真説・弥勒浄土      

道すなわち真理の奇蹟

レムリア が沈んだ日・日本 へ避難したレムリア人の話 / スピリチュアル 優花 ゼウ氏

2024-03-31 21:51:07 | 道を求める聖なる物語(人・日本・世・宇宙)

レムリア が沈んだ日・日本 へ避難したレムリア人の話 / スピリチュアル 優花 ゼウ氏


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Amazing Grace - Scottish bagpipes and symphony orchestra

2024-03-31 21:47:16 | ONEメッセージ

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Auld Lang Syne - Scottish bagpipes and symphony orchestra

2024-03-31 21:40:20 | 弥勒浄土

Auld Lang Syne - Scottish bagpipes and symphony orchestra


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性理題釋~三、大道の沿革

2024-03-31 20:43:25 | 性理題釋

三、大道の沿革

老子、清静経に『大道は無形にして天地を成育す』とありますが、これは天地の源が道であり、未だ天地が創造される以前に道があって、道が天地を生み、そして育てたことを意味します。

史記に『天は子(ね)の会に開き、そして戌(いぬ)の会に没す。

地は丑(うし)の会に闢(ひら)き、而して酉(とり)の会に没す。

人は寅(とら)の会に生じ、而して申(さる)の会に没す』とあります。

※下図をご参照ください。

人間が始めて地球上に生まれて来たのは寅の会であって、当時人の本性は皆善(ぜん)でした。

その当時、天によって人が生じたので、人を支配する一切の働きは天にありましたから、人が道をどうこう論ずる必要もありませんでした。

道が中古に伝わり、人が人を生むようになってから、人間社会を支配する一切の働きは人に移されました。

始めに伏羲(ふくぎ)氏が出世せられ、天地自然の仰観俯察(ぎょうかんふさつ)して、先天八卦を画き、天地の奥妙を顕しました。

これが道が世に降りた始めになります。継いで、蒼頡(そうけつ)氏が文字を創り、有巣(ゆうそう)氏が宮室を建て軒轅(けんえん)氏が衣装を整えるなど、文化は大備しました。

これで道が地上に華を咲かせたことになります。

尚続いて、堯(ぎょう)、舜(しゅん)、禹(う)、湯(とう)、文(ぶん)、武(ぶ)、周公(しゅうこう)と道統を受継いで、心法を一脈相伝しましたが、これを青陽期(せいようき)と申し、これで道が整ったことになります。

時代は変わって周(しゅう)の末世となって五覇(ごは)が起こり,互いに争って、天子の政令が天下に行なわれなくなり、道は紅陽期(こうようき)に転じ、分かれて三教(道教・儒教・仏教)となりました。

これを道の分かれと申します。

老子様が降世して道の宗旨を発揚し、東方の魯(ろ)に孔子を渡ましたが、孔子は『吾今、老子にまみえしが、それなお龍を見るが如しかな』と嘆詞を残されました。老子様はその後、西域の胡王(こおう)を化そうとして、紫雲瑞気溢れる函谷関(こくかん)を出ようとすると、関尹子(かんのいんし)に留められ書をつくらせられましたので、道徳経五千言を著わしました。

これが道教の始であります。

孔子様は道を受けて周遊列国氏、西方を教化しましたが、その後詩を刪(けず)り礼を訂(ただ)すなど、継往開来(けいおうかいらい)して永久不変の真理を闡(ひら)かれ、万世不易の定論を立てられました。大道の精微にして奥妙かつ玄妙な理は、大学と中庸などに悉く(ことごとく)叙述されましたが、これが儒教の始祖であります。孔子様は道を曽子(そうし)に伝え、曽子は子思(しし)に伝え、子思は孟子(もうし)に伝えましたが、孟子以後、道脈は西域に還り、中国には心法が失伝してしまいました。

それから、秦(しん)、漢(かん)、晉(しん)、隋(ずい)、唐(とう) を経て、学者の議論は囂然(ごうぜん)として蜂起しましたが、悟りの境地には至りませんでした。

そして炎宋(えんそう)の時に至り、文運は大いに開き、偉い学者が輩出して、立派な議論も百出し、特に濂渓(れんけいという場所)の周敦頤(しゅうとんい)、洛陽(らくよう)の程灝(ていこう) と弟の程頤(ていい)、関中(かんちゅう)の張載(ちょうさい)、閩中(びんちゅう)の朱熹(しゅき)等の賢人が相継いで起こり、真儒を盛んに提唱しましたが、然し乍、道統は孟子以後、西域に転じていたため運に相応じることができませんでした。

宋の時代に儒者は輩出しましたが、ただ道旨を闡揚したに過ぎませんでした。

釋教として西域に接受された道は、お釈迦様の大弟子迦葉(かよう)に渡しました。

これが佛教の始祖となりました。

こうして道は三教に分かれ、各々一地方に伝えて、また各々経典に留めました。

釈教(佛教)ではお釈迦様より単伝して、二十八代目の達磨尊者(だるまそんじゃ)に至りましたが、中国の梁(りょう)の武帝(ぶてい)の時に達磨様が西域より中国に渡られ、真機は中国に還りました。

これを老水還潮(ろうすいかんちょう:本の水が本に還る)と申します。

達磨様が中国に渡られてから、真道は中国において一脈相伝しました。

達磨様が初祖となり、二祖神光(しんこう)、三祖僧燦(そうさん)、四祖道信(どうしん)、五祖弘忍(こうにん)、六祖慧能(えのう)となりましたが、六祖に至って衣鉢(えはつ)は失伝しました。その当時、南頓北漸(なんとんほくせん)の称がありましたが、その実、道は俗家(僧侶でない人)に帰しました。

六祖は白・馬祖二人に渡して祖としましたが、道は火宅に転じて八代の羅(ら)祖、九代の黄(こう)祖、十代の呉(ご)祖、十一代の何(か)祖、十二代の袁(えん)祖、十三代の徐(じょ)・楊(よう)祖、十四代の姚(よう)祖、十五代の王(おう)祖、十六代の劉清虚(りゅう・せい・きょ)祖に至りました。

この十六祖で紅陽期は円満になり、道は白陽期に転じて、弥勒様の応運となって、路(ろ)祖様が初祖となられました。

そして大開普渡して大いに道の玄妙な天機を万人に伝え、三層を普渡し、万教を和して帰一せしめる末後の一着の大聖業を、弓長(ゆみなが)・子系(しけい)が受け継いで応ずることになります。

三代以上は道は君相にあって、一人で天下を化せられましたが、これを青陽期と申します。

三代以後には、道は師儒(しじゅ)にあって、三教相継いで起こり、各々一地方を治めましたが、これが紅陽期であります。

現在は三期末会で世風は頽廃(たいはい)し、災難が流行して地球の至る所に完全な処がなくなりました。

そして道は庶民にあって人は皆成道し、一人一人が成仏できるようになりましたが、これが白陽期です。

以上が大道の沿革になります。

続く


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第三章 天性の変化と修法 (十)五元五徳に中和・還源した状態

2024-03-31 20:41:43 | 天道の淵源

(十)五元五徳に中和・還源した状態

老〇様(ラウム)から賦与された当初の霊性は純善無悪であり、平等に具わって、絢爛(けんらん)たる霊光を放っていましたが、歴年の輪廻の中に汚され、傷つき神通力を失ってしまいました。

もし心を鏡に映すことができるならば、恐らく真面(まとも)に自分の姿を見られないはずです。

誰しも醜い自分の心を見て気絶すると思います。

当初は美しい菩薩性を有していても、塵がかかればきれいに拭うべきです。

天は、いかに慈悲があっても、自分で曇らした心は淘汰を免れることはできません。

汚れた水を再度利用するには、一応、濾過槽(ろかそう)で濾(こ)して真水にしなければなりません。

人智の極みで発明された電気計算器以上に精巧な電子計算器をもって、神様は我々百世の功罪を瞬間にして割り出すことができます。

地獄というと迷信に思われますが、天理は厳しく正しい処置法を講じられて人々の善と悪を審判されるのです。

肉体の三食の食事以上に心の糧を求めて満足し潤すべきであります。

法を受けるのはそのためです。

正法に遇り会えば真の面目に帰られ、上天に返れます。

罪業を重ね悪徳を行った人はいよいよ残霊と化して輪廻転生の道に入らねばなりません。

全く一人一人の思考の違いによって苦の因果を受ける人もあり、楽の因果を受ける人もあります。

六万年前、例え仏聖の器として人界に降ったとしても、それを修める人と修めない人の差に差に従って万世の衆生から敬仰(けいごう)を受けられる人もあり、罵(ののし)られる人もあるのです。

例えば二人の息子に同額の資金を与えて商売をさせても、片方は数年後に巨万の富を得る場合もあれば、一年足らずして元金を損した挙句(あげく)、さらに多くの借金を背負う場合もあります。

散じた心霊を収め、集中・統一するのが聖賢の行であり、定まった心意を乱し、放蕩し、自棄するの凡夫の行です。

俗化して腐敗するのは丁度、水が流れに従うごとくに楽ですが、正道に就き、本性を輝くように磨くのはあたかも、逆水に船を漕ぐが如く、常に不抜の努力と忍耐がなければなりません。

人間出生と同時に後天の五行と先天の五行が一致して相影響しつつ生長してゆくものですが、五元と五物、五徳と五賊の主導権の握り具合によって、善悪正邪が転倒してしまいます。

精・神・魂・魄・意の五物が元精・元性・元気・元情の五元に統一でき、喜・怒・愛・楽・欲の五賊が仁・義・礼・智・信の五徳によって制御できるならば、五物・五賊は五元・五徳に還源できます。

そうなれば、自然に先天性が後天命を主宰します。

従って一切の行為はすべて中和・中節して最高の善に帰ることができます。

修行者は皆、円通無礙になることを求めています。ただし、中心の一点を得ずしては大円鏡智に至れません。

丸い円を画くのに分度器を使用しますが、真中の一点を確立してこそ付随して和(輪)が画けて欠ける所無く、余す所がありません。

一点は静の極みであり、輪は動の極みです。

動静相俟(あいま)てば成立しないものはありません。

我々の行為を多方面に和して行きたいと希(ねが)えば、常に静かなる時に霊門を守して離れないことです。

では、五元・五徳に還源した性命の状態を論述します。

仁は元性から出た働きで、至善至悪・純陽無陰の性質であります。

義は元情から出た働きで、公平無私、人我無差別の性質であります。

智は元精から出た働きで、声色不昧(せいしょくふまい)、円沢自在の性質であります。

礼は元神から出た働きで、心気平和、慇懃謙遜(いんぎんけんそん)の性質であります。

信は元気から出た働きで、性質不二、正確不変の性質であります。

静なればすなわち五元となり、動なれば五徳となります。

静は中であり、動は和です。

中心を確立すればその画かれる円は欠けず、乱雑にもなりません。

動静も中和も元は先天の主宰によるところで、五賊の喜怒哀楽欲も五物の精神魂魄意も究極は無の心、本性から流れ出たものですから、中に帰れば過不足なく適宜(てきぎ)に中和されます。

中を外れると節度が乱れて堕落してしまいます。

1.喜びが過ぎると慢心となります。中節すれば、いつまでも留まることなく、努力・奮励(ふんれい)と変じて いきます。

2.怒りが過ぎると乱暴となります。中節すれば、外面に遷り顕れることなく、反省・慎重と変じていきます。

3.哀しみが過ぎると痴保となります。中節すれば、心身をきずつけられることなく、希望・光明と変じていきます。

4.楽しみが過ぎると怠惰になります。中節すれば、放蕩に耽(ふけ)り溺れることなく、勤勉・礼譲と変じていきます。

5.欲望が過ぎると闘争になります。中節すれば、貪欲・妄想に流れることなく、施捨(せしゃ)・和合と変じていきます。

中の状態は全く、無欲恬淡(むよくてんたん:欲が無くあさりしている)・空寂の境地であり、和の状態は欲があっても限度を知り、弁え(わきま)えを持っております。

常に無欲恬淡であれば、五物五賊は各々その位を得て安んじられ、先天性の主宰と命令を素直に聞くことができ、有為を越えて無為の世界に入り、迷愚に落ちることがありません。

続く


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