真説・弥勒浄土      

道すなわち真理の奇蹟

21世紀における学問の在り方はすでに降ろされています!】真の学問と学の階級~世界的な道徳時代の始まり

2020-03-31 18:09:21 | 道すなわち真理

 21世紀が感性や直感だけの世界になるような風潮がありますが、確かに今までがあらゆる面でマニアル化され自分自身を見失っていた時代ですから、感性や直感という気づきの段階が必要でした。
しかし人は個々それぞれの進化の存在で、多種多様な環境に置かれています。21世紀は太平の世、大同世界に入りますが、今までの経済中心の汚濁の世界は徐々に風化して、性命本来の道徳的環境が復活してきます。
そこは神々の奇跡、無限の叡智の世界です。自由と尊厳を回復する美しい生活空間ですが、汚れた土足で踏み込むことはできません。それぞれの身の丈にあった学問の入り口が用意されてます。それが学問の機会です。

真の学問と学の階級(100年ほど前に示唆されたものです)

學問の道は極めて広泛で奥深く、一生かかっても極めつくされるものではありません。
これを会得するのに、平易な物もあれば困難なものもあり、滑らかなものもあれば険しいものもあります。何れも努力を必要としないものはありません。學問は人に及ばないものであるが、又人より失い易いものであります。ちょうど逆水に船を漕ぐようで、進まなければ即ち後退してしまいます。限度が無いから自分の程度が分かりません。學問は真理に近づく道でありますから分野や性質が違っても完成への到達点は一つであります。

人によって道程の差異はあっても、極めるのに純粋性がなければなりません。頭脳・性別によって早晩の別はあっても、熱意が欠ければ不可能です。孟子は「学問への道は放蕩化・散漫化した心を収めることに外ならない。」といわれました。堕落・怠惰した心に鞭を加えて、奸巧なく精勤し完成にいそしむことです。いかなる道であっても、習い學ばなければ成就できません。

老子は、「わたしは聖人ではない、學んで知ったのである。」といわれました。
孔子は、「わたしは、生まれながらにして道を知り物識りになったのではない、ただ古の道を好んで黽勉(勉強)怠らずして、ついに求め得ただけのものである。」また、「わたしは、何でも知っていると人は思っているらしいが、別に何でも知っている訳ではない。

ただどんなに卑しいつまらぬ人でも誠意をもって聞く時、袋の底を叩いて中のものをすべて外に出し尽くすように、その善悪・陰陽・因果その他何でも両端から説き質して本当のことを懇切に教える。それで教えを受けた人にとって、私は何事も知り尽くしているように見えるかも知れないが、ただ自分としての誠意をもって教えているだけである。」と謙遜されました。學問の大事は博く学ぶのと、深く思考することです。

大事なことを忘れず、変わらない熱意をもって追求して已まず、積極的に勉強して気を散らさず、日々発奮して気を換えてなりません。何れの學問を極めるにしても、自己完成の學を好むものにして始めて出来るものです。顔回(孔子の弟子)の「學を好み、怒りを遷さず、過ちを再びとしない」態度は典型的であります。

一人一人の霊気によって頭脳も違います。これを孔子は、人間の天禀には四通りの等差がある。第一は、生まれながらにしてあらゆる徳義を知り尽くしている者があるが、これが最上級である。(恐らくは聖人がこれに当る)第二は、学びてこれを知る者が次であり、
第三は、初めは學に心坐さず、いよいよ行き詰まって困ったあげくに苦しみ苦労して学んでやっとわかる者はその次であり、第四に、行き詰まって困りながらも学ぶことを知らず、苦しんで学んでも大事なことの分からない人、学ぶ気のない人は、更にその下である。と、四段階に別けて論じられました。

學問は中道の道に達してこそ円熟が得られます。中道の道に反した學問の存在はあり得ません。孔子は、子路に六言六蔽を引用し學問の重要性を説かれました。つまり學には仁、知、信、直、勇、剛の六つの徳目があり、學を好まない為に生ずる六つの弊害が起こることを知らしめたのであります。

一、仁徳・美徳を好むことは極めてよいことであるが、學をこのことをしないと、愚の弊に陥り陳腐します。お人好しの行き過ぎは愚かであり、人に欺かれます。愛着に溺れると反って人間を害毒します。

二、知を好んで、それと共に學をしてよく磨くことをしなければ、空想・妄想家になり、一人合点して取り留めのないことを考えます。行いに締りがなく、ただ徒に高きに馳せ、広きを喜ぶ弊に陥ります。

三、信を好んで學を好まないと條理を弁えず、真実の信を弁えなければ、只徒に盲信してその言葉を守り、間違った約束を守って悪い仲間に落ち入り、物事を傷り害う弊害に陥ります。

四、直を好んで學を好まないと、人間を相手にして人間以上のものを求め、相手に無理を強要し、相手を生かさずに傷つけ責めるのを急ぐあまり、狭くてゆとりのない窮屈な弊害に陥ります。

五、勇を好んで學を好まないと、物事の道理が分からなくなり、乱暴・我儘になります。
徒に人に加える方面にのみ働くから、その末は、叛乱さえも起こすに至る弊害に陥ります。

六、剛を好んで學を好まないと、物事の道理が分からず偏見・狂気になり、落着するところを失って、徒に力を振り回す狂者の弊害に陥ります。要するに六者は美徳ではあるが、その美徳を全うする為には、広い見識を立てる為の學が必要であることを教えたものであります。

これによっても如何に學問を積むことが肝要であるかが想像されましょう。學問家とは、傲慢・不遜の態度をさしているのではなく、學問臭いところがないのが真の學問であります。學の階級は継ぎの五通りの段階に区別されます。

すなわち変化學、認識學、治平學、理数學、性心學であります。これを説明しますと、

一、変化學
これは、通常の社会人が知っている狭義的な変化學ではなく、極めて広い範囲の意味を含んでいます。すなわち神から与えられた宇宙・万象すべての物質が人間の頭脳の機知変化によって一つの物体、一種の利用価値のあるものに創り出されることを変化學といいます。自然的形体から人為的加工体に造り換える學問であります。一脚の机をもって例えると、机の本質も元は樹木で、人間の加工によって変化したものであります。茶碗の元は粘土であり泥であったが、人間の手によって型作られ、それを炉に入れ焼かれることによって成り立ったものであります。一組の機械も同じことで、元はただの鉄や鋼にすぎませんが、人間の精密な研究と努力とによって組み立てられたものであります。数種の物質を応用加工して一個の生産機に造り換えるには、多大の精神力と代価を払わなければなりません。数多い試験と失敗を繰り返してから漸く成功します。また、性能の低いものから性能の高いものへ、粗末劣悪の品質から優良精密の品質へと改革・改良していくには相当の努力を必要とします。生産の遅い、旧い悪い形のものから理想的な新しい良い型のものへと造り換え、自動大量生産化していく、これらの能力を有している人を発明家、又は學士・博士とも言います。工学、農学、建築、物理、化学などはこの中に含まれます。士とは、成功者対する美称であり、學とは、浅きから深きへ、悪しきものから好きものへ、不理想から理想へ、工夫改善することで、博とは広く見聞や研究をされた意味を表します。

二、認識學
これも広義的に説く認識學であります。すなわち宇宙間、上は日・月・星座星雲の天体から、下は河川・山岳・海洋の一切、中は動物・植物・鉱物の動・不動の形物に至るまで如何なる品名と性質を有しているか、その形態の状態とによって、どの地方に生産・発生されるか、どうして始まり、どのような経過を辿り、如何なる結果に終わるかなどを詳細に解明する學問であります。また、天地・気候・年代・潮流とどんな連携をもっているかが認識でき、そして人間に有効であるか否か、応用できるか否かなどを見極める學問です。
一つの薬物がどれ位病体・病状に影響するか、薬効の正確な判断は難しいことであります。一つの薬品が化合して何種もの物品の製造に役立つかを知ることも容易なことではありません。生物・天文・歴史・地理・考古・医学等はこの中に含まれることになります。
これらの能力を有している人を見聞家と称し、あるいは博士とも言います。

三、治平學
これは、徳を以て世の中を和合させ、統治する學であります。我々によって発明・製造された一切のものは、人類が享受する為に為されたはずであり、人々の便宜を図り、人々の幸せを思うがために尽くされたものであります。例えば花壇を造園するのも、人々に鑑賞させ楽しませるが為であり、一つの機械を発明するのも、我々に利用させ生活をより良く向上させるが為で、飛行機・気車・電車・船舶・自動車等の発明も、目的は人間の心を快適にさせ満足させるが為に追求されているに他なりません。人間最大の希望は永遠に争いのない、苦のない、不便のない、太平の幸福にあります。人間の本質は、決してそれを悪用して人類滅亡や幸福を脅かすことなく、又不幸、貧困、戦乱、災禍のない理想的な世界の実現を希望しています。しかし、有史以来の世界は、時には乱れ、時には治まり、不正常であります。人類の熱望するところの幸福の為には、昔から沢山の立派な英雄・豪傑や政治家が現れて暴虐を除き、善良な民を安護してきました。禍や災難を治めて平和たらしめ、天下の同胞が一方の塗炭の苦しみから解脱せしめ、不安恐懼のない安居楽業の生活を享受させました。範囲の広い幸福を計った人ほど人から崇拝敬慕され、これらの能力を有している人を治平家、または英雄と称されます。文学・教育・法曹・政治・経済等はこの中に含まれます。

四、理数學
この理数學も現代社会の知っているところの狭義的なものではありません。広義的理数學は、天地の開闢を知り、日月の盈虧を計り、陰陽の消長、寒暑の往来、世道潮流の変化、時運の変遷を理数の上から計算して悟得する學問のことであります。人心の善悪を弁別でき、時勢の推移を見通し、事の成敗、過去・現在・未来を的確に判断・計議できる能力を有している人を知識家と称し、また賢人とも称されます。易学・哲学・心理学・預言者などはこの中に含まれます。

五、性心學
この性心學も現代社会で知っている所の性心學ではなく、むしろ現代社会の知らない性心學であります。これは、先天・後天の在り方、宇宙森羅万象を含む一切の有形無形のものの創造理を悟り、それに通ずる學であります。すべての物体は、この定理・定数の範囲から出ません。物事の終始本末を悟り、万古不易の真理を定義し、由来と未来の理を確立して人類を苦の因果の梱縛から脱せられる法を参悟する學であります。霊の浄化、心の洗浄法を会得することは至難の業であります。どんなことでも、根本原理を追求して至らねばなりません。この原理は、千秋万古を経て真であり、常に不変の存在であり、如何に攻撃打倒しようとしても不動体であり、どんな強力な力でも覆すことはできません。この真理を求め、これを掌握し、大霊に融合する「道」を得た人、それに到達した人こそ最高の學を修得する人と言えます。前記の仕事を為し得られる人、または、これらの能力を有している人を知慧者と称し、あるいは聖人とも称されます。神學・宗教學はこの中に含まれ、老子・孔子・釈迦・観音菩薩・達磨大師・キリスト・マホメッドなどはこの域に達せられた方々であります。

我々が学んでいる「道」は、すなわち性心學であり、最高位にあたる貴い存在であり、學の五階級の中でも第一等に算えられますが、さらに性心學は五段階に別けられます。

【粗理】=あらいり
聖人は、幽玄なる奥理を人に説明するのに、人によって法を説く関係上、 普通一般の人に説くのを主旨とされています。これは、因果応報の的確と、宿業罪業の報復を「瓜の種には瓜の実、豆の種には豆の実」と述べられています。すなわち善を為せば善の果を得られ、清白の行いがあれば清白の報いがあり、時期が到来すれば必ずその報いが来るという平易な理であります。一般人はこのような啓発によれば一番目覚め易いからであります。

【細理】=こまかいり
聖人が程度のやや高い知識層に説く主旨であります。聖人は、人々に道徳・倫理の根本を教え、義理と人情の必要を説き、禮教・仁愛の大事を納得させました。社会は、天下の人の社会であって、自分1個人の社会ではないから、相互の親愛がなければなりません。だから生きている以上は、人を愛し、世間の危機を救い、己の態度と行為を正しくし、意を誠にし、心を正し、身を修め、家を斎へ、国を治め、天下を平和にする順序を明らかに知り、対人関係に必要な孝・梯・忠・信・禮・義・廉・恥を具備することを教え、人格・教養・道徳を円満に修める為、必要な理を教えるものであります。

【微理】=かすかなり
聖人が程度の一番高い知識層に説く主旨であります。聖人は、聖書・経典を根本にして宣揚し、人々に聖人と凡人、仙人と俗人、仏と衆生の元は完全に一体であり、同様であることを示した理であります。我々の元は一様に、天地創造神・造物主から賦与された霊を持ち、父母から生育された身体を有し、天地から扶養されて生活していますが、ただここに迷いと悟りによって天淵の差に別れてゆくのであります。この理をいち早く悟ることを教えたのが微理であります。もし、明師から真傳心法の伝授を受けることができれば、人々は皆聖賢仙佛に成れましょう。ただ、切実な決心があるか否かによって分別されていくだけであります。この理を悟って偉大なる決意を持てば、万古流傳の名声を獲得できることは言うまでもありません。

【玄理】=おくふかいり
博く千経萬典を覧て、自己の真霊をますます深い玄理に結びつけて、日夜修行煉磨することであり、自己の霊光をいよいよ純熟に仕上げてゆくのを参玄と言います。

【妙理】=たえなるり
ここに到達した人は、もう一宗一派の所説に偏狭することはありません。最高の真理を掌握し、態度は超然として深い妙理のみを悟得師、自分の真なる智慧を発揮して不変不易の理想境界へ至ろうとします。これを「妙を悟る」といいます。まず、妙を悟ってこそ「道の真諦」を発揮でき、輪廻と煩悩、因果と恐懼を脱れて人々に人生の最高幸福を悟らしめることができ、この工夫に到達できる人の學は最高至極と言えます。

以上が性心學の大切を述べた論説で理論上,學問の根幹をなしているものであります。
※「性」とは「霊」とも言います。仏性とか真心とも言いいます。

 


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バシャール「新型コロナウィルスの真実」アシュタール 日本語朗読スピリチュアルメッセージ2020年

2020-03-31 17:04:21 | ONEメッセージ

バシャール「新型コロナウィルスの真実」アシュタール 日本語朗読スピリチュアルメッセージ2020年


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真理の目

2020-03-31 13:03:24 | 道すなわち真理

Ray:テクノロジー・オカルトはすべて偶像崇拝の流れ。しかし真理を思いおこす最小限の形象を遺すことになりました。

真理の目(1)
現代の政治・金融・経済・医療・教育など生活や人生のあらゆる分野は、世界の一握りの人々によってコントロールされてきました。今日はその原因が驚くほどシンプルであることを知っていただきたいと思います。原点は「道・真理」です。これから人類は「道・真理」の世界に入ってゆきます。ここまで来るには人類創生以来の長い道のりでした。何百回、何千回の生まれ変わりを体験し、ある時期は意識が低下したため何度かの人類滅亡の体験もして来ました。その荒波の中で希望の光、それが超古代から普遍の「道すなわち真理」でした。
しかし「道・真理」を求める過程で人はそれぞれの段階(縁)があります。権力や財宝に目がくらんでいる者は「道・真理」から程遠く、大衆を支配するための道具としてまやかしの狐や狸の霊を霊験あらたかなものように敬いオカルト化してきました。
歪んだ人間の心が今日の災害や戦争の世界を造りだしたかを知っていただきたいと思います。
世界を支配している秘密結社の象徴として使われているプロビデンスはキリスト教の摂理という意味で、プロピデンスの目は神の全能の目を意味しています。
カバール(カバラー)とは、ユダヤ教の伝統に基づいた創造論、終末論、メシア論を伴う神秘主義思想で、独特の宇宙観を持っていることから、しばしば仏教における密教との類似性を指摘されることがあります。しかし、これはもっぱら積極的な教義開示を行わないという類似性であると言われ、教義や起源等の類似性までしか探究でないほど、ましては邪悪な者には至難の業でした。享楽的な意識ではこの「道・真理」に至るための艱難辛苦の修道機会は与えられることはありません。
カバラーはもともと「受け入れる」「伝承する」の名詞形で、「受け入れ」「伝承」を意味しています。カバラーが登場する以前のゲオーニーム時代には、単に口伝律法を指す言葉として用いられていました。これは釈迦仏教の口伝と同じで、その後ユダヤ教神秘主義を指す呼称となった際にも、個人が独自に体得した神秘思想というよりは、神から伝授された知恵、あるいは師が弟子に伝承した神秘という意味で用いられました。 これがキリスト教の神秘家に採り入れられるようになると、ユダヤ教の伝統からは乖離した極めて個人的な神秘体験の追究の手段としてしか理解できないものになりました。
イルミナティとは、ラテン語で「光に照らされたもの」を意味しますが、後に宗教的な活動から「啓蒙、開化」をも意味するようになったようです。近世以降、この名前で呼ばれた秘密結社が数多くある。グノーシス的要素やテンプル騎士団、シオン修道会、アサシン、フリーメイソンとの関連等を持つとされる。
このほかにも中国の数々の宗教も秘密結社もみな同種の形象を受け継いでいます。しかし形象は「道・真理」と似て非なるものです。釈迦や達磨、観音やキリストが得た同じ殊宝を天が直接あなたに伝承するその時まで漏らされることはありません。


形象的な伝承、プロピデンスの目

本来、縦に長いピラミッドの上部に目がありますが、この意味を佛教では「玄嚢鼻直(げんのうびちょく)」と言います。嚢は鼻の穴の膨らんだ部分、鼻直と鼻の真っ直ぐ上を指しています。そこにあります。つまりピラミットは鼻を顕しています。その鼻の真直ぐ上にいわゆる神秘の目があることを指しています。仏像にも第3の目が眉間にあります。

十字架も薔薇十字のように交わる「点」をバラの華で強調しています。キリストがゴルゴダ(しやれこうべ:頭骸骨)の丘の十字架で磔になった時に、両側に盗人が2人処刑されました。聖書の姦淫は目が盗むことを意味します。2人の盗人は左右両目を、キリストは真中の真理の目を顕していました。十字架の中心点はプロピデンスの目と同じ真理の意味です。

真理の目(2)

        古代エジプトのプロピデンスの目

人類の秘法(道=真理)がどのように伝えられてきたか、各宗教の経典に伝承されていますが、時代が下るとその解釈は有名無実となってしまいました。

老子には元始(ゲンシ)、孔子には項屣(コウモ)、釈迦には燃燈佛(ネントウブツ)が法灯(キリスト教の『聖霊と火』によるバプテスマ的秘儀)を伝授しました。

老子は、道徳経、第一章の中で「道可道、非常道、名可名、非常名、無名、天地之始、有名、万物之母、故常無欲、以観其妙、常有欲、以観其竅、此両者、同出而異名、同謂之玄、玄之又玄、衆妙之門、」道というは、常にいうその道ではない。その名でもない、名が無いが、「天地の始め」であって、その名をあえて、「万物の母」という。つねに無欲である故にその妙を観る。「天地の始め」であり「万物の母」この両者は、同じ根源から出ているが、名を異にしている。これを玄(玄関)という。玄の中の玄を、あらゆるものを生み出す神秘の中の神秘、それを衆妙の門という。

※衆妙の門:多くの人々に付与された命(性)の微妙な出入り口

釈迦は、弟子スプーティに「解脱に至る道(真理)は、どのような道でしょうか。」と問われ、「解脱に至る道によって解脱を得るのではない。また道でないものによって解脱を得るのではない。スプーティよ、解脱がそのまま道であり、道がそのまま解脱である。一(真理)を得ることが、その一切である。」と答えました。

また、摩訶迦葉に法灯を伝え「吾に正法眼蔵あり、涅槃の妙心、実相無相にして微妙の法門、不立文字、教外別伝、これを摩訶迦葉に附嘱す。」【粘華微笑、玄嚢鼻直】と説法し、正しい法が目の蔵(老子:谷神)にある。それは涅槃(天国)への妙なる心のように、あるといえば無い、無いようである、微妙な法門である。文字を立てず(文字に表すことはない)、教えの外に別に伝える(誰にでも教えるものではないし、教えるというものでもない)、一人から一人に単伝独授するもので、これを摩訶迦葉に附嘱(一指相伝)し、その機微を顕しました。そして鼻を捻って微笑し(粘華微笑)それは鼻の玄嚢の直すぐ上である、と記しました。


聖書では、ヨハネ14章1節ー6節、トマスが言った。「主よ、どこへ行いけばいいのか、わたしたちには分かりません。どうして、その道を知ることができるでしょうか。」
イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。 
「わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。」 父のもと(天国)へゆくには、「道であり、真理であり、命である」わたしを通らなければならない、と・・・。


道と真理が意味する「命」とは、本来の魂のことでスピリチュアル(霊)のことです。漢字文化では「性」、つまり創造主の分霊の意味です。
「わたしを通らなければ」は、キリストがゴルゴダ(しゃれこうべ)の丘で磔にされた3つの十字架の真ん中の十字架(真理の目)、それが道であり、真理であり、性(わたし)に通じなければならないと・・・
どの経典でも、これは名のつけようもなく、あえて「道」といい、経典の文字をいくらあさっても解るものではないと伝えられています。

 縄文時代の遺跡の標本にも眉間に仏像と同じように心眼の印がある。海外に持ち出されているコレクションには歴史の真実を隠蔽するためのものもある。
※ このデータベースは東京大学総合研究博物館・人類先史部門所蔵の土偶、その他土製品、岩版、岩偶などの石製品若干数、総計800点ほどの先史・考古学標本の画像データベースである。当コレクションは1877年のE.S.モースによる東京大森貝塚の調査まで溯り、ほとんどの標本が明治期後半から昭和初期に収集され、中でも明治期に由来するものが多い。これらの標本は、日本の人類学、考古学の草創期に本学の研究者による学術調査の一環として、あるいは寄贈品として集積されたものである。このため、当館のコレクションには学史的に重要な標本が多数含まれ、また、優品が少なくありません。


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【Ray:日本発の新世界は、創造主主宰の弥勒世界!世界の闇はテクノロジー(AI)による再支配!】コロナウイルスの真実 : デーヴィッド・アイク

2020-03-31 12:40:12 | 道を求める聖なる物語(人・日本・世・宇宙)

コロナウイルスの真実 : デーヴィッド・アイク


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シェルダン・ナイドルニュース特集~2004年3月9日:歴史に聖人が実証した道徳的規範を再度皆さんに吹き込む時がきます

2020-03-30 15:15:21 | ONEメッセージ

Original URL : http://www.paoweb.com/sn030904.htm
 皆さんにご挨拶を!心から愛しい子たち、皆さんにお伝えすべき多くの情報とともに、私たちはもどってきました!マザーアースは、新たなマントを身にまとうためにその地表の準備をステップアップさせています。その間、我らが地上の同盟者たちは、彼らの待ちに待った「びっくりパーティー」の準備を終了しています。このパーティーは、今皆さんに最後に残る暗黒秘密結社がコントロールする政権による支配を終わらせるでしょう。この活動は軍と民間セクター間での共同作戦となるはずです。これを私たちが監督することで、すべて成功裡の発生が保証されるでしょう。この目的のために、我らがリエゾン(連絡員)および外交チームが、これら多数の活動をコーディネートするポジションにつきました。私たちは、軍事上トップの地位に就く者たちのもとへ、この手続きに必要なアクション・コードを送信しました。また、私たちの銀河防衛軍から特殊リエゾン人員を大勢アサイン(割り当て)して、我らが地上の同盟者の指揮下にある軍事セクションにも活用可能としました。彼らが負う責任は、このミッションの成功に必要と考えられる如何なる艦隊活動も遂行することとなるでしょう。彼らの支援のために、我らがファースト・コンタクト司令部は数多くの特別防衛スカウト(偵察)艇に指示を出し、地球周辺の様々な要衝につけました。

    我らが艦隊の主要ミッションは、どんな秘密兵器システムも展開されないよう保証し、このオペレーションの成功を妨害する通信をすべて抑えこむことです。これらの警戒体制は必要であると考えられます。このミッションをできるだけ慈悲深いものに終わらせることが、私たちの意図するところであるからです。したがって、このオペレーションの第一の目的が速やかに達成されることが肝心です。時間と驚きの要素が不可欠ですから。私たちに言えるのは、このイベントがほとんど皆さんの身にふりかかりつつあるということだけです。青信号が灯れば、それは私たちのジョイントによる成功に帰着するでしょう。この目的のために、私たちは可能性ある様々なシナリオを検討しました。一旦このジョイント・ベンチャーが進行するなり、私たちは科学観測艦隊を指揮してより活発な役割をさせるかもしれません。彼らに、私たちと地上の同盟者たちの間での情報交換をサポートさせるためです。私たちは、この最後の秘密結社をしっかりと捕らえ、その不法に奪取した政治的権力の地位をもぎ取るつもりです。その後、我らが地上の同盟者たちが、皆さんのグローバル社会に先例のない繁栄を確保し、皆さんの新たな現実をマニフェスト(顕現)するのに必要な基盤を保証できるでしょう。 このセッティングは、私たちの存在の正式な認知と、このファーストコンタクト・ミッションの次なるステップに道を開くことができます。

    我らがリエゾン・チームは、今、この最後に残る暗黒の秘密結社がコントロールする現在の政府人員と(短期的に)交替する人々と連絡をとっています。この臨時の人員たちには、政権交替後90~100日内に、全国、州、および市町村レベルでの選挙を行なう計画があります。さらに、国の法律制度を再度確認し再教育する手続きが、政権切り替え後数時間内にも発効する準備ができています。この初期60日間の猶予期間は、弁護士と裁判官の全員を評価し、全国慣習法システムの導入を可能とするでしょう。これに合格した人々が資格を与えられ、次に、新たな法律制度をインストールすることができます。特殊訓練を受けた我らがリエゾン要員が、刑務所のシステム内に捕らえられた人々をすべて査定し、彼らが通常の生活に戻れるよう光のヒーリング技術を用いるでしょう。私たちの目的は、豊かな社会が誰もに本当の自由を与え、創造主より私たちすべてが授かる不可譲の権利を責任を持って行使する機会を提供できるよう確かめることです。 思い出してください。 皆さんはすべて一体であり、皆さんの新たな銀河社会を成功させることに責任を負います。

    法律制度に加え、重要官庁がすべて厳密に評価されることが不可欠です。莫大な数の強力な特別利益団体の不法な干渉によって生まれた皆さんの政府は、不明瞭で混乱させる法規の悪夢となっています。いったんN.E.S.A.R.A.や、他のまだ明かされていないいくつかの条約がこれらの規制を無効にすれば、皆さんの社会の需要に合わせたシステムに取り替えることが必要になります。これを念頭において、これらの問題に対処するため、ほぼ10年前ですが、我らが地上の同盟者たちによってある委員会が組織されました。老齢者や貧困層は、その現状に即刻の処方箋を必要としています。その解決策は、やがて来たるとてつもない豊饒(ほうじょう)、素晴らしい集団としての思いやり、そして数多くの卓越したニュー・テクノロジーにあります。これらの要因がまとまって、皆さんの現在の医療/福祉システムの悪を是正し、貧困や薬物依存、暴力その他関連する苦悩の種を、皆さんの都市エリアから即座に除去することができます。

    これには、皆さんに個人としての自分自身の責任と、集団としての共同責任に関する新たな見解を要求します。アセンデッド・マスターは、皆さんが根深く抱える偏見と信念を改革することに、断固とした支援を授けるつもりです。それが皆さんを分割させ続け、その偏見が、互いに助け合い本当に結集するのを妨げてきたコアなのですから。時は今、何世紀も前にイェシュアや主(ロード)ブッダおよび主マホメットが初めて実証した道徳的規範を、再度皆さんに吹き込む時です。この目的のために、アセンデッド・マスターは、神の意志に適う時に、皆さんの間に公然とその姿をマニフェストするつもりです。彼らの「実際の手による」レクチャーと洞察力あるガイダンスは、モラル刷新の時代にインスピレーションを与えるでしょう。皆さんの新たな銀河社会は、誰もがその最も完全なポテンシャルを発揮したレベルで働く必要があるでしょう。ニュー・テクノロジーが、生計を立てるための骨折り仕事から皆さんを解放し、それによって、皆さんの関心が肉親を越えてコミュニティーにまで拡張することが可能となります

    マザーアースは、彼女自身の数多くの変化を通じて、皆さんが彼女を助けてくれることも望みます。これは、皆さんが異なる光の中で現実を知覚する必要があるだろうということを意味します。皆さんは生命(いのち)も意識もある宇宙に住まいます。現実の中のすべての部分、あらゆるものが生命を持ちます。物質界を創造するものを反映する生命エネルギーに満ちています。皆さんは本質的に『肉体をまとう天使』です。皆さんに健忘状態を課した経験を、今はただ通過しているだけです。皆さんが自分は実は誰なのか思い出し始めると、そのかっての責任を再開することが皆さんの責務になります。マザーアースはその変化を通じて支援され、彼女の脆弱なエコシステムはサポートされ強化される必要があります。抑圧されてきた多くのテクノロジーが、皆さんの大気や水をきれいにし、多くのごみ埋立地を農地や森林の適切な肥料に変換することを可能にするでしょう。不和を生ずる現在の社会を、愛に基づくそれに変えることができます。

    もうおわかりのように、皆さんの現在の政府の交替は、厖大な数の変化の始まりにすぎません。皆さんに与えられる豊饒は、元秘密の支配者たちの過剰消費を繰り返させることを意図したものではありません。それは聖なる介入の一部として提供されるものであり、それが最終的に皆さんをフルコンシャス(完全なる意識)に復帰させます。フルコンシャスの存在は完全に意識的な現実に住まい、それは生命に対する公然とした敬意と、あらゆる所に豊饒を顕現する深いコミットによって特徴づけられます。皆さん自身を、ある集合的な経営チームの一員として見てください。そのミッションは、物質界全体に生命を行き渡らせ、これを維持することです。このミッションが、皆さんを無数の天体へ連れて来ましたが、その中でも特別に美しく重要なのがマザーアースです。この惑星は選ばれたごく少数の者たち、すなわち皆さんに託されています。したがって、彼女が値する相応の尊敬をもって対することが肝要です。

    私たちの責任は、皆さんの聖なるミッションの遂行を助けることです。私たちはある巨大な艦隊の一部です。この艦隊は、マザーアースの民とのファースト・コンタクトを探る神のガイダンスの下にあります。主(ロード)スーリア配下の幾多のセラフィムもここにあり、神のスケジュールに従って聖なる勅令を遂行しています。まもなく、多くの驚異的なイベント(事象)がマニフェストする時期が接近しています。その結実には長く時間をとりましたが、私たちは今とても幸せです。この瞬間がついに近づいているのですから。したがって、最も重要なことは、不可避なる勝利にフォーカスを保つことです。この時を利用して皆さんのコミットを堅め、かつ前方に控えるものに備えてください。多くが適所に配されつつあり、皆さんを大いに驚かせるでしょう。私たちはその展開を待ち、皆さんの全員とついに出会う機会をとても楽しみにしています。私たちは、ともに勝利する者です!

    今日、私たちは再び、マニフェストに接近している出来事について議論しました。私たちは皆さん全員に要請します。集合的なポジティブな意図を発揮し、我らが地上の同盟者たちへの支持を公に表明してください。私たちは今、皆さんの歴史の大きな分水嶺に接近しています。それは皆さんの霊的家族やスペース・ファミリーとの再会に道を開くことができます。さあ、私たちは今おいとまします。可愛い子たちに天恩あれ!ハートの中のハートで感じください。天の永遠(とわ)の繁栄と無限なる豊饒が皆さんのものです!
かくあれかし!Selamat Gajun!Selamat Kasijaram!(シリウス語で「ひとつであれ!愛と歓喜にて祝福を!」)


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