BMWと200万円

2011-02-28 16:40:00 | スポーツジム

川内選手が昨日のマラソンで名声と共に 賞金200万円と名車BMWを獲得したと聞かされ 
愉快になった

慎ましやかに我が道を行く彼に親しみを感じた私は ”トレーニングの一助となる賞金”  の
重み ”その移動に便利性を与えるであろう車” は さぞ大きな褒美であったと推察する

車庫が無い・・・と聞いて微笑みを感じた  学卒後未だ日浅き若人 社会人として初々しい
彼が可愛らしく 孫のようにさえ思えてくるのである

私は走るのは苦手でどちらかと云えば敬遠したいほうである
65才でリタイアし(形式的には・・・) 暇になった 以後非常勤相談役となったので足繁く
会社に顔を出すのはなるべく遠慮し 2週間に3日ぐらい 然も午後2時ごろフラッと出社 
後任とお茶を飲みつつ談笑し辞去するのが常であった

規則正しい生活 パジャマでゴロゴロはしたくなかったので スポーツジムの会員になった 
偶々フルマラソンをやっていたご婦人の勧めで室内の80メートルトラックで走るようになった

1回のノルマは 10,000メートル 月間230キロ ~ 240キロ 年間2,800キロは走破
した

始めた当時はスタート直後から10分くらいの間が辛かった だが20分ぐらいからは楽に
走れて苦しさは感じなかった

コーチに言われたのは 体が前へ前へと行きたがるツンノメルような前傾姿勢で走れだった
となるとこの姿勢キープには背筋 腹筋が強くなければならない 筋トレの仕事も増えた

室内トラックは単調で飽きが来やすい カウンターを握って一周毎に ”カチッ” とやって
125周  1日おきに時計回りと 反時計回りで走った これはジムの規定だった

水は15分おきに補給 生意気にサッと走りながら取る練習も・・・10キロ 50分の素人が
である

仕上げはホノルルマラソン 3時間台と言いたいがアワヤ4時間のきわどいタイムだった
湘南平のあの急坂も私のジョギングコースだった 家から頂上まで30分弱で走ったが
今では歩いても登りたくない・・・15年も経つとこうも老化するものかと思う
「継続は 力なり」 というが止めてしまったのが悔やまれる もう元には戻れない

その代わりと言ってはなんだが その後には金槌が泳げるようになったし バーベルも
体重の1.6倍まで挙げるようになったので 以って瞑すべしかもしれない
80の爺さんは 水泳でお茶を濁すぐらいが適度の運動であるかもしれない

今日は川内選手の公務員ぶりをテレビで見た 彼の将来に栄光あれと祈らずには居られ
なかった 本当に真面目な好青年だ

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駆けっこ競走

2011-02-27 21:25:00 | 楽しむ

東京マラソンは派手なお祭りでした  道路に溢れる人の波は壮観でした

私は川内選手の力走に感激しました  ただその一言です
日本人第1位 メダル獲得とタイムの3条件を満たす事が必要の総てに叶い 世界選手権
日本代表内定は立派でした  「お疲れ様・・・そしておめでとうございました」

関東大学 ”箱根駅伝”では学連選抜で第6区を2回走った 山下りのスペシャリスト
今日も後半大詰めの下りで本領発揮でしたね

市民ランナーの道を選んで埼玉県の職員ですか・・・私は良い選択と思っています
ただ 有能なコーチを得れば更なる飛躍があるのでは・・・と欲張った考えも持っています
何はともあれ 凄いランナーです  大成を祈っております

  

昨日は福岡国際クロスカントリー  こちらも若い芽がすくすく伸びているようです
ジュニア女子では菅選手が期待を抱かせる大物振りを発揮 将来が楽しみです
名門 興譲館高校生 大学はどこへ行くのでしょうか 磨きをかけてください

  

シニア女子では絶好調の新谷選手が 千葉国際に続いての優勝
小島選手と切磋琢磨の好環境で ロンドン五輪を目指して欲しいものです

  

男子ジュニアにも 有力な高校生が多く居て こちらも楽しみです

シニアでは村澤選手 (東海大) は確かに逸材  柏原 (東洋大)も期待したが本調子では
ないようだった  登り坂の多いコースがあるといいんだが

  

スキー ジャンプ界には 中学生の高梨さんと云う可愛い女の子が 141メートルも空に浮かび
そして飛んだ

ピンポン も 石川 佳純さんを追いかけるように 小学生の女の子が二人も現れた

皆頑張っていますよね 政治家さんも頼みますよ

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中学生のラグビー

2011-02-26 16:50:00 | 散歩

昨日は春一番の風でベランダは午前11時 17℃  今日の11時は7℃でマイナス10℃の寒さだ
午後は風が止んで暖かくなる・・・というので公園散歩  厚着での外は散歩の適温状態だった

ラグビー場は大勢の人  聞いて見ると神奈川県と千葉県の中学2年生による試合だという
隅の方でマネージャーの女子高生だろうか ボールを抱え走ったりタックルしたりジャレていた

間もなく白のジャージ 千葉県勢のキックオフで試合開始

   

  

だが 神奈川勢の攻守は見事であり 5分 10分とあっという間に 2トライで主導権を握った

  

   

  

ゴールは成らずだったが 走力はあるしタックルも強烈な印象を受けた

  



サッカー場では 女子高生がパス回しの基本練習の繰り返しを行っていた



間もなく 弥生3月である 待ち焦がれた高校野球選抜大会だ

日本の各県では春季県大会を控え 地区ブロック戦が始まる 夏の県大会を有利にとシード
権獲得争をすることになる

その頃は桜の季節だ 近所の桜丘高校のグランドは桜吹雪 1ヶ月後が楽しみである

梅園の梅は今が峠 そろそろ散り始めるかな

  

  


   

 

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棋聖戦

2011-02-25 22:40:00 | 雑記帳

学生のころ土曜日は新宿へ遊びに行くことが多かった  映画と碁会所へ行く事がお決まり
懐が淋しかった若い頃だった 映画より碁会所の方が多かった

腕前は ”初段” で 強いとは云えぬ存在だったが 上には上が下には下がと云うのはどの
道にも通じるのか まあ恥をかかぬというレベルで結構楽しむことは出来た

社会人になって入門の将棋は 有段者の上司の手ほどきでボチボチのレベル  
まあ何をやっても 頭角をあらわすと言ってよいものは無かった

今日は午前と午後都合3時間に亘ってテレビで ”棋聖戦” を観た
下の局面で夕刻の放送は終わった 挑戦者有利と思っていたが午後9時前の速報で
張棋聖が2目の勝ちを知った 勝負事は下駄を履くまで分からぬもの・・・を実感した

白が張棋聖
   

黒15の十二の伸びが緩手か 白の19の四の下がりという巧手もあり 終局は左盤面で
大きな変化があった 笊碁の私には想定外だった・・・お恥ずかしい

第4局お手上げの状態から逆転の半目勝ちといい 張棋聖の粘りと底力は凄い

   

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79.59才

2011-02-24 16:00:00 | Weblog

平成21年の発表によると 男性の平均寿命は 79.59才 女性は86.44才だそうですね 男性は世界第5位 女性は世界第1位とのことだった
私は現在 81.75才 平均より+2.16才の人生を歩ませていただいている

一昨日 所ジョージさん サンマさんの番組 「超近現代史」 を見たのだが 60年前の
渋谷駅付近の風景は鮮やかに記憶を甦らしてくれてとても楽しかった
50年前 40年前 30年前と当時が再現され 懐かしさに浸りっ放しだった

たった一度の人生 80年  どの時代に生きたのが幸福な人生といえるのか・・・を一口に云うのは難しい

生まれて間もなく 満州事変 ~ 支那事変 ~ 太平洋戦争 ~ 敗戦 ~ 戦後の復興 ~
バブル期 ~ バブル崩壊 ~ 長期に亘る不況 ・・・ と目まぐるしい苦楽変遷の中を生きてきた

昭和10年代後半 ~20年代前半は 戦争そして敗戦で苦難の10年間であった

廃墟の中から立ち上がった昭和20年後半からは復興も進み 希望に満ちた生活を
送った 景気も右肩上がり バブル時代をエンジョイする事もできた 

65才までの現役40年間には満足している 一生懸命勉強した期間でもあった 

50才までの25年間余のサラリーマン時代は幸運に恵まれ 数多くの職務に従事
させてもらった これが以後の私に大きな力を与えてくれたのである

50才以降の人生に対応すべく勉強 即ちリハーサル期間を終えたとし 私は退職した
その時の時代背景は相変わらずのバブルが続き 起業や創業が盛んであった
恵まれた外的条件 私の晩年はチャンスと仕事に恵まれたと感謝している
 


このレアなる経験をなさった方は年毎に減少しているのでは 昭和1ケタ時代の思い出である

昭和9年 未だ5才になっていないころ 伯母さんに手を引かれ 江の島 へ行った
道に自動車は無く 辺りにビルは見当たらず 遥か西の空に富士山が綺麗に見えた頃だった

浜へ出ると海の向こうに 江の島がポッカリと浮かんでいた 私には遠~い島に見えた

その島には細長い木の橋が架かっていた 伯母さんは橋の手前の小屋でワラの
草履を買った 靴は袋に入れてワラ草履で手を繋いで橋を渡った

その橋は低かった お風呂場のスノコのような・・・と云うか厳島神社の回廊と言ったらよいのだろうか(それ程迄立派はでない)・・・それはそれは素朴な仮橋のように思えた

板と板の数センチの隙間から 海の水が時々ピチャッと跳び上がって来て長閑なものだった
これでは滑って転んでしまい危ないかもしれない ワラ草履を買った意味が分かった

今はコンクリートで陸続き 島へ渡った意識も覚えず駐車場でしょう 
昔は面白かったでしょう
?  古くてよき時代 風情がありました



ジムからの帰り道 もう一汗かこうと普段は通ったことのない細くて九十九折の坂道を登った
凄い急坂で息切れが甚だしい 「参った」 と思って休憩  それとなく見渡すと ・・・

   

「おい 俺にも飲ませてくれよ」 とお願いしやっと一息つくことができた


 








 

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トイレの神様

2011-02-22 16:40:00 | 雑記帳

亀の甲より 年の功 とはよく言ったもので 人生の先輩のコトバには傾聴すべき重みを感じる
トイレの神様・・・のお婆ちゃんに 「なるほど」 と感銘を受ける人 「ふふーん」 とせせら笑う人 と
人 様々だろうが 先人の教えを吟味するか否かの差は その将来に何らかの影響を及ぼすもの
と私は考えて居る

私の就職期の頃の話しだが 信用を第一とする老舗の某大百貨店の人事担当者は 書類審査
学科試験 面接の済んだ女子社員(店員)採用予定者については もう一つのハードルがあったと言うことを聞いた

それは 家庭訪問であったという  訪問の本旨本題は何であったであろうか
訪問で辞去の迫った頃 さり気なく 「恐れ入りますが トイレを拝借させてください」 と言う 
トイレの掃除具合 便器の清潔度を見れば 家庭の日常が読み取れるというのだ 親が分かる 
その子への影響度を計る一助にもなるのだと云う事なのである

玄関 床の間 などは綺麗にして待っている 目立たない所はどうなのかなの重視である
この訪問が終わり やがて採用の合否が決定されると云うのであった

トイレの神様・・・お婆ちゃんは 孫に珠玉の教えであったのである

コップを人体・・・自分としよう  中の水を自分の知識や意見としよう

先達の貴重な経験からの話しを聞かない (水を受容れない)
せせら笑って聞く耳持たず・・・自説の連射ということは水は出て行くだけ・・・減るだけ・・・
即ち 痩せ衰えるだけのことである

人の経験談 体験談は聞くのが得く  耳は二つ 口は一つ 二つ聞いて一つ云うぐらいだと
貴方のコップは常に水(知識 意見) に満ち溢れ 益々スケールの大きな人間に成長する

自分の今持っている知識を考えると 私自身の直接体験によって得ることの出来たものは九牛
の一毛に過ぎない  他から得た知識つまり間接経験によって私は生かされているのだと思う

                聞き上手になりましょうよ



銀杏の実を砕いて準備したが 雀くんの訪問は無かった
ナマの実は臭くて敬遠か  それとも彼らの医学会では 毒性あり で食用禁止なのであろうか

とうに諦め 食パンの耳に替えたが未だ銀杏か と思っているのか全く飛んで来てくれずにいた
所が昨日見ると パンはなくなっていた  女房殿に聞くと 「昨日食べていたわよ」 とのことだった

今朝は炊いたご飯を解して待った 来ました 来ました 2羽の雀くん
警戒心が強いので 近づくとサッと居なくなる  遠くからズームで撮った

  

  

 毎日遊びに来てくれよ なあ雀くん ひよどり兄さんは よく来るよ
 鶯ちゃんは遠慮して遠くだが人見知りかね 鳶が空の時は 隠れて居なさいよ 危ないよ

 

 

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スッキリ優勝!

2011-02-20 19:40:00 | 楽しむ

10時半に家を出たら11時10分に山下公園に着いた マラソンスタートは12時10分
早過ぎたが ランナー達のアップを見る心算の早発ちだったから苦にはならぬ待ち時間である

ツルさんが体を解しながら歩いていた
  

尾崎さんがジョギング レース直前のルーティングと言うものがあるだろう  声をかけることは
遠慮した  もう戦いのモードに入っている筈  乱してはいけない事だ
   

  

テレビ局も 放送のスタンバイ
  

婦警さん達も 先導の準備完了である
  

  定刻にスタート 2分足らずで山下橋にエリートランナーが迫ってきた
  

アッと言う間に行っちゃった  呆気ない
  

ややおいて 一般参加のランナー
  

赤レンガ通過
  

県庁横
  

後ろを振り向き ”優勝” 確認  ゴール地点の山下公園に入った
  

2つの条件を満たし文句なしでスッキリと 世界選手権日本代表選手第1号が内定
何はともあれ 「おめでとうございました」

第2位の中里選手もたいしたものでした 先が楽しみの逸材でしょうか 
  
”余計な一言” このマラソンコースの一部分に 箱根駅伝でお馴染みの ゴンタ坂 を取り込む
のは如何なものでしょうかね  又いらぬ事を申し上げてしまいました

 


   
          

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女優とマラソンランナー!

2011-02-19 16:50:00 | 雑記帳

昨年末 ”鶴瓶の家族に乾杯” で 内山 理名さんを初めて知った この業界に 疎い 私です
放送を見ていて南足柄市出身である事が紹介され 「あれっ 内山地区に関係がおありかなぁ
~」 と あれやこれやと考え 「ことによると 内山のご出生かな~」と勝手な想像をした
途端に何だか親近感を覚え 加えて彼女が数倍も美人に見えてきた心理変化が不思議であった

私の母の在所は内山である   小学校に未就学の頃蜜柑山で忙しく蜜柑収穫をする伯父と伯母のお邪魔虫・・・稲刈りについていって 段々と広くなっていく田圃でイナゴを追いかけ回した事 
秋のお祭りの事  小学校の運動会で従姉妹の応援をした事を思い出す

平山から内山に着くと左側に小学校があった 更に行くと右側に理髪店がある
そこの主人は国鉄マン  内山から桜木町駅に通勤され改札係りをされていた   
桜木町から東京に通勤していた私は毎日のように挨拶を交わした  ・・・と云うのはその奥さんになった ”福ちゃん” は富士紡に勤める寮生でした 
東北出身の ”福ちゃん” は世話好きの父の仲人で 私の実家から花嫁衣裳で内山へ嫁いだ
私と同年齢ぐらいだから 床屋さんはもう廃業しているかもしれない

 

内山へ行くにはSLで 山北 まで行く 母の実家は山北町と思っていた  幼児だったから無理は無い
父は ”御殿場” 母は ”山北” 仲を取り持つ ”小山町” なぁ~んちゃって

山北の話となるが明日の ”横浜国際女子マラソン” に第一生命の尾崎 好美選手が出場
彼女は山北町出身  山北中学 ~ 相洋高校 ~ 第一生命であることは皆さんご承知の通り

東京国際女子マラソンで あの渋井を猛追 残り4キロ地点で追いつき追い越し逆転優勝したの
をご記憶と思う  又ベルリンの世界陸上では日の丸を背負って銀メダルに輝いた
明日は日本勢の中で優勝候補No.1とされている  是非実現して欲しいものである

神奈川県人の応援は多いだろう 奇しくも東京国際優勝と大阪国際優勝の 尾崎  天満屋の
坂本 直子選手を見ることが出来る  坂本さんは顔を見せるだけでもファンは満足だろう

タイム的にはエチオピアの ツルさんが 尾崎選手と同じ 2 ・23 ・30 だが勢いは尾崎選手ではないでしょうかね


去年は市街の中心を周回したので 同位置で何度も順位を確認できた
今年はコース変更でそれが出来ない マラソンコースの5キロ地点ごとに通過予定時刻を記入
し応援ポイントの検討をした

 12:10  スタートを見る 早ければ13:35頃 山下公園近くの山下橋に戻ってくるだろう
        この間に 中華街か赤レンガで昼食を摂り 時間を潰す
 
その後は 赤レンガで待ちパチリ (みなとみらい地区を走っている間に) 県庁前に移動し待機し
最終は山下公園通り・・・ということになりそうである

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雨の急襲!

2011-02-18 16:30:00 | 散歩

南風が吹いて暖かい最高気温は15℃とかである  午前10時 全室の窓を開放気分爽快だ
2ヶ月に一回の洗濯機 ・洗槽クリーニング  終了後 乾燥仕上げで完了した

北は青空 南はグレーの曇り空であったが散歩に出かけた
梅園では夫婦と女の子が  もう一つのベンチではソフトクリームのご婦人が居た

先日梅娘が首相官邸で菅さんに ”思いのまま” なる梅の花をプレゼントのニュースを見た
聞き違いであったら申し訳ないが この”思いのまま”は咲いてみるまで白が咲くか紅が咲くのか
が分からない・・・とかだったがどうなのでしょうか
  
1本の梅の木なのに紅白の花が咲いているのは事実  1本の枝の先分かれで紅白の花が咲い
ているのは本当であったが・・・

月宮殿という梅は上品な花を咲かせますね・・・感心しながら眺めてきた
  

緑萼りょくがく) という花の色彩も素晴らしいな~と感じ入った
  

この梅は 筑紫紅
  

これは 道知辺(みちしるべ) と言うらしい
  

すっかり待たされている プールの工事はどうなっているのか・・・と現場を見に行った
  

大分大幅な模様替えがあるようだ  50メートル プールは無くなってしまった  これはショック
幼児プール と 25メートルプールは 再び新らしいのが出来上がるので楽しみ
ご新規さんは スライダー プールの誕生 これは子供達に喜ばれると思う
その一段下(左端)に何やら池らしきものが・・・ここは 元50メートル プールがあった所だ

その時急に雨が落ちてきた 雲の流れは早い・・・通り雨で直ぐやむかなぁ~とサッカー場入口
で雨宿りです
  

大粒で帰るに帰れない  では・・・と隣接のZAIMの傘の下でコーヒーとした
   

これが寒風の冬空だったらたまったものではないが  暖かい日で助かった
通り雨は過ぎ去り青空が見え始めたので家路へ

バス停でママさんと到着を待つ可愛い幼児の姿があった

傘はいつ見ても満杯 ご近所の人たちの共用物として減る事はない 私も乗る時には必ず置い
て行く  何しろ手ぶらが好き  持つくらいなら少しの濡れの方がよいと思っているから・・・  
  
 

 

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元宵節 ”燈籠祭”

2011-02-17 21:00:20 | 社会
雨かもしれない の予想が青空 じゃあ行って来るかと中華街
春節行事最後の日ではあるが 案外な事に中華街は比較的静かであった
  

媽祖廟は奉納者の燈籠の整列と点火に忙しく 大童の忙しさ
  

一方の関帝廟もご同様で 準備が遅れていた
  

皆さんご苦労さんでした ”総て 整いました” の関帝廟
  

媽祖廟も綺麗に並べ終わりました
  

関帝廟では舞踊が始まりました 媽祖廟でも・・・だが体は一つ片方しか見られません
  
  

この舞踊で お開きとなる 関係者の方々2日の夜から今日までお疲れ様でした 
      
  
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”情人節” と ”小正月”

2011-02-16 14:10:00 | 雑記帳

上海の甥っ子のブログに ”情人節”の記事 原文は下の通りであった

 ”バレンタインデー” 「中国」 では ”情人節” と言う (中略) ”情人節” は 「日本」 の それ とは異なる 女性が 男性に 愛 を告白する日 でも無く 女性が 男性に チョコレート を贈る日 でも無い ! 男性から 女性へ プレゼント を贈る日 なのである!!!!!  (終わり)

とあった 読んでいて これは日本で言う ”小正月” とよく相似た行事だなと思った

某地方の風習だが ご婦人方がお座敷の膳を囲んで座る 一様にくすぐったい様なニコニコの笑顔 饗応申し上げるのは 普段は亭主関白の男衆で 上げ膳 据え膳の大サービス 酒のお酌  ご飯のお給仕 などを馴れぬ手つきで一所懸命に務める 日頃のお世話に感謝申し上げると云う小正月

でも  ”情人” と言う文字がちょっと意味深でいい言葉だな~と思ったり・・・
まあ お互いに感謝しあい 労わりあうのはいい事ではありますね



ところで明日は 元宵節燈籠祭(げんしょうせつ とうろうさい)である 関帝廟と媽祖廟では
夢や願い事を書いたメッセージ燈籠と舞踊を奉納し 心の安らぎを天に届ける厳粛な行事が
行われる
 
中国では春節後の初めての満月の日を元宵節と呼び これをもって正月行事を締めくくる
春節行事の最終日という事です

夕刻の天気が気になります 17:30からです 雨天中止になりませぬように



昨日の雪 今日は早や影も形も無しである

公園の梅園もすっかり早春の顔をしていた 誰が作ったのか雪だるまならずのペット像が可愛い

  

日曜日は小田原梅まつりへ行ったが 保土ヶ谷公園の梅園も人出があったようだ

  

  

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雪が少々降りました!

2011-02-15 16:00:00 | 散歩

大したことはないだろうと多寡を括って一夜を明かしたら雪が少し積もっていた
こんな風景は数年に一度ぐらい ”稀少価値の積雪” と言えます
これは放って置くてはない 踏み荒らされぬうち・・・そして融けないうちに公園へと行ってみた

  噴水の池は 凍りついていた
  

  

  梅園は静寂 寒々としていた
   

  

  

梅園から回廊的な木製の道  ここは未だ誰も足を踏み入れていなかった
じゃあ 某(それがし)が本日の ”渡り初め” の大役を・・・じゃないが気分よく登った
雪を踏む度に聞く  きしむ音は本当に久し振りのものだった 「 そうだ雪の音はこうだった」
  

  無人のサッカー場
  

  午後には消えてしまいそう 儚い雪です
  

  

  

ジョギングシューズでは長居は出来ない  水がしみて冷たくなってきた



昨日はバレンタインデー・・・とやら   古武士にゃ今や縁なしのこと
着メロが鳴った  旧O L からだった 「お年賀状を出さず ゴメンナサイ」 だった  何を今更
「あの~  猫ちゃんが死んじゃって 喪中だったものですから」 だそうだ ・・・ついて行けないよ

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曽我梅林 【2】

2011-02-14 12:00:00 | 思い出

11日 建国記念の日に開催の ”流鏑馬” は雨天の為今日13日(日曜日) に変更のHPだった
「ついているなぁ~」 と家を出た  (実はその後も ”つきまくり”が連発) 

バスが3分程早く保土ヶ谷着 ~ 10分早いスカ線に乗れた ~ 戸塚で東海道本線に乗り換え ~
2分も待たず 特別快速(ついてるぞ) ~ 辻堂・大磯・二宮は無停車通過 ~ 国府津駅には
想定外時刻に到着となった

15分間隔臨時運行バスには ひとバス前のにギリギリのタイミングで乗る事ができた ~ 満席の筈が2列目に2人掛席がスッポリと空いていた これもラッキーという他はない
お蔭で予定より30分も早く梅林に到着できた  先ずは一休みしようと 臼で搗いた餅を食べ
お茶を飲みノンビリと休憩した

以上は 別所会場  以後は 原会場

たこ焼きの昼食 を済ませ 時間はあるが流鏑馬会場へ向かった  未だ1時間も時間がある
そこへ向かう人の流れは途切れなく続き 「あれっ」 の予感

田圃に敷き詰められたブルーシートにはもう観客がいっぱい 三脚を林立させた好位置は
すでに多くのカメラマンに占拠されていた  1時間以上前でもこの有様に驚いた
冷え切った田圃のシート 「おいおい痔になるぞ」 と冗談 お膝と胡坐の繰り返しで耐えた

  神事が終わり 神前に供えられた矢を戴いて隊列が進んできた 
  

  

    電柱が消え 藁葺き屋根があったら・・・
  

  凛たる美女に 「おーっ」の喚声と拍手
  

  観客の小母さん方 「あのイケメンカメラ目線よ キャーッ」 と騒ぐ
  

  砂を蹴散らし疾走する人馬一体の凄さを 至近距離で実感した
  

  

  会場は興奮の坩堝  美女の矢が的を狙う瞬間 大和撫子ガンバルの巻である
  

  神事は酣 的は段々小さく絞られていく  射る ~ 戻るの繰り返しであった
  

「頃はよし」 ・・・ と私らは退場した  最後までいたら駐車場からの車の洪水で動けまい
下曽我駅もパンクするだろう ・・・とバス停へ

これからも ”つき” は続いた  始発バスが出発で乗車口扉を閉めかけた瞬間に間に合った
待ち時間ゼロ ~ 国府津発電車が私を待っていて 1分後発車 ~ 大船・戸塚間を東海道と
スカ線が隣り合ったレールを並進していた ~ 戸塚駅でのスカ線乗り換え時間 もゼロ

帰宅時刻は なんと午後2時57分  流鏑馬終了時刻は 2時30分のHP告示だった
田圃で座禅の苦行はあったが 100点満点の日曜日でありました

昭和31年から38年までは帰郷の都度 国府津 ⇔ 下曽我 ⇔ 松田 ⇔ 山北 ⇔ 谷峨 ⇔ 小山の
道を何度走ったことであろう
当時は舗装道路では無く土の道であった 
台風の翌日別所付近で道路が50センチ幅で掘れ
ていて困った事がある 
スプリングの利いたクッション性の良いヒルマンではどうしようもなかった

近所の農家の方が厚板を持ってきて助けて下さった 帰りを心配してきたが夕刻には修復して
下さっていた 大磯に住んでいたころの思い出である
現在は舗装され 両側は立派な邸宅が並んでいる だがどんなに変ろうとも当時の人情は忘れる事とは絶対に無い

バスに乗っての実感は このカーブ あの登り坂この下り坂を体が忘れることなく覚えていた事 
過ぎ去ったあの当時を充分に甦らせて戴いた 曽我の里の温かさをしみじみ反芻した帰路でした



 

 

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曽我梅林 【1】

2011-02-13 20:50:00 | 散歩

小田原梅まつりに行ってきました 一口に言って素晴らしい 大いに楽しむ事ができました
  

昨日までの悪天候が嘘のよう  曽我の里は長閑な小春日和で温かく迎えてくれました
  

  

  

ロープを張り巡らし「べからず」の事も無く 自由に花を愛で 香りを楽しむ散歩ができました
自然を満喫できたことが何よりと喜んでいます
  

  

  

  

  

梅花と琴・尺八は好一対  雅な雰囲気に世の喧騒も忘れ去り 心の洗濯もできたようです皆さん一様に ”うっとり” の世界に浸っていたようです
  


  

  

到着した早々に 餅つきで搗きたてホヤホヤの柔らな あんころ餅 と 安倍川餅を食
べた それぞれ一口大(ホントは二口大ぐらい)が6個づつなのに 空気の美味しさもあってか食欲の進むこと進むこと ペロリと平らげてしまった

人気があって行列は絶えない 1臼ぶんの餅はあっと言う間に売り切れる 搗き手の
男性はぶっ倒れてしまうんじゃないかと心配するほどであった

お昼になると食堂はこちらも長がぁーい行列  さっきの餅でひもじさは無かったので女房殿と相談 屋台の ” たこ焼き” で済ますことにした
梅林の中 青天井下でのたこ焼きはこれ又大変に旨かった
  

今日は満ち足りた日曜日でした  先日 『森の熊さん』 様が ブログのコメントで わざ
わざ梅まつりのご案内を下さった

「本当に 良いお知らせを有難うございました お礼申し上げます」



    

コメント (2)
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淡雪

2011-02-12 15:15:15 | ファミリー
期待して窓を開けた  ” 雪は積もっているかな”  ・・・・・
だが ほんのお印のような積雪 大雪にならないで良かった
 
急坂の多い保土ヶ谷だ  凍結でスッテンコロリンで怪我でもしたら大変だ
陽も射している サーァッと溶けて乾いた道になって欲しい   午後以降の天気はどうなんだろう
 15時 ~ 18時頃が微妙であるけれど  夜半からは晴れるようである

  

窓から眺めると若い夫婦と幼稚園児らしい三人の親子が 腫れ物に触るように少ない雪を大事にそおっと集めていた 子供の為に ”雪だるま” を造ろうとしているらしい
 
  

お握りぐらいの大きさになったら お母さんが後方の人跡未踏のゾーンで転がし始めた  徐々に大きくなってやっとのことでサッカーボールぐらいのサイズになった

そしてもう一つのも出来た Sサイズの雪だるま完成である おめでとう
それーっと旦那が駆け出した 追いかける奥さんと坊や 明るいファミリーにニッコリ
玄関前に置いたら ”味塩” でも振り掛けたらどうだろう   溶け防止にならないかなぁ

  

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