「ノナの家」nonahouseは かつこ内親王、かつこ内親王2の続きのブログです。

神様達の名前は、沢山出てきますが、宗教とは全く関係ありません。
mikunenona@gmail.com

高千穂へ

2023-01-31 07:30:00 | 日記
高千穂には、もちろん私は行ったことはありませんでした。
Iさんは阿蘇山に行こうかな?と思っていたらしいですが、コニャさんが「高千穂!」と言ったので、


ねーさんは行ったことないの?

ないよ。

じゃあ行こうか。


ということに前日決まり、高千穂は宮崎県になるので、やっぱり早目に出ようということになりました。

SAKURAMACHI Kumamotoの巨大な「くまモン」にも会えたことですし、高千穂に向かって行く途中の観光地も巡ってくれました。






まず行ったのは、山都町の「道の駅」にもなっていた通潤橋(つうじゅんきょう)でした。

先日、ブラタモリで「高千穂」を放送していて感じたことですが、阿蘇山の噴火によって出来た土地は、水を引くのが困難で、この通潤橋も長い年月を掛けて、水を田畑に引いたのだと思いました。

山都町には、「八朔(はっさく)祭り」のために作られた「大造り物」が至るところに飾られていました。
植物を材料にしているそうで、「道の駅」の前にはワンピースのチョッパーが飾られていましたよ。



その後Iさんは、高千穂に向かう道の途中にある、やはり山都町の弊立神宮(へいたてじんぐう)に連れて行ってくれました。

名前だけは良く知っている有名な神社なので、行くことが出来て良かったです。

Iさんも10年前に記事にしていました。
レイラインの話ですが、私はまだ彼に会ったこともなく、ブログも始めたばかりの知識もない時だったので、やっぱりIさんは深掘りしていたのだと改めて思いました。


🐷 日本中央 2



さて、弊立神宮です。
鳥居をくぐり、階段を昇って行きます。


かなりな階段で、ヒーハー昇りました。



やっと拝殿が見えてきました。



拝殿の手前にある由緒書きの看板。



拝殿で、ご挨拶しました。



御神木。天神木「高千穂」と書いてあります。


Iさんが、行く方について歩いて行きました。
後ろの方に下に降りる鳥居がありました。



画像は、振り返った時に見えた太陽。
時間は、11時半頃でした。


続きます。

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熊本の街 その2

2023-01-28 07:30:00 | 日記
前日の夜に、熊本の街を満喫してホテルに帰って来ると、SAKURAMACHI Kumamotoのショッピングモールの上の方に、巨大な「くまモン」があるのが見えました。

くまモン好きなコニャさんは、あの、くまモンのところに行きたいと思っていたようでした。

さて、次の日の朝に話してきたのは、矢岳神社のヤダケの神でした。


ヤダケの神だ。

昨日は、あれで良かったですか?

昨日は、はるばる来てくれてありがとう。
利他の心でいるからだな。
お陰で、沖縄と石垣島が繋がったよ。
オモトの神が、動き安くなった。
天草から英彦山(ひこさん)も繋がったしな。
止めることは出来ないが、逃がせると思うよ。


そして、石垣島の於茂登岳(おもとだけ)にいるオモトの神が話してきました。


オモトの神だ。
天草のヤダケの神と繋げてくれて、ありがとう。
これで、石垣島からの線が繋がったよ。
沖縄は、T(KNさんの弟さん)がいつもいる場所に繋がったから、良かったよ。
熊本城の下にいるボア・コンストリクターが、話したいそうだ。


KNさんの弟さんのTさんが、この何年かの間に整備していた場所に、オモトの神がいる話がありましたが、そこを経由して天草の矢岳神社から福岡の英彦山に繋がる道が出来たようですね。

2016年に熊本地震が起きた時に、熊本城の下に大蛇のボア・コンストリクターがいるという話は、過去にありました。

2016,6,13の記事を一部抜粋します。

マリアナ海溝の奥深くが、スセリヒメのいる所だ。
今まではわからなかった話だな。
大島と、能登の真脇遺跡を繋ぐ線だよ。
富士(山)はクロスする場所だ。

私達は、そこに行けばいいのですか?

そうだな。行って繋いで欲しい。
三鷹が繋がったように。
私は熊本に今はいるよ。(地震で)大変だからな。
神達も集まっている。
ボア・コンストリクターは、暴れたのではないぞ。
押さえられなかったのだ、人々の悪い気を。。。
水は汚してはいけないと、伝えてくれ。
水が大事なのだからな。


🐶 大島の話 その2



日本で地震が多発するのは、いくつものプレートの重なりがあるからだと、言われていますが、そのプレートを押さえている動物達がいる話が、私の話には出てきます。

そのひとつが、熊本にいるらしい大蛇のボア・コンストリクターなのですね。
オモトの神が、話したいと言っているとのことだったので、呼んでみました。


ボア・コンストリクターです。

お久しぶりです。

お久しぶりです。
熊本に来ているのですね。

はい。

ヤダケの神とオモトの神が繋がっていれば、私も少しはがんばれたかもしれません。
まだ、地震の傷跡は沢山あります。
はるばる来てくれてありがとう。


Iさんが、矢岳神社のところで感じていたのは、オモトの神と大蛇でした。
やっぱり、ボア・コンストリクターはいるのだと思います。

私が朝からこの話をホテルの部屋でしていた時に、電話が入ったりしたので、Iさんとコニャさんはくまモンを探しに行ってしまいました。

しばらくして連絡があり、くまモンのところに行けないので、スターバックスにいるけど、ねーさんの分も頼むよと、連絡があったので、私はショッピングモールのスターバックスに行きました。

その後、エレベーターからくまモンのところに行けるのではないか?と三人で探険に行きました。



ショッピングモールの屋上は、庭園になっていて、朝から手入れをしている方達が働いていました。

その一角に保育園があり、そこに目指すくまモンはいました。



どれだけ大きいかわかるくまモンの図です。
屋上には遊び場や噴水があり憩いの場になっていますね。



私達は、コニャさんリクエストの高千穂に向かって出発しました。


続きます。

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熊本の街

2023-01-26 07:30:00 | 日記
私達が宿泊先のホテルに着いたのは、夜の7時過ぎでした。

Iさんは、SAKURAMACHI Kumamoto(サクラマチ クマモト)という2019年9月開業の複合施設の一角にあるホテルの「KOKO HOTEL」さんに予約を入れてくれていました。

まだ、3年前くらいに出来た施設なので、どこもキレイで、広々していましたね。

熊本城からも熊本駅からも近くて、熊本城ホールや映画館もあるので、一日中いられるような施設でした。

ホテルに入る前のエントランスに全体の模型があり、クリスマスツリーが飾ってありました。




入口は、こんな感じでレストランの奥にライトアップされた熊本城が見えました。




熊本城は、2016年の地震でかなりなダメージを受けて、復興のための工事について、この頃のニュースでは2037年度の予定が15年延びて2052年になると発表がありました。

後、30年後とのことで、やっぱりなかなか大変なことですね。

ホテルのチェックインの後に、部屋に荷物を置いて、夕食に出掛けました。

外に出て商店街に行く前にライトアップされたSAKURAMACHI Kumamotoです。
まさに、模型通りの外観ですね。



Iさんもコニャさんも、グルメなので私は犬のようについていくだけですが、まずは「ねぎぼうす」さんに行きました。



熊本と言えば、馬刺しと辛子蓮根の図です。



コニャさんは、ワインソムリエと日本酒ソムリエの資格を持っているので、このお店の品揃えに喜んでいて、いろいろな日本酒の話も聞かせていただきました。



日本酒は、独特な酵母菌で作られているので、やっぱりとても大事な物なのだと改めて思いました。

いろいろなお料理を堪能して、行きに通った「桂花」本店さんです。



コンビニのカップラーメンで、見たことあると思った看板でした。



Iさんとコニャさんは、新宿の「桂花」さんには何回も行っているらしく、やっぱり本店で食べなくては!の思いは強かったみたいです。

私が〆にラーメンを食べたのは、何十年ぶりだろうと思いましたが、小さいラーメンをいただきました。
時間は、丁度9時くらいでした。



とても美味しかったです。

お二人のお陰様で、普段は経験できないことをさせていただき、ありがたいことですね。

私は、ホテルに帰るとすぐ寝てしまったようで、Iさんは夜中にも仕事をしていました。

次の日は、どこに行くかの話しで、コニャさんが、

高千穂!

と言ったので、高千穂に行くことは決まりました。


続きます。

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天草へ その6

2023-01-24 07:30:00 | 日記
私達は道しるべにあった「ドルメン」に向かいました。

私は「ドルメンて何?」と思いながらでしたが、着いてみると何だか奈良の「石舞台古墳」の感じだなぁと思いました。




改めて「ドルメン」を調べてみました。

ドルメンは日本語では「支石墓(しせきぼ)」と訳されていますが、ケルト語のドル=机、メン=石という意味だそうです。

新石器時代から鉄器時代にかけて、世界中に存在する物だということで、同じような物が同じ時代に作られたというのは不思議だと思いますね。

ヨーロッパに多いようですが、朝鮮半島と日本にはあるのに中国にはないそうです。

私のブログの初期から「石舞台古墳」を神様達は「神社」と言っていたので、やっぱり祭祀場だったのではないかと思いました。
こんな山の上に大きな石を持って来ることは難しいことだし、スサノオノミコトがカラカラの国から石を運んで来たと言っていたのは、あながち間違いではないのでは?と思います。


私はここにあった立看板を記事を作るために読んで、やっぱり驚いていました。

看板の中段の辺りを写します。
分かりやすいように、括弧と改行は私が入れていますが、文章はそのままです。


矢岳神社の謂われに、男女山の神二対を合わせ祭るとされているが、まさに境石とそれに随するゲブの伏石、大地の女神と大地男神の二神を表している。

このことは、古代エジプト・古代シュメールに伝わる大地神と天神との交合によって生まれる天地創造神話が、ここ矢岳にあったことが想像できる。

矢岳は白岳、ツワ岳に連なる三峰であるが、「ヤタケ」とはシュメール系古ペブル民族では「神の峰」を意味する。

神「ヤ」は北極星であり、天神とされた。

また白岳の「白」は蛇を表す日本の古語であるが、麓の「永目」の地名の「ナーガ」は海洋民族のトーテムで蛇神を意味する。
インド、エジプトにそのナーガ帝国の跡が見られる。

因みに「メ」はシュメール語で祈るを意味する。つまり「ナガメ」とは「蛇神に祈る」という古代シュメール語である。


地図で探してみると、確かに麓の海の近くに「永目」という地名はありました。
Iさんは、矢岳神社の前で大蛇を感じていたようですしね。



天草に行く前に、ヤダケの神と話した中で、自分はイラタの神(天之御中主之神)の家来のような者だと言っていたのは、北極星の家来と言っていたのと同じですし、アクネの神がヤダケの神はシュメールから来たと言っていたのも合っていたようです。


🐶 天草へ その3



私達は、矢岳神社を後にして、またウネウネ道を降りて行きましたが、Iさんが次に目指していたのは、倉岳(くらだけ)という山でした。

また、ウネウネ道を登って行くと、倉岳の頂上に倉岳神社がありました。






天草では一番高い山(682メートル)なので、遠くまで見渡せました。







光の柱に感動しました。
さすがに山頂は寒かったですね。

その後は、Iさんが何度も行っていると言っていた温泉に連れて行ってくれました。

「ペルラの湯船」さんですね。



ここに着いたのは、夕方の4時頃で時間を決めて温泉に入り、暖まることも出来ました。
そして、宿泊先のある熊本市内に戻りました。

朝早くから、Iさんのお陰様で充実した天草の旅でした。


続きます。


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天草へ その5

2023-01-22 07:30:00 | 日記
矢岳神社の道しるべから、ストーンサークルと書いてある方に向かいましたが、Iさんはどんどん先に行ってしまい、コニャさんと私は後を追って歩いていました。

階段などはあるものの、落ち葉が沢山あって油断すると転んでしまいそうなので、鳥居の入口にあった枝で出来た杖を突きながら慎重に歩いていました。

Iさんは、先に着いていて、


ねーさん!ここだと思う!


と言って、岩の上にいました。

確かに穴がある岩で、私達は下から見ていた感じですね。



回りには、巨石がゴロゴロしていましたが、サークルという感じではなかったです。




天草に向かう「道の駅」で、私は言われていた「水」を買っていたので、彼に渡しました。



Iさんは、用意周到にタオルとハケを持って来ていて、穴を掃除して私が渡した水を穴に注いでいました。
画像は、Iさんからお借りしましたが、彼にしか近くで見られなかった穴ですね。




とりあえず、言われたミッションは出来て、最後は眷属さん達にお酒を置いて、三人でお祈りしました。



そして、私達はまた道しるべのあったところまで戻って行きました。




途中の道は右側が巨石群で、左側は崖ですね。
道しるべからすぐに矢岳神社の鳥居は見えました。



あまり人が来ないような神社ですが、荒れている感じではなく、参道もキレイになっていたので、大事にされているのだと感じました。

Iさんは、先に着いていてそれを感じていたようです。



木造の拝殿があり、狛犬もしっかりいて、拝殿の前にはまた巨石がありました。







拝殿の木製の引戸は、かなり傷んでいて、開けるのに時間は掛かりましたが、開けてお酒を置き、Iさんがいつもの祝詞を挙げてくれました。



いつも三回挙げるのですが、途中で苦しそうになったので、少し心配しました。
彼は、オモトの神を感じていたようですよ。

宮守の藤本さんが、手書きで引戸に書いている通りに、拝殿の引戸をガタガタいわせてきちんと閉めました。


私達は、次は道しるべに書いてあった「ドルメン」に向かいました。


続きます。

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