真説・弥勒浄土      

道すなわち真理の奇蹟

家人経(六)了

2024-02-06 19:49:53 | 家人経(家族経)

家人経(六)

若い人は、老人が古いとか保守的でなかなか通じないと思っていますか?

あなたも年を取ると同じになります。

あなたは真実の愛がわかっていない。

経験が少ない。

意見で争う必要はない。

なぜ親に反発するかと言うと、成長してくると年齢によって自我独立する心による。

年齢によって言ってもしょうがない。

しかしこの時まだ自我独立の考え方があり、歪曲した考えに固執してはいけない。

年寄りの痛い所の欠点をいちいち指摘する必要はない。

年輩者の考えを認めないから苦痛となる。

認めると言うことは、その時代の価値観を認めるということ。

違う時代に形成してきた価値観を認めるということ。

違う時代に形成してきた価値感を認めるということです。

全てを言うと、次の時代の為に模範を与えるのが年輩者の責任。

上の年輩者に慶びを与えるのは下の世代の責任。

師母様曰く

各家人には言い難いものがります。

皆には必ず心の思いがあります。

理解さたと思いますか。前提は素直に皆と共に行動しなければならない。

でなければ、この心霊世界はあなたを受け入れない。

交流とは理念の違う者同士が交わること。率直と忍耐を必要とします。

上帝のアレンジを得ようとすればすぐに得られるようにします。

故に学習は生涯の授業です。

仮に年寄りも若い人も、必ず正直に生きることが人間の根本出る。

地位が高いか低いかに関係ない。

仙仏様は何の問題を解決したわけではなく、交流で感受したことによってわかるはずです。

少しずつ改める事によって、家人世界が以前と異なる事に気が付きます。

今日は家人について、希望する心を話題にし、たくさん得られることが出来ました。

道理は聞く時も話すときも日常生活で生かしてください。

真理を実践できるなら、人に包容と微笑があるならあなたは既に上帝と共にいることになります。

それは感謝と「すみません」を言わなければならない。

チャンスを逃さないよう気を付けましょう。

あなたに成長できるような傷口を与えた方に感恩の心が必要です。

あなたはたくさんの経暦を経てきました。

過去・現在・未来…しかし本当の過去、現在、未来はない。

現在、全てを改めるには当下にある。

話したいことは現在を掌握しようとすればすでに流れてゆく。

心の遺憾を悔しい事にならないよう気を付けましょう。

どうすればよいかわかりますか?

天地の間で、一番難解な経典は何ですか?

論語より聖書より…より重い経典は何ですか?

経典は忘れることが出来る。

あなたが逃げたくとも逃げられない経典、

それは「家人経」です。

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家人経(五)

2024-02-05 21:44:55 | 家人経(家族経)

家人経(五)

もう一点、父母として小供のことを理解していますか。

人の祖父母として家人と付き合うことができますか。

その中にたくさんの問題が存在している。

お爺ちゃん・お婆ちゃん、中年、独身者など青少年、それぞれに対して長所・短所がある。

一点に停まって自分の事があまりわからない。

先ずいろいろな各層から意見を聞いて自分はもっと自分の考えを放下する。

人の立場で物事を考えるべき。

そうすると互いに理解することができる。

最近、道場(家庭)の中の教育は青少年に力を入れている。

但し、年配者の気持ちを疎かにしている。

年輩者の風範を道場に中からなくしてしまう。

まだわからないだろうが危険な状態にある。

三代道場の中で修道することは珍しくなる。

年輩者と一緒にいることが少なくなった。

大切にしなくてはならない。

年輩者がもう一つの面で発展している。

今、世の旅の終わりに向かって一つの結晶を生み出そうとしている。

たくさんの苦労をしてきて、色々な事で若い人には理解できない程たくさんの事がある。

年輩者の経験は、大きな社会環境に対してたくさん尽くしてきたことだ。

源の恩恵を忘れて何故修道することができるでしょうか。

ある言葉で、年寄りは人類第二の幼年老人です。

年を経ると本来の単純の心を回復する。天地万物を受け入れることができる。

たくさん見たり聞いたりするが、必ずしもすべてが正しいと言えない。

この時更に開発・学習して自分のできること(生命を継続してゆくこと)をやらなければならない。

再び生きるために準備する。霊性の再生の為に準備している。

もし、固執して頑固ならいかに霊性を再生できるでしょうか。

昔の父母はまるで小学校の先生です。

現代の父母は小供たちの独裁者になりました。

あなたの古い考え方が小供に理解できない部分があっても、小供に自由な空間を与えましょう。

子と親の分別は必要です。

上下、前後、道徳の規範として、例え自由空間を与えても道徳規範から離れたわけではない。

このようにして小供は健全な発達をすることができる。

もし、あなたが小供の尊重を得たいなら、交流して小供の話を聞いてあげて下さい。

自分の意志だけ与えて互いの接点がないならこのような交流は何の意義があるだろうか?

反発する小供に対し、自分自身に大きな欠点がることに気づいたら補充していかなければならない。

小供は成熟した考えがないかも知れない。

時にはあなたも成熟していない考えの時がある。

自分の小供と心の交流をして行きたいですか?

まず自分の青少年時代の思い出と態度を取り戻しましょう。

心霊は時空間によって疎外されない。

このようにして小供の時の心境を捜し出すことができる。

続き


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家人経(四)

2024-02-04 20:06:06 | 家人経(家族経)

家人経(四)

生活は一つの芸術です。

人間世界に来た生命は将に生活の芸術を学ぶために生れてきた。

芸術に必要なのは讃美ではなく、鑑賞する為にあり、鑑賞とは理解の体会である。

異性の異なりによって体験することが重要であり、この芸術について、あなたの身上の道になるまで続けることです。

一人の有名な音楽家にとって最初に音楽を学ぶ時、楽譜はまるで乱れた譜号であったり、乱れた曲に見えました。

指とピアノは互いに調和をとることはできません。

名と楽譜は一体として見ることができません。

但し段々と練習している内、くり返しの切磋琢磨の中で技術を習熟する内に人に感動をもたらすことのできる創作をすることができます。

その時、楽譜はただの記号ではなく指と鍵盤は融合することができる。

故に芸術の中に道があり道の中に芸術があります。

皆さんはまだ練習の中にあり、学習の中にあり、必ず不自然な中で勉強することがあります。

正に深く勉強した中に本当に道の化身になります。

その理由はあなたの身上に道があるからです。

そしてわざとらしい不自然さもなくなります。

しかもあなたはたくさんの人を成就させることができます。

 

孔子様が周遊列国の中、顔回が米を貰ってきた。

顔回は少しとって食べた。

そして孔子様にその粥をすすめた。

孔子は見なかったように装った。

そして夢を見た話をした。

夢の中で前輩者が食べた後に食べたことを伝えた。

顔回は粥の中に黒いもの(粥の焦げた部分)があったのでそれを取ったことを言った。

孔子は、自分の目で見た事でさえ間違いがある。

まして聖人でも過ちがある。(人はいつも自分の目を信じている。しかしこの目でさえすべて信じるべきではない。)

十分に検討して人と人と付き合う中で、もし理解していないたくさんの誤解がある。

誤解がある時はただちに誤ちを認めればそれは貴いことです。

もし一歩さがってよく理解しようとして見れば多くの争いを避けることができる。

自分の足りない部分をよく理解しなさい。

謙虚に学習しようと思えば、あなたは深い理解し対応できると思います。

自我意識の働きを避けることができます。

相手の存在を無視することなく、相手の存在を認めて口争いの発生を避けることもできる。

 

前回から見ると乾坤の長所と短所それほど大きな違いはない。

それは性別の異なりによってある部分を特別にあらわしている部分があるからです。

今現在婚外情は乾の特許ではない。

忠を果たさない妻も結好ある。

一生懸命仕事をして家族を養うのに必ずしも乾道がやるべき仕事ではない。

妻によって家族を養うそういう家族もある。

断言できることは坤道は乾道より勇気を持って決断することができ、思いやりについて論ずるならば乾道は坤道より細やかさを持つ事があります。

乾坤の長短は元々一定の原則がない。

私が好きか嫌いかという尺度で人を諮ってはいけない。

その理由は愛は相手を奪うことではない。

相手を征服することではない。

夫婦の間の付き合う道はただ相手に勝つために、ただ自分を強く見せるためにすることは絶対に円満を得ることはできない。

あなたが必要とすることは、競争する友が必要ではない。

ただ互いに扶け合う人が必要です。

しかもあなたが対面するのは人間です。

完備の神ではない。

ゆえに完備の枠をもって互いに束縛してはいけません。

妻は夫の付属品ではない。

夫は妻の列車の頭ではない。

夫婦はこの家人を支える二つの大きな柱(大黒柱)です。

どちらか片方が傾いても、弱勢となって家人の運命に影響を与えることになる。

今現在は誰が誰の話をきく時ではない。

むしろ誰が誰を尊重すべきである。

今後家人間について夫が妻を圧迫し過ぎては、あるいは妻が夫より強気でいるならば互いに反省すべきである。

私の能力が高いかも知れないとか、私の方が決断力を持っていると言えば、あなたは相手の事をよくよく考えているか、相手の感受を疎かにしてはいないか、あなたは感じていますか。

あなたはどれほどできるか、どれほどわかったのか、あなたは家人に自分のいい所を見せびらかす為に存在しているのではない。

家人を穏やかに安全にする為に存在しているのです。

道場の中で女性権力主義、男性権力主義は同じように持ってはいけない。

家人を持っている人は必ず自らはっきり理解するべきです。

今後家人に対する道は如何にするか大体わかりましたか?

続き


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家人経(三)

2024-02-03 19:56:30 | 家人経(家族経)

家人経(三)

師母様曰

乾坤男女は分別があります。

それは性理的な仕組みが異なることによって考え方の方式が異なることによって、プラス歴史・文化の加えるものがある為に、人類が両性別の戦争を生み出すのも仕方ない。

聖書によると以前、上帝は、楽園の中でアダムを創りだしました。

上帝はアダムが淋し過ぎないようアダムの体の中から一つの骨を取り出してイブを創り出しました。

ヘブライ文章によると、イブの元の意味は生命という意味です。

その中からわかった事は、上帝がイブを創ったのは生命を続けさせるためである。

生命

上帝の一番素晴らしい創作です。

そして生活はすなわち人類自体の芸術の創作です。

両性別を考え、思考の創作によってまるで互いに補うようにできています。

あなたの欠陥は丁度相手の長所であり、長所は丁度相手の欠陥です。

両方の凸凹の異なる物体は丁度素晴らしい組み合わせになっています。

歴史文化から社会現象まで、皆さんに覚醒してほしい事は、いかに互いに尊重すること、互いに補うこと、圧迫しすぎると必ず強烈な反発を生み出すことになります。

乾であろう坤であろうが、にもかかわらずみな強気の姿勢ではいけません。

あるいは相手をコントロールする、あるいは圧迫する態度を取ってはいけません。

陰陽互いに契合する剛柔は並用する。

結局人間性の中にこの両面を持っている。

まるで坤道の母親を例に挙げると、人に想像つかない位の勇気を発揮することがあります。

乾道の父親としては、意外な細やかさを持っていることがあります。

あなたの一番光明な一面を発揮しなさい。

あなたはすなわち一群の中でとても昭和の雰囲気をもたらす人になります。

皆さんは人類がいかに戦争が好きかわかりますか。

このような議論があります。

イブはアダムの助骨から創り出されたものです。

そのためアダムはイブよりも大きい。

アダムは荒っぽくイブは細やかな芸術品である。

その為にイブはもっと知恵をもっている。

理屈はあるけれど、そのようなことは言葉を使った論争に過ぎない。

乾道は、このように女性は才能がなければ得であるというが、人をコントロールする、誰をコントロールするというような考え方は正しくない。

いかに異なる中で互いに続けて扶け合う事を努力することです。

それは皆が続けて努力することです。

自分に照らして考えたことがありますか。

良い所があれば励ましとして、悪い所は反省して、強い人、弱い人と考える必要はない。

中和の道として考えます。

生活を担当する時に担当する。譲る時に譲る。

すなわち一件はとても良い点で完成します。

まだ道場(生活の場)に男尊女卑が残りますか。自分の理念から調整しましょう。

自分の家人から調整しましょう。

正しくない習慣、正しくないやり方、時に合わない文化、それも転じて中庸の道にしましょう。

不正確な他人に対する観点から改変する。

続く


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家人経(二)

2024-02-02 18:45:33 | 家人経(家族経)

家人経(二)

師尊様曰く

あなたは混乱しているのではないか。

場所が変わっても修道のことは変わることはない。

家人と一緒に修道したいか?なのにいくつも省略している。

(1)家人はあなたのやっていることを認めているか。

(2)あなたは家人のやっていることを認めているか

(3)あなたは本当に家人と思っているか。

一緒に修道することを要求しない。

本当に家人であることを要求する。

子供に父母と思わせること、生活の中に溶け合わす。

現実逃避であることを認めるべき。

あなたは既に修道している。あなたの家人もあなたの修道に適応している。

あなたもあなたの一定の要求を受け入れるべき。

あなたは家人を愛している。

家人のために努力していることを感じさせるべき。

ただ道親を大切にしているのは家人の為だと理解させるべき。

自分の家人は一番悪いわけでもない。

人を羨ましい、怨む気持ちを持つ必要はない。

各家人は必ず各家人の方程式があるはずです。

自分の家人に対して信ずる心を持ちなさい。

自分の道親に対して百語の言葉を話すよりも、道親達はあなたの家人の中に本当の道を見ることができます。

ここで皆さんに励ましたいことは、もっと感恩する環境は必ずしもリラックスする環境ではない。

あなたに深刻な印象を持つ人は必ずしも一番いい人ではない。

苦しみの中に必ず甘味が残っています。

あなたがゆっくり味わい楽しむことを待っています。

乾道(男)坤道(女)の尊卑は言わない

一つの民族の習慣性、それは各時代を経過して形成してきた。

例えば男尊女卑は今度の世代によって自ら創り出したものではない。

それは前の時代の習慣を基本に学んだもので、それが次の時代の基本を形成してしまう。

その印象の中で影響力を発揮してしまう。

既に印象は彫刻によって得られたものであれば彫刻によって変えることができるでしょう。

もし男の子が小さい時から女の子にぬいぐるみを抱っこして遊ぶのを教えられたら、女の子が小さい時からウルトラマンになりなさいと教えられたら、どのような人間になってしまうか。

今の現象とは異なってしまうでしょう。

(1)泣いてはいけませんと言って育てれば、男の子は自分の能力を現す力を失ってしまうでしょう。

(2)従いなさいと言って育てれば、今日の女性達のように何もかも呑み込んでただ生きるだけの生活になってしまう。

あなた達の生活が可愛そうなだけではない。

すべての人類はもう何世代も可愛そうな生活を送ってきました。

今日、修道する以上、平等の真儀を理解しましたか。

すなわち、それを転ずることを理解すべきです。

何世代伝わってきた観念を転ずることを理解し、互いの修道環境をますます溶け合うことができるよう作りあげましょう。

この国は最初から男尊女卑の観念を持っていると思うか。

日本公元三世紀の時の国のリーダーはほとんどが女だった。

外来の思想と封建制度により影響された。

人類に元々このような種族、性別の差別は存在していない。

続く


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