つれづれに 

老いてゆく日々、興味ある出来事に私見を添えた、オールドレディーの雑記帳です。

歌を忘れたカナリア???・・・   

2012-03-06 | 私事ですが

 私は小さい頃から歌が好きだった。テレビのない時代にはラジオから聞こえてくる歌を聞いて覚えたものである。下手の横好きというやつで、誰に教えてもらったのか、私が生まれる前に流行った古い歌謡曲でもよく知っているし、特に、童謡・唱歌は好きである。

 昨今はカラオケ施設もおしゃれになった。ちなみに、カラオケの発祥は1970年代だそうである。当時、カラオケはスナックなど飲食店で来店客へのサービスとして設置されていて、酒代とは別に1曲いくらで請求された。若い頃は友人たちとよく行ったもので、なじみのスナックでマイクを握ったら離さないというくらいハマッた時代もある。
 カラオケの技術が発達してくるとカラオケボックスの登場である。最初に登場したのは1985年ころだそうだが、後に一般家庭にもカラオケ機器が普及し、今では子どもからお年寄りまでが一緒になって楽しめる娯楽の一つとなっている。      
 とはいうものの、私はこれまでカラオケボックスへは一度も行ったことがない。カラオケボックスが大盛況の頃はどこでも順番待ちで、予約もなかなか取れないという状況だった。わざわざ予約してまでもと言っているうちに行きそびれたということもあるが、50歳前に発症したぜん息のせいで肺活量が減り、のどの調子も悪くて、カラオケどころではなかったのである。
 その後、体調が良くなって、テレビの歌番組で歌手について歌ってみたら、高音はかすれて出ないし、音程が崩れるしで、すっかり音痴になっていた。医者にそれを訴えたら「常用しているぜん息治療の吸入薬には声帯への副作用が明記されている。充分にうがいをしなかったのでは?」という。20数年も使い続けていればこれしきの副作用は仕方ないのだろうが、歌が歌えないというのはショックだった。   

 私の亡母が70歳過ぎたころか、息が続かない、声がかすれて出にくいというので病院へ連れて行ったことがある。医者は「声帯が萎縮して隙間ができているため声が出にくいのだろう。加齢と共に声帯も老化するのでどうしようもない」という。手足と同じで、声帯も適当に使ってやらなければ機能が低下するということだ。私も1人暮らしであまりしゃべることがないので、声帯が老化して声が出なくなったら大変だ。
 そこで思いついたのが、毎日、歌を歌うことである。というわけで、昨年の5月頃だったか、野ばら社発刊『美しき日本のうた』という数字譜入りの歌本を買った。プールへの往復道を歌いながら歩いていて、後ろを振り返るとジョギングの男性が笑っていたということもあって、恥ずかしいので歩きながら歌うのは止めたが、今は毎日夕方、クロスバイクを漕ぎながら20分間歌うことにしている。童謡や唱歌はメロディーは単調でも高音の歌が多いので、なかなかうまく歌えない。

 『美しき日本のうた』には童謡、唱歌の他、叙情歌、寮歌など全200曲を収録されていて、それらの歌は「四季の風景」「幼かりし日々」「懐かしき心のふるさと」「美しき日本の調べ」「異国への想い」「還らざる青春」「希望の並木路」という項目に分類されている。増訂版『美しき日本のうた』は全212曲、旧版より12曲増えている。  
 この本は「春が来た」で始まり「蛍の光」で終わる。明治・大正時代の尋常小学唱歌、昭和初期から戦前・前後に歌われた童謡、NHKラジオ歌謡、地方の子守歌、青春賛歌、外国の歌など、懐かしい歌がいっぱいある。曲名は覚えているが、出だし音がうろ覚えでという歌でも、譜面が付いているのでそれをなぞってゆけば、不思議とメロディーを思い出してくる。   
 叙情的な美しい詩歌の作詞者はとみれば、北原白秋、野口雨情、三木露風、西条八十、サトウハチロー、島崎藤村の諸氏、どうりで人の心に沁みいるわけだ。しかし、みんなが知っている有名な歌でも作詞・作者名不詳というのがわりとたくさんある。  
 1番しか知らずに歌っていた「妻をめとらば才たけて……」で始まる「人の恋うる歌」は作詞が与謝野鉄幹だったこと、歌が16番まであると初めて知った。「惜別の歌」も好きな歌だが、作詞が島崎藤村だと始めて知った。
 
旧制高校寮歌には知らない歌が多く、歌えるのは「あゝ玉杯に花うけて(一高寮歌)」「琵琶湖周航の歌(三高寮歌)」の2曲だけである。
 この歌はこの人の作曲だったのか、この人の作詞だったのかと初めて気付く。何気なく歌っていた歌詞も、文字で見ると意味の違いに気付く。どの曲をとっても嫌いな歌はない。何度歌ってもあきることがない。昔の歌はどうしてこうも人を感動させるのか。

 この200曲のうち歌えないのは45曲、残り155曲を覚えていたとは、まだボケていないということだよね。 
もう7順目を歌い終わったが、以前よりは少し高音が出てきたように思う。歌を忘れたカナリア? ならぬ老カラスは、後ろの山に捨てられぬように頑張って歌い続けるよ。

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4 コメント

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カラオケボックス (渡海 ひろまさ)
2012-03-07 07:58:52
おはようございます。
私も歌が好きで、毎日下手な横好きで歌っていますよ(笑)
機会があればカラオケボックスへ、友人達と行っています
カラオケボックスだと、大きな声で歌えるのがいいですね。
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Unknown (オールドレディー)
2012-03-07 09:49:05
♠渡海ひろまささま
私もカラオケをやりたいのですが、今の調子ではとても歌えません。
男性歌手の歌なら音階が低いのでまだいいのですが、女性歌手の歌はまったく高音がでないのです。
昔はよく歌っていたのですけれどね。
返信する
喘息と音痴 (スヌー)
2012-05-14 07:25:53
カナリヤの詩が あまり残酷で どうしてかしらと思ったら このブログに出会いました。そこで 発見!喘息暦30年の私が 音痴なわけ
今でも吸入器に頼らない日はありませんが
それにしても カナリヤは そこまでしなくても と思いませんか?むちで打たれたり
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Unknown (オールドレディー)
2012-05-14 08:45:20
♠スヌーさま
コメントありがとうございます。

『カナリヤ』の歌の2番は「背戸の小藪にいけましょか(埋めましょか)」、3番は「柳の鞭でぶちましょか」ですね。西条八十の作詞ですが、何かイメージが違ってきますね。
また、『てるてる坊主』の3番の歌詞「それでも曇って泣いてたら そなたの首をチョンと切るぞ」なんて怖いですよね。

私もこれらの歌を歌うたびに、昔の人は残酷だなあ、今ならこんな歌詞の歌が発表されたら世論の反発は必至でしょうね。特に母親から猛抗議されるだろうなあと、いつも思います。
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