ビジョンという言葉を聞くと、キング牧師の「私には夢がある」で始まる詩のような演説を思い出す。
私には夢がある。
いつの日かこの国の人が立ち上がり「全て人間は平等に生まれている。この真実は自明のことである」と、信念を真に貫くことである。
私には夢がある。
いつの日かジョージアの赤土の丘で、かっての奴隷と主人の子孫たちが、お互いに同胞として同じ食卓につくことである。
私には夢がある。
頭で考えただけのビジョンと現場の先頭で行動し、掴んだそれは大きな違いがある。
アメリカ公民権運動の先頭に立って行動したから、あのようなビジョンが生まれたと思う。
ビジョンは夢というよりも、夢を実現に向かわせる活動の指針である。
ビジョンはまた、いまここにある危機を情熱に変える力である。
前向きなことは大切だが、甘い夢や過度の期待だけでは活動を継続する力にはならない。
正しい現状把握が混沌と危機を示し、危機の先に光を発見する、そんなプロセスを踏まない限りビジョンは掴めない。
ビジョンは分かれ道に立った時どちらに進むか選択する指針ではない。
目的地に辿り着くまで歩き続けるか、歩かないかを決めることである。
いつ決めるか。
いまここで決めることである。
我々の多くはよく見極めて自分の役に立つ決断をしようとして、決断を先延ばしにする。
この決断恐怖症にかかるとビジョンばかりか、自分の人生を取り逃がすことになる。
インドのノーベル文学賞受賞者タゴールの詩に
危機から護られるよう祈るのではなく、恐れることなく、直面しよう。
わたしの苦しみの収まることを願うのでなく、それを克服する心こそ願おう。
人生の戦場で同盟軍を求めるのではなく、われわれ自身の力をこそ願おう。
救われることを心配しながら求めるのでなく、わたしの自由を勝ち取る忍耐をば望もう。
わたしが自分の成功のためにあなたの慈悲を当てにする卑怯者でなく、
わたしの失敗のなかにあなたの手のぬくもりを感じられるそんな勇者でありますように。