真説・弥勒浄土      

道すなわち真理の奇蹟

十大願~十、不量力而為:力量(りきりょう)を発揮(はっき)せず

2023-11-06 19:54:53 | 十大願

不守眞常終墜淵:眞常(しんじょう)を守らずば終(つい)に淵(えん)に堕ち

量解眞情體妙玄:眞情(しんじょう)を量解(りょうかい)して妙玄を体(さと)す

力能進行速英勇:力(りき)んで能く進行し速やかに英勇と

為道終久有光沾:道を為すに終久(ながく)せば光沾(こうてん)有り

解:

眞常とは変わらぬ本性で、それをしっかり守らないと、終(つい)に深淵(しんえん)に堕ちて行きます。

この本性より出でた眞情は当然私事ではなく、公の為であるからこれを量解して妙玄を体(さと)すのです。

それで自分の力量(衆生済渡に、佛法を宏(ひろ)める講師として、仏壇を設ける。

開荒(かいこう)に務め、齊食【さいしょく】を取るなど)を発揮して英勇(えいゆう)となり、道の為に犠牲する志あらば、終に光栄を沾(うるお)うことが出来ます。

一、現在三期末会(さんきまつえい)に際して、各々に各自の位に素(そ)し狄て修行し、功徳を立てているのです。  

1,富貴の位に素しては、環境は他人(ひとり)よりも良いので、仏壇を設けることが出来、布施も出来て功徳を積める時です。

2,貧賤の位に素しては、金銭は自由に転じられないけれど、貧者の一灯も功徳となり、この身を以て道に務むもまた功徳です。

3,夷狄(いてき)の位に素しては、隣り近所みな教養がないと言っても、人間は感情動物であるから、我が誠心(まごころ)でその人達を教化し、善に導くも最大の功徳です。

4,患難(かんなん)の位に素しては、因果を知り、運命は自分の手により改めるのもであるから、更に修道に勉めば、功徳を積む事によって運命を改(か)えられます。

故にこの機会に自分の力量を発揮するのです。

二、犯し易い缺点

1,心が定まらず憂い多し:自分の素位(そくい)を守らず、妄念に馳(か)けて悩みを生じ、情に操作(あやつられ)て、怠慢の心があるから、力量を発揮出来ないのです。

2,世間をあきらめきれず:修道の事情は忙しい、世間の事情には苦があるが楽しみもある。堅苦しい道理を聞くよりも、自由がほしい。このように眼前の快楽だけみて、先見の眼がなく、身が朽ちれば果たしてこの霊性(たましい)はどうなるかも知らず、一向(ひたすら)にこの世の楽しみを探すから、力量を発揮出来ないのです。

三、佳期(かき)はまだ終わっていません。

白陽は始まったばかりです。

この時こそ、財貨を布施に、身を法施に、人の嫌がる仕事を喜んで行い、速く功徳を立て、過去の愆(あやま)ちを消滅し、己の力量を尽くし至誠に達し、天に代わって眞理を宣べるならば、上天も決してその労苦に負(そ無)かず、光栄を賜(たまわ)ります。

結論

十條大愿人人立 十條の大愿を人々は立て

能悟之者行大道 能く之を悟れる者は大道を行う

依此前進大道成 此れに依り前進せば大道は成り

了愿帰根返瑶地 愿を了(お)えて帰根(きこん)し瑶地(ようち)に返る

解:

十條の大愿は求道するに、人々が立ち、始めて眞伝を得られるのです。

この性理眞伝は古の秘伝で、お釈迦さまも聖人も菩薩も愿を立てて誓いの言葉を述べました。

この事を能く悟って大道を行い、この眞理に基づいて進めば大道は成就すると共に誓願は了(おわ)って本性は帰根(きこん)し無極瑶地(むきょくようち)に返るのです。

若しもこの十大願を了らすことが出来ず、天道の宝貴も知らず、無視してこの世で迷っているならば、求道はしたものの、前世の寃孽(えんげつ)は消えず、新たな仇(あだ)を造り、どうして極楽浄土ん返れましょうか。

故に三宝は得たとしても、自分に功徳が無ければ、災難を逃れることは難しいのです。

例えば災難が向かいから来れば、三宝はすぐにでも使えましょうが、後面から車や災難がくれば、三宝を使う閑もなく、どうして逃れられましょうか。

この時こそ功徳によるのです。

故に十大願の内容を研究し、道に励んで行きましょう。

そして一人でも早く覚(さと)りの岸に済度して功徳を積んで行きましょう。

以上、十大願を終わます。


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十大願~九、匿道不現:道を人に伝えず

2023-11-05 18:50:00 | 十大願

匿而不明怎参玄 匿(かく)して明らかにならず怎(いか)に参玄(さんげん)

道統萬善體四端 道は万善を統(おさ)め体は四端(したん)

不以良心存中正 良心を以て中正(ちゅうせい)を存(そん)せずば

現在現報実可憐 現在に報い現れ実(まこと)に可憐(かれん)

解:

天道が降された原因は、人々をしてもとの我が姿に還らせるよき道であるから、それを匿(かく)して人に伝えず(済渡:さいど)自分もそれで良いと思って明らかにさせないならば、どうしてその玄妙(げんみょう)を参(さと)ることが出来ましょうか。

道は万善を統一しているもので、その体は仁義礼智の四端(したん)を発揮している、それで良心を以て事にあたり、中正を保っていないとすれば、この現在の世ですぐにでも報いが現れ、それを受けるのは哀れな事です。故に、

一、自分が求道できたのも、紹介人の勧めによるもので、求道した後にどうしてこのよき道を匿して人に勧めないのでしょうか。

これでは他人(ひと)の仏縁を誤ってしまうのです。

天地は語らず、人類に頼って勧めるもので、これを宣べなければ、どこで眞道を聞けましょう。

故に自分が善(よ)ければ人にも善(よ)ろしく、大慈大悲の心で私は極楽浄土に帰りたいならば、衆人(ひとびと)にも勧めなくてよいのでしょうか。

故に己(おのれ)達して人をも達せさせ、天に代わって宣化し、共に覚(さと)りの岸に登るのです。

若しも自分一人善くして人を済度(さいど)しなければ、どうして誓願を全うする事ができましょう。

二、犯しやすい缺点(けってん)

1,慈しみの心無し:弥勒祖師は天運に応じて衆生を悉(ことごと)く済渡して理天にかえり龍華會(りゅうげかい)を慶(よろこ)ぶ期(とき)であるから、弥勒の世になったのです。

この三期末會(さんきまつえ)の際(さい)では、特別に衆生とは縁があるのです。弥勒は凡語でその意を譯(やく)したら慈です。

慈は楽を与える心で、衆生に快楽と幸福が無ければ方法を設けて彼に与えるのです。悲は悲憫(ひびん)の心で他人(ひと)の苦痛を救(たす)けることで、菩薩には皆この慈悲を具えています。

弥勒様は慈しみの心を修めることに重きを置き、心の発した時に、殺生せず。

衆生の肉を食べない誓いで、生を慈と為しています。

私達はこの点を理解して、弥勒祖師と同じように心を発(おこ)し、いついかなる時でも尽力を以て人を助け、他人(ひと)を安楽に導き、菜食(清口:せいこう)により殺生せずなどは、みな慈しみの心でこれによって弥勒祖師の慈悲心と相い応じ、将来、龍華大會(りゅうげたいかい)で佛陀(ぶつだ)に見(まみ)えて佛果を証(あか)すのです。

けっして只(ただ)空しく祖師の一日として早く現れるのを期待するのではなく、自己の功(いさお)を行いて愿を了(おわ)らし、天に代わって道を宣べ、己を度すと共に人を度し、自ら救い、自ら圓満(円満)にと、しなければどうして祖師だけを頼る事ができましょう。

2,善を擇(えら)ばずに度す:只(ただ)数量を求め品質を求めなければ、道に入った後にも毀謗(きぼう)の言

求道して眞理を研究せず道を修めなければ、その価値は知らないので道を匿(かく)して人に伝えず、善を擇(えら)ばずに度するも適中ではないのです。

三、衆を渡し道を伝えるも選擇の必要があるのです。

言うべきは時に言わなければ、その人を失い、言うべからざるの時に言えば、その言葉は惜しくも失います。

それで君子は人を失わず言も失わないよう注意し、済渡の量も必要であれば、その素質も養成する必要があり、両者を兼ねて行うならば道を人に伝えずということもないでしょう。

続く


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十大願~八、洩漏天機:天の機密を漏洩(ろうえい)し

2023-11-04 17:20:53 | 十大願

洩出眞機天命傳 眞機を洩出(えいしゅつ)して天命を傳(つた)え

漏顕分明辨収圓 顕(あきら)かに漏(もら)し分明(ぶんめい)させて収圓(しゅうえん)を辯(べん)す

天意應時仁風挽 天意は時に応じて仁風(じんぷう)を挽(ひ)き

機會難逢非偶然 機会は逢い難く偶然に非ず

解:

現在天道がこの世に降されて、その眞機を漏らし、人々が得られるのも、天命によって伝えているのです。

そして貴い三宝も漏らし道理が明らかになるのも、済度を速やかに行い、円満に収める為です。

天意は斯の時に応じて仁風を播(ま)き、人々の心をもとの純善に挽回するためであるから、この佳(よ)い機会に逢うのは二度となく、また偶然でもないのです。

金剛経第六分正信希有(こんごうきょうだいろくぶんせいしんきゆう)で世尊は云うに『後(のち)二千五百年にこの正法を得られて修持(しゅうじ)する人は、一佛二佛三四五佛もの長い間に種(う)えて来た善因よるものだ』と言っています。

一、道をあれたのは幾世を歴(へ)て種(う)えて来た仏縁よるもので、その人の善根厚いからす。

求道した後に幸いにも天機の三宝 得られたので、応(まさ)に厳守居なければりません。

所謂(いわゆる):伝道の明師は天より選び、豈(あに)人の間で妄(みだ)りに伝心するや。

天機は洩らすべからずに非ず。唯(ただ)明師なる人方(はじ)めて伝う。

二、犯しやすい缺点(けってん)

1,言語を慎まず:三宝を漏洩し、天機の密宝を隋意(ずいい)に談(かた)り、道を求める時に誓った言葉を忘れている。

2、人が言えば又言う:三宝はもう洩らしたからと思い、自分も談(かた)れば天機の作用は失われてしまう。

他人(ひと)が漏洩すればその人は罪過(ざいか)を担い。吾が洩らせば自分がその罪過をになわなければならない。

3,三密の眞伝は天命の眞伝を含んでいて、並びに道統の眞伝と連なり、また直指見性(じきしけんしょう)、見性成仏(けんしょうじょうぶつ)の心法も含まれている。

故に文章による漏洩は只(ただ)文字名相(もじめいそう)のみで、眞道の実相は文字には漏らせない。故に語るべからず。

4,三宝はその外面の名相音声(めいそうおんじょう)を視(み)るだけでなく、その価値を判断しなければならない。

天機の意義はもと悟ると悟らずの間に在りて、能く悟れる者は天機は天機に非ず。

悟れずの者は『心を引いて心を会(さと)らす』こと能(あた)はずして、やはり天機は天機である。

はじめて道を求め三宝を得るのは『引導法』で、是は一種の必ず経過する形式で、已(すで)にさとり得た者は、まさに自性の眞佛を悟り、心は太虚(たいきょ)を体(さと)し、始めて代々の祖師、諸々の聖佛の以心伝心(いしんでんしん)の妙法が知れるのです。

故に言語を慎み事にあたるのが、誠(まこと)の修道者です。

続く


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十大願~七、不遵仏規:仏規に遵(したが)わず

2023-11-03 18:05:39 | 十大願

不明天時枉用功 天時を明らかにならずば用功(ようこう)も枉(まが)る

遵守眞性道能行 眞性(しんしょう)を遵守(じゅんしゅ)して道を能く行う

佛法無辺済善信 佛法は無辺にして善信を済(たす)ける

規章判定上天評 規章(きしょう)を判定せば上天も評す

天道をこの世に降すも、収めるも皆天命による天運があるので、この天時を明白に知って修行しなければ、折角の修行も骨折り損になります。

このよき期(とき)に眞性(しんしょう)をしっかりと遵守して修道に務めるのです。

佛法は辺(かぎ)りなく、学ばねばならない。

それ故に佛規はこの度、十五條になっていますが、これは修行に於ける昇降の鍵です。

(十五條の佛規は別に詳しく説明しましょう)

凡(あら)ゆる物事には皆一定の準則があるのです。

空飛ぶ飛行機にも、海行く船にも航路があるのです。

もしこの航路に循(した)わないならば、交通事故を発生するでしょう。

また航路にもとづけば目的地に到達できるのです。

道は万物万類の主催者である。

至尊至貴(しそんしき)の、皇〇さまが、修道者十五條の佛規を定め、この佛規に循(した)えば浄土に還(かえ)られる、修行中に於いて佛規を保守すれば、左道旁門(さどうぼうもん)に惑わされる事もないのです。

また浩(おお)きな災難が醸しつある今日、天道を普渡して世の衆生を丞(たす)けるには、先に修行の方針となるこの佛規を明白にし、これを遵奉(じゅんぽう)しなければ、絶対に聖賢の関所を通過することが出来ないのです。

茲(ここ)に十五條の佛規を挙(あげ)て参考として、説明は別に研究しましょう。

一、尊敬仙仏:仙佛を尊敬す=大事なことは自性佛の尊敬。

二、尊前提後:前人を尊(たっと)び、後輩を堤抜(ていばつ)す。

三、斎荘中正:斎荘中正(さいそうちゅうせい)=斎は斎戒(さいかい)、荘は荘厳(そうごん)、荘敬(そうけい)の意。

四、循規踏矩:規に循(したが)い矩(のり)を踏む=規はコンパス、矩は金尺(かねざし)。

五、責任負起:責任を負(にな)い起こせ。

六、重聖軽凡:聖を重んじ凡を軽んず=聖は聖業、凡は私事。

七、謙恭和靄:謙恭和靄(けんきょうわあい)=謙遜して和気靄々(わきあいあい)で接する。

八、勿棄聖訓:聖訓を棄(す)てる勿(なか)れ。

九、莫着形相:形相に着(つ)く莫(なか)れ。=(金剛経二十六分に、若し色を以てわれを見、音声(おんしょう)を以てわれを求むるとき、この人は邪道を行ずるもの、如来を見ること能(あた)わざるなり。)

十、手続必清:手続きは必ず清くす。

十一、出告反面:出ずるに告げ、反(かえ)りに面(めん)す。

十二、不乱系統:系統を乱さず。

十三、愛惜公物:公物を愛惜(あいせき)せよ。

十四、活溌應事:活溌(活発)で事に應(おう)ず。

十五、謹言慎行:言(げん)を謹(つつ)しみ、行いを慎(つつ)しめよ。

以上のように十五條だけであるけれど、老前人さまは、若しこの十五條を実行すれば、必ず菩薩に成就できると太鼓判を押して保証しているくらいです。

故に佛規に遵(した)わずでは、どうして修行の成就が出来ましょうか。

続く


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十大願~六、貌視前人:先輩を軽視し

2023-11-02 20:02:03 | 十大願

貌念心存豈英賢 貌念(びょうねん)心に存せば豈(あに)英賢(えいけん)か

視之弗見理妙玄 見れども之(これ)見えず理は妙玄(みょうげん)

前車之鑑當自警 前車(ぜんしゃ)の鑑(かがみ)正に自警(じけい)せよ

人體天真自然安 人(ひと)天心を體(さと)れば自然に安らぐ

解:

軽んじた念(おも)いが心に存在しているならば、英明な賢人とは云えません。

天道はこの肉眼で視れども見えず、この耳で聞こうとしても聞こえない非常に微妙な玄理(げんり)で誠心(まごころ)を以て悟るのです。

それで過去の修行者に鑑(かがみ)にして、先輩を軽視して、成功した修行者があるだろうか。

或いは先輩に随(したが)いて成就したのか、自分で慎んで修行し、人が天心を体(さと)って、天意に循(した)がっての行いならば、自然と安やらぎます。

若(もし)も先輩を軽視している念頭があるならば、その人の修行は正規の軌道をはずれたのです。憶(おも)うに

一、草木は根が無ければ長く保つことが出来ず、人は指導を受けなければ、その目的を達することが出来ません。

私達も前人の開荒(かいこう)によって始めて天道と縁を結び、自分の姿を見出して修行し出したのです。

だからその目標はまだ定まっていないし、道理も明らかでないから、どうしても前人の指導を受けなければなりません。

その恩に報いるに、前人を尊敬し、その辛苦(しんく)を体(さと)りて共に協力して天道を布(ひろ)め、後輩を指導して行くのです。

若(もし)も前人を軽視すれば、後輩にも軽視されるでしょう。

二、犯しやすい缺点

1,尊敬しない:功徳費(くどくひ)や賽銭(さいせん)の出入りを疑い、前人の品行を疑って尊敬しない。

金銭問題に対しては、その功徳費や、賽銭は、その人の誠心で出したので、上天ではその多少に対しても功徳簿に記入します。

若も先輩に暗昧(あんまい)な処があれば天譴(てんけん)を受けるのです。

故に諺(ことわざ)に、眞の布施は假(いつわ)りの和尚(おしょう)を怕(おそ)れずと言われています。

次に先輩の学歴、社会の地位、財勢(ざいせい)などは自分より劣っているからとで尊敬しない。

修行は学歴、地位、財力によって上下を分けてはいけません。

上天に親(しん)なく、惟(ただ)徳これを輔(ふ)す、と言われています。

そして前人の陰口を言い、後輩の道念を退(しりぞ)いたとなれば、この罪は軽くないのです。

2,悪意を以て批評す:人の噂(噂)は必ず確かめなければ、噂は噂を呼び、道紀(どうき)が乱れてきます。

若も先輩に缺点があれば、善意でこれを諫(いさ)めて正しくし、意見を聞いてくれなければ、自分は正しく謹守(きんしゅ)して修行に勵(はげ)むのです。

『人のふりみて我がふりをなおせ』

3,過ちを諫正(かんせい)せず:先輩に過失があるのを諫(いさ)めずに、却(かえ)って阿諛(あゆ:おべっか使い)をすると、先輩は錯(あやま)ちに又錯ちを犯し、後輩の道念に影響を及ぼすも、先輩を軽視しているに属します。

三、先輩に錯(あやま)ちあるを知って諌めなければ、その過ちは我にあり。

善意で諫正(かんせい)しても聞き入れないならば、その罪は彼自身が担い、天譴(てんけん)を逃れる事はできません。

※能(よ)く後輩の諫正(かんせい)を聞き入れて過ちを改める前賢は幾人か、能く勇気を出して善言を以て前人を諫正(かんせい)する後輩は幾人か?

続く


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