18日のNHKニュースを見ていたら、ワシントンで開かれるG20に出席する麻生副総理兼財務大臣の姿があった。黒のソフト帽を斜めにかぶり、黒のコートを左肩に引っ掛けた、全身黒づくめのスタイルはまるでマフィアのボス。が、このスタイルは初めてではなく、前回はやはりソフト帽に膝下まである黒のロングコートを着用して皆を驚かせた。こんなスタイルはこの御仁でなければできないことで、もう少し背が高くければ意外とカッコいいのかもしれない。
G20では日銀の黒田新総裁の大胆な金融緩和がひとまず許容された。記者会見で麻生氏は英語でスピーチ、時折ジョークを交えて自信満々のご様子。ギャングスタイルもメディアの話題の的になったとか、よかった、よかった。
それはよしとして、党内では「ポスト安倍を意識している」と言われている麻生氏、このところ無難な国会答弁を続けていたようだが、やはり“麻生節”は健在だった。16日の衆院予算委員会で、医療費をめぐって物議を醸しそうな持論を展開したという。「私は72歳だが、病院に行ったことはほとんどない。そうじゃない人もたくさんいる。飲みたいだけ飲み、やりたいだけやり、いい加減に生きて。そういう人たちの医療費を俺が払ってると思うと、ばかばかしくなる」と語ったという。
医療費の増大などで、社会保障費は30兆円台に迫っている現状を考えれば、もっともな発言だと思う。が、野党はすぐに反応し、ここぞとばかり批判するから怖い。麻生氏はその後、健康なら保険料が還元されるような制度を導入すべきだという持論を主張したそうだ。その制度については、30年くらい前だったと思うが、かつて私が住んでいた津山市では1年間健康保険を使わなかったら記念品がもらえた。私も2回、ヘルスメーターなどの健康グッズをもらったことがある。こういう制度は良策だと思うのだが、保険料未納者が多く、医療費が増大する一方の今、厚労省は取り立てたものを返すなどもっての他と思うだろう。
麻生氏は、今年の初めにも終末期医療について発言し、物議を醸している。社会保障制度改革国民会議で財政負担が重い現状を指摘し、そのうえで「私は少なくとも遺書を書いて、そういうことをしてもらう必要はない、さっさと死ぬからと書いて渡しているが、そういうことができないと死ねません」「いいかげん死にたいと思っても『生きられますから』なんて生かされたんじゃ、かなわない。しかも政府の金で(高額医療を)やってもらっていると思うと寝覚めが悪い。さっさと死ねるようにしてもらわないと」と述べたという。
メディアはその日の午後には「不適当発言」と報道、民主党の細野幹事長は「とにかく生きようと頑張っている人の意思は尊重すべきだ」などと批判したという。しかし、麻生氏の発言の内容を冷静に解釈すると、「生きようと頑張っている人」の医療を中止しろという意味ではなく、終末期の過ごし方に対してもっと自己決定権を与えようという意味だろうという識者もいて、肯定的な意見も少なくなかったという。
麻生氏の失言は首相時代からであるが、他はともかくとして、この医療費を巡っての発言と終末期医療についての発言は、私は不適当だとは思わない。口にこそ出さないが、これは大方の人の本音であり、きれいごとで穏便にやり過ごそうとする政治家より正直でいいと思う。とくに、少子化高齢化社会となる日本の将来を考えると、高齢者のご機嫌取りばかりしていてはいけない。それが分かっていても選挙での1票が惜しくていいことばかり言う政治家はダメ、建前ではなく現実を見据え、はっきり本音をいう政治家がいてもいいと思う。が、相手に批判されて、すぐに訂正、謝罪するくらいなら軽々しく発言すべきではない。
我が兄は、まさに今その状況にある。今でもそう思っているかと確かめたいがなかなか言い出せない。人間の死を決めるは難しい。
自動車保険でも事故を起こさないと次年度は保険料は減額されていきます。(事故多発の場合ど~んと増額)
これって当たり前ですよね。
終末医療も75歳(後期高齢時)で、一度本人の意思確認する方法ないのでしょうか?
誰しも、いざ死を目の前にすると心穏やかではいられなくなるでしょうね。でも、日頃から自分の死について考えておく必要があるように思います。
生きていたいという目標も楽しみもなければ諦めというか、ケ・セラセラの心境になれるかも…。いえ、私はそうなりたいと思います。
健康保険をほとんど使わないとはご立派ですね。
高齢者の医療費が増加するというのも、抱えるほどの大量の薬を出す病院側にも責任があります。
それに、大したことはなくても待合室をサロン代わりにおしゃべりに花をさかす人が多いというのも困りますね。
国民一人ひとりの意識の問題でもあるように思いますが、誰しもわが身第一です。
まさか、健康保険の1ヶ月の使用量を制限するわけにもいきませんしね。