真説・弥勒浄土      

道すなわち真理の奇蹟

【世界中で類似した遺物が発見されている理由…古代人類が遭遇した尋常ではない存在と世界中に隠された謎のモチーフとは【都市伝説】

2023-07-31 19:32:39 | Rayの呟き

世界中で類似した遺物が発見されている理由…古代人類が遭遇した尋常ではない存在と世界中に隠された謎のモチーフとは【都市伝説】

宇宙人の戦いの歴史は、人類史として人々の人生に刻印されてきました。

それは、人類の進化を通して天意が完結することでした。

世界中の隠された謎のと言われてきたモチーフは、唯一絶対の創造主の大能への憧れでした。

人類にとって「悟り・解脱・超生了死」の境地への到達でした。

この動画のすべての謎について解明することは、もう難しい事ではありません。

日本人に課せられた必然性とは、分断された世界の人々を導く為の智慧として、「求道」が人類史であることを明らかにすることです。

本Blog のカテゴリー「道すなわち真理」で解説してきたように、『十字架』は縦・横の交わる一点を示すモチーフであり、

性理題釋~一、道の真象

https://blog.goo.ne.jp/nishicha369/e/c97de3230a0500b4ce7fe0efad158ca1

師尊様が第一に諭された内容そのものです。

日本では毎年の正月に玄関に飾る

「玄関」という言葉自体、中国にはなく「道」を表す秘語で、性(たましい)の出入りする聖なる処のことでした。

あなたは「どこから来て、何処に帰るのか」という永久の難題を示していました。

家(故郷)に出入りする處、すなわち「玄関」です。

また、動画中「ハンドバック状のカバン」について一体中身は何なのか、という伝承です。

中身は「空」です。

般若心経の「色即是空・空即是色」です。

この「空」の意味は、神道はもとより世界の宗教に様々な表現で伝えられています。

身近なところでは、諏訪大社より格が上である「八剣神社」の御神体が〝鉢を伏せたような形で、神主が毎年一枚の布(御衾)をかぶせる神事があり、何千年も続けているので御神体自体とても重く、しかも宮司でさえ中身が何なのかわからない”と言われていました。

出雲大社の御神体もしかり、何が依代なのかは謎となっています。
御神体は封印されていて、その正体は分からないというのです。
宮司も「御衾(おふすま)が丁重にかけられており、その中を伺い見ることはできない」と著書にあらわしています。

仁徳天皇陵もまた、権力者が憧れた伝承を時代に合わせて偽創した形象です。

△を〇の一点に重ねた形象です。

的に矢が中った形象です。

当時、霊的に導かれた求道者は、生命の復活を期し、諏訪湖周辺に陵を建立しました。

日本で最も多い数の陵がある聖地です。

鎌倉や相馬の馬追も同じで、馬(龍)に乗って「◎の的」を「矢(火矢のことではなく罪を焼き尽くし)」で射る伝承です。

 頽廃した宗教には大事なことは伝えられず、一般の祭りごととして遺されています。

正しい宗教(道教・儒教・仏教・耶蘇教・回教)の原点は「一点」に帰る教えであり、道を得て修道できるよう、一般社会に定着するように学問(道徳)として生活に取り入れられてきました。

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Rayの呟き~弥勒浄土は、すべてが明らかになる時代、宗教もすくわれる時代

2023-07-31 19:30:39 | Rayの呟き

あなたの魂の歴史には聖なる物語が流れています。  

世界中の人が今同じ位置に立っています。  

救う人か救われる人か、救われた人は救う人になります。

 聖なる循環はここに帰結します。  

ユダの裏切りが事実ではないという証拠「ユダの福音書」写本が見つかっています。  

その主たる内容はキリストがユダに星の光をかりて聖なるバプテスマを施している部分です。  

グループの金銭を管理していたユダ、イエスが最も信頼していたユダに秘宝を授けたくだりです。

 正しい宗教の神髄は「道すなわち真理」の伝承が比喩で語られていて経典・聖書がその道筋で一貫した流れによっていることです。  

キリストが処刑されていないなどの諸説がありますが、聖書自体編纂されたのはキリストが無くなった後100年~200年後です。  

その後も為政者によって改ざんされてきた歴史です。  

私は夢うつつの中でこう聞きました「宇宙での戦いには肉体がないので痛みはありません」  私たちの現実は宇宙など異次元世界の投影です。  

キリストが磔にされ3日後に復活した、ということが本当かどうかを思考すると意見が分かれます。  

聖書を編纂する役割の人は感性が優れていて異次元の物語を受け止めることができます。  

事実であるかどうかよりもそれが聖なる一貫した物語であるかどうかです。  

改竄されてきた物語も「すべてが明らかになる時」、究極は「道すなわち真理」が公開され過去の経典・聖書もすべてが本来の物語に修正されます。

 私たちは今、世界の軌跡を見せられています。

この物語は皆さんが新しい聖書・経典を実践している登場人物であるかのようです。

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Rayの呟き~明らかになると

2023-07-31 19:29:09 | Rayの呟き

物事が明らかになり人々が覚醒されると、主体と客体が逆になり、あなたは客体になって行きます。

主体になった人々は覚醒し続け、答えを求めます。

あなたは限りなく客体すなわち「空」に到ります。

そして、一つの事も万事も、人々の変化に応じることができます。

人々が様々な願いことを謙虚に祈念する時、あなたはそれを受け止めなければなりません。

無意識に受け止める時、その願いことは実現し人々に齎せられます。

あなたは神ようだと思いませんし気づく人もいません。

あなたは神ではなく、人々も実現したことが自分の努力によるものだとも思いません。

あなたは無為自然の境地にあります。

主体である人々と客体であるあなたの間で、新しい創造が行われてゆきます。

微妙な心の中に真実の営みがあります。

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弥勒真経~十三、毎日志心(こころ)して常に持念せば 三災八難来たりて侵(おか)さず

2023-07-31 19:26:35 | 弥勒真経 解釈

毎日、志を散漫(さんまん)させることなく、二意三心(にいさんしん)を修めて真心をもって念念這個(ねんねんしゃこ:玄関)を離れてはいけない。

持念とは語(ことば)の持念と心の持念がある。

つまり常に玄関に全霊を集中統一させることである。

三災とは水・火・風である。八難とは旱魃(かんばつ)・飢饉(ききん)・螟蝗(めいこう)・猛獣(もうじゅう)・精怪(せいかい)・癘鬼(れいき)・天災地変・刀兵干戈(とうへいかんか)等の害である。

毎日かくの如くに真経を念じ、真竅(しんきょう)を守れば、これらの三災八難が迫り来たっても汝(なんじ)の心身が侵(おか)されることはない。

続く


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性理題釋~三十、三教合一

2023-07-31 19:22:22 | 性理題釋

三十、三教合一

三教は本来、一理より生じたもので、門戸を分別し、言論が同じくないと雖も、然しながら、その窮極(きゅうきょく)は、一理に属するのであります。

故に三教は倶(とも)に時代に因って設けられ、天運に応じて興り(おこ)り、天にかわって宣化せぬもはありません。

そして人心を救い、悪を教化して善となし、不良をして良となすのであります。

道家に於いては、虚無(きょむ)を以て本となし、虚霊(きょれい)を保養することを重くして、無極(むきょく)に帰らすのであります。

釈家に於いては、静寂(せいじゃく)に帰らしめる事を重くせられ雑慾を滅除するのであります。

儒家(じゅか)では、明徳を明らかにし私欲を浄め尽くすことを重くして、天理を純全(じゅんぜん)にするのでありますが、天理は又至善(しぜん)でもあります。

この至善は即ち静寂であり、静寂は又無極であり、無極は又真理でありますから、三教の宗派に分かれていると雖も、皆無極の一理から生じたものであります。

仏教では『万法帰一(ばんぽうきいつ)と明心見性(めいしんけんしょう)』を説き、

道教では『抱元守一(ほうげんしゅいつ)と修心煉性(しゅうしんれんせい)』を講じ、

儒教では『執中貫一(しつちゅうかんいつ)と存心養性(ぞんしんようせい)』を説きまして、

三教の法の伝え方が同じくないと雖も、それは皆一を以て本源となし、心性を以てその入門となしております。

これに依って見れば一理から分かれて三教をなしておりますので、ちょうど、人の一身を精・気・神の三花となしているのと同様であります。

現在三教が合一されたのは、収円の姿であって、なお本原に還る事を意味し、倶に迷わざる霊性となり、合わせて一つの真理に帰る事を現わしているのであります。

続く


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