真説・弥勒浄土      

道すなわち真理の奇蹟

2020年12月20日 オーロラ・レイ経由 ~光の銀河連合からのメッセージ~ アセンション-アップデート 私たちは光の家族です 音声入り《幸せの法則 スピリチュアル 》

2020-12-31 20:15:41 | ONEメッセージ

2020年12月20日 オーロラ・レイ経由 ~光の銀河連合からのメッセージ~ アセンション-アップデート 私たちは光の家族です 音声入り《幸せの法則 スピリチュアル 》


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5次元へのシフトを完了させる作業とは?~∞9次元アクトゥリアン評議会~ダニエル・スクラントンさん経由

2020-12-31 18:34:04 | ONEメッセージ

5次元へのシフトを完了させる作業とは?~∞9次元アクトゥリアン評議会~ダニエル・スクラントンさん経由


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【Ray:21世紀における学問の在り方はすでに降ろされています!】真の学問と学の階級~世界的な道徳時代の始まり

2020-12-30 18:43:19 | 道を求める聖なる物語(人・日本・世・宇宙)

しかし人は個々それぞれの進化の存在で、多種多様な環境に置かれています。21世紀は太平の世、大同世界に入りますが、今までの経済中心の汚濁の世界は徐々に風化して、性命本来の道徳的環境が復活してきます。

そこは神々の奇跡、無限の叡智の世界です。自由と尊厳を回復する美しい生活空間ですが、汚れた土足で踏み込むことはできません。それぞれの身の丈にあった学問の入り口が用意されてます。それが学問の機会です。

真の学問と学の階級

學問の道は極めて広泛で奥深く、一生かかっても極めつくされるものではありません。
これを会得するのに、平易な物もあれば困難なものもあり、滑らかなものもあれば険しいものもあります。何れも努力を必要としないものはありません。學問は人に及ばないものであるが、又人より失い易いものであります。ちょうど逆水に船を漕ぐようで、進まなければ即ち後退してしまいます。限度が無いから自分の程度が分かりません。學問は真理に近づく道でありますから分野や性質が違っても完成への到達点は一つであります。

人によって道程の差異はあっても、極めるのに純粋性がなければなりません。頭脳・性別によって早晩の別はあっても、熱意が欠ければ不可能です。孟子は「学問への道は放蕩化・散漫化した心を収めることに外ならない。」といわれました。堕落・怠惰した心に鞭を加えて、奸巧なく精勤し完成にいそしむことです。いかなる道であっても、習い學ばなければ成就できません。

老子は、「わたしは聖人ではない、學んで知ったのである。」といわれました。
孔子は、「わたしは、生まれながらにして道を知り物識りになったのではない、ただ古の道を好んで黽勉(勉強)怠らずして、ついに求め得ただけのものである。」また、「わたしは、何でも知っていると人は思っているらしいが、別に何でも知っている訳ではない。

ただどんなに卑しいつまらぬ人でも誠意をもって聞く時、袋の底を叩いて中のものをすべて外に出し尽くすように、その善悪・陰陽・因果その他何でも両端から説き質して本当のことを懇切に教える。それで教えを受けた人にとって、私は何事も知り尽くしているように見えるかも知れないが、ただ自分としての誠意をもって教えているだけである。」と謙遜されました。學問の大事は博く学ぶのと、深く思考することです。

大事なことを忘れず、変わらない熱意をもって追求して已まず、積極的に勉強して気を散らさず、日々発奮して気を換えてなりません。何れの學問を極めるにしても、自己完成の學を好むものにして始めて出来るものです。顔回(孔子の弟子)の「學を好み、怒りを遷さず、過ちを再びとしない」態度は典型的であります。

一人一人の霊気によって頭脳も違います。これを孔子は、人間の天禀には四通りの等差がある。第一は、生まれながらにしてあらゆる徳義を知り尽くしている者があるが、これが最上級である。(恐らくは聖人がこれに当る)第二は、学びてこれを知る者が次であり、
第三は、初めは學に心坐さず、いよいよ行き詰まって困ったあげくに苦しみ苦労して学んでやっとわかる者はその次であり、第四に、行き詰まって困りながらも学ぶことを知らず、苦しんで学んでも大事なことの分からない人、学ぶ気のない人は、更にその下である。と、四段階に別けて論じられました。

學問は中道の道に達してこそ円熟が得られます。中道の道に反した學問の存在はあり得ません。孔子は、子路に六言六蔽を引用し學問の重要性を説かれました。つまり學には仁、知、信、直、勇、剛の六つの徳目があり、學を好まない為に生ずる六つの弊害が起こることを知らしめたのであります。

一、仁徳・美徳を好むことは極めてよいことであるが、學をこのことをしないと、愚の弊に陥り陳腐します。お人好しの行き過ぎは愚かであり、人に欺かれます。愛着に溺れると反って人間を害毒します。

二、知を好んで、それと共に學をしてよく磨くことをしなければ、空想・妄想家になり、一人合点して取り留めのないことを考えます。行いに締りがなく、ただ徒に高きに馳せ、広きを喜ぶ弊に陥ります。

三、信を好んで學を好まないと條理を弁えず、真実の信を弁えなければ、只徒に盲信してその言葉を守り、間違った約束を守って悪い仲間に落ち入り、物事を傷り害う弊害に陥ります。

四、直を好んで學を好まないと、人間を相手にして人間以上のものを求め、相手に無理を強要し、相手を生かさずに傷つけ責めるのを急ぐあまり、狭くてゆとりのない窮屈な弊害に陥ります。

五、勇を好んで學を好まないと、物事の道理が分からなくなり、乱暴・我儘になります。
徒に人に加える方面にのみ働くから、その末は、叛乱さえも起こすに至る弊害に陥ります。

六、剛を好んで學を好まないと、物事の道理が分からず偏見・狂気になり、落着するところを失って、徒に力を振り回す狂者の弊害に陥ります。要するに六者は美徳ではあるが、その美徳を全うする為には、広い見識を立てる為の學が必要であることを教えたものであります。

これによっても如何に學問を積むことが肝要であるかが想像されましょう。學問家とは、傲慢・不遜の態度をさしているのではなく、學問臭いところがないのが真の學問であります。學の階級は継ぎの五通りの段階に区別されます。

すなわち変化學、認識學、治平學、理数學、性心學であります。これを説明しますと、

一、変化學

これは、通常の社会人が知っている狭義的な変化學ではなく、極めて広い範囲の意味を含んでいます。すなわち神から与えられた宇宙・万象すべての物質が人間の頭脳の機知変化によって一つの物体、一種の利用価値のあるものに創り出されることを変化學といいます。自然的形体から人為的加工体に造り換える學問であります。一脚の机をもって例えると、机の本質も元は樹木で、人間の加工によって変化したものであります。茶碗の元は粘土であり泥であったが、人間の手によって型作られ、それを炉に入れ焼かれることによって成り立ったものであります。一組の機械も同じことで、元はただの鉄や鋼にすぎませんが、人間の精密な研究と努力とによって組み立てられたものであります。数種の物質を応用加工して一個の生産機に造り換えるには、多大の精神力と代価を払わなければなりません。数多い試験と失敗を繰り返してから漸く成功します。また、性能の低いものから性能の高いものへ、粗末劣悪の品質から優良精密の品質へと改革・改良していくには相当の努力を必要とします。生産の遅い、旧い悪い形のものから理想的な新しい良い型のものへと造り換え、自動大量生産化していく、これらの能力を有している人を発明家、又は學士・博士とも言います。工学、農学、建築、物理、化学などはこの中に含まれます。士とは、成功者対する美称であり、學とは、浅きから深きへ、悪しきものから好きものへ、不理想から理想へ、工夫改善することで、博とは広く見聞や研究をされた意味を表します。

二、認識學

これも広義的に説く認識學であります。すなわち宇宙間、上は日・月・星座星雲の天体から、下は河川・山岳・海洋の一切、中は動物・植物・鉱物の動・不動の形物に至るまで如何なる品名と性質を有しているか、その形態の状態とによって、どの地方に生産・発生されるか、どうして始まり、どのような経過を辿り、如何なる結果に終わるかなどを詳細に解明する學問であります。また、天地・気候・年代・潮流とどんな連携をもっているかが認識でき、そして人間に有効であるか否か、応用できるか否かなどを見極める學問です。
一つの薬物がどれ位病体・病状に影響するか、薬効の正確な判断は難しいことであります。一つの薬品が化合して何種もの物品の製造に役立つかを知ることも容易なことではありません。生物・天文・歴史・地理・考古・医学等はこの中に含まれることになります。
これらの能力を有している人を見聞家と称し、あるいは博士とも言います。

三、治平學

これは、徳を以て世の中を和合させ、統治する學であります。我々によって発明・製造された一切のものは、人類が享受する為に為されたはずであり、人々の便宜を図り、人々の幸せを思うがために尽くされたものであります。例えば花壇を造園するのも、人々に鑑賞させ楽しませるが為であり、一つの機械を発明するのも、我々に利用させ生活をより良く向上させるが為で、飛行機・気車・電車・船舶・自動車等の発明も、目的は人間の心を快適にさせ満足させるが為に追求されているに他なりません。人間最大の希望は永遠に争いのない、苦のない、不便のない、太平の幸福にあります。人間の本質は、決してそれを悪用して人類滅亡や幸福を脅かすことなく、又不幸、貧困、戦乱、災禍のない理想的な世界の実現を希望しています。しかし、有史以来の世界は、時には乱れ、時には治まり、不正常であります。人類の熱望するところの幸福の為には、昔から沢山の立派な英雄・豪傑や政治家が現れて暴虐を除き、善良な民を安護してきました。禍や災難を治めて平和たらしめ、天下の同胞が一方の塗炭の苦しみから解脱せしめ、不安恐懼のない安居楽業の生活を享受させました。範囲の広い幸福を計った人ほど人から崇拝敬慕され、これらの能力を有している人を治平家、または英雄と称されます。文学・教育・法曹・政治・経済等はこの中に含まれます。

四、理数學

この理数學も現代社会の知っているところの狭義的なものではありません。広義的理数學は、天地の開闢を知り、日月の盈虧を計り、陰陽の消長、寒暑の往来、世道潮流の変化、時運の変遷を理数の上から計算して悟得する學問のことであります。人心の善悪を弁別でき、時勢の推移を見通し、事の成敗、過去・現在・未来を的確に判断・計議できる能力を有している人を知識家と称し、また賢人とも称されます。易学・哲学・心理学・預言者などはこの中に含まれます。

五、性心學

この性心學も現代社会で知っている所の性心學ではなく、むしろ現代社会の知らない性心學であります。これは、先天・後天の在り方、宇宙森羅万象を含む一切の有形無形のものの創造理を悟り、それに通ずる學であります。すべての物体は、この定理・定数の範囲から出ません。物事の終始本末を悟り、万古不易の真理を定義し、由来と未来の理を確立して人類を苦の因果の梱縛から脱せられる法を参悟する學であります。霊の浄化、心の洗浄法を会得することは至難の業であります。どんなことでも、根本原理を追求して至らねばなりません。この原理は、千秋万古を経て真であり、常に不変の存在であり、如何に攻撃打倒しようとしても不動体であり、どんな強力な力でも覆すことはできません。この真理を求め、これを掌握し、大霊に融合する「道」を得た人、それに到達した人こそ最高の學を修得する人と言えます。前記の仕事を為し得られる人、または、これらの能力を有している人を知慧者と称し、あるいは聖人とも称されます。神學・宗教學はこの中に含まれ、老子・孔子・釈迦・観音菩薩・達磨大師・キリスト・マホメッドなどはこの域に達せられた方々であります。

我々が学んでいる「道」は、すなわち性心學であり、最高位にあたる貴い存在であり、學の五階級の中でも第一等に算えられますが、さらに性心學は五段階に別けられます。

【粗理】=あらいり

聖人は、幽玄なる奥理を人に説明するのに、人によって法を説く関係上、 普通一般の人に説くのを主旨とされています。これは、因果応報の的確と、宿業罪業の報復を「瓜の種には瓜の実、豆の種には豆の実」と述べられています。すなわち善を為せば善の果を得られ、清白の行いがあれば清白の報いがあり、時期が到来すれば必ずその報いが来るという平易な理であります。一般人はこのような啓発によれば一番目覚め易いからであります。

【細理】=こまかいり

聖人が程度のやや高い知識層に説く主旨であります。聖人は、人々に道徳・倫理の根本を教え、義理と人情の必要を説き、禮教・仁愛の大事を納得させました。社会は、天下の人の社会であって、自分1個人の社会ではないから、相互の親愛がなければなりません。だから生きている以上は、人を愛し、世間の危機を救い、己の態度と行為を正しくし、意を誠にし、心を正し、身を修め、家を斎へ、国を治め、天下を平和にする順序を明らかに知り、対人関係に必要な孝・梯・忠・信・禮・義・廉・恥を具備することを教え、人格・教養・道徳を円満に修める為、必要な理を教えるものであります。

【微理】=かすかなり

聖人が程度の一番高い知識層に説く主旨であります。聖人は、聖書・経典を根本にして宣揚し、人々に聖人と凡人、仙人と俗人、仏と衆生の元は完全に一体であり、同様であることを示した理であります。我々の元は一様に、天地創造神・造物主から賦与された霊を持ち、父母から生育された身体を有し、天地から扶養されて生活していますが、ただここに迷いと悟りによって天淵の差に別れてゆくのであります。この理をいち早く悟ることを教えたのが微理であります。もし、明師から真傳心法の伝授を受けることができれば、人々は皆聖賢仙佛に成れましょう。ただ、切実な決心があるか否かによって分別されていくだけであります。この理を悟って偉大なる決意を持てば、万古流傳の名声を獲得できることは言うまでもありません。

【玄理】=おくふかいり

博く千経萬典を覧て、自己の真霊をますます深い玄理に結びつけて、日夜修行煉磨することであり、自己の霊光をいよいよ純熟に仕上げてゆくのを参玄と言います。

【妙理】=たえなるり

ここに到達した人は、もう一宗一派の所説に偏狭することはありません。最高の真理を掌握し、態度は超然として深い妙理のみを悟得師、自分の真なる智慧を発揮して不変不易の理想境界へ至ろうとします。これを「妙を悟る」といいます。まず、妙を悟ってこそ「道の真諦」を発揮でき、輪廻と煩悩、因果と恐懼を脱れて人々に人生の最高幸福を悟らしめることができ、この工夫に到達できる人の學は最高至極と言えます。

以上が性心學の大切を述べた論説で理論上,學問の根幹をなしているものであります。

※「性」とは「霊」とも言います。仏性とか真心とも言いいます。


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【Ray:2015年版です】Beneficiary's Personal Penshin Fund(2)クォンタム・リープ(量子的飛躍)効果

2020-12-30 18:34:37 | 新しい時代の統治・金融システム・BPPF(個人年金基金)

 

Beneficiary‘s Personal Pension Fund(個人生涯年金基金)

類愛・世界愛・生命愛

21世紀、世界は公のものとなり,あらゆるものは人類の共有となります。

人種や国家の壁は取り払われ、人々は好きな土地に住み、好きな時に自由に往来し、自由な交易が行われます。

民族愛・国家愛は、人類愛・世界愛・生命愛に変わり、人々は互いに慈しみ通じ合います。

老人は皆自分の親とみなし、すべての子供は、自分の息子や娘とみなされ、愛着をもって大切にされるようになります。

国は相互扶助の本体として再生し、人々は道徳を以って相互扶助を実践します。

自己の能力を生かし、天職を尽くして、奉仕貢献する者には尽きることのない報酬が約束されます。

やがて、人々の安全は保証され、恐怖や不安がなくなり、力ずくで搾取する必要もなくなります。

人生の目的は、競争ではなく助け合うことに変わり、助け合うことによって進化しつづけます。

以前のことは過ぎ去って、悲しみや苦しみもなく、全てのものが新しくなって人生最高の幸福をしみじみと味わうようになります。

人類の尊厳は復活し、真理を尊び、この理念に準じて永久に栄えます。

【プロジェクト概要】

Beneficiary‘s Personal Pension Fund (BPPF)のBeneficiaryは、聖なる報酬に由来し、天に代わって奉仕をする者への報酬を意味します。 

BPPFは、相互扶助社会を創造するため、一元化された世界の公共信託基金から個人に信託される個人生涯年金基金です。生活の安心・安全が保証され、全人類の創意によって一体化を推進します。

世界の情勢が大きく変わってきた今、市民一人一人が直接世界の金融経済を担う第一歩となるよう発進します。 このプランが神々の助言とその役目を担う方々によってさらに進化してゆくことを願っています。

統治体および全ての公益団体(非営利事業体)の財源も、人類の総意により一元化された公益信託基金からダイレクトに信託されます。

OPPTは、世界の金融経済を大転換させるため、地球人類の資金・資産・資源の一元化を諮り、NESARAは、統治体と地域の安定、平和共存・文明の融合を実現するため、そしてBPPFは、個人の尊厳と生活の安全・安心を守り人類と宇宙の進化を諮ります。この3つは一つのクォンタムな相互扶助システムです。                                                                                                                                                                             

 【BPPFのクォンタム・リープ(量子的飛躍)効果】

初期段階に暫定的な金融システムを発効させるために、世界の国々から経済の安定に対する保障と、新しい統治システムの基本ビジョンについて理解できるよう説明を求められます。もう闇の支配がないことが明確になっても、国家間あるいは国々の担当者の自覚にかかる問題へと移行し、その統治体のリーダーや有識者との調整は、今までもこれからもしばらくは時間とのダンスを繰り返します。

国連はジェノサイト・難民・環境・医療問題などこのダンスの経験が豊富であるため次第に地球市民は遠ざかってしまいました。

新生共和国として米国の復権が宣言され、UCC商事法や海事法が是正され、コモンロー(慣習法)の採用という段階は、まだ分断社会での対処に過ぎません。実際に日本や米国の大学研究室で相互に綿密に歴史的凡例体系を研究しても、新体系の論拠を見出せずにいます。

当然のことながら、低次な奴隷支配体制から人の崇高な尊厳への転換を諮ることは、本来過去を切り捨てなければ成り立たちません。しかし崇高な人類の尊厳の領域に「切り捨て」という選択はなく、むしろ神々の恩恵によるクォンタム・リープ(量子的飛躍)による転換とクォンタム・リープを起こす機会の選択に全てがかかっています。

近年、カンボジアやインドネシア、そしてアフリカの大量虐殺の実行者を罪に問わない高度の人道的な活動は、国際司法や国連のあり方と新たな人類の軌範選択の前触れです。

これらの歴史問題も含め短期間の飛翔を意図したプロジェクトの根本にBPPFが位置し、この地球のすべての性命を無限の可能性にシフトさせます。BPPFによるクォンタム・リープ効果は小さい視点に着目しながら、未解決の科学的・歴史的・国際的問題まで広範囲に渡り、なおかつ新境地を開拓することが出来ます。

現在待望されている米国の共和国復権は、支配から脱して改革の入口に立つ一時的な政治的デモストレーションとして過去の精算の意味合いが強く、宣言は国民や諸外国に混乱を引き起こします。市民生活には部分的な利点があるかも知れませんが、新しい統治に関する法や社会制度、土地など「所有」の根幹的問題について一貫性のある結論に至るには市民の理解の進捗を待ちます。

そこから日本の役割が重要になってきます。 

【BPPFの財源、国際金融と統治 その1】

相互扶助社会を実現させるための触媒的役割のBPPFは、個人が儒益する生涯年金基金で個人と全体(世界の全ての個人)の一体が原則です。この基金は10億円の30%が奉仕活動基金枠で「奉仕すれば奉仕するほど見返りが多くなる」システムです。奉仕活動を通じて意識改革を促進し人類の進化をバックアップします。

世界の経済格差を解消すること、共通の世界統一通貨に見合う価値基準を定め、そして歴史的債権債務を精算し、地球の自然環境を保全整備する人類のライフワークを本格的に開始するステージとなります。

つまり奉仕活動で増えた基金枠(世界全体で)で世界の過去の経済の歪を吸収します。例えば、ある国がFRBやIMFに1兆円の債務を押し付けられていたとします。これを単純に負債0にするだけでは、それまで国民が負わされた様々な苦痛や矛盾を補償するための解決策になりません。

今消費者金融の金利取りすぎ対策が行われていますが、仮に金利相当が補償されることがあっても、今の政治体制や社会システムではお金の使い道の本質は変わりません。教育・医療…など、そのまま維持させるような資金の流入は単なる無駄使いに過ぎません。個人も企業団体も国家も世界の金融改革による調整資金を国際ルールに基づく相互扶助基金枠でプールし、新しい基準で補償するなど、超公益に資する融合プログラムに変換する必要があります。

BPPFの財源については、国際金融や統治と切り離せない関係にあります。見えない世界の本質を見極めるために、人類が「自ら造り出してきた結果を自らが受けている」という尺度を持つことで物事の表裏をより高い見識で観察できます。最近の国際金融と統治に関するメッセージによると、人々の犠牲を少なくするため、あるいはバランスをとるため、まだ触れられない部分があったり、あるいは闇の生き残りと威圧を目的としたプロパガンダが紛れていたり、緊迫の時期がまだ続き忍耐を要します。 

実際の世界の改革は、闇が光になり、光の中で人々が立ち上がるまで、闇を前面に出しているという、改革が最終段階に至っている全体像が見え始めてきました。つまり本当に世界を動かしている勢力の動きが光に変わってきてニュースでも一部分かるようになってきています。

この動きの根底には、光も闇も創造主の命(もと)で、世界を一つにする同じ目標下にあり、闇にとってはワンワールド構想、光にとっては宇宙との星間国家構想があり、人類の存在意義には具体的に4つの課題がありました。

1、人類そして宇宙の存在と地底の存在が一体となって大宇宙の次元上昇を完成させること

2、新しい時代の新しい道徳基盤(宇宙法)を定め世界に公布すること

3、天災や疫病などの災厄を防ぐため一致協力すること

4、戦争をなくし人類の尊厳を回復して世界の平和を実現すること。

もちろん闇にとっては、今までの支配体制を維持する目的に添わないことは表現を変えたり、実施することが適切でない場合は隠蔽してきましたが、そのことが一層改革に拍車をかけました。人類の滅亡を地でゆく者たちは、他の惑星に脱出したり地球の地下に潜り込んだりするグループと、あくまでも天意に従って慎重に行動するグループに分極し、内部から改革に立ち上がる人や世界の平和を願う人々の戦いによって、闇の計画に徐々に光が当ってきました。

そして闇の力をかりて、人類の滅亡を回避して生死の淵から立ち上がったことはまさに共通の勝利でした。基礎体力をつけながら、人心復興の見通しがつきました。一方でサブプライムなどによって支配に必要な資金がますます枯渇しました。それによって相互扶助による型の循環社会が浮上することができます。そして世界のコミュニティは高次のマスターの指導が受けられるような環境が整ってゆきます。この循環が順調に流れるよう世界の金融や統治は追従します。

改革は進み、犯罪者が大量に逮捕されています。当然、法と警察や軍などの権力行使がなされている背景には闇の支配があり内部の強制改革が行われていることになります。その中でもNESARA、OPPTと続き、全ては市民に主権があるというFlagを掲げ、世界の政府・銀行・企業など、その後の変革はOPPTで開示され実施されています。

世界のトップクラスの銀行が一つのコントロール下に置かれ、世銀・IMF・FRBも中国の資本が入り過去の権力は実質解体され、国際司法裁判所・バチカンなどの司法部門、ヨーロッパの王室の改革など、今までのピラミッドは浄化・精算の目的以外は解体の状態です。

この改革を実際に指導している組織は、OPPTによって新しい仕組みに移行しながら再支配するという意図よりは、天意がどこにあるのか模索しているよう見え、この世界的変革の混乱を治めることに集中しているように見えます。もう決して闇の及ばない神々の圧倒的な威光が広がり始めています。

何千年も何万年も続いてきた神との契約、時代時代の役割やなすべきことは当然啓示に従ってきています。そして社会に害を及ぼすような不必要な資金・金銀財宝はほとんど回収された段階で、その金額評価は天文学的な数字だと言われています。

【BPPFの財源、国際金融と統治 その2】

天文学的な数字になった世界の財宝にはどんな価値があるのでしょうか。

一体なぜこういう世界に生きているのか、その答えは簡単明瞭でした。13000年前からの「そう思い込まされた価値観」狡猾な価値観でした。物々交換や、つぶ貝を交換の道具に使っている国が現存しています。通貨や財宝に執着しなければ遥かに楽だったいうことがまもなく分かるようになります。

通貨や金銀財宝の自縛から逃れるには、まず「棚からぼた餅」という消極的な観念を捨てるため、自分にもともと備わっているすばらしい能力を掘り起こすことから始まり、そして今その成果を感じるようになってきました。

BPPFの財源はNESARAやOPPTによるものではなく、もちろん中国の古代ファミリーの膨大な黄金でもありません。そういう大げさな価値観のものでなくても、お互いの「信用」で十二分こと足ります。「信用」とは、一なる世界、人類が今歩んでいる次元上昇の至福の共感が育むものです。

今の金融経済の生活方式を「信用」という無形の価値観に照らして、変化に応じて新しい循環を構築する基本理念は道徳的ルールです。すでに準備完了している神々の計画を実際に具現化するのは人の役目で、その時々その人に相応し、変化に準じて社会も変遷するため、道徳の軌道を見失わないように運命づけられているのです。この約束された自然な営みの中で、神への畏敬と赤子を胸に抱くにふさわしい環境が実現されてゆきます。

人類は長い間搾取されるための金融経済を押し付けられ受け入れてきましたが、社会秩序や文化・風俗と同化しながら怠惰な悪習慣を許容してきたため、見えない暴力に囲われ、抵抗しないよう潜在的恐怖に抑圧されてきました。

この悪慣習を排除するため、新しい理念を打ち立て道徳を実践することで、変化に応じて神の策を引き寄せ、適切な時期にBPPFを実現させることができます。意識や社会をトランスする一時的なコンテンツですが、進化のためには最強の聖なる生活システムの旗頭になります。

とりあえず現生活体系を維持しながら、地球にエネルギーを引き寄せるある種の超越した忍耐で、この泥の鎖を切り、悪習を捨て意識を移行し次元上昇の保証を得る領域(BPPF)に入ります。個々の癒しに十分に専念できるようになり、やがてあの金融経済という幻があったこともさえ忘れる程に大きく変わります。

国際金融の現状を理解するとき、金銀財宝、旧債権、個人・団体などの大型財源は一元化され全て固定されていることを前提にしなければなりません。1987年以降、市場以外の財源の争奪で正式に金の裏付けのない貨幣が大量に出回り基軸通貨の信用が揺らぎ覇権の脅威になりました。

本来の大義の一元化と、欲望を隠した「現実経済」の持続名目は搾取経済の体質上相容れない歪を生むようになり、ルールのない経済の混乱を引き起こし、混乱そのものが囮になり改革を推し進める結果になっています。にもかかわらず、食料、排出ガス、水、天然ガス、石炭、など資源の争奪という経済戦争を醸し出し、あわよくば大戦に引き込む勢いで社会を混乱させてきました。京都議定書・TTPなど多くの矛盾を露呈する懸案は、やがて間違いを正す一つの試金石であり、かれらの目論見を検証する材料にもなります。

至近な例は3・11です。従来の戦争と復興による経済の雛形と言えることが日本でおこなわれたという印象を拭えません。福島は意図的に破壊され、その復興資金を目当てに実際に、東北への首都移転計画も含めた事業計画が早い時期にマスコミで公表され、思惑はあわただしく消え去りました。

今日まで福島原発が引き起こしている数々の問題処理、この復興計画の頓挫という結果が民意(天意)の表れで、澱んだ水の流れのようにみえますが、耐えるべきときには耐える忍耐強い日本人の徳性だと思います。もし戦後経済の復興資金と同じようにこの計画が目論見通り動き出せば悪循環になります。

今の世界の金融経済の現状は、この日本の一例ですべてを表すことができます。人類は過去のこのような目論見にはもう乗ることはありません。それは同じ考え方の2020年の東京オリンピックでさらに明らかになります。

いま世界金融改革はRV(通貨の評価換え)と世界通貨改革を柱に集団的な金本位制への復帰が必要だと考えられています。しかし、この計画は光と闇の一種の経済戦争で、闇の特権に光をあてるダイジェスト版と言えます。

通貨改革の問題には、経済を支えている膨大なブラックマネーや金の裏市場があり、博打場の胴元の資金と同じように市場経済を自由にコントロールしていました。現在世界のこの仕組みは一元化され、世界的な繁栄基金になり新しいプロジェクトを推進させることになっていると言われています。

一元化に抵抗する残渣の闇の資金を吸収するため行われているこの通貨改革は、廃棄物の掃除とその掃除を彼らに任せ、司法取引によって金融犯罪の取締を強化することになります。したがってRV(通貨の評価換え)と世界通貨改革を柱に集団的な金本位制への復帰が世界的な繁栄基金になり、新しいプロジェクトを推進することが目的ではなく、法的に効力のない金融再生プロジェクトを立ち上げ、自らを露呈しながら世界に根を張っている歴史的な汚れを洗い流し続けています。

そして、金融経済を本格的に改革するには、国家への法的・暴力的・破壊的な脅迫を排除しながら忍耐強く内外の安全と自由を守ることで、政治の具を活用する人々にとってはバランスを欠かないよう細心の注意を要する緊迫した時でもあります。

【BPPFの財源、国際金融と統治 その3】

内部改革の中では、慎重なカウンセリングが必要な一面があり、参加者一人一人が自己の再評価のウェブを乗り越えるように、国家や共同体も繰り返し軌道修正してきたことについて再評価を行っている最中で、筋道の通った何かに置き換えなければならない局面を迎えています。集合的リーダー国がそれぞれ役割を分担し行動を開始する時には、今までの統治概念から脱皮するしかないという結論に追い込まれることになります。

君主が存在する国家(王国帝国 など)の君主国 に対し、国家が国民全体に所有されている状態、すなわち君主が存在しない国家である共和国、同義で近代の民国中華民国大韓民国 )がありますが、いずれも傀儡の歴史でした。

アヌンナキはローマ帝国の歴史においても三皇五帝から始まった中国の歴史でも皇帝から王制へと分断し覇権のゲームを仕掛けました。同じ事がアメリカ、及びアフリカでも行われこの恐怖のゲームを変えようする者を抹排除してきました。

分断から統合への一体化を推進するには、個々の経験をマスターし高い目標を維持する忍耐が必要です。

数々の神聖なプロジェクトによって本来の人類の探求へと導かれ、本格的な流れからの恩恵の儒益を学ぶため、新しい試みとして、生活のあらゆることを聖なる基準で再評価し、風俗・習慣・文化など相互のバランスを取りながら高次元のスーパーコミュニティを醸成します。

現在の過渡的な生活に経済的な十分な備えと多くの選択肢がある新しい領域の可能性は、天の計画に合一する自己のニーズになり人生の旅の目的になります。奉仕というニーズがあらゆる問題を解消する基点となり内なる能力に目覚め、大地をしっかり踏みしめてグラウンディングします。

【BPPFの財源、国際金融と統治 その4】

金融機関や国の財政の仕組みで市民が知っている範囲は限られています。 歴史的に積み重なった公開できない財務の内容は、表面経済を悪化させる最大の原因になっています。アメリカのFRB・IMF・世界銀行などが取りただされてきましたが、その他にも貨幣の発行権や金融の三権分立などその仕組みは入り組んでいます。さらに既存の統治体は法律や文書の一書式に至るまで今までの仕組みの一部分として機能しているため、個人に対し安全と安心を最優先することが必要なように、統治体に対しても安全保障基金が必要になります。

統治体の財源は通常税収しかありませんが、税収がなくとも当面不法に発行した還付金の返還で賄う計画を既に各国々は検討しています。もしこれが実行されても国民経済の安定を大儀に統治体の機能維持の予算編成が優先します。英国のサッチャー首相時代が世界に発信したリストラが波及しましたが、以来、日本の天下りや議員削減問題などこの20年間にどれほどの成果が上げたでしょうか。

最近米国でも財政難を理由に大幅な機構改革と公務員削減が行われましたが、無駄を省く改革に過ぎず、日本の公務員給与問題も、一般水準より高い公務員の給与をベースアップが今までどおり行われ、困窮した市民の対応は微々たるものです。

その背景には、闇が現在の体制を維持するため公務員という奴隷を使って、市民に対して外塀を固めて、その結果国や地方自治体の財政はますます悪化、国民は一層不安に駆られ、闇の狙い通りに戦争の土壌が醸成されてきました。

また、一方では世界的規模で財源が凍結(金の裏付けのない、いわゆる不換通貨の大量発行を規制する法的な措置が引き金)され、そのため戦争誘発に拍車がかかり、国々の共同体計画(世界を10の共同体に統合する)によって巧妙なワンワールド独裁を進めていました。

金本位制や新たな基軸通貨(世界統一の通貨)による世界の金融財政の再統合がその柱となるわけですが、主のいない三極会議が互いに略奪を繰り返し自らの崩壊を早めました。世界の中央銀行システムや国際金融機関の全てが法的な管理下に置かれ、世界統一戦略はオセロゲームのようにめまぐるしく変わり始めました。

この間、世界は小さな政府(外交と防衛を柱にほかの機能を民営化する)を旗揚げしましたが、計画は先行するものの財政策が伴わず、国々の破産と経済再生による再支配の目論見も行き詰まり、違法に所有していた膨大な金銀財宝財源、債権は回収され、市民の英知によって相互扶助社会の新基底構造が確立されるまで担保されることになります。統治体の自浄努力はシステム上限界があり、日本の場合国債の発行で膨大な赤字を増やしながら、更に消費税を上げざるを得ない執拗な暴力的取立ての中にあります。

正常な国家運営に欠かせない安全保障についても、日中関係・日米関係・日韓関係などいずれも不安定な戦争の脅威が演出されています。それぞれの国内も不安定で、水のない田んぼのように、変化に必要なコントロール機能を失っています。

米国・ロシア・中国・ドイツ・フランス・イギリスなど、どの国も闇の属隷国家であったため、モーゼの出エジプト記のように、金の子牛の像を作って神と崇め偶像崇拝する者達がその日の享楽にふける悪習慣から抜けられないように、統治体が偶像崇拝する者達に居座られたままで、階級制度という鉄の檻で傷ついた象には時間をかけた深い愛情と手厚い保護が必要になります。

統治体の存在意義が大きく転換し始め、闇の権力が消滅してゆく中で、特徴的なことは、崇高な理念や公共性の高い計画ほど闇にとって利用しやすいと考えてきたことです。闇は物欲が強くカモフラージュするために崇高な理念に同調します。人間がコントロールしやすい家畜だと考えている闇の習性は、崇高な理念ほど強力であることに気が付きません。

彼らの支配の傲慢さと同じように、市民も享楽にふけ無関心の闇が支配しています。しかし天恵を得て本来の自己を取り戻し瞬く間に新しい時代の創造を開始するにいたりました。闇は光に極端に弱く、この傷ついた象の統治体を支えるため、まず、各国の適正な国家予算1年目~10年目までを算定する国際国家財政評議会を発足させます。

この考えに近いことは各国がすでに研究を初めています。闇の時代に消費動向はリアルタイムで管理されていました。それぞれの国の生産能力や資源も詳細に把握し管理財産の対象になっていました。こうした所有の仕組みは、相互扶助の観点では全く異なる評価になります。例えば母なる地球生命体の一部になる石油は、もう資源の扱いにはなりません。

このような新しい変化の軌道を敷ながら、各国の国民の生産力、あるいは地勢的な能力・消費量など生活全般の再評価を行い、国家全体としての価値に転換します。10年目標で国の内外の格差を解消するため相互扶助の理念に基づいた国家再生計画を世界のすべての国がすべての国の情報を共有します。

それによって交易など相互に補完できる分野を更に共有開拓し、国境の概念を変える経験を始めます。防衛と外交を中心とした小さな政府という闇の計画を脱皮し、市民の相互扶助活動を支える統治体として、同時に国家間の相互扶助システムを拡大してゆきます。

この統治体の財源は、個々の基金と同じように一元化された世界の財源及びすべての国が承認する資金管理母体と直接の関係で、必要な財源のすべてを受け入れます。もちろん市民からの税金など一切徴収せず、人口一人当たりの評価を基準として、人口比で30年分の相互扶助統治基金を直接管理します。

今までは国の予算の中に教育・医療・福祉などの予算が含まれていましたが、相互扶助社会は市民のための機能を市民が運営するもので、これらの財源も国と同じように単独の評議会が運営するようになります。

統治体など全ての機構組織は、非営利のコミュニティの本質に進化してゆきます。国家も含め全ての境界の柵は取り外されてゆきます。

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日出ずる国に弥勒世界(白陽世界)はすでに到来しています!

2020-12-30 16:05:02 | 道を求める聖なる物語(人・日本・世・宇宙)

Ray:弥勒の世が到来しています。

白陽の世界

白陽の世とは如何なる世であるか述べてみたいと思います。未来10800年の事であるので一言にして述べつくせませんが、種々の御聖訓・御神示によって判明した分を組み立てて論点を絞ってゆきたいと思います。

白陽とはすなわち大同世界であります。

大同とは争いのない美しき道徳世界のことです。

末劫を終えた後にそれが実現されます。

その時の人々はみな人間として生まれ合わせたことを歓喜するでしょう。

生まれ出でた源を知り、帰るべき宿を知った人々は始めて己の実相を知り、真善美の姿に接して限りなく鼓舞するでしょう。

今の我々の頭脳と考えでは、とても想像できないほどの素晴らしい世界です。

人生最高の幸福をしみじみと味わう楽しい日々を迎えて悩みや煩いはなく、ただ希望と光明だけに満ち溢れた生活です。

人々はひたすらに修練に励み、ひとり一人が転職を尽くし、神から喜ばれる資格者になれるでしょう。

周囲に気兼ねなく、全身全霊を傾けて自己を磨き、より一層向上してゆけます。

我々の知識・才能は存分に活用され、人々から認められ、善徳者は尊ばれます。

貧富・貴賤の差別なく平等に扱われます。

天地はあらゆる人類の所有となり、好きな土地に住み、好きな時に自由に往来し、自由に交易ができます。

民族愛・国家愛は変じて人類愛・世界愛・生命愛となり、悪い方面に財力を消費せず、良い方面の施設が発達します。

天下は公のものですから、総て大事にしなければならない義務があります。

有能賢徳の人は、真っ先に選ばれて審議の道を推行し、曲がった道徳観念は一掃され、正しい情操感が体得されて、侵略・征服の野望心は芽生えなくなります。

表面だけではなく、真の心の和睦が得られ、人々はみな心と心が通じ合います。

老人・年配者はすべて自分の親と見なされて、孝養を尽くされ、子供・幼児はみな自分の息子・娘ともなされて愛着を受けられます。

みな妙智慧の悔悟を得ているから正しい判断力を持ち、善意は認められ、悪意の人も浄化されてしまいます。

間違った考えを抱く人がいない為に行動についても誤解されることはありません。

智慧が増すから正確な聴力や思考を得られ、聞き違いやいい違いが生じませんから極解されることもありません。

人々は礼儀を重んじますが、決して虚礼ではなく、媚び諂いは通用せず、追従的八方美人型は醜く見られます。

妄想邪念が生じませんから心気の平和が得られ、真の安心立命が得られます。

天然採食が励行され、自然に順応した睡眠が摂られ、寝食ともに十分体のためになります。

恐怖不安がないから陰険冷酷な人にならず、罪と罰の連環作用がなくなります。

施しをした人は数倍の報酬を受けられるから良い行為は自然に盛んになり、軍隊はなくなり、刀槍干戈は庫に納まります。

暴力は許されず、暴力者もなくなるから武力での解決を必要としません。

お互いの気持ちが理解されるために、言葉の弁解を必要としません。

我欲・貪欲・利己的な考えは恥となり、だんだんと消え、悪徳者によって巨富を握る
者もなく、財力・勢力を誇る人は全く見られない存在となります。

彼我の区別をする必要もなくなります。

年功者は優先的に労りを受け、働ける人はそれぞれの適役に任用され、失業者・無職者もなくなります。

皆こころから奉職しますから喜々として不平不満を起こすことはありません。

少年や幼児は温かい養育を受けられるので、素直・純心のままで成長します。

悪の元となる環境・文化・施設がないので不良にならず、暗い家庭がないから憂欝や陰気の性格が生まれず、明朗天真な生活が営なまれますから、狡猾や悪賢い子供はいません。

鰥(やもお)・寡(やもめ)や孤児には、それぞれ完全な扶助が施されます。

廃残者・疾病者には十分の治療と慰安が受けられ、男子にはおのおの適性の士農工商の職務があると同時に、女子にも尽く衣食住の帰宿があります。

唯一絶対の創造主は男女を同じく数に造られていますから、おのおの縁に合った配偶者が得られます。

心から和合しますから離縁をする人がなくなります。

物品は人類生活の要素ですから、不要の物は徒に捨てられず適当に処理され、有用な物は活用され、貴重なものは大事に保管され、世宝として取り扱い収蔵されます。

自己の利益や貪欲のためばかりを追求するような加害行為は許されません。

事業に対する熱意と労力は当然尽くすべきですが、決して個人的・家族的のためではなく、天下共有のため、大衆享受のため心からなされるでありましょう。

皆、兄弟同胞としてお互いに敬愛し、長幼に序あり、夫婦敬うこと賓客のごとく、皆一致協力して人類福利のために至誠忠勤に励むことになります。

風俗は違っても美しさに変わりはなく、おのおの異なった文化の形態が尊重されて栄え、奸邪の策謀をする人がいなくなるから、詐欺横行の悪事は絶滅されます。

増悪・怨恨がないから殺害や放火その他、罪を犯す者もありません。

遺失物は拾われる心配はなく遺失者に帰ってきます。

不足・不満・不平の人がいないから、盗賊・痴漢の跋扈する理由がなくなり、上下和気靄々として諸事を運営して、独裁者・権力者のために苦しむことはありません。

暴虐者がいないから、暗黒に処刑される政事は行われなくなります。

夜間の外出にも恐怖がなく、門戸に鍵をかける必要もなく、就寝中も門を閉める必要もありません。

人類愛だけではなく動物愛にまで及んで生物を食する者もなく、動物はそれぞれ共に群れをなして栄えてゆけます。

偸み殺しのない世、貪りや争いのない世となります。

以上が白陽の大同世界であります。

「五風十雨」と言って五日に一回のすがすがしい風が吹き、十日に一回の適量な雨が降り、昼間は晴天で夜間は潤いを満たすに必要な雨が降り、天災は全く起こって来ません。

それは、人禍による原因がないからです。

白陽一万八百年の間は、このような時代が続くと御聖訓に示されています。

我々は御聖訓を帯して、この最高理想に向かって努力せねばなりません。

Ray:宇宙人の中心にいる三角頭の宇宙人、見たことありませんか?
土偶の縄文文様を解読すると新しい歴史が始まるかもしれません。

国宝 土偶 仮面の女神 長野県茅野市 中ッ原遺跡出土
長野・茅野市蔵(茅野市尖石縄文考古館保管)

青森、三内丸山遺跡の十字土偶も三角頭です。


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