マカスピ💖ブロッサム・グッドチャイルドライブ対談〜ブロッサムさんとホワイトクラウドのファーストコンタクト〜
世界は急変しています。
その根本は、人類史上初めて唯一絶対の根源創造主が主宰する時代に移行しているからです。
豆や瓜が実って収穫できるようになるには創造の妙があり、種から根が付き茎が繁茂して実をつけます。
人類も根源創造主によって宇宙が創生され、主の分霊が地上に降りて、聖なる目的のために壮大な歴史を営んできました。
収穫と同じように、人類もその成果を落実する時に至りました。
これから一万八百年間、役目を果たしたすべての生命が、道すなわち真理を得て、根源創造主の元、故郷「理天」に還ることになります。
過去も未来も決してその姿を顕すことがない存在です。
以下の創造神は、「在る」ことを伝承した呼称です。
日本の古代文献の竹内文書では根源創造主のことを竹内文書は、創造神(第1代神)「元無極躰主王大御神 (モトフミクライヌシノオオミカミ)と称しています。
道教・老子:萬靈真宰(ばんれいしんさい)・無極聖母(むきょくせいぼ)天地生育之母(てんちせいいくのはは)
儒教・孔子:上天(じょうてん)・明明上帝(めいめいじょうてい)
仏教・釈迦:阿弥陀(あみだ)・西天仏母(せいてんぶつぼ)瑶池金簿母(ようちきんぼ)
キリスト教・イエスキリスト:神・天に在します父
回教・マホメット:アラー・天主・大神
日本神道:天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)・国常立尊(くにとこたちのみこと)
印度のヒンズー教:ブラウマン
シーク教:ラマ
ギリシャ:ゼウスの神
エジプト:オシリス
根源創造主が主宰する時代が来ることは、古代から預言されていましたが、秘密のうちに伝承されてきたため、実際の内容について一般に知られることはありませんでした。
今回、時機到来と考え、本ブログのカテゴリ「天道の淵源」でその淵源を謹んで公開させていただきます。
これは正式な布告ではありません。
正式な布告は、1234年日本奈良県の興福寺の砂盤に始まって、状況の変化に応じて暫時形を変えて行われてきました。
今から約100年前から中国で広がりましたが、文化革命などで衰退し、その後台湾に渡り台湾から世界に広がりました。
日本には80年前から一時100万人に広がりましたが、覚醒はひとりひとり違うため、正式な金線は極めて限られています。
※金線:天の詔が降りているライン
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Ray:中華とは地球を言います。世界同時進行している弥勒の世はすでに到来しています。今までのような物質的・形象的伝承は、過去のものです。新しい時代は心の覚醒の中から実現します。
白陽の世界
白陽の世とは如何なる世であるか述べてみたいと思います。未来10800年の事であるので一言にして述べつくせませんが、種々の御聖訓・御神示によって判明した分を組み立てて論点を絞ってゆきたいと思います。
白陽とはすなわち大同世界であります。
大同とは争いのない美しき道徳世界のことです。
末劫を終えた後にそれが実現されます。
その時の人々はみな人間として生まれ合わせたことを歓喜するでしょう。
生まれ出でた源を知り、帰るべき宿を知った人々は始めて己の実相を知り、真善美の姿に接して限りなく鼓舞するでしょう。
今の我々の頭脳と考えでは、とても想像できないほどの素晴らしい世界です。
人生最高の幸福をしみじみと味わう楽しい日々を迎えて悩みや煩いはなく、ただ希望と光明だけに満ち溢れた生活です。
人々はひたすらに修練に励み、ひとり一人が転職を尽くし、神から喜ばれる資格者になれるでしょう。
周囲に気兼ねなく、全身全霊を傾けて自己を磨き、より一層向上してゆけます。
我々の知識・才能は存分に活用され、人々から認められ、善徳者は尊ばれます。
貧富・貴賤の差別なく平等に扱われます。
天地はあらゆる人類の所有となり、好きな土地に住み、好きな時に自由に往来し、自由に交易ができます。
民族愛・国家愛は変じて人類愛・世界愛・生命愛となり、悪い方面に財力を消費せず、良い方面の施設が発達します。
天下は公のものですから、総て大事にしなければならない義務があります。
有能賢徳の人は、真っ先に選ばれて審議の道を推行し、曲がった道徳観念は一掃され、正しい情操感が体得されて、侵略・征服の野望心は芽生えなくなります。
表面だけではなく、真の心の和睦が得られ、人々はみな心と心が通じ合います。
老人・年配者はすべて自分の親と見なされて、孝養を尽くされ、子供・幼児はみな自分の息子・娘ともなされて愛着を受けられます。
みな妙智慧の悔悟を得ているから正しい判断力を持ち、善意は認められ、悪意の人も浄化されてしまいます。
間違った考えを抱く人がいない為に行動についても誤解されることはありません。
智慧が増すから正確な聴力や思考を得られ、聞き違いやいい違いが生じませんから極解されることもありません。
人々は礼儀を重んじますが、決して虚礼ではなく、媚び諂いは通用せず、追従的八方美人型は醜く見られます。
妄想邪念が生じませんから心気の平和が得られ、真の安心立命が得られます。
天然採食が励行され、自然に順応した睡眠が摂られ、寝食ともに十分体のためになります。
恐怖不安がないから陰険冷酷な人にならず、罪と罰の連環作用がなくなります。
施しをした人は数倍の報酬を受けられるから良い行為は自然に盛んになり、軍隊はなくなり、刀槍干戈は庫に納まります。
暴力は許されず、暴力者もなくなるから武力での解決を必要としません。
お互いの気持ちが理解されるために、言葉の弁解を必要としません。
我欲・貪欲・利己的な考えは恥となり、だんだんと消え、悪徳者によって巨富を握る者もなく、財力・勢力を誇る人は全く見られない存在となります。
彼我の区別をする必要もなくなります。
年功者は優先的に労りを受け、働ける人はそれぞれの適役に任用され、失業者・無職者もなくなります。
皆こころから奉職しますから喜々として不平不満を起こすことはありません。
少年や幼児は温かい養育を受けられるので、素直・純心のままで成長します。
悪の元となる環境・文化・施設がないので不良にならず、暗い家庭がないから憂欝や陰気の性格が生まれず、明朗天真な生活が営なまれますから、狡猾や悪賢い子供はいません。
鰥(やもお)・寡(やもめ)や孤児には、それぞれ完全な扶助が施されます。
廃残者・疾病者には十分の治療と慰安が受けられ、男子にはおのおの適性の士農工商の職務があると同時に、女子にも尽く衣食住の帰宿があります。
唯一絶対の創造主は男女を同じく数に造られていますから、おのおの縁に合った配偶者が得られます。
心から和合しますから離縁をする人がなくなります。
物品は人類生活の要素ですから、不要の物は徒に捨てられず適当に処理され、有用な物は活用され、貴重なものは大事に保管され、世宝として取り扱い収蔵されます。
自己の利益や貪欲のためばかりを追求するような加害行為は許されません。
事業に対する熱意と労力は当然尽くすべきですが、決して個人的・家族的のためではなく、天下共有のため、大衆享受のため心からなされるでありましょう。
皆、兄弟同胞としてお互いに敬愛し、長幼に序あり、夫婦敬うこと賓客のごとく、皆一致協力して人類福利のために至誠忠勤に励むことになります。
風俗は違っても美しさに変わりはなく、おのおの異なった文化の形態が尊重されて栄え、奸邪の策謀をする人がいなくなるから、詐欺横行の悪事は絶滅されます。
増悪・怨恨がないから殺害や放火その他、罪を犯す者もありません。
遺失物は拾われる心配はなく遺失者に帰ってきます。
不足・不満・不平の人がいないから、盗賊・痴漢の跋扈する理由がなくなり、上下和気靄々として諸事を運営して、独裁者・権力者のために苦しむことはありません。
暴虐者がいないから、暗黒に処刑される政事は行われなくなります。
夜間の外出にも恐怖がなく、門戸に鍵をかける必要もなく、就寝中も門を閉める必要もありません。
人類愛だけではなく動物愛にまで及んで生物を食する者もなく、動物はそれぞれ共に群れをなして栄えてゆけます。
偸み殺しのない世、貪りや争いのない世となります。
以上が白陽の大同世界であります。
「五風十雨」と言って五日に一回のすがすがしい風が吹き、十日に一回の適量な雨が降り、昼間は晴天で夜間は潤いを満たすに必要な雨が降り、天災は全く起こって来ません。
それは、人禍による原因がないからです。
白陽一万八百年の間は、このような時代が続くと御聖訓に示されています。
我々は御聖訓を帯して、この最高理想に向かって努力せねばなりません。
完
Ray:宇宙人の中心にいる三角頭の宇宙人、見たことありませんか?
土偶の縄文文様を解読すると新しい歴史が始まるかもしれません。
国宝 土偶 仮面の女神 長野県茅野市 中ッ原遺跡出土
長野・茅野市蔵(茅野市尖石縄文考古館保管)
青森、三内丸山遺跡の十字土偶も三角頭です。
皆、流星に乗って身体を得て地球に降りてきています。
妄語戒(三)
二十一、軽々しく他人を信用し、心のうちを話してはいけません。
以て以後あることないことが伝えられないように防ぎます。
たとえどんな場所でも最もよいのは他の人を称賛することです。
他人の悪口を言ってはいけません。
このようにすればいさかいを避けることができます。
二十二、舌は軟らかいといえども刀に比べてもっと鋭利になるときがあります。
多くのいさかいや怨みはすべて口、舌より招きます。
「禍は口より生ず」もし禍を免れたかったら口に三つの封印をして、役に立つ話をすることです。
もし不注意にも悪口を言ってしまったら、後で懺悔をし、慚愧の心を以て補わなければなりません。
二十三、失意の人は他人の関心を必要としています。
それ故に、その人の立場に立ってもの事を処理しなければなりません。
自分の立場や意見を以て他人におしつけてはいけません。
これは利己主義です。
二十四、物事に対してははっきりと観察し、いいかげんに結論を下してはいけません。
ある弟子が孔子様の為におかゆを作っている時、ご飯の上にものを落としてしまいました。
弟子は孔子様が食べてお腹を壊すといけないと思い、手を入れてつかみ出しました。
孔子様はちょうどごらんになっていて、彼は礼儀を知らない、師がまだ食べていないのに、どうして弟子が先に食べることができようか、とおっしゃいました。
その弟子が真相を話した後、孔子様は弟子たちをお集めになられて彼らにおっしゃいました。
「私自身の目で見ていても、他人に無実の罪を着せるのに、ましてや他人からあなたの耳に伝わった第三者を経た話は事実が捻じ曲げられないことはないでしょう。」ゆえに判断を下す前に必ず先に真相を調査し、他人の一方的な言葉を聞いてはいけません。
又猜疑心をもって疑ってもいけません。
そのようにして始めて是非を生ぜず、他人が試練を受けて倒れてしまう事がありません。
聖人も事実を見誤ることがあるのに、まして凡夫俗子においてはなおさらではないでしょうか。
二十五、政治家は将来大変な果報を受けます。
修行人は政治から遠く離れなければなりません。
人と一緒に街頭を回ったり、あるいはさがわしく宣伝を行ってもいけません。人心を惑わす話をしてはいけません。
もし身内が政治にかかわったとしても、できるだけ参与はいけません。
二十六、若い坤道(女)が人を済渡し、成全する時、慈悲心を用いるだけでよいです。
彼が誤解して、あなたに気があると思われるので、感情が存在してはいけません。
もしお互いに気持ちがあるなら誠実に交際することです。
二十七、妄語戒を犯す果報
(1)三悪道に堕ちる。
(2)多くの毀謗をうける。…すすぐことのできない無実の罪を受け、いつも人の排斥受ける。
(3)たぶらかされる…容易に他人に騙され、指摘され攻められる。
(4)自分の意見が受け入れられない。…自分の話したことが他人に受け入れられない。
(5)言葉が不明瞭です…生まれながらにしてみつ口で、舌が短く話がはっきりしません。
(6)果をあかすことができません。…どのように修行をしても果をあかすことができません。
(7)口臭が強いです。…全癒できない口臭によって体中が臭くなります。もし素食を食べていればだんだんと軽くなります。お肉を食べていると臭気は増加します。
二十八、妄語戒を持戒するよい果報
(1)口は常に清浄で優鉢羅(蓮の花の一種ですばらしい香りを発する)のような香りがします。芳香剤を噴霧する必要はなく、自然に香りを発生します。仏は冗談を言いません。顔全体をおおうように舌が伸びます。火葬した時に、歯が一つ一つみんなきれいに残っています。
(2)世間の敬いと信用を得る。…普遍に多くの人の尊敬と信任を得る。
(3)自己の心は歓喜し、他人の心は悦ぶ。…妄語を言わなければ歓喜の生気が真実の生活の中にあります。
(4)未来世では常に心地よい音を聞きます。来生耳元であなたを惑わせて、煩悩の為に吐息が出るようなことはありません。
(5)自らの威徳が増し、弁論に支障がありません。智慧が無量にわきだし、論才に支障がありません。
続く
問:天道の伝道に尽くせば祖先の霊を超抜恩典(すくうおんてん)があると伺っていますが。
答:得道者は自分の身心性命(しんせいせいめい)が救われるだけではなく、天道の為に働き、人々の迷える霊を救った人は寿限(じゅげん)を俟(ま)ち、その積み重ねた功徳の多い少ないに依って、それぞれ上七代の祖先と下九代の子孫を永遠に理天へ帰らされ、共に弥栄(いやさか)えを得ることができます。
だが、只今の世は午未(うまひつじ)の混沌とした陰陽交代期に当たりまして、人心が尤(もっと)も腐敗し、頑迷に陥(おちい)っている時勢であります。
従って、崇高な天命や、六万余年、ただ一回に機会であることを説いても素直に信じようとしません。
そこで、老〇様(ラウム)は格別の御命を降して、特に功徳の多い人には在世のままでも、亡き親の霊を輪廻の途上から助け出し、苦の無い境界へ至らしめることを許されたのであります。
未だ親が健康な方は、子の功徳によって延年益寿(えんねんえきじゅ)が得られますし、在世中、孝養(こうよう)を尽くされなかった方は、斯(こ)うした無量の善徳によって親の霊を潤(うるお)すことができるのであります。
超抜(ちょうばつ)を受けた霊は御旨と共に、師の御手から直接、理天へ連れ帰られ、そこで更に修練を受け、元の神聖さに戻るまで磨(みが)き続けられます。
子孫との縁結びは、百日以後、何時でも許され、砂文字によって感激の対話が催(もよお)されます。優雅な詩文を以て綴(つづ)られ、言葉は尽きることなく綿々として子孫に与えられます。
珠(たま)のような美しい文字を通して、人間、地獄界の往来から理天界の素晴らしい情景が察せられ、或いは在世中の家状(かじょう)や家族への言付け残りのことを告げて道の偉大さと必要性を説かれます。
子孫の功徳と亡霊の前世の行為によって霊的位が決定されますので、或る霊は高い品蓮(ほんれん)に喜び、或る霊は低い位置に嘆(なげ)く有様であります。
位は固定的なものではなく動的に上下して、子孫の励みや努力によって長速(ちょうそく)に昇格するものもあれば、怠惰(たいだ)や不信心によって降職されるものもあります。
日本に於いても数多い超抜血縁がありましたから明らかに立証することができます。
たとえ、親がこの世に居なくとも永しえに親子一体の連絡が許されるのは、天道のみの特典と申すべく、天命ありてこそ不可能の事も可能たらしめ得るのであります。
続く