道盤統掌が文王の時代、3000年間釈迦牟尼仏が天盤を掌っていました。
因に文王の後、1900年から10800年間天命が火宅に降り、天盤を弥勒古仏、道盤を掌っているのは弓長祖です。
日本の大和朝廷統一の時代、縄文・弥生・古墳時代を通して「諏訪王朝」が存在し、全国各地に諏訪社またとして遺っています。
また「御柱祭」として世界中に伝承されています。
その道徳的(忠孝節義)を貫いた聖人が「文王」であった。
実を取った神仕組みが綿々と続いています。
「サンカ」の伝承もこの時代この地の遺産!
仏教伝来とともに聖徳太子によって神仏習合の基礎が築かれ、日本の歴史が温存された。
日本人の精神性は「侍(サムライ)」として「大和魂」として一般化されてきた。
「まぼろしの諏訪王朝」にはそのロマンあふれる歴史が詳らかに記録されています。
増澤光男著【まぼろしの諏訪王朝】 203頁
訪=汎謀曰訪。汎與訪雙声。方與旁古通用。薄也。洪範王于訪于箕子。晉語。文王諏於蔡原而訪辛君。韋曰。諏訪皆謀也。本釋詁。許於方声別之曰汎謀。从言。方声。敷亮切。十部。
諏=聚謀也。左伝。咨事為諏。魯語作咨才。韋曰。才當為事。按釋詁。諏謀也。許於取声別之曰聚謀。儀礼今文假詛為諏。大玄作(言奏:一体の字)。从言。取声。子干切。古音在四部。
概訳:「訪」とは、ひろく謀ることであり、「諏」とはおおぜいに謀ることであって、つまり諏も訪もともに謀るという意味なのである。相談してものごとを決めること。
師尊様曰く
弥勒浄土の一大性質は大乗(マクロ)であり、神を信じる本義は「信受真伝:真伝を信じて受ける」ですが、この「信」には、誠実の意味があり、根拠の意味があり、疑いない意味があり、敬い崇(あが)め奉るという意味があり、本当に確実という意味がある。
人々の願いのこの「信」はこれらの意義を包括していると雖も、しかし、その中で最も超越して且つ直入的な意味は、「信」は「同じである」ことである。
有識論者であるから神を信じる者というべきものでもない。
天と同心・同見・同行であってこそはじめて天を信じると言える。
故に、あの本々招かれてきた人、いわゆる天国の子はかえって門外に排除され、その基業をも失ってしまった。
しかし、元来人々には絶対排除されると思われていた人が逆に盛宴上の賓客と成った。
形勢が逆転されたのは、天国にはただ一つの等級しかないからであり、それはつまり「信」の等級である。
想うところ、信州・諏訪には「信」があり、それに基づく「和」がある。
周文王の聖なる「道」があった。
【ゆっくり歴史解説】周王列伝 第1回 聖なる王 文王【周】ゆっくり中国古代史語り