真説・弥勒浄土      

道すなわち真理の奇蹟

天道推奨~(二)天然弓長師(てんねんゆみながし)の使命と任務(その一)

2022-11-30 22:04:06 | 天道推奨

天然弓長師は1913年、御年25歳の時、道を第17代路祖(ろそ)に求め、心法を授記されましてから御逝去まで自来(じらい)34年間、身命を賭(と)され、精魂を傾けられて伝法に尽くされました。御幼少に頃から常人と異なった非凡性を具え、激しい正義感と優しい慈愛性の人柄の上に、常に深い、古い幽玄の妙理を悟られ、同時に博(ひろ)い、新しい学識と感覚を体得なされ、汲めども尽きぬ智慧の源泉をお持ちになっておられました。

 天然弓長師

塾生として勉学が師の幅を無限にし、道門に入られる前には殆ど仏、道、儒、及び諸子百家の経典を研鑽(けんさん)し、完全に修得なされたのですから如何に卓越された秀才であるかを容易に想像することができます。

御聖訓に依りますと、師の前身は1130年頃、中国、浙江台省(せっこうたいしょう)、府天台県(ふてんだいけん)に御出生なされた偉大なる高僧、「済公禅師(さいこうぜんし)」の御転世であると申されています。

過去、中国五千年の宗教歴史を通じて禅師程宗教界や民衆全体に深く広く受け入れられて、親しまれた聖者はなく今に至るまで「活仏」と尊称されているほどであります。

世間の禅師に対する尊敬と信服は大きく御尊名を聞いただけで邪と魔は消え失せていかなる苦厄も救われると信じております。

時恰(あたか)も末法の世と変わりましたので造化の主である無生老〇(らうむ)は「済公、命を領し、弓長と為りて白陽の収圓(しゅうえん)を担うべし。」と天命を降して今の世に御再来されましたから「賢明なる神童」と冠称(かんしょう)されたのは寧(むし)ろ当然であります。

路祖(ろそ)の弟子としての十七年間は師の大完成への貴重な修練期間と申すべく常に燦然(さんぜん)として輝く存在として、特に祖師から重任され、厚く期待を掛けられ、同じ兄弟弟子間での信望も絶大でありました。

紅陽と白陽時代の交代期に代表師として祖師に御協力し、大道盤を固められました。

1925年の梅二月、路祖御逝去の際、祖師から始めて前身と出世の使命を明らかにされ「我が後継者として末後一着(まつごいっちゃく)、万教帰一(ばんきょうきいつ)を完成すべし。」と聞かされた時は極度に驚愕(きょうがく)と衝撃を受けられたらしく、六年間各地伝道に事寄せてその重責を避け続け、辞退し続けられたのを見ても十分察知することができます。

これは1934年の師の記に【当(まさ)に即(ただ)ちに再四懇辞(さいしこんじ)し、以って賢に路(みち)を譲るも、皇〇(ラウム)各壇に降鸞(こうらん)され請う所、を允(ゆる)さじ。】とありますから明らかであります。

然るに1930年【余(よ)、祗(ただ)に其の難の為に勉(つと)むるを得るのみ、天に順(したが)いて事を行い、然して三層を済度す。

責重く任巨(おおい)なり。】と云われて漸く(ようや)く天命を担い、茲(ここ)に始めて天来の神性を発揮なされ、万国伝道の御命を號(ごう)されたのであります。

恰も(あたか)も師を待ち臨(のぞん)でいたかの様に一度、ご出現なさるや、満天下に雲霞(雲霞)の如く、師の御許(みもと)に身命を投げ出して伝道する人材が続々として集まり、十数年間の間にして何百万名の縁者が法を受け、道を得ました。

師は誠意を以て求道(ぐどう)する者はすべて拒まず、戒律よりも正法を以て導き、奇跡よりも真理を以て与(く)みし、大理天界及び三層界を説き来り、説き去り、衆に迷昧(めいまい)なる所をすべて明らかにされたのであります。

師は領命(りょうめい)されると同時に人々の三世(さんせい)を見透し、御自分の霊(たましい)を同時刻に何十個所(なんじっかしょ)もの仏堂に分霊して御垂訓(ごすいくん)されることができました。

師はわれわれの心眼を開き、業縁(ごうえん)を断ち切って下さいます。

決して怪力、乱神(らんしん)や異端、邪説を語らず、真実の法話は聞く人の心霊を揺さぶり、本性を呼び起こし、迷いを破り、執着を離し、不安と恐怖を拭い、太古の姿に立ち戻されるものであります。

一度、師に会われた人は殆ど大きな感動を受け、鮮明且つ強烈な印象を受けて忘れることができません。

師は非常に御寛大で如何なる時で悠容(ゆうよう)迫らざる態度をお持ちでありました。

道の為に富豪だった、御自分の財産を全部、犠牲にされ、使い尽くされました。師の偉大さは砂文字以外、滅多に親筆をお取りにならなかったことであります。

虚飾多き文章や書物によってとても奥義を述べ尽くされないと思召(おぼしめ)されたのか、天下の才を以てしても足下に及ばない大徳者である師は不思議に言葉の神秘性を会得されまして御法話の方が、達文(たつぶん)、経典よりも大きな響きを持つものでありました。

これは「心印相印(しんいんそういん)、口授妙語(こうじゅみようご)」の天道の主旨をそっくりご自分に当て嵌(は)められて実行されたと申せましょう。

亦、師は御自分の才徳を隠すのに極めて徹底的でありました。

師は今、天命を担い、人間界、地獄界、気天界のすべての霊魂を救い尽くす大悲願を立てられておられます。

この大いなる使命の許に馳(は)せ参じて、極力賛助申し上げるのが我々に与えられた天の声だと信じます。

師は如何に世道人心を憂慮なされているかは次の御聖訓の一端によっても明瞭であります。

【私は天命を奉じて第18代祖としての動脈を受け継ぎ、白陽の時運に応じて古聖先賢の大道を続伝し、末後一着、収圓の大業を担当処理することになった。

深く責任の重大さを感ずるものである。

御命を授けられて以来、臥寝(がしん)しても蓆(むしろ)を安んぜず、飲食しても甘味を覚えない。

駑(にぶ)く鈍(のろ)い知慧や才能を竭(つ)して道の闡明(せんめい)に勤めたが、効果、薄きが為、老〇(ラウム)の御心を御痛傷(ごつうしょう)致されるのを恐れ惶(おのの)くものである。

故に31年の風霜寒暑(ふうそうかんしょ)の苦しみを経歴して自分で自分を勉励(べんれい)して、誠心誠意、腐心(ふしん)、尽瘁(じんすい)して善男信女を度(すく)い、同(とも)に光明の覚路(かくろ:天道の彼岸)に登らせた。

幸い上は老〇(ラウム)の鴻慈(こうじ)なる御恩を蒙(こうむ)り、中には諸天神仏の佑(たす)けを受け、下は諸賢の臂助(ひじょ)の力の力に頼って斯(か)く道務の進展を見ることを得たことは、せめてもの慰(なぐさ)めとするものである。

然れども天道の基礎は未だ固定しておらず中途で挫折(ざせつ)したり、桃李紛々(とうりふんぷん)として落伍(らくご)したり、同道異歩(どうどういほ)もあったりして深く心衷(しんちゅう)に悲哀を覚えてならない。

これは天道の不幸であるが、亦、試練選抜の時期でもある為、致方(いたしかた)がない。

忠孝の弟子たちは至誠耿耿(しせいこうこう)として初志を曲げず、私に続いて世を救拯(きゅうじょう)する心を懈怠(なまけ)ることなく、量力(あるだけのちから)を鼎(かなえ)にして相助(あいたすけ)相擁(あいよう)して佈伝(ふでん)して行くことは喜悦(よろこば)しい限りである。

亦、義烈英雄(ぎれつえいゆう)の弟子は外洋に渉(わた)って路を開き、辺彊(へんきょう)の地域にも奔走して真理を伝播(でんぱ)し、以て天道の根幹を樹立し、諸教を導いて本門の正宗に帰宿せしめ、大道の威厳を(いげん)を発揮顕揚(はっきけんよう)せしめようとするのは吾意「我が意」に叶(かな)う所、甚(はなは)だ大である。

蓋(けだし)、これは私の遺志(いし)を追従し、私の使命を遂行し、上天の御慈憫(ごじびん)に報いんと欲する為に力を竭(つく)されているものと信じられる。

どうか今後とも、継続して勇猛果敢(ゆうもうかかん)、天道と共存する強い決心を抱き、種々(さまざま)な障害試練があっても、道心堅固、意志軒昂(いしけんこう)でであってほしい。

萬教帰一(ばんきょうきいつ)の大理想実現の為、三期末劫(さんきまつきょう)の大災難防止の為、奇(くし)き妙計を考案運用して広く善縁者を挽救(すくう)ことこそ私の唯一の願望である。

若し本嘱告(このことづけ)が道務人心に裨益(ひえき)を齎(もた)らせば大いに幸いである。】と(昭和32年夏季大典の御聖訓より)

続く


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性理題釋~二十二、修行に順逆の法

2022-11-30 22:02:09 | 性理題釋

二十二、修行に順逆の法

順逆の法は後天の修行法であるが、然しこれを知っていおかなければなりません。

人は耳で聞き目で見るのでありますが、然しながら、それによって精・気・神を外に洩らす者は凡人となり、内に向けて収める者は聖人となるのであります。

外に洩らすを順行(じゅんこう)と言い、内に収めることを逆行(ぎゃくこう)と申します。

孟子様は『学問の道は他になきなり、放心を求めるのみ』と申され、学問の道はただ外部へ分散される心を求めて収めることである、と説かれたのであります。

存心養性の工夫は、一心が清浄になることで外に向かった心を内に向きかえ、自分を見つめることであります。

すると火(気)は自然に下降するであります。

舌を上に巻(ま)き上げますと、甘露が漕渓(そうけい)より湧いて来ますが、沢山湧きますと自然に呑み込まれ、直ちに丹田(丹田)に入って行って命門(めいもん)で火と合うことになります。

水は気となり、神気が円満になれば、働いても倦(あ)きる事なく、又気は前から降りて後ろから昇り常に息(や)むことがりません。

精が円満になれば、淫念(いんねん)を起こさず変化して気となり、気が円満になれば食を思わず、変化して神となり、神が円満になれば寝を思わず、変化して虚霊となります。虚霊は明るいもので、普く法界に満ちるものであります。

これを道教では『周天を運ぶ』と名づけ、仏教では『法輪を転ず』と申し、儒教では『人の欲が浄まれば天理が流行す』と申されました。これが逆行の修行法であります。

一般の凡人の気は、前から昇って後ろから降りるといいますが、真人(聖人)の気は逆に前から降りて後ろから昇るのであります。

これが順逆即ち相反する二つの法であります。

続く


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天道推奨~砂文字(すなもじ)による御聖訓(ごせいくん)その三

2022-11-28 20:17:02 | 天道推奨

真に有難い限りであります。

人生に課せられた宿命と因縁は避けがたいものですが、それも発心して道を求め、法を授記(永遠理天界に帰って無限楽を得ることができる秘宝のこと)して貰えば、老〇様の御慈悲と弓長祖の御恵愛に依りまして他力的に消滅して頂くことができるのであります。

勿論、条件としては今後の生活を聖なる道に委ねる意志があらねばなりません。

丁度、借財に対する返済と同様、功徳を積んで補うことであります。

無量千万劫(むりょうせんまんごう)の昔から積み重ねた宿業と罪積を、僅かの期間に、何故(道)して贖(あなが)えられるであろうかと疑問に思われるでしょうが「大功は大罪を滅す。」で天の時と地の利と人の和を得れば、一朝にして完成を見ることも可能であります。

天の時、これは今の人類に万遍(まんべん)なく与えられています。

地の利、これも、長い宗教歴史の伝統と、寛容の精神に培われた日本に於きましては最も恵まれています。

問題は人の和だけであります。

一人一人が挙(こぞ)って正しい道に覚め、正しき法を悟り、老〇様の恩沢を素直に受け入れ、力を合わせて斯道(しどう)を普(あま)ねく伝えさえすれば、今生の過(あやま)ちだけではなく歴世に累積(るいせき)した罪悪の数々をもすべて綺麗(きれい)に吹払って下さるのであります。

善事と云えば今迄の観念では物質や金銭を貧困者や不遇者に施して救済することのみに限られてきましたが、法を得た人は、尚この三宝を人々に与(く)みする機会にめぐまれているのであります。

法を施して迷昧者(めいまいしゃ)の霊魂を根底的に輪廻や因業の牽纏(まとい)から救う功徳こそ、永久的であり、実際的であります。

限界を超えた功績はわれわれを不滅の楽境に導き、無量の善徳はわれわれの過去幾千世の罪を償(おぎな)って余りある訳であります。

上は敬虔(けいけん)な信仰によって赦罪(しゃざい)を求め、下は熱意を以て衆生を挽廻(ばんかい)する表裏一体の聖業に尽瘁(じんすい)すれば、求めずして結果は光明であり極楽であります。

実に貴重な天道降生の時期に人間として出生したわれわれはまことに至福といわねばなりません。

御聖訓に「道、伝えるに軽からず、法、受けるに易からず、已に道法を受来れば、豈(あに)、怠情(たいじょう)すべけんや。」とあります。

史記の中にも「天の与うるを取らざれば返ってその咎(とが)を受く。」とあります。

即ち天から与える宝を喜んで取りらなかったら自然的に悪を取ることになるという意味であります。

老〇様の御慈悲と御智能は広大無限であります。

われわれが求めるすべての御愛と御恵みを限りなく与えてくださいます。

どうぞ斯道に邁進なさるよう心からお待ち申し上げてます。

「天下に道有れば道を以て身を殉(じゅん)す。」(孟子)

続く


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性理題釋~二十一、初入者の簡単な修行法

2022-11-28 20:14:34 | 性理題釋

二十一、初入者の簡単な修行法

儒門の“存心養性”の法は、初めて道を受けた方が、行うべきであります。

心が善に存すれば福に至り、心が悪に留まれば禍を招き、心が静に存すれば寿命を保ち、常に玄関に留めると、これを『君子時中(くんしじちゅう)』と申して、君子は常に中心を守るということになり、これが養性と存心を共に具備(ぐび)した行いになります。

孟子様の説かれた『君子の人に異なる所以(ゆえん)は心の存する所なり』と申されたことを聞いたことがありましょう。

君子は仁に心を存じ、礼に心を存するのであります。

仁とは人を愛し、智とは人を利し、礼とは人を敬うことであります。

人を愛するものは常に人より愛され、人を敬うものは常に人より敬われるのであります。

修道する私たちは、これから常に心を道に留めるように、精進することが一番大切なことであります。

続く


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【衝撃】モンタヌスの日本誌に書かれたタータリア!江戸初期は絢爛豪華だった!歴史と地図から消されたタータリア!【マッドフラッドの欠片1】

2022-11-28 16:52:40 | ONEメッセージ

【衝撃】モンタヌスの日本誌に書かれたタータリア!江戸初期は絢爛豪華だった!歴史と地図から消されたタータリア!【マッドフラッドの欠片1】


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