goo blog サービス終了のお知らせ 

晴耕雨読とか

本読んだり、いきものを見たり。でも、ほんとうは、ずっと仕事してます。

手強い本。

2009年10月06日 | 
手強いけどおもしろい本を発見。



『分類思考の世界 なぜヒトは万物を「種」に分けるのか』(三中信宏著/講談社現代新書)。

生物の「種」とはいったいなにか、そもそも実在しているのか? 個体はあるけど「種」は? 

分類学の歴史と哲学の話がゴリゴリっとクロスして、読み応えがあります。歴史物が苦手な私は、科学史&哲学史的なところがかなりしんどいのですが、なかなかおもしろいです。

昔読んだ生態学の教科書で、生物の分類クラスのなかで唯一「種」だけが実在している、、、という意味のことを読んだことがあり、当然、種は存在しているよな…と思っていました。

生物の種って、実在するのではなく、人類がそもそも持っていた思考体系というか、もともとの性質として“分類”した結果として生み出されたもの……つまり、人間による人間のためのものなんじゃない?

ざっくり言って、こんな感じでしょうか?

少なくとも「種の定義」というのも決定打を聞いたことはありません。ウィキを見てもそうですね。いろんな説…というか立場があるようです。

わたしにとってこの本は、たとえば養老孟司の『唯脳論』を読んだとき(かなり昔ですね)、あるいは上野千鶴子の『発情装置』を読んだとき(けっこう昔ですね)のような感じです。

自分の中で「当然」と思っていることが、じつはそれはある前提条件の下にそう考えているだけ……ということがボロッと分かったときの快感。本の醍醐味ですね。

『もやしもん』からの引用が笑えます。

直保曰く。「(オリゼーに向かって)そもそもどう分類されてもお前ら関係ないじゃん」

ある意味では、本書も広義の唯脳論のひとつなのかもしれません。著者は怒るかもしれませんが。