聞いておけばよかった

2012-03-10 21:00:00 | 雑記帳

保土ヶ谷の花見台 明神台と云えばいつも良い風が動いている 
夏は甚だ有難く 緑陰に入ると汗がスーッと引いて軽井沢の世界の如く快適で助かる
冬の季節 時折迷惑な強風に見舞われる こんな日は難儀で女性は前に進むに大変難渋
される
今日はクリニックに行く日  4ヵ月おきの採血で健康チェックをしており Dr.から朝食抜きを
仰せつかっている それで白湯しか飲んでいない
別に空腹感はないのだが 女房殿が一緒に食事抜きをつきあってくれるので早く済ませて
帰って上げましょう・・・と8時50分に家を出た  完全防寒のいでたちである

    

ビニール傘をさした途端ビューっと強風に襲われオチョコの洗礼を受けたが 体を反転させ
風力利用でオチョコの傘を原形回帰させてから歩を進めた
氷雨 強風 寒冷「この強風では一番乗りは私かな」は予想通りだった
9時ちょうどから問診 ~ 血圧を診てもらい採血をし9時20分には帰宅した
朝食は頼んでおいた ”讃岐うどんの釜揚げ” でした  体重を落とそうと低カロリーである

午後4時から土佐カントリーの女子ゴルフの放映がある 
土佐と聞くと最近「夜明けのスキャット」で世界で評判の由紀 さおりさん・・・
三菱財閥
岩崎家の家系図の中に由紀さおりさんのお名前があった事が頭に浮かんでくる 
どのような御関係だか知りたくてならないと…以前からずうっと気にかけている


東京市大森区の鹿村氏邸から上野の中学校に通ったが 不忍池を横に見て訪れた岩崎邸
は 古くて良き昭和時代の思い出で今なおいっぱいである
鹿村氏は富士紡績株式会社 社長 奥様は岩崎 弥太郎氏の従弟 豊川 良平氏の次女で
あった  岩崎家と世帯を同じゅうし一つ釜の飯を食べた少女時代は あの岩崎邸から
人力車で ”お茶の水女子大学” に通学されたのである
晩年の奥様は小山町の私の実家にも泊まられたことがある  もう70年昔の話となった


豊川 良平氏は土佐藩御殿医・の小野 篤治の長男で本名小野 春彌だが 豊臣の豊 徳川

の川 張良の良 陳平の平 其々の一字を取って改名したと云う話である
明治22年 第百十九国立銀行頭取その後幾多の要職を経て東京市会議員 大正5年には
貴族院議員に勅選されている他日本工業倶楽部初代会長にも就任した

大正9年に逝去されたが 五男の斎氏は総理大臣も歴任の斉藤 実氏の養子になられた
昭和17年 中学2年生当時のお盆に 斉藤邸に伺って仏壇に焼香申し上げたが 未亡人と
なられた奥様にご主人共々襲われた部屋に案内された上 詳しいご説明を拝聴した
実に質素な御住居であり これが偉大な政治家のお住まいかと感銘した記憶がある
ブログに書き込みしたが 2.26事件は昭和11年で私が小学校に入学の春であった
昭和17年当時 斉藤 斎氏は第一生命の役員であったと記憶している

私は結婚当初神奈川県大磯町に住んだ 駅から2分ぐらい お向かいは参議院議員であり
某巨大化粧品会社社長のM氏邸 お隣は三井家の別荘であった

大磯駅ゼロ分の直近に エリザベス サンダースホームがあり 目と鼻の先のご近所でも
あったのでお伺い
したこともある
エリザベス サンダースホームの創始者は澤田 美喜さんで 岩崎 弥太郎しのお孫さんだ

私自身が高齢の身になった まだまだ沢山の方々のお名前に接したのだが 詳しい事を
存じ上げぬ方も多い
教えて頂きたくとも 最早知る人は皆無の状態 明治 大正は遠くなりにけりである



 


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