のんののサカサカ日記

ドラゴンズが大好きで
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ドラフト会議

2014-10-24 09:11:17 | Weblog
 昨日ドラフト会議(新人選手洗濯会議)が行われ、ドラゴンズは野村亮介投手

(三菱日立パワーシステムズ横浜)を1位指名した。

即戦力の期待がかかるが、果たしてどうなることでしょう

今年指名した選手は、全員社会人、独立リーグ、大学生の9選手で、高校生の指名はなし

全員が即戦力となるのは、今年のシーズンが苦しかったことの裏返し


また、育成指名選手の4選手の中に、近藤投手コーチの長男・近藤弘基選手を獲得

デビュー戦(巨人戦)でノーヒットノーランを達成した父だが、息子は外野手。

巨人の育成指名選手の中にも、川相ヘッドコーチの次男・川相拓也内野手がいる。

どちらの選手が先に芽が出るのでしょうか




   ≪ 10月23日 ≫

 電信電話記念日
   ・電気通信省(後の電電公社、現在のNTT)が、1950年(昭和25年)に制定。
   ・1869年(明治2年)9月19日(新暦10月23日)、東京~横浜で公衆電信線の
    建設工事が始まった。
   ・因みに、電信が開通したのは1870年(明治3年)の1月26日だった。

 津軽弁の日
   ・津軽弁の日やるべし会が、1988年(昭和63年)に制定。
   ・方言詩人・高木恭造の、1987年(昭和62年)の命日。

 モルの日
   ・主として北米の化学者たちが、10月23日の午前6時02分から午後6時02分までを、
    物質量の単位である「モル」を記念する日として祝っている。
   ・1モルは6.02×10の23乗個(アボガドロ定数)の粒子(分子・原子など)から
    なる物質の物質量と定義されており、この6.02×10の23乗という数字を、
    6.02 10/23に当てはめたのが「モルの日」である。

 1956年革命、および共和国宣言の記念日(ハンガリー)
   ・1956年のこの日、ハンガリー動乱(ハンガリーでは1956年革命と呼ばれる)が
    始まった。
    また、1989年のこの日は、ハンガリーが社会主義の人民共和国から共和国に
    体制改革した。

 チュラーロンコーン大王記念日(タイ)
   ・タイ国王ラーマ5世(チュラーロンコーン)が、1910年に亡くなった日。
   ・ラーマ5世は「チャクリー改革」と呼ばれる数々の改革を行い、現在でも国民からの
    人気が高い。


   ≪ 10月24日 ≫

 国連デー
   ・1948年(昭和23年)から実施された国際デーの一つ。
   ・1945年(昭和20年)のこの日、ソ連の国際連合憲章への批准により、発効に
    必要な20か国の批准が得られたため、国連憲章が発効し国際連合が発足した。
   ・日本は1956年(昭和31年)に加入が認められた。
   ・1971年(昭和46年)の国連総会で、国連加盟国は子の日を公的な休日として
    記念するよう勧告された。

 世界開発情報の日
   ・1972年(昭和47年)の国連総会で制定された国際デーの一つ。
   ・1970年(昭和45年)のこの日、「第2次国連開発の10年のための国際開発戦略」が
    採択された。
   ・世界中で行われている開発に関する情報を集めて、地球全体の開発のバランスを考える日。

 ツーバイフォー住宅の日
   ・日本ツーバイフォー建築協会が制定。
   ・ツーバイフォー工法が、断面2×4インチの規格材を使用することから。

 文鳥の日
   ・10月が手乗り文鳥の雛が出回る時期であることと、「て(10)に(2)し(4)あわせ」
    (手に幸せ)の語呂合わせから。

 トリコロール記念日(フランス)
   ・1794年のこの日、フランス国民公会が、現在フランスの国旗となっている
    青・白・赤の三色旗(トリコロール)を国家の象徴と定めた。
   ・フランス革命の時、市民軍はパリ市の色である赤と青の帽章をつけた。
    革命が全国に広がって市民軍は国民軍となり、その総司令官に任命されたラファイエットは、
    「市民と王家が協力して新しい国を作るべし」として、帽章に王家の色である城が
    加えられた。
   ・王政は1791年に廃止されたが、この3色を使った三色旗は国民軍のシンボルとなった。

 独立記念日(ザンビア)
   ・1964年のこの日、アフリカのイギリス領北ローデシアが、ザンビア共和国として
    独立した。

 (旧)暗黒の木曜日
   ・1929年(昭和4年)10月24日木曜日、ニューヨーク・ウォール街の株式取引所で
    株価が大暴落し、世界恐慌のきっかけとなった。
   ・当時のアメリカは、第1次大戦の軍需により好景気が続いていたが、1920年代末
    には景気後退の前兆が見られ始めていた。
    10月24日の取引が開始して1時間ほどの間に急激に株価が下落し、そのスピードに
    人々がパニックになって一斉に売りに出た。
    市場介入等により、その日の取引終了時には前日の終値まで値を戻したが、5日後の
    10月29日火曜日にも、取引開始と同時に「暗黒の木曜日」を超える売りが殺到し、
    「悲劇の火曜日」と呼ばれた。


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