真説・弥勒浄土      

道すなわち真理の奇蹟

十八道芸 一、二、三

2023-09-10 20:23:17 | 十八道芸

 

 

 

 

 

 

 

弥勒浄土に至るまでは、儒教の『周礼』礼・楽・射・御・書・数をそれぞれ礼儀、音楽、弓術、馬車を操る術、書道、算術の六芸としてきました。

現在、人類の進化に伴い、弥勒浄土においては、以下の十八芸を生活に活かすよう推奨されています。

今回から六回に分けて記載いたします。

一、心の中の空間は清潔に美しく保持する。

外の庭は何時もきれいに掃除し清潔に静寂に維持する。

二、車での送迎は規則を守り平安になごやかに楽しく、顔は何時も慈悲に満ち、飲 食はひかえ目に、心づかい気配りに注意する。  

三、詩情豊かな情緒を忘れず、泉の沸き出でる如く、文筆に長け徳行があり思慮深く綴る。

続く

 


第一章 天道の淵源 (二)天命について

2023-09-10 19:52:06 | 天道の淵源

(二)天命について

天道は宇宙の真理であり、無極開天の根本であり、宗教は人倫道徳を説き、人間処世の在り方を教えることは前述のとおりですが、なお天道には記録や文章では表せない天命が賦与されていることを強調しなければなりません。

天道は天命によって伝えられているのであり、人為的に策を弄して組織できるものではありません。

古から一貫して道脈は人に降ってより、絶えることなく今日まで約5千年間伝わっています。

天命とは、老〇様の御命のことを指しています。

この天命の及ぶ範囲は無限であります。

祖師に伝わって祖脈となり、久遠に将来まで続きますが、天命は天地間の万有万事から天体の有形無形の霊動体に到るまで、その支配を蒙らないものはありません。

この真理の存在は六合に満ちており、創造の妙は絶対無窮であります。

老〇様の命により栄枯盛衰があり、消長変化があります。この真理は万有に浸透して久遠にかわることはありません。

天に在っては天理となり、地に在っては地理となり、人に在っては性理(霊魂)となります。

天命が聖賢仙佛に伝わって聖道となります。

すなわち天地人三才の存在から変化に到るまで、この理が含まれることによって始めて成立するものであります。

天に天の理がなければ、日月星辰の運行から四季の移り変わりや、経緯や節度がなくなり、磁性が乱行して天体が混乱状態になります。

地に地の理がなければ、水土が泥化して固まらず、山川草木は生育できず、木火土金水の五行は整いません。

人間に霊魂がなければ、知能活動ができません。

物質にはそれぞれ物理が備わっており、物事にはそれ相応の道理があることは承知のとおりであります。

丁度ピラミッド的に老〇様を頂点として麓のすべてに至るまで、整然と統率を受けているような在り方であります。

理は道であり、天であり、無であり、空であり、妙であります。

形がないから名を冠(かぶ)せることは出来ません。

老子様は「道の道とすべきは常の道にあらず、名の名とすべきは常の名にあらず、無名は天地の始まりなり、有名は万物の母なり。」と申され、この道は正常の道であり、絶対的・神秘的にして人為的に歪曲したり創作できるものではありません。

また清静経の中で老子様は「大道は無形にして天地を生育し、大道は無情にして日月を運行し、大道は無明にして万物を長養す。吾はその名を知らず、強いて名づけて道と曰う。」と、総合的に天道の妙を表現されています。

孔子様は人間に引用して「性を率いるを道という。道は片時も離れるべからず。」と申されたのも、天道は宇宙から万霊に至るあらゆる創造の根本であるとされたからであります。

各教の経典・聖書はともに天道を闡明(せんめい)にせられていますが、普通の理と深遠神秘の理があって、後者の本当の真諦は天機ゆえにはっきりと述べられていません。

昔から以心伝心的に接受され、紙上に記載して公開することを許されていません。

道の妙訣はただ聖神仙仏の間に黙契的に口授心印をもって代々受け継がれていました。

孔子様は「道の顕れた所は愚夫愚婦の間でもそれを知り行うこともできるが、その微に至り密に至った所は、たとえ聖人と言えどもそれを知り、行うことはできない。」と言われました。

従って天道の玄妙を識るには、なお一層の参悟の研修を必要とする訳であります。

老〇様は天地人類を創造され、三界十方を統御なされ、全智全能なるがゆえに発せられた天命は絶対的であります。

聖人が天命を拝受致しますと、人々の霊魂の門、つまり造化の関所を開破することができます。

生命が人体に入るにも門があります。

死して肉体を去る時にも出る戸口があります。

その一番中心枢軸とするところを鍵で開いて下さいますから、たちまち悟りを得られ、心眼のひらめきが鮮明になります。

仙人聖賢であってもこの真法を得て始めて霊の面目を知り、本真の妙智慧が湧き出ずるの在ります。

天命によらないと、たとえ霊が神様の生まれ変わりであっても、普通人と同様に大智なく大聖業を成し遂げる才能もありません。

内部に大いなる光があっても、蓋を閉じていれば、異彩を放つことができないのと同じことであります。

結果において古仙もみな、歴年間修道し、最後に願成りて霊の扉が開かれた為に今日まで名を遺すに至ったのであります。

天道の淵源は最も古く、道脈の系統は綿々として、仙仏から帝王・聖賢・庶民と一貫して今日まで伝わってまいりました。

昔、人皇伏羲(じんのうふくぎ)氏が天を仰ぎ、地に俯して観(み)、天地の生理を究め、万物万類の根源を考察されて、ついに先天の八卦を完成し、真理の奥妙を顕されたのであります。

これは天道が人の世に降ろされた始まりであります。

軒轅(けんえん)氏が広成子(こうせいし)の指示を受け、天道は始めて明らかになったのであります。

後、堯(ぎょ)・舜(しゅん)・禹(う)・湯(とう)・文(ぶん)・武(ぶ)・周公(しゅこう)の各帝王が道統を接受し、心法を相授け、一脈相伝して堯・舜・禹帝の十六字心法(人心惟危. 道心惟微. 惟精惟一. 允執厥中)が代々続き、湯王・文王・武王が天命を均しく承(う)けついだことはあらゆる詩や書物を見れば誰もが知ることができます。

つづく


五戒~二、殺戒(一)

2023-09-10 19:50:14 | 五戒~活仏師尊慈訓

二、殺戒(一)

一、刀を持って人を殺したり動物を殺したりすることだけが「殺」と言うのではありません。

ささいな心の動きに注意しなければやはり「助殺」(殺の行いに手を貸すこと)の業を犯します。

二、「殺」にはたくさんの種類があります。

自殺、他殺、誉め殺し、見殺し、などはすべて殺です。

三、くれぐれも意識の中に自殺の種子を植えてはいけません。

そうでないと少なくとも七回連続で自殺するという後果を造ってしまいます。

若い男女があきらめきれず「同年同月同日に生まれる事ができないなら、同年同月同日に死ぬことを願います。」ほどなく連体児が生まれる可能性があります。

四、有情は貴重なものです。

性命の貴さに勝るものはありません。

物命を救うためにはまず最初に殺を戒めます。

菩薩の萬行は大悲をもって基本となします。

ゆえに殺を戒めなければなりません。

五、もしも全台湾の人々が殺を戒めて素食にすれば、二年たたないうちに必ず五穀は豊穣になり、農夫も農薬を噴霧する必要はありません。

数千年前の堯・舜時代は農薬はなかったにもかかわらず、やはり五穀は豊穣でした。

六、農薬を売る人は、農民の五穀豊作をたすけるけれども、たくさんの命を殺すので、やはり因果は存在し、たがいに恨みを報いあうようになります。

果報には現世の報い、来世の報い、何世も後の報いがあります。

例えば野菜を栽培するとすぐに収穫できますが、果物を栽培すると何年もたってから実を結びます。

七、もしある人があなたに堕胎したいと言って、あなたが「よい、よい、堕ろしなさい。」と言ったとすると助殺の果報があります。

八、宴会の時に、もしあなたが「いっぱい殺したね、いいですね料理がたくさんで。」と言ったり、あるいは息子や嫁の結婚で肉魚を出しても良いかと聞かれてあなたが同意すれば、すべて助殺になります。

九、漢方薬の商売をしている人は、もし動物成分が入っている場合、この薬はたたその人の病を治すという信念を持ち、その人が殺戒を犯すことを希望しません。

然しくれぐれもその人に鶏やアヒルやスッポンなどを煮込むように言ってはいけません。

その人がもし尋ねたら「必要ではない」など言葉を用いて説明しなければなりません。

でなければ助殺を犯し、自ら因果を負うことになります。

例えばある人がまちがってやくざに殺されたりするようなことは、すなわちはかりしれない劫が来る前の助殺の果報です。

続き


性理題釋~六十八、三花什聚鼎(さんかしゅうてい)と五気朝元(ごきちょうげん)

2023-09-10 19:48:27 | 性理題釋

六十八、三花什聚鼎(さんかしゅうてい)と五気朝元(ごきちょうげん)

此れ等は守玄(しゅげん)の工夫(くふう)を申すのであります。

三花とは精・気・神でありますが、人身を炉(ろ)となし、玄関(げんかん)を鼎(かなえ)となすのでありまして、道教では炉(ろ)を安んず、鼎(かなえ)を立つと申されました。

これは三花什聚鼎(さんかしゅうてい)の修行を申したのであります。

五気とは五臓(心・肝・脾・肺・腎)の気でありますが、心が一度静まれば、五臓の濁気は変わって清気となるのであります。

玄関を守り住するならば、黙々と又綿々(めんめん)として亡ぶが如く存するが如くして、至善(しぜん)の益をなす所が多くある訳であり、そこで至高なる道が凝結(ぎょうけつ)するのであります。

続く


済渡の心構え 応用 十六

2023-09-10 19:46:22 | 済渡の心構え

十六、一寸の光陰は皆天時にして、無益に浪費せず公益に供すべし。

一切の時間は救霊に収約さる。

戯楽に貴重なる寶を失う勿れ。

殊に軽率なる言動を発せば自らの徳を損なう。

儀式の後、長居せば世間に人情話に移りて互いの口耳を穢し易し。

式後、道話無き限り座を離れて、次の道業に移るべし。

続く