「ノナの家」nonahouseは かつこ内親王、かつこ内親王2の続きのブログです。

神様達の名前は、沢山出てきますが、宗教とは全く関係ありません。
mikunenona@gmail.com

「蒼いとびら」について

2020-12-31 07:30:00 | 日記
今日は、大晦日で2020年最後の日になりました。

今年もこのブログにお越し頂きまして、ありがとうございました。

今年の1月26日に、「魂の会」をギリギリに出来たのは、奇跡的でした。
今年は、本来ならオリンピックイヤーになる予定だったのに、コロナウィルス一色の年でしたね。

5月に、みこちゃんの「美容室Aringo」が、田町に出来て、私も毎週のように行くようになりました。
その頃は工事中だった駅近くのビルも完成して、なかなか素敵な空間になっています。

5月から、ぼちぼち始めた「蒼いとびら」ですが、ご紹介とブログをご覧になっていらした初めてお会いする方もお越しになっていただいて、感謝しております。

総括という意味で、今年セッションした方の人数を数えてみました。

のべ人数で、90名様でした。
何回かいらした方もいらっしゃるので、実人数はもう少し少なくなりますが、それにしても、改めて驚いています。

よく、見つけていただいてと思うのですが、皆様素敵な方達で、本当に感謝しております。

と、言ってもいつも前月までは予約は入っていないのが、ほとんど毎週になるのも不思議でした。
今の時点で、1月の予約は入ってないからですね。

10月に熱海のマンションでセッションをしたお二人のように、ブログの記事になる場合もあるので、やっぱり人との繋がりが大事なことだと思っています。

本当に「魂の会」がいつ出来るのかわからない状況ですが、このような機会を作ってくれたみこちゃんのお陰様でした。

そして、ご紹介いただいた皆様、リピーターで何度もお越しいただいた方々にも、お礼申し上げます。

良いお年をお迎えくださいますよう。。。

先日、スルメちゃんに誘われて、千葉の神社を巡っていました。
スルメちゃん、四国のミミさん、Sさん、私の四人でかなりハードに回りました。

スルメちゃんは、とても素敵な絵を描いているので、さんまさんの番組で募集していたので、応募するように言ったら、すぐに応募していました。



目に止まるといいなと、思います。

四人の旅の締めくくりは、館山の洲崎神社の海の感動的な夕暮れでした。
記事になるのは、2ヶ月後くらいですかね。







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石垣島の神様

2020-12-30 07:30:00 | 日記
Iさんは、10月の終わり頃に石垣島に行っていました。
お友達がいたのと、スゴく安く行けるということで、仕事とからめ、リモートワークの実験だったみたいです。

もちろん、私は石垣島に行ったことがありません。
いつか、沖縄の方には行ってみたくて、会社を辞めたらと思っていましたが、この状況では、いつになったら行けるかわかりませんね。



着いてそうそうのIさんの📩


島の最北端、
平久保崎の先端最上部と、
川平(かびら)湾の川平観音堂。
それと、締めに、
島の最西端の御神崎(うがんざき)で祝詞とコーラとお酒とお水を捧げてきました。

この島は大きな山二つと、
この三箇所がとても大事な感じがしたので。

御神崎では鋭い海賊の様な!?
神様がジッと、
睨みをきかせていて、
お前本当に最後までやれんのか!?
みたいな感じでテストされたようだったのですが、
突然吹き始めたとんでもない強風にさらされながらやり切れました。
何度も飛ばされそうになりましたけど。。

終わったらミミズク?フクロウ?に乗った神様が左手を上げてきてくれて、
さらに、沢山のシーサーさんが足元に来てくれて、
そのままずっと、島にいる間中ついてくれるみたいです。
強面の神様が派遣してくれたみたいで、本当に嬉しかったです。

御礼を、何卒。

台風が荒れずに、天気になるようなら、女神様の山にものぼれたらと思ってます。

御神崎に来てくれた強面の神様は島の一番高い山にいる大元の神様関係なのかな、、と。
女神さんの旦那さん?かなぁ、。

とにかく、無事、1日終わりました。
感謝。


石垣島の観光マップを見ると、三ヶ所が出ていましたが、かなり彼は動いていたのがわかります。



一番北の平久保崎の灯台の写真。






川平観音堂。



そして、締めの御神崎での強風の様子。





私は、Iさんの髪の毛が、スゴくなびいているので、相当な強風だったのだと思いました。
足も踏ん張っている感じですね。
彼は、富士登山の時の強風に匹敵すると言っていて、本当に飛ばされなくて良かったです。


私は、📩がきたので、誰が話してくるのかと振り子を持ってみました。


石垣島にようこそ。

どなたですか?

シーサーです。
キジムナーに聞いていました。
だーーーーれーーーー(誰)か、来てくれないと、すーーーーなーーーー(砂)が、悪くなってしまいます。
土ではなく、砂ですからね。
おーーーーとーーーー(音)がすると思いますよ。

何の音ですか?

波の音です。
ターーーーミーーーーラーーーーが話したいと言っています。

タミラさんですか?

タミラです。


Iさんの足元に、沢山のシーサーが来ていたようなのですが、そのシーサーが話してきたようです。
私は、言われたタミラを呼んでみました。


続きます。
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富岡八幡宮 その3

2020-12-29 07:30:00 | 日記
熱海のセッションをしたのは、10月21日でした。
記事にするのは、2ヶ月後の感じですね。

前回、ノモトの神が話してきて、私はその時に少し調べたのですが、イマイチよくわからなくてこの記事のために、改めて調べていました。

まず、ノモト=野本氏が該当するようです。


🌟野本氏の始祖である基員(もとかず)は藤原鎌足の末裔である。

中臣(藤原)鎌足 - 不比等 - 房前(藤原北家の始祖)- 魚名 - 鷲取 - 藤嗣 - 高房 - 時長 - 利仁 - (斎藤)叙用 - 吉信 - 伊博 - 為延 - 為頼 - (竹田)頼基 - (片田)基親 - (野本斎藤左衛門)基員と続いた。

基員は、源頼朝から厚い信頼を受けた鎌倉幕府の御家人で、武蔵国比企郡野本、現在の埼玉県東松山市下野本の地に住し、野本左衛門尉(さえもんのじょう)を称していた。
この左衛門尉(さえもんのじょう)とは、律令制下の官職のひとつで、左衛門府の判官であり、六位相当の官職である。
平家の追討で功績をあげた源義経も任ぜられた官職である。
基員は、源義経の義兄弟である下河辺政義の子の時員(ときかず)を養子とした。
時員は六波羅探題在職中の北条時盛の内挙により能登守に就任したり、摂津国の守護(1224年 - 1230年)にも就任している。

鎌倉幕府の事績を記した、わが国最初の武家の史書『吾妻鏡』に基員の子が建久4年(1193年)に元服したことが残されている。

鎌倉幕府の実権を代々執権職を継いだ北条氏が握った後、野本家は神奈川県横浜市金沢区富岡地域の武家として政権中枢と特別な関係を持っていた。
『吾妻鏡』の原本が存在した鎌倉時代中期に北条実時が設けた武家の文庫である金沢文庫(現在の神奈川県横浜市金沢区)から、北に3㎞ほど離れたところにある野本家の菩提寺、持明院には、持明院開祖の墓地の近くに野本家の先祖代々の墓石が多数存在している。

明治期に富岡の野本作左衛門は伊藤博文との親交を深くしていた。
伊藤博文が大日本帝国憲法(明治憲法)の草案を起草する際、神奈川県横須賀市にある伊藤博文の別荘で、伊藤博文、井上毅、伊東巳代治、金子堅太郎らと検討を重ていたが、伊藤博文が首相であったことから時間を割くために伊藤博文らは神奈川県横浜市金沢区富岡の野本作左衛門の家を借りて憲法の草案を起草した。


前回にミクネの神(天之常立之神)が言っていた、藤原の末裔というのは、合っているようですね。

四国のミミさんとの話の中に出てきた、藤原不比等から藤原房前(ふささき)の流れというのも、驚きました。

源義経とも深い関係だったということもわかりました。

伊藤博文が、話に出てくるとは思いませんでしたが、野本氏は富岡辺りにいたことは確かなようです。


この下書きを作っている12月27日に、ノモトの神が話してきました。


ノモトの神だ。
富岡八幡宮にいる。
私は、源頼朝様の家来だった。
頼朝様は、まだ神にはなっていないだろう。
私は、義経様の方がわかっていたと思う。
富岡八幡宮が、波除(なみよけ)八幡宮と言われるようになったのは、私がいたからだよ。
富岡の民達を守りたかったからな。
だから、神の階層も上げてもらえたのだ。
亀石と鶴石は、私の家にあった物だ。
あの石があったから、波分けは起こったのだよ。
亀石は私で、鶴石は妻のだよ。
妻は神ではないけどな。
「宝の石」と言ってくれて、嬉しいよ。
ほかすことにならなくて、良かったよ。
みーららは、私のかけらが入っているので来てくれと言ってほしい。
正確に聞いてくれて、ありがとう。
私も就いていいか?

はい。

利他の心で、頼んだよ。


と、いうことで、ノモトの神は私の245番目の神様となりました。


約6年前に、ミクネの神に「宝の石のところに行ってくれ」と言われて行った富岡八幡宮が、今回まさかの繋がりになるとは思いませんでした。
富岡の人達は、富岡八幡宮のお陰様で波が避けられ、それが深川の富岡八幡宮を勧請する話になったのですね。





画像は、富岡八幡宮の御神木とその横にある、鶴石と亀石ですが、神社でどのように言われているかは、わかりません。
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富岡八幡宮 その2

2020-12-28 07:30:00 | 日記
熱海のセッションの次の日の10月22日は、私の夫の通院日でした。
夫の通院は、1ヶ月に最低1回はあるのですが、この日は1年前にやった大腸癌の手術後の検査の日で、朝病院に行った後は私は午後まで待ち時間だったので、病院から近くにある、富岡八幡宮に行こうと考えていました。
タイミングが良かったということですね。

夫は、大腸検査をとても嫌がっていましたが、昨年検査をしたから5センチくらいの大きなポリープも見つかったので、やっぱり運が良かったのだと思います。
今回2週間後の検査結果を聞いてみると、昨年の大腸癌も0ステージで、本当に初期だったのだとわかりました。

他にも小さなポリープはあるけれど、また検査の時に取りましょうと、ドクターに言われました。


さて、10月22日に、朝から介護タクシーで病院に着いて、検査は午後の2時半だったので、私はシーサイドラインに乗って富岡八幡宮に向かいました。

最寄り駅に着いて、適当に歩いてしまったので、意外と歩き過ぎて疲れてしまったのですが、富岡八幡宮に着いたのは11時半くらいでした。
昔、松のある参道だった痕跡は、目の前にある公園の中に見えます。



鳥居をくぐり、緩やかな階段を昇ります。



ところが、丁度目指す石の前が、工事中だったのですね。



平日なので、それほど人はいませんでしたが、時期的には七五三の親子連れが来ていました。



富岡八幡宮は、以前に来た時よりキレイな感じになっていました。
今回のミッションは、石にお酒をだったのですが、二人の方達が工事の作業をしていたので、石の前には行くことが出来なくて、私はどうしようかと思っていました。

この時、時間を見ると12時に近かったので、お昼休憩になりそうだと思っていると、片付けが始まったのでしばらく待つことにして、作業している方達が階段を降りて行くのを見てから、ピンポンダッシュのように、持って行った濁り酒を掛けました。



ミクネの神(天之常立之神)に聞いてみると、みーららさんには「波除八幡宮」の絵馬を求めるように言われました。



元々は、源頼朝が西宮の蛭子神を祭ったということが始まりだったのですね。



私は、ミッション終了で、昼食後病院に戻りました。

熱海のみーららさんのセッションの次の日に、行くことが出来て本当にタイミングが良かったですね。


そして、翌日に話してきたのは、ミクネの神でした。


ミクネだ。

昨日の富岡八幡宮は、あれで良かったですか?

亀石に酒を掛けたから良かったよ。
右が鶴石だからな。

亀石に降りるのは、どの神様なのですか?

鎌倉時代に生きた、藤原の末裔だな。


すると、その神様が話してきました。


亀石に酒を掛けてくれて、ありがとう。
ノモトと言うよ。
みーららには、私のかけらが入っているので守るよ。

何階層の神様ですか?

私は五階層だよ。


とのことでした。
私は、この記事を作るので、この時の「ノモト」という名前について調べてみると、確かに、富岡辺りに野本氏のお屋敷があったことがわかりました。


続きます。
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富岡八幡宮

2020-12-27 07:30:00 | 日記
前回の記事に出てきた、きびのさんとアミコさんから、嬉しい📩をいただきました。


きびのさんの📩


クリスマス如何お過ごしでしょうか。
吉備津の神様のお話、やはり文字にするとよくわかりますね(^^)v
こうしてまとめて文章にするのって凄いです。
やはり吉備の中山(なかやま)は神様が降りられる磐座、是非とも伺います。

以前の吉備津神社の写真、説明不足だったので…



写真の左側に吉備津神社の社殿(比翼入母屋造り)の上の方が見え、長い廻廊の上辺り、吉備の中山になります。

ミクネの神様と吉備津の神様がとても身近に感じられ、嬉しいです(*^^*)
色々あった今年、素敵な締め括りとなりました。
どうもありがとうございました。
よいお年をお迎えください。


アミコさんの📩


今日もブログありがとうございます。
吉備津の神様が見ていて下さっていたのですね。
お言葉がありがたくてありがたくて…
かたじけなさに涙こぼるる、でした。
思い立って出かけた昨年の旅が今日ひと区切りついたような気持ちです。
M子さんのおかげで素敵なXmasプレゼントをいただけました。


お二人に、素敵なお友達になっていただけて、私は感謝でいっぱいです。


さて、話は熱海のセッションをした10月21日に戻ります。

きびのさんのセッションが終わって、みーららさんのセッションになりました。

みーららさんとも、6年前の大山登山の時からですから、長いお付き合いになっています。
みーららさんには、20代の息子さんが二人いらして、やっぱり心配事は自分よりも子供のことになるのですね。

その時に、実はお子さんは三人だった話になりました。
三人目の男の子は、一歳くらいで亡くなってしまったそうです。
それは、生まれる時にみーららさんの子宮が破裂してしまい、大変なお産になったことが原因だったそうです。
みーららさんの命も危ない状態で、三人目だからと思っても、お産はやっぱり危険と隣り合わせだということでしょうね。

みーららさんは、一歳くらいで亡くしてしまった三男さんのことが、ずっと心の傷になっていて、悲しみが続いているようでした。

すると、ミクネの神(天之常立之神)が、その子は、すぐに生まれ変わっていると言っていて、私が「どこにですか?」と聞くと、「トスカーナ」と言ったので、二人で「トスカーナ」を調べていました。

トスカーナは、イタリアのフィレンツェがある州のようですね。
すぐに生まれ変わっているとすれば、もう成人になっているでしょうし、もちろん確かめることは出来ませんが、みーららさんの気持ちは、少し軽くなったようです。

その後に、ミクネの神が、富岡八幡宮に行ったらいいと言うので、東京の富岡八幡宮かと思ったら、横浜市の富岡にある富岡八幡宮のようでした。

私は、ずいぶん前に富岡八幡宮に行ったことを記事にして、その時に調べたので覚えているのですが、東京の富岡八幡宮はここの分社になっているのですね。
2015,2,2の記事の抜粋です。


🌟建久年間(1190年~1199年)源頼朝が摂津国難波の蛭子神(恵比寿神。西宮神社の末社のものと言われる。)を勧請して創建、安貞年間(1227年~1229年)に八幡神が合祀されたという。
八幡宮の山が応長の大津波から富岡地区を守ったことから「波除八幡」の別名を持つ。
なお、東京深川の富岡八幡宮は分社である。

寛永の頃、徳川家光は深川の埋立事業を行ったが工事は非常に難航し、当宮に波除の祈願をし、のち無事に工事が完遂したので、氏神として富岡八幡宮を勧請したのが深川八幡の初めと伝えられている。


🐶 富岡八幡宮の話



🐶 富岡八幡宮の話 その2



私は、この時にミクネの神が、宝の石があるからと言っていたので、それを探しに行ったのです。


そして、次の日の朝にミクネの神が話してきました。


富岡八幡宮の亀石に、酒を撒いたらいいよ。
ミクネだ。

家にあるお酒でいいですか?

いいよ。
みーららの前世は、鎌倉武士だった。
鎮めてやればいいと思うよ。
子供は、トスカーナで元気にしているからな。
いつまでも、縛られていないで、自信を持ったらいいよ。
本人も、危なかったのだからな。


みーららさんは、三男さんのお産の時に、危険な状態だったのに、奇跡的に助かったのだと思います。


続きます。
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