六畳の神殿

私の神さまは様々な姿をしています。他者の善意、自分の良心、自然、文化、季節、社会・・それらへの祈りの記。

連ドラ

2006年02月08日 | 日々のこと
 NHKの朝ドラと大河は、習慣でいつも見ているが、久々に、民放の連ドラを毎週欠かさず見ている。
 今日もやっていた、水曜22時からの「神はサイコロを振らない」だ。

 死んだはずの大切な人たちが、10年の時を越えて戻ってくるという設定。私はもともとSF全般が好きだし、ダーリンもタイムパラドクス物は好みなので、二人で毎週見ている。

 ドラマは、発端となる事故が96年に起きたという設定だが、私は94年に兄を亡くしているので、10年という《時間の長さ》とその時代背景が、妙にリアルというか、他人事とは思えない感じで・・。90年代半ばは、オウム事件とか阪神淡路大震災とか、未曾有の、あるいは理不尽な出来事に巻き込まれた人が多かったと思うので、同様の想いで見ている人は少なくないのではないだろうか。

 10年という時間の、重さ。後悔だらけの突然の別れ。変わっていく自分と世界、そして止まったままの時計。

 おかげで、第1回から号泣だった。
 「女にとってはね。18から28までの10年と、28から38までの10年は違うの」
 むーん・・深い。ただでさえそうなのに、喪失体験が加わって、誰とも共有できない時間が形作った現在の自分を、他でもない、10年前の大切な人から問われる。
 お・・重い・・
 その主人公を演じるのが小林聡美ってのが、絶妙ですな。キャスティングの勝利というか。実は私は、彼女ってあまり好みの女優さんではないのだが、このドラマでは本当に良い。演技力があるので安心して見ていられるし、それゆえストーリーに素直に没入できる。

 今日の回も、キタなー。
 96年からの10年。この国の何がどう変わったのか。考えてみればすごく曖昧でとらえどころがない。でも、変わったのは確か。それをどう要約し説明すればよいだろう。そもそも私たちは、10年前のあの人に、「進歩したでしょう」と胸をはって《今》を報告できるだろうか。

 そして姉弟ケンカのシーン。
 「10年前の夢をあきらめたのは、ボクだけじゃないでしょ」
 「自分の人生がうまくいかなかったのを、時代のせいにするんじゃないよ」
 お互いに深く理解し合っているからこその苛立ち。そのまま自分自身にはね返ってくる痛み。10年前をそのまま今にもってくるということは、時に、こんなにも残酷だ。

 とりわけ私が気になっているのは、ピアニスト少女とその母のエピソード。限られた時間の中で、あの未熟な二人は果たして分かり合うことができるのか。できたとしても「黄泉がえり」のラストみたいな切なさは必然だろう、だから早く、早く素直になれよぉ、と応援せずにはいられない。

 そして本当はきっと、それは誰もが同じ。相手が、命が、いつまでもそこにあると思っているから、つい怠けたり甘えたり乱暴になったりしてしまう。そして、いざというときに後悔だけが残る。その後悔とともに過ごす10年を知っているからこそ、10年前と同じ自分でいてはいけない、と思うし、だから今回のラストでヤッチはああいう結論を出したんだと思う・・違うかな。今後、変わってくるのかな。

 あーもう、大杉漣演じるアホな教授の《「理論間違ってました~」んなのアリ?ハッピーエンド》にして欲しいよー、切ないよー、んでも今後の展開が気になって、見ずにはいられないよー。

 ともさかりえ演じるアッチのポジティブさが、本当に救いだ。女の人生、これでなくちゃイカン。自分自身やりきれないだろうに、それに流されず、残されるヤッチを思い遣って限られた日々を明るく充実して過ごそうとする、これこそ女の中の女だ。こういう強さを、私も持ちたいと思う。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿