても大変な世の中だったと思うよ。
理解できる人は、いなかったからな。
私はイギリスやフランスに行けたから、良かったと思っている。
日本の中にいたら、想像もつかないことばかりだったからな。
ラーーーースーーーートーーーーの年にならないように、神達は動いているよ。
私もがんばるよ。


深谷のレストランは、どこだかわかりませんが、またみんなで行けたらいいなと思っています。


そして、この下書きを作っている7月24日にも、えいいちの神は話してきました。


渋沢栄一だったえいいちの神だよ。
らーーーーん(乱)だったからな。
私が生きていた時は。
冷酷な時代だったと思うよ。
つまり、人は武士にならなければ「人でなし」だったからな。
友達の好き嫌いで悩んだりするのは、生きているから仕方ないのだよ。
死んでしまったら、何も出来ないからな。
私は、さーーーー(差)が嫌いだった。
生まれとかで、判断されるというのは、本人はどうすることも出来ないからな。
貧しい人達の中にも、優秀な人は沢山いたのだよ。
だから、私は会社を作ったのだ。
気概のある人達に任せてきたから、それぞれが発展したと思っている。
私は(平岡)円四郎様が早く死んでしまった
ので、とても残念だったよ。
円四郎様の考えを踏襲しただけだったからな。
円四郎様がいなければ、私はずっと百姓のままだったから、死んでも死にきれなかったと思うよ。
(徳川)慶喜様も素晴らしい人だったからな。
いつも、大変な目に合っていたけどな。
私は友達が大事だと思う。
自分一人では出来ないことが、友達のお陰で、沢山出来たからな。
楽しかったよ。
いろいろあったけど、生きている時は楽しかった。
繋がりは、菩薩界に来ても、神界に来ても変わらないのだよ。
神界で出来た友達も沢山になったからな。

今は何階層の神様なのですか?

七階層から六階層にしてもらったよ。
「論語と算盤」のお陰だな。
今、読んでくれる人が増えたからだな。


私は最近、本屋さんで「論語と算盤」の解説のようなNHKのEテレの「100分de名著」のテキストを買って少しだけ読んでみています。

「論語と算盤」の新書版の守屋淳さんが解説している物なのですが、冒頭に写真があり、渋沢栄一の古希のお祝いに贈られた絵がありました。
この絵が、「論語と算盤」の元となっているようですよ。



解説者の守屋先生に因ると、「論語と算盤」が世界に広まったきっかけは、リーマンショックだったそうで、だからえいいちの神が言っていたように、最近注目されたのだと思いますね。
中国でも、沢山の翻訳本が出版されているそうですよ。

私は、渋沢栄一さんが500近くの会社を作りながら、600もの慈善事業に携わっていたことに驚きました。

自分がガンになったということもあり、「がん研究会」も作っているし、「養育院」の院長を50年をやり続けていたし、沢山の学校も作るために寄付活動をしていたということは、本当に利他の心が強い方だったのだと思いますね。

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渋谷栄一の話

2021-07-23 07:30:00 | 日記
5月27日の四国のつさかの神の次に話してきたのは、渋谷栄一さんだったえいいちの神でした。

私は、相変わらずNHKの大河ドラマの「青天を衝け」を毎週観ていますが、幕末は本当に大混乱の時代だったのだと思います。




しーーーーずーーーーおか(静岡)の熱海にいるそうだな。

どなたですか?

埼玉の渋沢栄一だよ。
えいいちの神だ。
ちーーーーかーーーーいーーーーところに、Iがいたそうだな。

はい。そうですね。

悪ガキだったらしいな。

そうみたいです。

私も、若い時はいつも怒られてばかりいた。
いつもだよ。ハハハハハ。
家族には悪いことをしたと思っている。
先日、紫蘭(シラン)を持って来てくれたな。

はい。行ってました。

まさか、伝わるとは思わなかったよ。
渋沢というか、村の人達は都会に行ってしまっているから聞いてくれるとは思わなかったのだ。
深谷は、江戸と近かったのだよ。
川があったからな。
だから、私は江戸に行ってみたかった。
江戸で勝負したかったのだ。


Iさんは、渋沢栄一さんの生家の近くに生まれたので、今もそこはお母様のお散歩コースなのですね。
紫蘭の話は、Iさんも記事にしていました。


🐷 春の日



深谷の地形については、ブラタモリでやっていたので、それも観ていましたが、江戸時代は、陸路より水路で人々は動いていて、丁度深谷の辺りは、利根川の往来で大きな船がたどり着く限界点だったらしいです。
もっと上流に行くとすれば、小さい船に乗り換えないといけなかったようで、これは上流の浅間山から流れてきた溶岩が貯まって出来た扇状地で、砂と粘土が絶妙に混じりあっていて、ネギの栽培に向いていたらしいです。

だから、深谷に港があり江戸に行くのは、比較的楽だったのですね。

渋沢栄一さんの出身地がなぜ、埼玉の奥地にある深谷だったのかと思いましたが、タモリさんも、地形に詳しいのでとても驚いていました。


えいいちの神の話の続きです。


だから、運がいいと思っている。
やっぱり、人の繋がりが大事だと思う。
(平岡)円四郎様は、本当に無念だったよ。
切られてしまうとは思わなかった。
私は命の儚さを知った。
私は生き残ってやると、誓ったのだ。
おーーーー寿司食べたいな。

お寿司ですか?
何のお寿司ですか?

つまみたいよ。
私は鯖寿司が好きだったよ。
コハダもね。


平岡円四郎さんは、一橋(のちの徳川)慶喜の側近中の側近だったので、円四郎さんと栄一さんが会わなければ、栄一さんは農民のままの生涯だったと思えば、本当に人の繋がりが大事だったということですね。

平岡円四郎さんは頭が切れ過ぎて、誤解されてしまったようで、水戸浪士は慶喜公は円四郎にそそのかされていると思ったようで、なんと43才で暗殺されてしまいました。

慶喜にとっては、本当に手痛いことだったのでしょう。

渋沢栄一さんが平岡円四郎さんを評した文章です。


この人は全く以て一を聞いて十を知るといふ質で、客が来ると其顔色を見た丈けでも早や、何の用事で来たのか、チヤンと察するほどのものであつた。
然し、斯る性質の人は、余りに前途が見え過ぎて、兎角他人のさき回りばかりを為すことになるから、自然、他人に嫌はれ、往々にして非業の最期を遂げたりなぞ致すものである。
平岡が水戸浪士の為に暗殺せられてしまうやうになつたのも、一を聞いて十を知る能力のあるにまかせ、余りに他人のさき廻りばかりした結果では無からうかとも思ふ。


ドラマでは、西郷隆盛役の華丸さんがこの言葉を話していました。

渋沢栄一さんが、お寿司が好きだったのかはよくわからないと思っていた時に、NHKEテレで、たまたま観た番組に出演された渋沢栄一さんのお孫さんの鮫島純子(さめじますみこ)さんに、私は興味を持ちました。

とても上品な笑顔の方で、渋沢栄一さんのエピソードを話していらっしゃったのですが、鮫島純子さんは、現在98才で今年亡くなった私の父より1つ年上の大正11年生まれなのですが、丁度「青天を衝け」に出てきた公家の岩倉具視(いわくらともみ)さんの曾孫さんと結婚をして、そのご主人が亡くなられた後に78才からエッセイストになられたそうです。

渋沢栄一さんは、とても優しいお祖父様で、日曜日に孫がみんなで挨拶に行くと、一人一人頭を撫でて、飴を口に入れてくれたそうで、91才まで生きられたのは、若い時に命の儚さを感じたからなのかもしれませんね。

渋沢栄一さんは、本当に大変な時代を生きていたと思いますが、人生について聞かれた時に「楽しかったよ~」とおっしゃったとのことで、やっぱりステキな方だったのだと思いました。

最近、大谷翔平選手が渋沢栄一さんの「論語と算盤」を読んでいたという話が話題になっていましたが、これは日ハムの栗山監督が選手達に読むように勧めたそうです。

「目先にすぐ成果が出ないとしても、それはまだ機が熟していないだけだ。タイミングがまだ合っていないだけなのだ。事をあきらめることなく、忍耐強く進めるべき」

という言葉から、「見えない未来を信じる力」で栗山監督は、大谷選手を育ててくれたのですね。
栗山監督がいなければ、「二刀流」の概念はなかったのかもしれません。
大谷選手も、「論語と算盤」を素直に読んでいたようで、やっぱり、人の出会いは大事だということですね。


続きます。

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イカと宝船の話

2021-07-21 07:30:00 | 日記
5月27日のつさかの神の話に出てきたイカは、やっぱり謎だったので、この下書きを作っている7月19日に話してみました。
そもそもは、3月7日に行った相模原の亀ヶ池八幡宮のどんこの神がイカが宝船に乗っていると言ったことから始まったのですが。。。


イカです。
宝船に乗っていました。

四国のつさかの神のところに行きましたか?

行きました。

ナゼですか?

つさかの神は、津嶋神社にいますが、知られていない神です。
だから、話が出来る人がいると、教えてあげたのです。
どんこの神も、喜んでいましたからね。

なぜ、宝船に乗っているのですか?

宝船は、いろいろなところの罪穢れを集めています。
宝が乗っている訳ではないのですよ。
私は敦賀の海にいましたが、宝船に乗って全国を回りたいと思ったのです。
だから、知らない場所に行くのは楽しいですよ。


イカが言っていた宝船の話は、以前に神様達から聞いていたことと同じでした。
2015,9,21の記事で、ナセの神(国之常立之神)が話していたことを抜粋します。


ナセの神だ。

Iさんが坐間(いかすり)神社に行こうとしていますよ。

私は、その日はイカスリ神社には行かないよ。
宝船が来ているからだ。

どこに来ているのですか?

須磨の海岸だな。
「札」が無くても、うわついていなければいいよ。
イカスリ神社には、今年中に来てくれればいいよ。急ぐことはない。

宝船は須磨の海岸に来るのですか?

七福神が乗っているのだよ。
宝船は、次は稲毛の海岸に来るよ。
皆で見物に行くのだ。
旗神社に行くらしいな。
二子神社ではなく、岡本かの子の碑が、旗神社だよ。

私は、宝船はいろんな海岸に来るのかと思いました。
そして、この話の続きが次の日にあったのです。


8月22日


ナセの神だ。
須磨の海岸にいる。
私のグループの神は、みんないるぞ。
宝船は、年に何回か来るのだよ。
七福神の揃い踏みだな。

宝船は、なんで来るのですか?

宝船が来るところは、罪が多いところだよ。
だから、宝船に罪を乗せて海に捨ててもらうのだ。

須磨に多いということですか?

須磨と言うより、関西全体だな。
私達の味方になってくれる人が増えればいいのだが、人間は狭い考えの人が多いからな。
生きているということは、いかなることも自然が助けているのだぞ。
笑って暮らせば神達は喜ぶのだぞ。
変わらない心では、病気になるぞ。
変わらない心とは、狭い考えと自然に対する感謝がないことだ。
生きているということは、誰かの世話になっているということがわかれば、狭い考えにはならない。
詳しくは、宝船に乗っている七福神と話したらいいぞ。


🐶 マセノラの神とナセの神の話



イカは、敦賀のイカだと言っていましたが、また、タイミング良く愛知県在住の釣り師のOさんと、「魂の会」でいろいろお手伝いをしてくれるヒロミちゃんとやっぱり「魂の会」に来てくれた京都のみやこちゃんが、敦賀のイカ釣りに行かれるとのことでした。
釣り師のOさんからは、せっかく敦賀に行くので、気比神宮に行きたいということで、7月16日にお電話で話していたのです。

私は、Iさん、みこちゃん、いくちゃんの4人で北陸の旅に行った時の話をしていたのですが、記憶が曖昧だったので、私のブログを読んで欲しいと伝えると、読んだ後に📩を送ってくださいました。


気比神宮調べてましたら
M子さんが行かれた日
なななーんと
2016/7/16
5年前の今日だったんですね(笑)


私は昨年の同じ日に、四国に行っていたのだと思って、やっぱり驚いてしまいました。


🐶 北陸の旅 その9



読み直してみると、たった2日の旅での動きが半端なくIさんはやっぱりスゴい人だと思いましたし、たまに記事に出てくる金沢のみこちゃんの美容師の先輩のM川ご夫妻には、この時に初めてお会いしたのだと思いました。
やっぱり、ご縁だったのですね。

そして、今回のイカ釣りの釣り果は、Oさんから写真をお借りしました。





ヒロミちゃんとみやこちゃんの後ろ姿ですが、ステキですね。

二人ともOさんのルアーブランドの「Masakado」のTシャツを着ています。


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