2日の記事から。【東日本大震災の被災3県に期限付きで出向していた全国の警察官750人のうち21人が1日、宮城、岩手両県警に転籍し、被災地のため力を尽くすことになった。「警察官人生すべてを被災者の安全、安心にささげる」と使命感に燃えている。
750人の警察官は震災後に新設された特別出向制度に基づき、昨年2月から1年2カ月の任期で派遣され、被災地の治安維持にあたってきた。このうち270人を受け入れた宮城県警では警視庁と大阪府警の計6人が、130人を受け入れた岩手県警には同庁から15人が転籍した。―以下省略―】
昨今、警察官の不祥事が相次ぐ中、こうした使命感に燃える若い警察官の存在は、国民の警察に対する信頼回復の一助にもなろうか。警察官が憧れる花形部署と言えば、映画やテレビドラマに出てくる警視庁警護課(SP)や捜査課刑事、箱根駅伝やマラソンで先頭のランナーを先導する白バイ警官などか? しかし、いまだ復興の進まぬ被災地で、仮設住宅のパトロールや住民の話し相手など、華やかさもカッコよくもない地味な仕事に自分の人生をかけようと、特別出向の募集に真っ先に手を挙げたという。縁もゆかりもない異郷の地で、被災者の人々のために骨を埋める覚悟をしたという、その崇高な志には、ただただ頭が下がる思いである。
東日本大震災後、全国から多くの警察官や自衛官、消防士が集まり、がれきの処理や遺体捜索など、土まみれ、汗まみれになって懸命に活動する姿を何度かニュースで目にした。きつい・汚い・危険の3K作業を厭うでもなく、命を賭して取り組んでいる彼らには感謝と感動を覚えたものである。そうした彼らの姿を見て、将来、警察官や自衛官、消防士になりたいと発奮した若者も少なくないと聞く。
余談だが、今年、高校を卒業した姪の長男は、大学進学を勧める祖母たちの声には耳を貸さず、航空自衛官を志望、その固い決意はぶれることはなかった。いつの頃からか、ドクターヘリのパイロットに憧れていたそうだが、学力優秀というわけでもなく、3年間野球に情熱を傾けた根性だけが取り柄の普通の少年である。それに、パイロット養成学校へ行くには1千万円近い費用がかかるという。相当悩んだらしいが、空への憧れは捨てきれず、航空自衛官になって航空機に関連する職種に就きたいという。祖母たちは大学を卒業してからだと幹部候補生に志願できるからと説得したらしいが、4年もの年月を回り道したくないと頑として聞かなかった。
夏休みに入ると、連日、近隣の自衛隊事務所に通い、担当者から色々とアドバイスや受験のための特訓を受けていたようである。また、もし不合格の場合は専門学校へ行って公務員資格を取り、消防士のレスキュー隊員を目指すと入学手続きも済ませていた。ある時、私が「なぜ航空自衛官か消防士なの?」と聞くと、「人の命を救う仕事に就きたい」とカッコいい答えが返ってきたのにはびっくり。東日本大震災で活躍する自衛隊員や消防士の姿に影響を受けたのだろうか、そうした志を持って自分の進む道を決めた彼を頼もしく思った。
昨年秋に岡山市で行われた試験に合格、自分の第一志望が叶って大喜びしていた。それからは余裕の日々で、普通車と大型自動二輪の免許を取得、父親に大型バイクを買ってもらい、ネットで見つけたツーリングクラブに入会。会員は白バイ隊員や自衛官など中年のオジサンたちで、四国へ初の長距離ツーリング。社会人とのいい出会いをしたようで、夏には九州への参加も予定しているという。好きな野球に熱中し、先輩、友人に恵まれ、悔いのない青春時代を過ごしたようだし、自分の目指す道に進むことができる彼は幸せである。社会人になってからもいい出会いをし、仕事に遊びに充実した人生を送ってくれる事を祈っている。
3月31日、彼は山口防府基地へ出発していった。10日の入隊式後は3ヶ月の厳しい訓練生活が待っている。それが終わると各隊員は各術科学校に入校し、さらに専門の教育を受けることになるという。どこの地へ行こうとも当初の志を忘れず、立派に職責を果たしてほしい。
御自分で進路を決め、その準備を着々とすすめてぶれない
ところもすごいです。
親御さんも頼もしく見守ってこられたのでしょうね。
これからは、航空自衛隊に親しみがわきます。
ありがとうございます。
父母の2人の祖母は昔人間なので、自衛隊というと戦争を想起するらしく、旅立つ前日まで愚痴ってはウルウル。
でも、本人は好きな道を進むことにやる気満々。後悔することはないでしょう。
昨今の不況で、安定志向か、公務員志望が多いそうですが、そんな気持ちでは厳しい訓練には耐えられないでしょうね。
連休には帰省するそうですから楽しみです。