真説・弥勒浄土      

道すなわち真理の奇蹟

弥勒真経~五、雲雷戌己の土に震い開けば 天下の神鬼(しんき)も安寧(あんねい)ならず

2024-06-27 22:47:07 | 弥勒真経 解釈

雲雷とは明師(めいし)の鍵を言い、戌己(つちのえつちのと)の土(とち)とは玄関のことであり、震い開けばとは点破(てんぱ)することである。

つまり、三期の世に明師が現れ雲雷一閃(うんらいいっせん)、霹雷(へきらい)すれば六万年間縛られていた鎖(錠前)に震いちぎれて、古い真人(本性)が出現する。

天下の神鬼(しんき)も安寧(あんねい)ならずとは三界の神鬼諸霊(甄姫諸霊)も恐れ驚くことである。

一点を点破された者は静かに深く宮中(玄関)に坐(ざ)して微動だにもしないが、明師の鍵を受けないものはすべて天宮(理天)に帰ることを許されない。

この句は三期末劫、天盤が変動する時には天下の神鬼も安間(あんかん)としていられなくなることに言い及んでいる。

続く


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弥勒真経~四、天心収圓(てんしんしゅうえん)にして聖号(せいごう)を掛(かか)げ 時到りて神兵を点ずるを待つ

2024-06-26 21:18:00 | 弥勒真経 解釈

天真とは天然真人のことであり、弓長祖(ゆみながそ)の御号である。

収圓とは、諸々の佛仙神聖及び九十六億の原子、千門万教の諸霊共に法船に登り、龍華三会(りゅうげさんえ)に赴くことである。

聖号を掛(かか)ぐとは、凡(およ)そ龍華会に赴かんと欲する一切の縁者はすべて先に号を登録し、名前を列記しなければならない。

然る後に初めて龍華会に赴くことが許される。

神兵とは法力であり、一度、時至らば神兵を点ぜられ、法力を顕して収圓を守り助けるのである。

つまり、弓長祖が世に現れて万民を収圓されることを予言された一章である。

続く


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弥勒真経~三、中原三星(ちゅうげんさんしょう)の地に落ち 四川王桃心(しせんおうとうしん)にて大いに証す

2024-06-25 21:43:15 | 弥勒真経 解釈

中原とは中央枢軸(すうじくのことであり、中心玄関のことである。

三星の地とは三大明星の寶地である。

つまり二つの星(二目:にもく)があり、丁度日月(にちげつ)の明(めい)の如く、真中に一顆(いっか)の明星(玄関)があって宇宙に充満し、三千大千世界(さんぜんだいせんせかい)を遍(あまね)く照らす無縫(むほう)の寶地である。

此の三星の寶地は正に修錬をする人にとって手を下(くだ)し、功夫(くふう)を用い、究極に落着する場所である。

四川とは眼耳鼻舌(げんじびぜつ)の四門であって川に準(なぞら)えているのは四つの流れが中央戊己(ぼき:つちのえ、つちのと)の土(とら)に連なっている。

丁度、田の字型になって中央に合流する。王とは法王であり、主人翁(しゅじんおう)である。

桃心(とうしん)とは桃の中の核心である。

桃の皮と肉を脱せば内部の核心を見ることができる。

核心とは玄関の一竅(いっきょう)である。

修業の善男信女はよく三星の寶地に依(よ)って修錬し、時に応じて習い、守り、住し、常に玄機(げんき)を参悟すれば、功徳円満(くどくえんまん)になって、にわかに法王を見ることができる。

これは玄関の一竅こそ不二法門(ふじほうもん)であることを証明し、此処(ここ)によって成道することを示している。

続く


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弥勒真経~二、寶「宝」を領し魯(ろ)を斎(すく)う霊山地(りょうせんち) 拈華(ねんげ)を印と証し三乗を考(ため)す

2024-06-23 22:11:40 | 弥勒真経 解釈

人々が正法を求め仙仏の得た秘寳(ひほう)を領受(りょうじゅ)したいと欲するならば、必ず、魯の地(山東、即ち祖師の出生地)に明師を尋ね訪れてその口訣(こうけつ)を求めるべきである。

されば、初めてよく古聖の得た寳を了悟できるし、然る後、俄(にわ)かに霊山(りょうぜん)の古仏修業の寳地を観ることができる。

これは道が東土に降って来たことを証明するものである。

釈尊が拈華微笑(ねんげみしょう)して心印を伝えた其の法をわれわれも、老〇様(ラウム)の子として領受することができる。

これは共に有縁(うえん)の人であると言えるし、すでに霊山の寳地を捜し当てたひとである。

正に勤修(ごんしゅう)して怠ることなく終始伝えて止めることがなければ、将来は定めし心印の効果を立証することができる。

一人一人の功果の大小は試験され、成功した人はすべて三乗九品(さんじょうくぼん)の位に列することができるのである。

続く


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弥勒真経~ 一、弥勒の下世(げせい)軽きにあらず

2024-06-22 19:35:33 | 弥勒真経 解釈

佛説弥勒救苦経(一から三十七まで配信します)

弥勒古仏の説くところに依れば、この弥勒救苦経(みろくきゅうくきょう)は時に応じ、運に応じ、三期の末劫(まつきょう)の時代に世に降された。

すべての原人をして、この経文を見れば速やかに災いの原因を知り始めて道を悟り、悪を改めて善に向かい、正法を得て超生了死がかなえられ、本源に返ることができる。

この経はすなわち三期に世を度(ど)する宝の筏(いかだ)である。又説くに弥勒仏が世に降りることは小さいことではない。

弥勒仏の下生(げしょう)は天道に従って道統を接衍(せつえん)し、天盤を掌握して白陽・万八百年の世を治め、三層(さんそう)を普度する祖師(そし)となる。

万教を帰一し、九十六億の原霊を救う古仏の降世(こうせい)を軽く視てはいけない。

続く


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