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知らぬが仏の数カ月でした

2020-03-30 23:23:23 | 思い出
昨秋から数か月間は女房殿の介抱に専念だけ・・・それ以外の事は
全くナッシングの日々でした。 

医師にズバリ「手のうちようがありません。悪性胃癌末期」との診断
5か月の余命云々の宣告に、妻と私は全く予期せぬ言でした。

私は「自分の人生は終わった」 と心に刻み、総てを妻に尽くす決意
をしたのです。
予告は残酷です。それに二人は戦わねばならずは本当に辛いこと
でした。

今にして思えば、精神的、肉体的に襲われ疲労の中で、5か月間の
睡眠不足の影響は今になって私に影響を及ぼしているようです。

今日の事です。 口をぼんやり開けテレビを見ているのか? 眺めて
いるのか? 無意識の中で、小指が耳に触れていました。
離した指先をチラッと見たら大きな、大きな(失礼)”耳〇〇”が着い
ていました。
数か月間、耳の存在を意識したか?・・・と自問自答した。
長期間、耳の掃除を意識するなどの余裕はなかったのは事実。

汚れに気がつかれた方が居られたかも知れず ハッとしまった。
「知らぬが仏」 耳の手入れもしない汚れに呆れられたお方様を
思うと申し訳なく存じております。
「知らぬが仏」 平然としていたであろう、 私のお粗末な話です。


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妻と私の贈りモノ

2020-03-16 23:11:00 | 思い出
七七忌法要、納骨と近親の皆々様のお力、ご協力のお陰さま
により務めを果たさせて頂くことが出来ました。
宗完和尚様の有難いご読経に導かれ、 妻は新しい路を歩む
事になったのでしょうか、 ご列席の皆々様、私ら家族ををどう
ぞ守って下さいと願いました。

昨夜の寝についたのは遅かったのですが、 明朝は本当に暫
く ぶりに朝寝をさせて下さいと願ったりの夜でありました。

珍しく7時過ぎに目が覚めました。 丸々5か月ぶりの朝寝坊で
ございました。
モーニング珈琲で、甥の土産を開けて楽しみました。
彼は本当に人気を独占してしまうのが常です。

姪やその娘さん達に、 遊びに来いよ・・・と声をかけていますが
鑑識証明付きダイヤ指輪2個は今はすでにNoである。
右下段のパールは豪華過ぎる。 私は左下列に目が映る。


この硯箱は何処の書展会で授けられたのか!?。
小学生時代、 紀元二千六百年記念? だったかは忘れた。
これは  ”やたらに” は渡せない。 贈り相手は決定済だが
数年の間お待ちを!。 そろそろ遺書を書いておくかな。





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女房殿の<料理>嗚呼恋し。

2020-02-21 21:21:21 | 思い出
 23時に就寝、4ヵ月間の癖にすっかり染まり例の如く26時
に目が覚めてしまった。
女房殿の部屋へ行って写真を横目に足を伸ばした悪い行儀
で会話を交わした。
今でも外出するときは「行って来るよ」 帰ったときは「今帰っ
たよの挨拶は欠かさない。
そして先ずお線香をあげてからチ~ンの順序は同じです。
今朝は「ところでさぁ・・・閻魔さんのご質問や、ご見解の様子
はどうだい?。天国へ振り分けて頂けそうかい?」が始まり。
女房殿は聞き役専門だが、私に心配させる事無しと信じてい
る…都合よしの会話です。
それからテレビのタイマー30分にして眠るべく目を瞑った
起床は6時だった。 体調は段々昨年夏に戻って来たようだ。

今晩もなるべく早く就寝を試みてみよう。
食事は相変わらずのチ~ン。 女房殿の料理はもう ・・😭 

野菜不足は「飲む国産野菜ジュース」で補っています。



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銀杏を二人して拾ったっけ!

2019-12-08 21:00:00 | 思い出
昨日は雲が厚く寒い一日でした。  今日は日差しがあり洗濯
の乾きも早かったようだ。

スーパーへ買い物に行った。  当初はウロウロ広い店内を
あっちこっち探し回ったがやっと少し慣れて来たようだ。



熱湯で温めたり、 チンすりゃOK頼りだが、 品種は多いし、
便利性は実に高度。
「揚げ出し豆腐」など持ってこいだな~と思ったりだった。

上り坂のバスの窓から、真っ黄色の銀杏並木を眺めつつ
帰った。

明日は頭も伸び伸びになったのでカットに行き、 帰りは
徒歩にて銀杏を一つ二つ拾い、 写真でも撮りながら歩ん
で帰って来ようかな!?


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江戸時代の南海大地震と大津波。

2019-11-05 22:24:00 | 思い出
今日は何の日 
小学校5年の時、国語の時間で「稲むらの火」を学んだ。
5年生と言えば…もう78年も昔々の思い出話か。
1854年12月23日、(嘉永7年11月4日) 紀州等に大地
震。
秋祭りの準備に心を奪われ、大童の村人達を庄屋の
五兵衛さんは把握していた。
冷静に海水が沖合に引いて行く様を見て津波の来襲

直感。 危険を知らせる為、自分の田に汗して育て、
そして刈り取ったばかりの稲の束(稲むら)に松明の火
つけ回った。
火事だ、消火と多くの村人が高い所に駆け上がって命

びろいに繋がった。 五兵衛さんは何と機転の利く庄屋さん
でしょう
5日になり井戸が異常な水位低を示し、且つてない
大震動があった。 然し最小限の被害で津波に対応と称賛
すべしです。

目下、 派出夫兼業中かな。 炊事、洗濯,掃除、に買い物
入浴も遅くなった。 
 バッタン・・・キュウも熟睡できて結構







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思い出ばかりだ。

2019-10-07 19:19:19 | 思い出
1958年4月5日、 後楽園球場で巨人vs国鐵の試合を観戦した。
あの年は昭和33年でした。 昔の話で 光陰矢の如しです。
外野右中間の塀には勤務社の大きな文字の製品名がデカ
デカと目立って見えた時代だった。
当時は巨人の1塁手 ・ 川上選手(熊本工)、 2塁手・千葉
選手(松山商)二人のファンでした。
観戦は一塁側ダッグアウト後ろが定席でした。
あの日、国鉄のエース金田投手と 巨人のサード 長島選手
デビュー初対決を見たいと後楽園は満員でした。
4打席連続金田投手の剛腕に、臆することなくフルスイング
立ち向かい4三振の立ち合いではあったが凄い勝負!。
金田投手は「凄い打者」 と褒め上げていた。

立大砂押監督の鍛えは猛烈だった。 長嶋選手、Ⅿ選手、
S選手3君の逸話。 加えて同窓O君そして小伝馬町・・・。
若かりし頃を思い出した。

偉大なる「金田投手」の訃報を知り、最後は皆消えるのかの
習志野で共にゴルフを楽しんだ千葉さんも今はもういない。
悲哀に淋しかを覚える。 ご冥福をお祈りする。


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大木も リス君も姿を消した

2019-09-19 20:20:20 | 思い出
毎朝眺め親しんだ 「榎木」が消えた。  窓から美味しい緑の風
を送り込んでくれた身近の大切な恩人だった。
今日はクレーン。最終日で太い幹や枝の処理。



台湾栗鼠の住まいも・・・で、 明日からは淋しい。

遂に根元に到達。  切り離された幹から大量の水が何秒か
の間流れ落ちた現象には驚いた。
「夏だから大いに水を吸い込んでいた」のだそうだ。


根元は生きているから目を出して又育つかもとの事。 

15号台風で傷んだので こうなったのかと思っていたのだが? 
落葉等は雨樋が詰まり困惑、大木の剪定で経費が掛かる
からとかの理由云々を耳にした。
生きもの ”植物” の命を奪うことに残酷さを感じた。 

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「神田川」の旅人 壇蜜さん

2019-08-29 19:00:00 | 思い出
この間 発見 体感 大都会 東京を潤す神田川紀行】 
のテレビ再放送にお目にかかった。 
旅人は天下の麗人 魅力の 「壇蜜」さんである。

柳橋 神田 万世橋 お茶の水 飯田橋 新宿 中野 吉祥寺 迄を
流れる 神田川といえば東京の中心を貫くこと故、 何方様も
何かしらのご縁をお持ちの事でしょう。

江戸城を護る堀の石垣には 丸に十字の薩摩藩供出を記す
印を船で巡った壇蜜さんは他の藩などの幾つかも確認して
おられたようだ。

戦中の中学生時代、戦後の復興時代の神田川は汚れて
いた。 家庭や工場からの選別なき排水の所為だった。
致し方ない下水道設備そのものに欠けていた日本だ。

お茶の水駅から神田川を見下ろすと、確か おわい船 と
呼んだ記憶の伝馬船が、 汲み取り式便所からの汚物を
運ぶのを時折見ながら電車を待ったものだった。
長い竹棒を川底に差し、 その先端を肩に当て船尾に向か
い歩を積めば歩いた分だけ船は前に移動だ。
汚穢船(おわいせん)は棹と人力頼りだけだった。
現在は綺麗な鯉が泳ぐきれいな水の神田川です。

赤い中野新橋の花街,招待を受けたお座敷に、御殿場出身の
芸者さんがいた。  世間は広いようで狭い事でもあるんだ。
他にも多くの昔をしのばせて頂き楽しかった。 保存だ。

久し振りの公園散歩、赤くてきれいな花が咲いていた。
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記念硬貨。

2019-06-12 22:12:22 | 思い出
上皇、上皇后両陛下は、 孝明天皇御陵、明治天皇御陵に参拝なさ
れ、 天皇御退位に伴う一連の行事を総てご終了為されました。
今後はどうぞごゆるりとお心安らかに、お疲れをお解きなされます
ように・・・と国民一同願っておられることと推察いたしております。

午後、 小箱に保管の外国硬貨を眺め過ごしていました。
大切に和紙に包んだ硬貨 上半円には 日本国 ・ 御在位六十年・
下半円には 五百円 ・ 昭和六十一年の記念硬貨をみました。

124代今上天皇(後の 昭和天皇)の 「御在以昭和六十年」の記年
硬貨です。
この度 天皇御退位の上皇が「皇太子殿下」時代の記念硬貨です。
通常500円の通貨より一回り大きいです。
    
    (見やすくしました)
    
上皇后様のお力の偉大さは国民の斉しく尊敬し敬服申し上げる
ところでございます。
近々白内障の手術を為されるそうですが、 この手術のリスクは
非常に低いと聞かされております。

私のゴルフ狂は紫外線の浴び過ぎか、50歳代に手術をしました。
単身赴任中大坂の松下記念病院でしたが、 BGMを聞きながら
の手術で、 足を組んだりしながら気楽に済ませました。
夏休みをしようと個室で1週間ノンビリした思い出があります。




 




 
 



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草刈。

2019-04-24 19:19:19 | 思い出

1992年 バルセロナ五輪マラソン   「銀」 有森 裕子選手
1996年 アトランタ五輪マラソン    「銅」 有森 裕子選手
2000年 シドニー 五輪マラソン    「金」 高橋 尚子選手
1997年 世界陸上選手権アテネ    「金」 鈴木 博美選手

世界に名を轟かせた、日本女子マラソン選手を育成された功労者
小出 義雄氏が死亡為されました。享年80歳との事でございます。

選手の方々が、頑張ってゴールインされたときの表情や、表彰
国旗「日の丸」を掲揚されたあの日の場面が目に浮かびます。

小出さんがニコニコ顔で選手を讃えておられた場面を何回も拝見
せて戴きました。
功労者の小出さんには、2020の東京マラソンも是非ご覧頂きた
かったと、この度のお旅立ちが残念でなりません。
心より、ご冥福をお祈り申し上げます。

    

静かな一日でした。窓から見下ろす外は 除草機 の音でしたが、
何時しかウトウトと眠ったりしていたようでした。
こちらも、あちらも雑草が伸びてきました。





清掃も終わりです。






 

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紅茶と言えばセイロン

2019-04-22 20:00:00 | 思い出

昨11日 スリランカの教会など9か所で、同時爆発テロが起き多数
の死者、負傷者が出たニュースが世界を駆け巡りました。

209人の死者が出たとの事で心配していました。
邦人一人が死亡
され、四人の方が負傷されたようです。
負傷の方々に命の別状はなし
との事です。

私は、子供の頃から紅茶と言えば「セイロン紅茶」のみの記憶しか
なく育ってきました。
だから今でも地図であの島を見ると「セイロン島」と言っています。

記憶力の低下だか、再現力の老化か自信はあやふやで心配だが
2011年・第9回BFA U18が 日本横浜市の球場で開催されの時、
スリランカチームの試合が保土ケ谷球場で何試合か見ました。


内野ゴロを打って爆走は結構だが、フットスライディングされては
野手は脅威だっただろうし、キャッチャーファールフライにマスク
を振り投げ、ネット裏に猛進フェンスに激突起きられず救急車が来
るし・・・でなどがあり、冷や 冷やしながらの観戦だった。

前々から本国で指導を受けていたとかです、来日してからも桜丘
から指導も受けていたようで、帰国の時は
相当進歩したのが目に
見えて、試合運びも大変成長していました。
桜丘や慶応とは食事会もし,親善を高め帰国されたとも聞いた。

この大会は木製バットのルールでしたが、湘南ボーイズの強打者
であり東海大甲府の四番打者高橋修平選手は、ハマスタの外野
席へホームランを打ち込んだのも記憶しています。
そして大会のMVPでした。ドラフト1位で中日入団の彼です。
日大三高の横尾選手(日ハム)も、ホームランを見せました。

南国の平和で静かなセイロン島であってほしく願っている。
テロのない、平和な国 スリランカであって欲しいと祈ります。

 

 

 


 

 

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八十三年前の入学はこうだった。

2019-04-09 19:19:19 | 思い出

    
午前は、クリニックへ行ってきた。高血圧と言っても朝食後に1回
服用の薬を頂戴するだけの事である。
今回は5週間ぶんの薬を頂いて帰った。
天皇即位の国家的行事との関連もあり、G.Wの休日は10日間と
長期
に亘るのでと言う理由でした。

5月は誕生月なのでお決まりの胃等の内視鏡検査、 レントゲン
検査を予約してきた。



    
快晴で今日は1年生の黄色いランドセルもはっきりと識別できる。
全員集合を確認した後、「おはようございます」の挨拶。

第1グループから出発。



市営住宅の児童も…みんな明るく元気でした。

同じ子供の頃を思い出します。今日の事、昨日の事はすぐ忘れる
が、昔の事は忘れないものですね。
和服、袴の入学式でした。式場に入る前、池谷 よし子先生が、
ゆるんだ袴の紐を 締め直して下さった事を今でも思い出します。



 

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百年名家・湘南

2018-12-23 19:19:19 | 思い出

 古都 京都で催される全国高校女子&男子駅伝大会を迎える
   と、
年の押し詰まりを痛感します。

 午前女子、午後男子のほんの短い合間に、百年名家 湘南
 「大磯迎賓館」をBS朝日が放映していました。
 
 昭和28年24歳で世帯を持った頃の大磯駅前は、ただ砂利
 が敷かれただけの静かな広場で、夜は人通りも少なく暗くて
 淋しいくらいでした。
 
 駅から海側に向くとエリザベスサンダースホーム が右側に
 左側に建つのが 大磯迎賓館 でした。
 どちらも駅舎から 零分と言ってよい至近距離でした。  

 駅前は銀山 の緑一色で、その他の建造物は全く存在しない
 樹木だけが見える静かな広場でした。

 大磯迎賓館を挟むようにⅤ字型で左、右に1本ずつ広くも 狭く
 もない下り坂がありました。どちらも1号国道への道でした。
 右側の坂を下ると、有名大企業の社長さんであり、参議院議員
 でもあられた立派なお方様のお屋敷がありました。
 社名や、ご氏名は控えさせて頂きます。

 お屋敷から道路の向かい側に小さな住宅がありました。
 可愛い小さな門構えというより木戸 と称した方が正しいか
 と思うちっぽけな私の城でした。
 
 お隣は 三井 さんの別荘で周囲は音無し静かな世界でした。
 夜がシーンと更けると、庭で小さな何かの音がすると  怖い
 と乳児を抱え、座敷の真ん中でブルブル震えていたようです。
 
 仕事は忙しく、6時30分に会社を出るのが精一杯でした。
 東京駅から湘南で1時間20分で大磯です。
 駅から2分には助かりましたが、帰宅は早くても8時30分を
 越えがちです。 
 血統書付きの座敷犬スピッツ を買ってみたが愚痴は止まず
 横浜へ移ったことを思い出したりと、65年の昔の事を想い
 出す日曜日になってしまいました。

 然し、駅前がコンクリートの広場に変わり、坂道は土の道では
 なく、雨でぬかる事のないアスファルトなったのが昔とは大違
 い

 昔、広場の一角に、公衆用の白黒のテレビが設けられ、力道山
 の
プロレス放送を一杯の観衆が観戦し、どよめいた面影を今は
 語る人も少なくなった大磯の事でしょう。

 
ハテッ 今日の駅伝の優勝校はどこでしたっけ。見忘れました。 
 
  

 
 
 

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明日から見られぬ風景!

2018-11-23 20:00:00 | 思い出

 茅ヶ崎~橋本を結ぶ相模鉄道の事、神中線買収の事など生前
 の
歴史についての知識は全くない私です。
 横浜市の中区に住むようになったのは昭和32年、以来60年
 お世話になっております。
 相鉄さんには、二俣川に自動車運転免許証更新時に利用させ
 て
頂いてきました。
 
 開通当時は「天王町駅」はなく「星川」は「北程ケ谷」が駅名
 って本当ですか❔。
 一昨日は星川駅から和田町駅側へ向かう最初の踏切、今日は
 星川から 天王町駅側へ最初の踏切を写真撮影して来ました。
 今日でお別れ限り「長い事ご苦労様でした」と物言わぬ踏切
 に挨拶に行った気持ちでした。

 お爺ちゃんとお孫さんが、「今日で終わりだね」と話していた。
 
 踏切から星川駅を見る。
 
 星川駅 横浜行き上りのホームです。明日の始発からは頭上。
 
 ここから乗車は今日限り。
 
 明日から上り・下りとも高架です。下の工事は当分続くでしょう.
 
 駅員さんはエスカレーター工事は年越しになるかもとの事。
 左側上下、右側上下は橋川駅の工事関連の現状です。
  
  貼り物を撮ってきた。相変わらず下手な写真です。
 
 駅員さんに「終電から始発迄忙しい準備で大変ですね」
 と話して帰った。

  明朝(土曜日) 星川発 上り  横浜行き発車時刻表・・・5:11
        〃   下り  二俣川方面行   ・・・5:27




 


  

 
 
 

 

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正平さんの 「心旅」

2018-11-20 19:19:19 | 思い出

 二年程前から欠かさず親しみ 楽しんでんでいるテレビ番組は
 正平さんの「心旅」世界の「紀行番組」などです。
 「世界ふれあい街歩き」等も好みの番組です。
 
 「心旅」この秋は北海道から南下、今週は茨城県の巻。 
 
 先週の正平さんは猪苗代湖わき、115号道に登場されていた。
 猪苗代湖畔、野口英世氏の馬小屋と直結の質素な生家を
 見学。

 磐梯山裏の五色沼に宿泊の際、途中迄同じ115号を通行した事
 がある。
 
 夏休みは気に入りの白河高原でのゴルフ、毎年山籠もりを
 続けたので、周囲を知り尽している。
 ゴルフの後は新甲子温泉からロッジにひいた温泉に浸かり、
 近くの牧場へ行って搾られた濃い牛乳 を飲んだものでした。
 正平さんは思い出を蘇らせてくれるので有難い次第である。
 
 今日の「じゅん散歩」は 品川新駅
 中学は 大森から上野迄の省線で、毎日品川駅を眺めての
 通学。 

 昔を知るだけに最近の品川の大変化にはただ吃驚の連続で
 ある。

 駅の海側に大きな場があったなど想像できますか
    

 品川駅から泉岳寺方向へ向かって500㍍ほど歩くと国道沿い
 に「東禅寺」というお寺があります。
 明治維新の徳川幕府と官軍が江戸を燃やすこと無きようにと
 談判を重ね向き合った寺と聞いています
 
 国道沿いでありながら塀に囲まれ 重々しい通用門を開けて
 入ると、美しい庭は砂利が敷き詰められていた静けさの名刹で
 した。
 (七十七年も昔の事であるので自信は確信に非ずですが)

 この東禅寺は、恩人F社々長の菩提寺でした。 
 品川新駅の真正面ぐらいかな、地図によれば今は国道より
 少々
奥まった所に移動されたようでした。
 ご焼香に参上しなくてはと考えています。
 
 
 

 


 
  
   

 
 

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