何かしてます。

 無職だって退屈してません。「何か」してます。「何か」ってなんだ?

入院日記(11月30日朝)

2007年11月30日 11時20分57秒 | 腎不全闘病日記
入院してから昨日までに
 胸部レントゲン 心電図 CT(頭部) 血液採取 眼科検診
をしました。
今朝は朝食前にCT(腹部)検査を行い、朝食を午前9時10分にいただきました。
・白いご飯・豆腐のお吸い物・大豆の煮物・練り物・牛乳みたいな飲み物・ふりかけ(かつお 鉄之助)

入院日記(11月28日)

2007年11月28日 20時07分52秒 | 腎不全闘病日記
看護婦さんが部屋に来て、マンツーマンでお勉強をした。
1、腎臓のはたらき
〓腎臓とは
〓おしっこをあなどるべからず
〓おしっこができるまで〓糸球体
〓おしっこができるまで〓尿細管から膀胱へ
〓尿細管と間質

午後6時、夕食
・ご飯・ほうれん草のおひたし・里芋などの煮物・きのこやたまねぎの味噌味ホイル焼き・アイス

どれも薄味、量も少ない。このような食事をして生きているなら、死んだ方がましだと思った。

突然ですが、入院します。

2007年11月27日 11時40分20秒 | 腎不全闘病日記
 11月21日、日高クリニックで腎臓病の診察を受けた結果、現在行うべき治療は『投薬』と『食事療法』が大切であるとの指導を受けた。

 そして、『食事療法を個人で実践することは大変難しい。いつでもいいから一度入院して栄養士の指導を受けながら、食事療法をマスターしたらどうか? 同時に細かい検査もできますよ。』と医師から提案された。

 実際のところ、私自身腎臓病の自覚はまったくない。痛くも痒くもない。(もっとも、これが腎臓病の特徴らしい。)普通ならこんな状態で入院するなんてとても考えられない。

 でも、現在無職であり、入院したって身内はともかく他人様に迷惑をかけることはない。また、痛くも痒くもないのに入院なんてちょっと贅沢な気分だ。それもいいかな! なーんて、思った。

 お母さんも賛成してくれたので、近いうちに1週間程度入院するつもりです。

 なお、ご心配おかけしてはいけないので、入院の時期などにつては内緒です。

  入院して次のことをお勉強します。

1 腎臓の働きを保つための環境をととのえる
 ① 生活改善
 ② 食事療法  十分なエネルギーをとる
            穀類 菓子類 イモ類 油脂類 砂糖
         たんぱく質を制限する
            魚介類 肉類 卵類 大豆製品 乳製品
         塩分を控える
            1日7グラム以下
 ③ 薬物療法

2 腎臓病の種類 
 ①腎炎 球糸体腎炎
 ②ネフローゼ症候群
 ③腎不全

思い出アーカイブス(小学6年生~生涯の後悔)

2007年11月26日 17時24分31秒 | 学生時代
 クラス換えなく6年生になり、長部先生が担任になりました。

 人間誰にでも『いわゆる、良いところと悪いところ』があると思います。自分で言うものなんですが、私にも良いところがたくさんあると思っています。 
 そして、この私の良いところのほとんどは小学3・4・5・6年生のとき、東宮・島田・長部先生や同級生達によって培われたと思っています。

 修学旅行(江ノ島・鎌倉)へ行った時の長部先生とクラスメート達です。
 なつかしい峯○勝○君(故人)の姿も見えます。

             

 長部先生は、私達生徒をよく山登りに連れて行ってくれました。それは小学校を卒業し中学生になってからも続きました。楽しい思い出がたくさんあります。

 長部先生や同級生達とは生涯にわたり、何らかの形でおつき合いを続けていくと思っていましたが、『ある時』を境に私からおつき合いを意識的に絶ってしまい現在に至っています。
 これは私の 『生涯の後悔』 です。

             

思い出アーカイブス(海技免状)

2007年11月25日 11時58分33秒 | スポーツなど
           

 昭和55年10月27日、日本政府運輸大臣から『四級小型船舶操縦士』の海技免状の交付を受けました。前期太田時代・36歳のときのことです。

 免許を取る気になったきっかけは、後輩(岩崎と田村)に誘われたからです。
 『今は無理だが、定年近くになればモーターボート1台くらいは買えるるだろう。大洗か寺泊に停泊させておき、時々乗りに行こう。定年後のレジャーにもってこいだ。』などと考え、免許を取る気になったのです。

 桐生の内山さんがやっている講習を受け、実技は赤城山大沼で勉強しました。

 確か10万円くらいがかかったと覚えていますが、順調に免許を取ることができました。

 そして、大海原を疾走することを夢見て公私ともどもそれなりに頑張って現在に至っています。
 
 定年を迎え『ひま』ができました。ボートくらい買える金もあります。

 いよいよ、若き日に取った船舶操縦士免許が役に立つときがきたのです。

 ところが皮肉なもので、『その気』がなくなってしまいました。
 海まで行くのが面倒だ、家でテレビを見ているほうがいい、歳のせいか『海に出るのが怖い』、健康に自信がないなどと思うようになってきたのです。

 せっかく取った海技免状も宝の持ち腐れになってしまいそうです。