何かしてます。

 無職だって退屈してません。「何か」してます。「何か」ってなんだ?

世界禁煙デー

2008年05月31日 00時02分49秒 | 禁煙日記
 今日は世界禁煙デーだそうです。
 禁煙デーを決めたからって私のように45年間も吸い続けている人間が禁煙できるのでしょうか?
 『できっこない!』

 まあ、それはさておき途中危ないこともあったが本日(平成20年5月31日)をもって、禁煙継続206日間となりました。
 途中どんなことがあろうが、たとえば1本吸おうが1箱吸おうがそんなことはどうでもいいことです。
 今どうなっているかが問題なのです。今現在私の身体の中にはニコチンはありません。そして禁煙の意思は継続しています。
 まあ、それでいいじゃーありませんか。

 しかし禁煙継続200日以上になるのに、未だ喫煙の欲求はなくなりません。

 時々会う息子の顔が「マルボロ」か「マイルドセブン」に見えます。

義弟の命日

2008年05月30日 06時38分55秒 | 今日は何の日
 昨年の今日、義弟が亡くなりました。

 死亡時刻が午前6時13分になっていますが、これは息子たち家族全員が枕元に集まり、医師が死亡を確認した時間です。息をひきとったのはもう少し前でした。

 先日(5月25日)、一周忌の法要が盛大に執り行われました。40人以上の方が参列してくれました。
 
 次の日曜日(6月1日)には、近親者だけで二回目の一周忌をやる予定になっています。もちろん私も孫たちと一緒に参加します。

 位牌の前で、私はおいしいご馳走と少々のお酒をいただきます。義弟の孫と私どもの孫達は大騒ぎで遊んでいることでしょう。 

私が登った群馬の山37(榛名山特集32、33、34、35、36、37、38、39)

2008年05月29日 14時59分34秒 | 群馬の山
 平成元年から6年頃まで(45歳から50歳)、比較的自分の時間が持てる勤務箇所にいた。このころ、榛名湖外輪山のこれらの山々に登ったものです。(添付写真は、先日のお散歩のとき《本年5月23日》に撮影したものです。)
この当時
   榛名山相馬岳
   榛名山天目山  
   榛名山天狗山
   榛名山二ツ岳
   榛名山水沢山
   伊香保森林公園
なども登っています。

〈32〉掃部ケ岳(かもんがたけ)

          

〈33〉硯岩
          

〈34〉鬢櫛山(びんぐしやま)

          

〈35〉烏帽子岳

          

〈36〉榛名富士

          

〈37〉ゆうすげの道
   5月23日の風景です。

 (ゆうすげの道と新緑)

           

 (黄色い花)

          

 (ぼけの花)

          

 (枝の花)

          

 (ヤマツツジと相馬様)

          

〈38〉磨墨岩(するすいわ)

          

〈39〉榛名湖

 ([5月23日]1時間20分間も手漕ぎボートに乗ったら腕が日に焼けた。)

          

 (波打ちぎわに『わかさぎ』が群れをなして泳いでいます。ヒグマが鮭を捕るようにするといっぺんに4匹も捕れました。)

                    

夕暮れの榛名湖

2008年05月27日 14時53分47秒 | お散歩
なぜか榛名湖畔のホテルに来ています。
薄曇りの榛名湖に夕闇がせまっています。
(以上 5月22日17時35分記 現場にて)


※ 追記(5月27日)
  5月18日からお母さんの具合が悪くなった。
  なかなか良くならないので、5月22日から25日まで3泊4日で榛名湖温泉で湯治することになったのです。

この場所(その六)

2008年05月26日 22時28分17秒 | 思い出アーカイブス
夜の榛名湖です。ゆうすげの前辺りは浅瀬になっています。
昔この辺りで海老をたくさん採りました。
暗い湖に膝くらいまで入り、水の中を懐中電灯で照らすと海老の目が光るのです。狙いをすませて網ですくいます。
スナックに持っていって茹でてもらい、酒の肴にします。
(以上 5月23日23時19分記 ホテルにて)


※ 追記(5月26日)
  昭和44年頃、25歳前後・独身時代の楽しい思い出です。

  このころ、自称「天下の義経」こと吉沢先輩によく連れまわされました。榛名湖海老取りも吉沢さんに連れて行ってもらったのです。

 あるとき深夜のハシゴの後、吉沢さんのアパートに泊まりました。
 そのとき、江戸時代の春画と吉沢家の家系図を見せてもらいました。

 家系図によると
 【吉沢家は清和源氏の末裔でした。
  江戸時代、清和源氏系の大名の次男か三男だった吉沢家のご先祖は、酒の上の失敗で?月夜野に流されたのです。家系図をさかのぼれば清和天皇に繋がります。】
 
 伊達に【天下の義経】を名乗っていたわけではなかったのです。立派な根拠があったのです。

この場所(その五)

2008年05月26日 21時42分16秒 | 思い出アーカイブス
写真のほぼ中央湖上がその場所です。
昔ワカサギ釣りをしているとき、高橋ぶきゅうさんがボートから落ちたところです。
あのときは焦ったなんてもんじゃーなかった。
(以上 5月23日12時53分記 現場にて)


※ 追記(5月26日)
  平成3年か4年の11月下旬頃、職場のレクで【榛名湖わかさぎ釣り】を企画しました。
 チーム6人が参加し、年寄りペアとして私と高橋ぶきゅうさんが1台のボートに乗りました。

 高橋さんはもってきたウィスキーのボトルを開け、飲みながら釣りを楽しんでいました。

 かなりの時間が経ちました。二人ともまったく釣れません。釣れない釣りに飽きた私が、釣れたわけではないのに「釣れた、釣れた高橋さん!つれたぜ」と冗談を言いました。
 「どこ、どこ」と言いながら湖面を覗き込んだ高橋さんは、そのまま頭から湖にのめり込むように落ちてしまったのです。ボトル半分以上飲んでしまいベロンベロンだったのです。

 落ちる瞬間、高橋さんの腕をとっ捕まえることが出来ました。私に腕を掴まれ、顔だけ水面に出している高橋さんは騒ぐこともなく、酔っ払ってニヤニヤ笑っていました。

 大声で助けを求めると近くにいた同僚のボートが助けに来てくれました。私が腕をささえ、同僚が高橋さんのベルトを掴んで、「ヨイショ!」と掛け声をかけて引っ張りあげました。一発でボート上に引き上げることが出来ました。幸運なことでした。

 湖畔亭でお風呂を沸かしてもらい高橋さんを温めました。
 
 湖畔亭までずぶぬれの高橋さんの乗せてボートを漕ぎました。なぜかこのとき大笑いしました。今考えても人生最大の大笑いでした。
 湖に落ちるかっこう、水の中でニヤニヤしている姿が目に浮かび笑いを抑えることが出来なかったのですが、今考えると【極度の緊張から開放された笑い】だったでしょう。 

この場所(その四)

2008年05月26日 17時32分02秒 | 思い出アーカイブス
泳ぎついた
ひともっこ山のふもと
です。
(以上 5月23日12時14分記 現場にて)

※ 追記(5月26日)
  沖に出るとボートに乗って救命着を着けていても、なんとなく不安で怖いと思った。
 あの当時は「怖い」と思わなかったのだろうか?

  その後職場の旅行で佐渡に行ったとき、やはり空井と海の沖の方まで泳いで同行者を心配させたことを覚えている。このようにその後も同じように空井と泳いでいた事実をみると、榛名湖横断のときは少しも怖いなどと感じていなかったのだろう。

この場所(その三)

2008年05月26日 16時31分06秒 | 思い出アーカイブス
これから手こぎボートで昔泳いだコースをたどってみます。
(以上 5月23日11時55分記 現場にて)

※ 追記(5月26日)
  榛名に来たときは、必ず湖畔亭の文子さんのお世話になっています。今回もボートを借りる面等を見てもらい、料金もサービスしてもらいました。感謝、感謝!
  
 私が普通に手漕ぎボートを漕いで片道約20分かかりました。小学校のプールで覚えた平泳ぎとは言えないカエル泳ぎで往復(手漕ぎボートにして40分)を泳ぎきりました。たいしたもの?でした。 

この場所(その二)

2008年05月26日 16時06分59秒 | 思い出アーカイブス
その昔友人の空井とふたりで、泳いで榛名湖を横断しました。往復です。
この場所から湖に入り対岸の『ひともっこ山』の岸まで泳ぎました。
(以上 5月23日午前11時37分記 現場にて)

※ 追記(5月26日)
  当時19歳でした。
今と違って遊泳禁止になっていなかった。仕事を終えてから、仕事で使ったモーターボートで遊んで大騒ぎした後、その勢いで沖に泳ぎだし、空井がついてきてそのまま横断してしまった。