明治維新の頃は父親すらこの世に存在せず、やっと祖父母達が誕生した時代で
あった。
徳川幕府から王政復古。大変な様変わりの時代に生きた先人を偲ぶ私であるが、
竜馬などの若手を中心とした先人達が、暗中模索する姿に感慨一入である。
何もかも新しさへの挑戦であり、困難さは今日の比でないご苦労があったと思う。
大河ドラマ「竜馬伝」を毎週楽しく見ている。脚本・演出をそのまま素直に総て受け
入れて居る訳ではなく、一つの仮説と割り切っての事である。
「書を見て悉くそれを信ずるは、書を読まざる者よりも悪しき事なり」・・・とか。
そんな言葉が有りませんでしたっけ
学びの心構え。自分なりに消化吸収、血となり肉と為すよう良質なフィルターを持
って・・・と云うことだと思う。
無条件に受け入れて・・・俺は知識人になったと誤解してはならぬの意であろうか。
竜馬伝には楽しく、そして肯定的なスタンスで接している心算である。
それは、あの時代あの人たちと接した事が無いのだからそう云わざるを得ない。
知らざる歴史を展開してくれる物語に感謝している訳である。
興味を持ったのは、岩崎弥太郎の若年時代の姿である。
あの三菱の弥太郎氏に抱いていた私のイメージは、物の見事に180度覆された。
そこが面白いのである。
以前ブログで岩崎邸のことを述べた。私の通った旧制中学校は本郷の屋敷に近
かった。
弥太郎氏の従弟 豊川良平氏(財界の重鎮。三菱銀行 頭取。貴族院議員)は、
三菱開業当時は一門として同じ家計を為していた。
豊川家の令嬢は、本郷の屋敷から御茶ノ水大へ人力車で通学された。
私の中学校通学は、そのお嬢様が嫁がれた大森山王の屋敷からだった。
そんな関係で、本郷の岩崎邸へは何回か伺った事がある。
戦後GHQに接収され現在開放されている邸は本当に小さくなってしまったが、
昔は広かった。当時の正門はなくなり邸へ通ずる鬱蒼たる大樹に覆われた長い
道も半分以上が消えたしまったようである。
正門には3人ぐらいであっただろうか常に守衛さんが居た。訪ねると家庭事務所に
連絡、堂々たる大門の傍らの通用門から邸内に入った。
竜馬伝を見る度に、あの70年に歩んだ邸内の道、樹林、広場のど真ん中の木、
実直で勤勉そうな家庭事務所の方々を思い出す。
10年一昔。ならば七昔遡った姿を目の当たりにしてみようかな。
その内機会を作って出かけてみようかと思う。
日曜日の18時、BS 3 が楽しみである。今日は木曜日か。