つれづれに 

老いてゆく日々、興味ある出来事に私見を添えた、オールドレディーの雑記帳です。

死刑か無期懲役か、裁判員の苦悩・・・

2010-11-05 | やりきれません
 「ふとしたときに遺族や被告の顔が浮かび、心が安らぐことはなかった」――。耳かき店員ら殺害事件の判決言い渡し後、裁判員の1人はこう語ったそうだ。今回は補充裁判員経験者の男性2人は記者会見に臨んだが、裁判員はだれも記者会見には応じなかったという。そのことからも、裁判員たちがいかに苦悩したかがうかがえる。
 裁判員制度が施行されてから1年5ヶ月、裁判員裁判では初めての死刑求刑で、まったくの素人がどういう判断をするのかが注目された。判決は無期懲役。この判決が妥当かどうか、自分だったらどういう判断をしただろうかと考えてみたが、2人の人間を殺した罪は死刑に値するとは思うものの、ごく単純に考えて自分の下した決断が被告の一生を左右するとなると、やはり躊躇する気持ちが強く、結論を出すことができないでいる。

 この判決について書かれたある記事中に、『無期懲役とは「受刑者が死亡するまで刑を科す」刑罰であり、「刑期の上限を定めない」刑罰という意味ではない。だからもし刑期中に仮釈放が認められたとしても、受刑者は生涯を通じて保護観察処分の対象になる。
 その仮釈放についても、近年は間口が狭くなり、ほとんど認められないといってよい。認められる場合でも現状の平均では、少なくとも30年以上は刑務所に収容されてからということになる。つまり、裁判員裁判で死刑が回避された今回の被告人が将来的に仮釈放を認められるとしても、そのときには70歳を過ぎた高齢になっている。―後略―。』とあった。これは、「2005年の刑法改正で、有期刑の上限が20年から30年となったため、30年以上の服役が必定である」ということからそうなったようである。 
 しかし、過去に、無期懲役刑は死刑より残酷であり、その苦痛に耐えがたいと死刑判決後6ヶ月以内の刑の執行を強く望んだ被告もいた。2001年6月に起きた、大阪の池田小学校事件の犯人・宅間守である。彼は、公判中から死刑を望む発言をし、謝罪もなく反省の態度も見られなかった。こういう被告ならば裁判員も死刑を宣告することにそれほど悩むことはないだろう。
 この事件は、誰が考えても死刑以外には考えられない凶悪な事件であったから、私個人としては、むしろ本人が望む死刑であっさり死なせるのではなく、無期懲役刑で一生刑務所に閉じ込め、生きて地獄の苦しみを味わえばいいとさえ思った。が、2003年8月の死刑確定から1年後の2004年9月、大阪拘置所で死刑が執行された。結果的には彼の望んだ通りの早期の死刑執行となったことが残念ですらあった。

 死刑を適用すべきかどうかを決める際の精神的重圧は、実際に経験した者でなければ分からないだろう。それに、裁判員には守秘義務が課せられているため、評議の内容を将来にわたって口外することは許されないとあり、これも大きな心理的負担になるだろうと思う。そのため、最高裁は、裁判員経験者らを対象に、臨床心理士などが応対する相談窓口を設けているそうであるが、死刑を決断した裁判員の心はそんなことで軽くなるとは思えない。
 裁判員に選出されても70歳過ぎた人は特別の理由がなくても辞退できるそうだが、思考力も集中力も衰えた年寄りにその精神的重圧に耐えられるとは思えず、これは当然の措置だと思われる。この後も、鹿児島県の高齢夫婦殺害事件、米子市の強盗殺人など、死刑が求刑されるであろう裁判が続く。が、選任されても辞退する人が多いというなか、これまでの裁判員諸氏もそうだが、これから裁判員裁判に参加し、真剣に責務を果たそうとする人たちの勇気には感服するばかりである。
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