木 白洲正子 平凡社
「木」の話 二十選
日本の木と伝統と人の木に対する関わりについて書かれている。
白洲正子 神と仏、自然への祈り
世田谷美術館の白洲正子生誕100年特別展へ行った。
桜咲く砧公園を抜けて美術館へ着くと掲揚されている旗は
震災の犠牲者を悼む半旗となっている。
「十一面観音娑坐像」など数々の文化財をみる。
展示会にあった直筆の「手を合わせる」
・・・
『手を合わせるというのは、古今東西を通じて、神に祈る時のかたちである。
そこに十字架とか、マリア様とか、神像や仏像のたぐいがある時は
わかりやすい。
人に祈ることを教えるためにそういう目標を造ったのではないかと思うこと
さえある。だが、盲人の場合はどうするのか。
自分の心に対して手を合わせることしかできないだろう。
それをイメージと呼ぶのかもしれないが、心は心が思っているほど
じっとしているものではない。
しじゅう妄想を生じたり、右往左往する厄介な代物だ。
そういう時私は手を合わせる。
手を合わせていると、右の指先から左の指先へ血が通い、その逆にも
行くようになって、次第にバランスがとれて落ち着いてくる。
それは気分だけのことだろうが、今もそういう風にしてこの原稿を書いた。』
おもわず、メモをとった「手を合わせる」だけど
恥ずかしいが 読み取れない箇所もあって正確ではないかも・・・
帰りに町で見つけたポスター
>どういうわけだろう。
今年は一本の桜と
じっと向き合う春にしたかった。
「そうだ 京都に行こう」 とJRさんの電車には残念ながら乗れないけど
こんな しだれ桜を見たらきっと圧倒されるだろうな
目の前に何か大きな存在があるのだと思う。
自然というものへの畏敬と感謝と・・・
今日もまた余震を2度ほど体感する。
歩いていたら、あちこちから携帯の警告音が聞こえてきた。
震災で東日本の地盤が変化しているとか・・・
福島原発、「レベル7」に引き上げられた。
深刻度をあらわす数字らしいけど いま、その数字が
どんな意味をもつのだろう。
チェルノブイリと比較するけど、どれだけチェルノブイリ事故のことを
わたしたちは理解しているのだろう。
そんなことより、いま、とても辛い環境にいる福島の人たちに
もっときめ細かい支援が必要なのでは・・・
原発がなんとかなるように、と祈っていた。
もう原発がどうなっているのか聞きたくないけど
知らないではすまされないことでもある。
ただただ、収束を願う