六畳の神殿

私の神さまは様々な姿をしています。他者の善意、自分の良心、自然、文化、季節、社会・・それらへの祈りの記。

コアラよ お前もか・・

2005年06月13日 | 自然関連
5月24日の読売新聞に、こんな記事が載った。

 『オーストラリア南部カンガルー島でコアラが大繁殖し、ユーカリを食い荒らすため、島の北東部では立ち枯れ被害が深刻化。南オーストラリア州政府は今後4年間かけて約3億3千万円相当の資金を投入し、不妊手術による数の抑制を図る』。

 ああ、コアラよ お前もか・・。

 小さな囲み記事なのでこれ以上のことは分からないが、おそらくこの島にはもともとコアラは居なかったのだろう。『1920年代に持ち込まれた18頭から始まって、現在は約2万7千頭が生息』とある。

 人間というのは本当に浅はかだ。コアラのことならコアラのことしか考えない。稀少で可愛いから何とか増やしたい一心で移入したのだろうけれど。

 良かれと思って、したことなんだろうけど。

 動物も植物も、昆虫も微生物も土壌も、地史的な時間スケールの中でその場所に位置づけ(ニッチ)を獲得してきた存在だ。
 そのことを、人間はあまりに軽く見ている(それとも、壮大すぎて目に入らないのか)。
 種の絶滅や、いなかった種を他所から持ち込むというのは、『地史スケールの時間』を掻き乱す行為。本当は、すごく恐ろしい事をしているのに。
 その自覚が無いから、生態系の構成メンバー(種組成)が変わっても平気で、無頓着でいられる。畏れなどみじんも感じない。 

 本当は、本来の生息場所でその生き物が本来の生き方ができるように、ヒトが勝手なふるまいをちょっと我慢したり、ほんの少し手助けするだけでよかったのに。そして、結局はそれが一番安上がりだったのに。
 ヒトが自然のルールを無視し、「ちょっとの我慢もイヤだ!オレには権利がある!」と欲望をフル稼働させ、仕方なく代替として安易に野生をいじったために、後になって多額の公的資金の投入を余儀なくされる。

 しかも「もともとこの島にコアラはいなかったのだから、ゼロに戻そう」って議論にはならない。南オーストラリア州政府の対応は、いじっちゃったモン勝ちを認め、事なかれの先延ばしで誤魔化してるだけ。

 こんな対応、良くないよ。

 「それって、コアラを駆除しろってこと?」と目を吊り上げる人がいるかもしれない。何万頭にもなったコアラを捕獲処分するべきなんて、何てひどいことを考えるのだ、愛護精神にもとる、非人道的な冷血漢の発想だ・・と責められそうだ。

 だけど、愛護も人道も「人が決めたルール」。自然が、『時間』が、決めたことではない。
 「人の考え決めた事」を理由に、自然を思いのままに扱おうとすることは、とんでもない思い上がり。その発想の不遜さに、気づいて欲しいと思う。

 人の価値観を野生に拡大するな。人の尺度で自然を測るな。

 人が行なった、誤った過去の行為の報いとして、駆除する「心の痛み」を、我々人間は真正面から受け止めるべきなのだ、本来は。

 真綿で首をしめるみたいにじわじわ頭数を減らしていく不妊作戦なんて、コアラが可哀想でしかたがないよ・・・

 ・・って、アレレ? (^^;)やっぱ私のも感情論か?

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