「ノナの家」nonahouseは かつこ内親王、かつこ内親王2の続きのブログです。

神様達の名前は、沢山出てきますが、宗教とは全く関係ありません。
mikunenona@gmail.com

志賀海神社

2023-10-30 07:30:00 | 日記
志賀海神社にいるワタツミの神が、話してきて、以前に記事にしました。


🐶 五十猛(イソタケル)と綿津見(ワタツミ)の神の話



ワタツミの神は、今年の5月6日に話してきたのですね。
少し、抜粋します。


志賀海神社にいる綿津見(ワタツミ)の神だ。

初めまして。

初めてだな。
もっと前に話すべきだったが、遅くなってしまったな。
すーーーなーーー(砂)があるから、行ったら取ってきたらいいよ。
近くないから、待っているからな。


志賀海神社は、九州にあるので、なかなか行けないと思っていると、福岡在住のたまに話に出てくるSさんご夫妻が、8月15日に行って、写真を送ってくださいました。

本当にありがたいことですね。
ワタツミの神が言っていた通り、至るところに浄めの砂がある神社だとわかりました。






そして、「お潮井の砂」を私宛に宅急便でいくつも送ってくれたのですね。


ということで、8月20日に、ワタツミの神が話してきました。


ワタツミの神だ。

「お潮井の砂」をいただきました。

砂もらって良かったな。
Sが来てくれたな。
覚えておくよ。

何か、欲しかったですか?

何もいらないよ。
来てくれるだけで、嬉しいのだ。
かーーーーこーーーー(過去)に縛られることはないのだぞ。
「モナド」になっているので、スムーズに話が出来るのだな。
過去とは、前世のことだよ。
前世で、何かしたから今世が苦しいとか言ったりするが、今世は今世なのだよ。
苦しいのは、普通だからな。
つーーまーーりーー今が大事だということだ。
先祖を大事にするのは、当たり前だ。
今の命は、先祖からもらった物だからな。
魂は、旅をしている。
たまたま今、日本に生まれているだけなのだよ。
日本は、大事な場所だったよ。
世界がひとつだった頃だ。
私はカラカラの国から来たのだよ。

スサノオノミコト様達と一緒ですか?

スサノオノミコト達より、早かったと思うよ。
志賀海神社は、古いだろう。

はい。

矢岳(ヤダケ)の神も、知っているらしいな。

はい。シュメールから来たと言っていました。

シュメールで、友達だったよ。
九州は、始まりの地だからな。

船で来たのですか?

船というより飛行船だな。

「お潮井の砂」は、どうしたらいいですか?

熱海に持って行ってくれ。
Iにもひとつ渡してやってくれ。
後、K(会長)にも送ってやってくれ。
山と海が繋がるからな。

わかりました。

シュメールは、インドなのか?

イラクですね。

そうか。
変わってないのだな。
私は大体中津宮にいるからな。
志賀海神社には、眷属がいる。
だから、いいのだよ。

沖津宮は?

沖津宮には、たまにイラタの神(天之御中主之神)が来るよ。


Sさんご夫妻のお陰様で、ワタツミの神が沢山話してくれました。

いつか、行ってみたい神社がまた増えましたね。


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笠間のキツネと瓦の神の話 その2

2023-10-27 07:30:00 | 日記
Iさんが、お盆の時にご実家のある埼玉県深谷市のホテルに泊まっていると、沢山のカラスが窓から見えて、何か言われているから教えて欲しいと言ってきたので、次の日の朝に聞いてみました。


私)昨日、Iさんのところに行ったのは、どなたですか?

昨日行ったのは、私だよ。

どなたですか?

カーーーーワーーーーラーーーー(瓦)の神だ。

え?彌彦神社のですか?

そうだ。
瓦の神がわかる人がいるとは思わなかったよ。

カグヤの神(天香山命)の眷属でしたよね。

そうだ。
アメノカグヤマの神に仕えている。
瓦は、なくてはならない物だったよ。
だんだん廃れてしまったけどな。

何故、深谷に行ったのですか?

深谷には友達がいるんだよ。
瓦のね。
だから行ったよ。
Iによろしくな。


瓦の神と話したのは、6月4日に新潟からセッションでいらしたゆりさんの質問からでした。
彌彦神社に某(ぼう)神社という神社があるけれど、何の神社かわからないらしいというお話しからでした。


🐶 彌彦(やひこ)神社 その2



私は、上記の記事を作るために新潟の瓦について調べていました。
阿賀野市に安田瓦ロードがあるようですね。

そして、深谷の瓦についても調べてみると、深谷瓦というブランドがあるのだと思い、Iさんにも伝えると、


深谷は、レンガと瓦の町だよ。


と、教えてくれました。
Iさんのブログには、ご先祖様の繋がりが記されていました。
だから、お盆ということもあって、沢山のカラスは瓦の神様の友達とご先祖様達だったのかもしれませんね。


🐷 彌彦徒然 4



少し、私の夫のことも記しておきます。

6月に検査入院をした後に、担当医から腎臓の機能が落ちているので、腹膜透析の回数を増やすように言われ、7月17日から朝4時から1回目となり、最終は夜中12時になったことから夫も私も疲弊していました。

夫は几帳面なので、時間に厳しく、だから、夜に充分な睡眠が取れなくなって、肺炎になったのだと思います。
8月31日から、3週間入院して帰ってきましたが、また10月18日に救急車に乗ることになりました。

今回も発熱して、血中酸素濃度が下がり体の力が失くなってしまったので、夕方病院に電話して、当直の腎臓内科の医師に相談して、救急車を呼びました。

熱は38.8℃になっていて、酸素濃度は76%まで下がっていました。

病院に着くと、まずはコロナの検査をして、陰性と言われホッとしました。
当直医が、

今、病室が空いていないので、個室でも大丈夫ですか?

はい。

本当に?

はい。お願いします。


医師は、個室料金のための確認をしていたのですね。
1日14300円の部屋に、夫は入院しています。
次の日に病院の看護士さんから、大部屋が空きましたけど、どうしますか?と電話がありましたが、快適そうなので、そのままにしてもらいました。

主治医の先生は、4月から若い女医さんに代わりましたが、マメに電話をくださいます。
私としては、お任せするしかないですね。

その担当医から書類を書いて欲しいと連絡があったので、10月23日に病院に行くと夫は酸素吸入を6リットルしているとのことで、食事も出来ない状態でした。

前回の入院にも書いた書類でしたが、今回はしっかり読みました。

DNAR説明書と書いてあり、そのまま引用すると、

DNAR(Do Not Attempt Resuscitation)とは、「心肺停止時に心肺蘇生法(心臓マッサージや人工呼吸等)を行わない」という意味合いを持っています。
心肺蘇生法を行っても成功の可能性が低い、または仮に成功しても一時的なもので、すぐに再び心肺停止状態になってしまうことが予想される病状を対象としています。

現在の病状について下記の状態にあり、遠くない将来に心肺停止に陥る可能性があります。
その際、心肺蘇生法を行っても可能性が極めて低いと考えています。

低心機能、末期腎不全

と、書いてありました。

10月25日に面会に行くと、前回ほどの感じではなくなって少しずつ食事もしていましたが、やっぱり覚悟はしないといけないみたいですね。



画像は、病院の個室からの夕日。


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笠間のキツネと瓦の神の話

2023-10-24 07:30:00 | 日記
8月10日の夜に、Iさんから📩がきました。


今リビングの足元にいてくれてるのはキツネさん?シーサーさん?かな?


私は次の日の朝に振り子を持ってみました。


私)昨日、Iさんの家のリビングにいたのは、誰ですか?

昨日、足元にいたのは、キツネです。

どちらのキツネさんですか?

コーーーースーーーートコに一緒に行ったキツネです。

コストコですか?

YUについていました。
気が付いてくれたのですね。
お台場にいたのですが、今は忘れられた神社にいます。
学芸大学の近くです。

何か伝えますか?

来たら寄ってくださいと、伝えてください。


私は、学芸大学の辺りにある稲荷神社を調べてみました。

いくつか神社があるうちで、笠間稲荷神社が、振り子で回ったので、Iさんに伝えました。


Iさんの📩

笠間稲荷。
つーか、チョット驚いたよ。
あの笠間さんがこんな近くにあったなんて!
今日お休みだから早速行ってみるよ!
何か欲しいもの?とかあったら教えといてね。
笠間稲荷さんは皆で行った後から毎朝祝詞の中に入れてるんだよ。
御神籤(おみくじ)の入ったキツネさんが神棚にあるからね。

最近よく足元に来るキツネさんだからさ。
家の側の公園にいる時とかよく来るのよ。
公園が好きなんだな、と思っていたんだ。

地図にはなかったんだよ。
よく行く街なのに知らなかった。
すごいね。

YUさんにラインしたら夏風邪で熱が出ていて倒れてるらしい。今。大変だ。
お稲荷さんついでにお見舞いに行ってあげよう。


会員のYUさんと、半年前くらいにコストコに行っていたのは聞いていましたが、まさか笠間のキツネさんも一緒に行っていたとは!ですね。



この少し前に、荒熊の神が荒熊神社の清水宮司様が、弱っているので声掛けてくれと言ってきたことがあり、その頃に宮司様が体調を崩されていたことがわかったので、笠間のキツネさんはYUさんのことを知らせに来ていたのだと思いました。
私はキツネさんと、話してみました。


キツネです。

お名前は?

笠間のキツネでいいですよ。

YUさんが、具合悪いみたいです。

だから、知らせに行ったのですよ。

何か欲しい物はありますか?

YUさんが欲しい物を持って行ってあげてください。


Iさんは、YUさんにお見舞いの品物を持って行ってあげたようです。
そして、その日の笠間稲荷の写真も送ってくれました。






シーサーもいたみたいで、大受けしていました。

Iさん)しかし、地図にもない神社をよく当てたなぁ、、やるなぁ、ねーさん。


私)地図にない割に、ちゃんとした神社で果物沢山あって、大事にされているんだね。



そして、その少し後にIさんはお盆で、ご実家の深谷に行っていました。


お盆の深谷でまたホテルにカラスがバンバン来てる。
左上の頭がガンガンしてるから誰か話してきてるの。
なんだろー?




私は、次の日の朝に誰だか聞いてみました。


続きます。


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イルカの神と藤原鎌足の話 その2

2023-10-21 07:30:00 | 日記
藤原鎌足の話の前に、皇極天皇について調べてみました。

645年の「大化の改新」の時の天皇でもあるのですが、その後一代弟の孝徳天皇が入った後に、斉明天皇になるのですね。


何とも、親戚関係の争いだらけの天皇家系図になるのだと思いました。

天智天皇は、本当に子沢山だったので、天武天皇に娘を四人嫁がせているようで、持統天皇以外にも大田皇女(おおたのひめみこ)が有名ですね。

二人は、蘇我氏の母を持つ姉妹でもあり、以前に記事にした大津皇子の母でもあるのだなと思いました。

「かつこ内親王」の2014,8,4の記事を抜粋します。


ミクネの神(天之常立之神)

ミクネだ。

天武天皇は、大津皇子をかわいがっていたのですか?

私は大津皇子をかわいがっていたし、好きだった。
母が早く亡くなってかわいそうだったのもあるが、草壁皇子はあまり好きではなかったな。

持統天皇はどうだったのですか?

ジトウも大津皇子が好きだったと思うぞ。

でも、殺されてしまったのですよね。

私が死んだ後だろう。
ジトウはだまされてしまったのだろうな。大津皇子が不憫でならないな。


この辺りは、歴史とリンクしているようです。
大津皇子は殺された訳ではなく、自殺したということになっていますが…。


★大津皇子(おおつのみこ、663年(天智天皇2年) -686年10月25日(朱鳥元年10月3日))は、飛鳥時代の皇族。
天武天皇の皇子。
母は天智天皇皇女の大田皇女。
同母姉に大来皇女。
妃は天智天皇皇女の山辺皇女。


『懐風藻(かいふうそう)』によると「状貌魁梧、器宇峻遠、幼年にして学を好み、博覧にしてよく文を属す。壮なるにおよびて武を愛し、多力にしてよく剣を撃つ。性すこぶる放蕩にして、法度に拘わらず、節を降して士を礼す。これによりて人多く付託す」

(体格や容姿が逞しく、寛大。幼い頃から学問を好み、書物をよく読み、その知識は深く、見事な文章を書いた。成人してからは、武芸を好み、巧みに剣を扱った。その人柄は、自由気ままで、規則にこだわらず、皇子でありながら謙虚な態度をとり、人士を厚く遇した。このため、大津皇子の人柄を慕う、多くの人々の信望を集めた)とある。

『日本書紀』にもおなじ趣旨の讃辞が述べられており、抜群の人物と認められていたようである。

母の大田皇女は、天智天皇の皇女で鵜野讃良皇后(後の持統天皇)の姉にあたり、順当にいけば皇后になりえたが、大津が4歳頃の時に死去し、姉の大来皇女も斎女とされたため、大津には後ろ盾が乏しかった。そのため、異母兄の草壁皇子が681年(天武天皇10年)に皇太子となった。


686年(朱鳥元年)9月に天武天皇が崩御すると、同年10月2日に親友の川島皇子の密告により、謀反の意有りとされて捕えられ、翌日に磐余(いわれ)にある訳語田(おさだ)の自邸にて自害した。
享年24才。


24才とは、ずいぶん若いのにとても評判がよかったのだと思いますね。

草壁皇子についての話は伝えられていることが、ほとんどないそうなので、ミクネの神が言ったことは、やっぱり合っているのではないか?と思います。

持統天皇としても、姉の生んだ子供で、姉は早く死んでしまったということは、息子のように思っていてもおかしくないですね。


🐶 ミクネの神が天武天皇だった時 その4


過去記事を読んでいると、持統天皇も苦しかった話をしていて、裏で動いていたのは、藤原だったと言っていました。


8月9日に話してきたのは、藤原鎌足でした。


藤原の鎌足だ。

小野妹子(おののいもこ)だったと言いましたよね。

小野妹子の時もあったよ。
魂の話だ。
随(ずい)に行って金印をもらって来たよ。
だから、私はのしあがりたかったのだ。
権力を手に入れたかった。
憧れの地位に就いたら怖くなった。
いつも、誰かに狙われると思ってね。
蘇我入鹿を狙ったのだから、当たり前だな。
天智天皇は、子沢山だったということは、あまり考えていない人だったということだな。
だから、弟に滅ぼされた。
だーーーーかーーーーらーーーーどっちがいいのか、わからなくなったのだよ。
(藤原)不比等は、私がいろいろ教えたから、磐石な地位を持つことが出来た。
藤原が繁栄したのは、不比等のお陰だな。
不比等は、今も菩薩界にいるよ。
私と同じ道ということだな。


藤原不比等は、天智天皇の子供だったという話は、出てきます。
私の話の中では、四国の志渡(しど)の海女(あま)が母ということになっていますが。

やっぱり権力を持ちたい欲望は、ずっとあるので、争いは続いてしまうのでしょうか。

神様達がいつも、言っている死んで持って行けるのは、「愛」だけなのだと思いますけどね。



今朝の熱海の朝日。


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イルカの神と藤原鎌足の話

2023-10-19 07:30:00 | 日記
8月7日の夕方に、Iさんから📩がきました。


ねーさん
聖徳太子?イルカさん?が何か言ってる。時間あるとこで頼みます。
記事を書いたら急に来た。


Iさんは、この時飛鳥徒然を記事にしていました。


🐷 飛鳥徒然 3





私は、ずいぶん前から話している蘇我入鹿(そがのいるか)だったイルカの神を呼んでみました。


イルカの神だ。

Iさんのところに行きましたか?

行ったよ。
飛鳥川のウスタキヒメの記事を書いていただろう。

そうですね。

ウスタキヒメとは、いつも話していたよ。
だから、懐かしかったのだ。
飛鳥坐神社(あすかにいますじんじゃ)と、飛鳥川上坐宇須多伎比売命神社(あすかかわかみにいますうすたきひめのみことじんじゃ)は、大事な場所だった。
(藤原)鎌足も話していたな。

はい。

また、明日話してもいいか?

お願いします。


イルカの神が言っていたのは、この日に私が記事にしていた藤原鎌足の話のことでした。


🐶 藤原鎌足の話



そして、イルカの神は、約束通り次の日にちゃんと話してきました。


イルカの神だ。

昨日の続きですね。

飛鳥川に坐ますウスタキヒメと私はよく話していた。

雨乞いをしていたのですか?

雨乞いの場所だったな。
皇極(こうぎょく)天皇が、雨乞いしたら雨が降ったのは、私がお願いしたことだ。
雨乞いは、しすぎてもダメだしな。
皇極天皇は、ウスタキヒメが守っていた。
ウスタキヒメは、M子と話していただろう。

はい。話しました。

時代を越えて話せる人がいて、良かったよ。

イルカの神は、何階層の神様ですか?

私は三階層になったよ。
M子と初めて話した時は、四階層だったが、ニビル星に行くテストをしていたお陰で、上げてもらえたよ。
今も正倉院にいるけどね。


確かに、2012,11,24の記事でイルカの神は、四階層の神だと言っていました。


🐶 蘇我入鹿の話 その2



続きです。


私)藤原鎌足とは仲良かったのですか?

鎌足か。
昔は、一緒に勉学に励んでいた。

鎌足様は、神にはならないと言っていました。

彼もまた、時代の中で翻弄されたということだろうな。
天智天皇の子供を引き取ったからな。
だから、天皇は頭が上がらなかったのだろう。
蘇我氏は滅びてしまったな。
物部もだ。
忌部もだ。
みんな仲良くは、いつの時代も難しいことだな。
今は、何がいいのかわからない世の中になっているが、変わっていくのだろう。
権力は、心を変えていくからな。


皇極天皇は、天智天皇と天武天皇のお母さんですね。
後に、斉明天皇になっている方で、女性天皇だった訳ですが、沢山の功績があったようです。

私は、イルカの神(蘇我入鹿)が雨乞いのことは、演出していたのではないか?と思いました。
蘇我氏が雨乞いをした時は、雨は降らず皇極天皇がしたら降ったとの話があるらしく、ウスタキヒメに頼んで天皇の時に頑張ってもらったのではないかと思ったのですね。

利他の心根の人は、利己の人には脅威だったのかもしれませんね。


そして、藤原鎌足が話してきました。


続きます。


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