何かしてます。

 無職だって退屈してません。「何か」してます。「何か」ってなんだ?

母の日パーティー

2007年05月13日 13時51分10秒 | 近況
 昨夜、私ども夫婦とばあちゃんと長男家族と長女夫婦が集まり「母の日パーティー」を開催した。
 カーネーションの花束をもらい、妻は照れ笑いしながら喜んでいた。
 今まで、子供達からはたくさんの喜びと幸せをもらってきた。今後も、今までにも増した楽しいお付き合いができるでしょう。
 そのうえ、「母の日」などといって感謝されたり、プレゼントをもらったり、『母親とは』、『親業とは』いい商売である。

 先ほど、妻の甥が大きなケーキをもってきてくれた。私もお相伴にあずかった。

今日はなんの日?(42年前の5月14日)

2007年05月13日 12時11分17秒 | 今日は何の日
 5月14日は、親父の42回目の命日です。
 誰でもいつかは親父の死に目に遭遇します。いつかは分からないけれどそれは、必ずやってきます。

 私が20歳のときのことです。2ヶ月の予定で東京都小平市にある職場の研修施設(全寮制)に入っていました。午後9時ころだったと思いますが、「父危篤」の連絡があった。
  親父は「どこか具合が悪い。入院して検査を受ける。」と言って、自分から日赤に入院して胃カメラ等の検査を受けていた。研修に来る前日に見舞いに行ったときには、食堂で飯を食わせてくれながら、「色々検査をしているが、病名が分からない。先日、肋間神経痛の薬を飲んだら調子がよくなった。」などと言っていた。親父は3年前に胃がんの摘出手術をしているので、私としては、「胃がんの再発」を心配していたが、そんな様子はまったくなかった。

 友人から金を借りて夜汽車に飛び乗った。上野からは寝台車だった。高崎駅から天神町の我が家までタクシー、そして愛車のホンダドリーム250ccをぶっ飛ばした。

 親父は洗面器いっぱいの大量吐血してすでに意識不明だった。そのまま意識が戻らないまま逝った。

 担当医師から「吐血の原因が解らない。解剖させてくれ。」と腹立たしい要請があり、やむなく承諾した。原因は胃がんのため、胃壁に穴が開いたと説明を受けた。癌が死角にあったため検査で発見できなかったと医師はくどくどと言い訳した。
 
 最近は夢にも出てこないなぁー・・・・。
 
 千の風になったとも思えないしなぁー・・・・・。

 
 
 
 
  

 

今日はなんの日?(5月13日~母の日)

2007年05月12日 23時27分49秒 | 今日は何の日
 私には母と呼べる人が4人いる。

 一人は云わずと知れた実母である。平成14年、86歳で亡くなった。
          
若いころは、横浜の大きな病院でナースをしていた。美人だった。


 一人は妻の母親です。今年94歳、元気で毎日ディに通っています。
          


 一人は、成田町のおかあさんです。
 私が高崎で過ごした独身時代前期に息子のように面倒をみてくれた。
          
 夜昼なく、この路地を入った奥にある家(今は空家)に遊びに行き、ご飯などを食べさせてもらったものである。


 一人は渋川のおかあさんです。
 24歳から25歳までの約2年間を過ごした下宿のおばちゃんである。旅館の女将をしていたが、旦那さんを亡くしてから、社会奉仕的感覚で私ともう一人の同僚の2人だけを下宿させてくれた。親にも劣らぬほど親身に世話をしてくれた。

 


           

体重調節(プーアル茶の継続)

2007年05月10日 22時34分47秒 | 体重調節
 高校生時代の写真を見た。(思い出アーカイブスー迦葉山参照)
 無理かもしれないが、あのころのスタイルに少しでも近づきたいと思い、体重調節を継続することとした。
 ネット検索して楽天市場で、中国で買ってきたものとまったく同じプーアル茶を見つけた。早速注文しておいたところ、本日届いた。
 10個入り一袋・1000円、2袋買った。
 中国で買ったものは50個入っていたので、そんなに高いお土産ではなかったかななどと思った。
 さて体重調節効果を期待して、プーアル茶の美味さと風味を楽しもう。

思い出アーカイブス(迦葉山)

2007年05月07日 11時49分51秒 | 学生時代
       
 47年前(昭和35年・1960年、親父51歳、私16歳)の夏
 迦葉山弥勒寺和尚台の頂上
で撮影したものです。親父と登った最後の迦葉山でした。おそらく弟が一緒だったと思う。

 我が家は、夏休みに親父が子供達を迦葉山に連れてゆくのが毎年の恒例行事であった。現在は自動車で弥勒寺まで登るが当時は、下のお土産屋までバスで行き、歩いて山門、湧き水、馬隠れの大杉を経て弥勒寺まで登った。そして、更に登り和尚台まで行った。
 和尚台は大きな岩山で、鎖をよじ登って頂上に至る。「お前はまだ無理だ。」と言われ、親父と兄貴が登るのを下で待っていた記憶がある。おそらく小学1~2年生ころだったのか。?
 おふくろも何回か行ったことがある。義足の姉を引っ張り上げたこともあった。
 
 まもなく、親父の42回目の命日を迎えます。
       
 

体重調節

2007年05月05日 14時36分51秒 | 体重調節
 昨年夏の大腸ポリープ摘出手術以来、体重調節に気を配った結果、同年12月24日の体重は66.25キログラムだった。

 お正月は「冥土の旅の一里塚」なのだから体重調整など考えないで飲み食いすることとした。お正月気分は2ヶ月続き本年3月8日に体重を計ったところ、70.45キログラム、3.75キログラム増加していた。

 すでに3月10日のブログで宣言したところですが、このとき『中国茶でメタボ脱出』を決意した。

 それ以来、北京旅行で買ってきた中国茶のうち、プーアル茶を飲み続けた。

 昨日(5月4日)計ったら70.85キログラム。ほぼ現状維持である。

 通常ならば3~4キロくらい増加していたかもしれないのに、現状維持ということは、プーアル茶の効果が認められる。

 しかしメタボ脱出には、ほど遠い。残りの中国茶を飲み続けるとともに、何か減量効果がある方法を実践しなければならない。
      
           (50個入りのうち、45個を飲んだ。) 
 


思い出アーカイブス(高崎~独身時代前期)

2007年05月04日 15時16分18秒 | 思い出アーカイブス

 5月2日、たまたま映画「黄色い涙」を見た。人気グループ『嵐』を配した昭和38年(1963)のひと夏を時代背景にした青春物語だった。
 これをきっかけに私の『その時代』を思い返す気になり、その当時住んでいた住居を自転車で一回りした。驚いたことにほぼ当時のままで残っていた。

昭和38年(1963)3月に高校を卒業、すぐ就職し1年間の研修を終え、翌39年高崎に赴任した。そして満19歳8ヶ月から21歳7ヶ月までの約2年4ヶ月間、高崎で過ごした。

      
 「天神町の我が家」と呼んでいた貸家です。
 赴任した昭和39年4月から翌40年秋ころまで、独身の同僚5~6人と一緒に住み、共同生活をしていた。
● 39年4月下旬ころ、柔道の練習をしていて『肩鎖関節脱臼」の怪我、1ヶ月間実家に帰って治療
● 同年9月中旬ころ、交通事故で『右足首骨折』の怪我、3ヶ月の入院(昇給停止1回)
● 入院中、彼女ができた。
● 40年5月14日、親父が逝った。
● 同年夏ころ自損交通事故、高さ15メートルの崖から転落し全身打撲(軽傷)、ジープ1台を廃車。(戒告処分)
  (同年秋ころ、共同生活に飽きて転居を考える。)




 「3畳一間の間借り」の我が家です。(看板の付いている部分の一部屋)
 彼女が見つけてくれました。

 「3畳一間では人間は住めない。」ことが分かり、1~2週間で転居した。

      
  「4.5畳、共同便所のアパート」です。
 昭和40年秋後半から41年3月まで住んでいました。どのような経緯でこのアパートをみつけたか記憶にない。

● 41年2月、重大事故を惹き起こす。他人に傷害を負わせ、自分自身も怪我をして1ヶ月入院した。事故は新聞の全国版に載った。今なら間違いなく首になるほどの事故だった。(停職処分)

※ この後勤務先の独身寮に入り、彼女とも別れて同年8月渋川に転勤した。

  8年後に別れたはずの彼女と結婚して子供二人を育て上げ、偉くはなれなかったが(自分で言うのもなんだが)立派な職業人として定年退職を迎えて、現在に至っている。
    めでたし! めでたし・・・・・

      


読書

2007年05月01日 15時30分41秒 | 読書

 老眼になってから活字が嫌いになり、ここ数年ほとんど読書していなかった。
 昨年7月14日から10日間入院した際、長男の嫁が小説を差し入れてくれた。
 これがきっかけでポツリポツリと、次に羅列した本を読んだ。
 最近は、また嫌いになりほとんど読んでいない。

① 地下鉄にのって(浅田次郎)
② 第三の時効(横山秀夫)
  (嫁さんが差し入れてくれた。) 
③ 動機(横山秀夫)
④ 半落ち(横山秀夫)
  (この作者にこったが、2冊で飽きた。)
⑤ 蝉ひぐれ(藤沢周平)
⑥ 秘太刀 馬の骨(藤沢周平)
 (本来の好みに返った。テレビでもやっていたし・・)
⑦ 類猿人ターザン(エドガー・ライス・バロウズ)
⑧ ターザンの復讐
⑨ 野獣王ターザン
⑩ 恐怖王ターザン
 (古本屋でたまたま見つけた。連続ものをもっと読みたかったが、手に入らない。)
⑪ 大名廃絶録(南條範夫)
⑫ サウスバウンド(奥田英朗)
 (以前購入したが、積んであったもの)
⑬ 女商一代Ⅱ挑戦編(花登こばと)
⑭ 女商一代Ⅲ決戦編(同上)
 (市立図書館リサイクル本)
⑮ 美しい国へ(安倍晋三)
 (パソコン修理中に)

古事記講義 三浦祐之(難しかったので飛ばし読みした。)
 ガイダンス~講義のまえに
第一回 神話はなぜ語られるか
 1 人間の起源~人である草
 2 人間の寿命~木の花の命
 3 ウケヒ神話~スサノヲは勝ったのか負けたのか
 4 天の岩屋神話~仕組まれた祝祭り
第二回講義 英雄叙事詩は存在したか
 1 歌謡劇と芸能者~抱き合う石人とカニ男
 2 英雄叙事詩と英雄時代論争
 3 語られる英雄叙事詩の可能性
 4 スサノヲ~オロチを退治する英雄
第三回講義 英雄たちの物語
 1 戦うヤマトタケル~横溢する少年英雄
 2 彷徨うヤマトタケル~東征譚の女たち
 3 マヨワとツブラノオホミ~変貌する英雄像
 4 オケとヲケ~シンデレラ・ボーイの物語