「ノナの家」nonahouseは かつこ内親王、かつこ内親王2の続きのブログです。

神様達の名前は、沢山出てきますが、宗教とは全く関係ありません。
mikunenona@gmail.com

長浜の町に行きました

2020-04-30 07:30:00 | 日記
長浜の町については、Iさんが絶賛していた通り、見所満載でしたが、私達は家路に着かないといけなかったので、本当に少ししか見ることが出来なくてとても残念でした。
この自粛状態が収束して、大丈夫になったらまた行きたいと思っています。

Iさんは、ブログに記事にしていた「鳥喜多」さんの親子丼を、みんなにどうしても食べて欲しいと言って、案内してくれましたが、時間的にお休みになっていて、相当残念がっていました。
「鳥喜多」さんについては、Iさんのブログで、、、


🐷 琵琶湖徒然



その後に、それならということで連れて行ってくれたのは、長浜名物の「のっぺいうどん 茂美志(もみじ)や」さんでした。
創業100年の老舗だそうです。



時間的に遅かったので、すぐに席につくことが出来て良かったです。



真ん中にあるのが椎茸ですね。
かなり肉厚で、美味しかったですよ。
カマボコもかわいいです。



とろみがついた出汁なので、寒い時には冷めなくていいのでしょう。

Iさんオススメの豆腐田楽です。



その後は、しばらく散策をして私とSさんは車だったので、みんなより一足先に帰りました。

なかなか風情のある町ですね。
Iさんが撮っていた写真です。



Sさんは、帰りは小田原まで送ってくれました。

途中のサービスエリアは、本当にガラガラでした。
今はもっとでしょうけどね。

コロナウィルスの収束は、いつになるかわかりませんが、とにかく今は自分を守るしかないようです。

私と話している神様達が、私に4月いっぱいは熱海にも行くなと言ったのは4月の初めのことでした。
「死んで欲しくはないからだ。」といろいろな神様に言われました。
神様がそのように言うのは、よっぽどのことだと、私は感じています。
だから、それをしっかり聞いて守っています。

荒熊神社の宮司さんは、毎週、護摩焚き(ごまだき)をして皆様のために祈っているとおっしゃっていました。

私はお電話でお話した94才の宮司さんの力強さに感動しました。
やっぱり「利他の心」は、強いパワーが出るのだと思います。

自分を守り、回りの方々を守るために今は正念場ですね。
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竹生島 その3

2020-04-29 07:30:00 | 日記
私達は宝物殿を出た後に、Iさんが感じていた天照大御神を奉っている「雨宝堂」のところで、祝詞を挙げることにしたのですが、丁度この時には社(やしろ)は修復中で正面に行けなかったので、一番近くの三重の搭のところに、言われていたミカンとお酒を供えて、Iさんのアマテラス祝詞をみんなで聞いていました。



私は、竹生島はお寺と神社が別々にあるので不思議だと思っていました。

そしてこれは、明治時代に変わったのだということが調べてよくわかりました。


明治時代になろうという時代、新政府は国家神道の成立を図って神仏分離を推し進め、廃仏毀釈運動に発展した。
竹生島も影響を免れ得ず、大津県庁は宝厳寺を廃寺にして神社としたうえで社名を『延喜式神名帳』から採った「都久夫須麻神社」に改めるよう命じた。
この指摘があるまで、都久夫須麻神社はその存在が全く忘れられてしまうほど宝厳寺の一部と化していた。
ただし、宝厳寺は日本全国の崇敬者の強い要望によって廃寺を免れ、寺院と神社が並存することとなった。
1874年(明治7年)に都久夫須麻神社と宝厳寺の境界が決められ、1883年(明治16年)に両者の財産が区別された。
以降、都久夫須麻神社と宝厳寺は別の宗教法人となっているが、今日でも都久夫須麻神社の本殿と宝厳寺の観音堂は舟廊下で直接連絡しており、両者は不可分のものとなっている。


だそうです。


都久夫須麻(つくぶすま)神社の唐門も、修復中でした。





舟廊下を渡り、本殿の先には龍神拝所があり、ここで願い事と名前を書いた「カワラケ」を下のところにある鳥居に向かって投げて、鳥居を「カワラケ」がくぐったら願い事が叶うのだそうです。

下を見ると、沢山の「カワラケ」が落ちていました。
私も、一応がんばって投げましたが、二枚共ほとんど真下に落ちていきました。

みこちゃんの「カワラケ」は、しっかり鳥居をくぐったそうですが、他に誰も見てなくて、ちょっとかわいそうでした。
彼女の願い事が叶うといいですね。





港に向かって階段を降りて行きました。
国宝の舟廊下の下は清水寺のような作りですね。



私達が港に着くと、琵琶湖に光の柱が沢山立っているのが見えて、みんなで感動していました。





船に乗ってからもずっと光の柱は続いていて、やっぱり少しずつ無理をして、7人みんなで集まれたことを喜んでもらったと思いました。



遠ざかっていく、竹生島です。
「ひょっこりひょうたん島」のようだと言ったら、笑われました。



伊吹山も見えました。





私達は、長浜港に着いて
長浜の町で、ご飯を食べることにしましたが、もう午後2時を過ぎていました。


続きます。



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竹生島 その2

2020-04-27 07:30:00 | 日記
竹生島の階段をハァハァ言いながら昇って行くと、宝厳寺の本堂に着きました。

丁度、時期的に梅の見頃だったのですね。
紅白の梅が咲き乱れていました。



本堂の右側には、鮮やかな色の不動明王像がありました。



不動さんと言えば、K会長なのでK会長の言挙げ(ことあげ)をみんなで聞いていました。

K会長も、私達と出会ってから、すっかり有動(ゆうどう)さんになりましたけどね。

本堂の中には、Iさんのブログにも出ていた「弁天様の幸せ願いダルマ」がありました。
沢山の願い事が詰まっている感じですね。



今回の旅のメインイベントは、「面向不背(めんこうふはい)の珠」を見るということでしたので、宝物殿にみんなで向かいました。

宝物殿の展示物はそれほど多くはありませんでしたが、弁財天像はかなり大きく立派でした。
撮影は禁止だったので、画像をお借りします。



奥の方に、「面向不背の珠」がありました。



ガラスケースの中にある物でしたが、みんなで近づいて行くと、珠の上の下がっている飾りが、ブルブルと震えるように動いているのが見えました。

地震かな?と思う程の揺れ方だったので、みんなで驚いて見ていました。

画像でははっきりわからないですが、ライトアップもしてあるので、四方どちらから見ても、釈迦三尊像が見えるようになっていて、金色に輝いていました。

私はぐるぐる回りながら見てみましたが、どうやって作っているのか、本当に不思議でした。
藤原不比等の時代ですから、1000年以上前の物ですからね。

これは、世阿弥の能楽「海士」の話に出てくるのです。

藤原房前(ふじわらふささき)は、自分の母親が
「讃岐の志度の浦で亡くなった海女(あま)である」と聞き、その追善のために志度を訪れます。
そこで知った伝説とは…

父の藤原不比等は、藤原氏二代目であり
後の藤原氏の繁栄の源を築いたやり手
唐の王の嫁に行った妹から授かった珠を
都へ帰る途中、龍神に奪われてしまいます。

取り返すために志度の浦に留まり
そこの海女と恋仲となり、子どもをもうけます。
「その子を藤原氏の跡取りとする」ことを約束すると
海女は龍神のもとへ珠を取返しに
深い海へと潜ります。

「玉の段」では、取り戻した珠を無くさぬように
海女は胸をかき切って、珠を納めました。
陸へ上がってきた時にはこと切れていた海女。
子を想う母の命懸けの冒険でした。



この話は、四国の志度の近くにお住まいのミミさんに出会わなければ、私は一生知らなかった話だったと思いますが、知ってからはずっと続きの話になっていて、まさかの1年後にこの場所に来ることになるとは思いませんでした。


🐶 真珠島の弁天の話



続きます。
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竹生島

2020-04-26 07:30:00 | 日記
私とSさんは多賀大社から、長浜港に向かいました。

私は、琵琶湖は初めての場所でしたが、Sさんは元々は関西に住んでいたので、お子さんが小さい頃の夏休みは、琵琶湖のホテルに泊まって、湖水浴をしていたそうです。

長浜港には、集合時間よりかなり早く一旦着いて、車から降りると雨がザアーっと降ってきたので、焦りました。

その後は晴れたので、御祓(みそぎ)の雨だったのかもしれませんね。

私達は、朝ごはんを食べる場所を探していたので、長浜港の職員の方に近くに食事出来る場所はないかと、聞いてみましたが、開店は11時のお店しかないとのことだったので、コンビニで買って琵琶湖を見ながら食べようとして一旦買い物をすると、近くにレトロな喫茶店があることがわかり、モーニングを頼んでホッと一息つきました。

Sさんは、夜中にずっと運転していて、ずいぶんいろいろ話が出来てよかったです。
私はたまに寝落ちしていたりするのですが、「シートを倒して寝ればいいよー」と言ってくれたり、あくまでも優しいですね。

11時より少し前に長浜港に再び着くと、他のメンバーはもう既に来ていて駐車場で話していました。


長浜港発の船は、11時半で30分程の船旅でした。





Iさんは何度か来ているので、こんなに空いている船は初めてだと言っていました。
彼の過去記事は2014年の物なので、私と出会う以前の話ですが、大体この感じで竹生島の中を巡りました。


🐷 琵琶湖徒然 2



改めて竹生島を調べてみると、


葛籠尾崎(つづらおざき)の南約2kmに位置し、琵琶湖では沖島に次いで大きい島。
島全体が花崗岩の一枚岩からなり、切り立った岩壁で囲まれているのが特徴である
針葉樹で覆われた中に寺社が点在する風景の美しさで古来知られ、琵琶湖八景1950)に「深緑 竹生島の沈影(ちんえい)」として撰ばれている。島周辺の湖底は深く、西側付近は琵琶湖最深部 (104.1m) である。

北側の対岸である葛籠尾崎の沿岸や竹生島との間には湖底遺跡(葛籠尾崎湖底遺跡)がある。
最大で水深70mほどの湖底から、漁師の網に引っ掛かるなどして約140点もの土師器須恵器土器が、ほぼ原形をとどめたまま引き揚げられている。
これらの製作年代は縄文時代早期から弥生時代、さらに中世まで幅広い時代に及ぶと考えられている。

古来、信仰の対象となった島で神の棲む島とも言われ、奈良時代に行基上人が四天王像を安置したのが竹生島信仰の始まりと伝わる
南部には都久夫須麻神社(竹生島神社)、宝厳寺西国三十三所三十番)がある。
ちなみに、竹生島弁才天は江島神社神奈川県 江の島)・ 厳島神社広島県 厳島)と並んで日本三大弁天のひとつに数えられる。


私は、ずいぶん前に竹生島のことを記事にしていたと記憶していて、検索してみると、5年前の2015,1,19の記事でした。
記事を読むとその少し前に、湖底遺跡の展示会があったようなのですね。

そして、また驚いたことには、その記事にコメントを入れてくれたのは北斗七星さんであるIさんでした。
そして、コメント欄を見ると、上記のIさんの記事に繋がるようになっていました。

この10日後くらいに私達は初めて会った訳ですが、それを後押ししてくれたのは、蒲郡の竹島の弁財天だったのだと思いました。


🐶 弁財天の話



さて、竹生島に船は着き、私達は急な階段を昇って行きました。



続きます。
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多賀大社 その2

2020-04-24 07:31:00 | 日記
多賀大社の本殿をお参りした後に、スサノオノミコトの子供がどこにいるのかを聞いてみると、「石のところ」と言われたので、石?と思い、境内にあるそれらしいところで、聞いてみたのですが、違うと言われました。

🌟寿命石



🌟さざれ石



もっと奥と言われて、赤い鳥居の奥みたいだったので、そちらに向かって行きました。
金咲稲荷神社という調べてみると、金運アップの神社らしいです。



私達は、ずんずん奥へ歩いて行きました。

ずんずん歩き過ぎて、神社の外に出てしまいました。



住宅地になってしまったので、また聞いてみると、戻って欲しいとのことだったので、戻りながら聞いてみると、左側にある石だと言われ、それを撫でるようにとのことでした。

これは、見過ごしてしまいますね。



後ろ側からの金咲稲荷の鳥居です。



橋を渡るようになっていて、小さな川が流れていました。
自然のままの鎮守の森という感じです。



多賀大社の本殿の前に戻り、ご挨拶をしました。



鳥居の前のお土産物屋さんは、風情がありますね。



その後に、ミクネの神(天之常立之神)と話してみました。


多賀神社の「寝た子」は、スサノオノミコトの子供だよ。

出られたのですか?

出られたと言っていただろう。
「たかと」の神というらしいよ。
話したらいいよ。


私は、「たかと」の神を呼んでみました。


たかとの神と言います。

「か」は、そのままでいいですか?

「か」に点々です。
石に封じられていました。
撫でてくれたので、出られました。
ありがとう。
スセリヒメの分け御霊だそうですね。

はい。そう聞いています。

(スサノオノミコトの)子供会に入ります。
よろしくお願いします。
竹生島(ちくぶじま)は、成功するでしょう。
私も、脛(すね)に傷持つIさんに会いたいので、行きますね。


私のチャートには、濁点、半濁点がないので、確かめてみました。
タガトの神という神様のようですね。
スサノオノミコトの子供会の幹事は、今は伊豆山神社の本宮にいると言っている、スセリヒメがやっています。
もう、子供会の会員は100柱は越えているのでしょう。


さて、この日のメインイベントは、竹生島でしたので、弁財天と話してみました。


弁財天です。
祝詞を待っています。
パワーを戻して欲しいからです。
琵琶湖の底にあるアークは、私のパワーが戻れば、繋ぐことが出来ると思います。
志度に行って、剣山ですよ。
玉手箱の鍵が開くでしょう。
信じてくれる人達が数人いれば大丈夫です。

7人で行きますよ。

7人ですね。
よろしくお願いします。
本当にありがとうございます。


竹生島の弁財天は、待ってくれているようでした。
私とSさんは、多賀大社を後にして集合場所の長浜港に向かいました。


続きます。
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