三昔も前の事になるが、会社から一旦帰宅したものの
どうしても逢いたい気持ちになって、その人が乗るであろう
バス停に。
丁度停留していたバスがあり、何の抵抗もなくそのバスに
乗り込んだ。バスを降りて、どう帰るのか、道順すら知らなかった。
兎に角、近くまで行けば気が済むのである。一旦帰宅した僕は
ジーパンに下駄履き・・という、およそ不釣り合いな格好をしていた
乗っている時間は長い。混み合っている入り口を避けて後部へ移る
つり革に掴まってバスが出るのを待っていた。
そんなとき「どうしたの?」という声がした。
なんと、偶然にもそのバスに乗っていた。それも僕が立つ目の前に
座っていた。驚いた。混み合う車内ゆえ「君に会いたくて」などとは
言えない。僕はただ笑って見下ろした。
一方はきちんとしたスーツ姿、一方はジーパンに下駄・・という
格好ではならんで歩くわけにはいかない。仕方なく5M程後を、カラコロ
と下駄を慣らしながら付いて歩いた。バス停から10分程歩いた。
大きな団地の一番奥の建物が、彼女が暮らすところだった。
彼女が鍵を開けて入るのを見届けてから、少し間をおいて僕入った。
ひと目会いたい・・そんな気持ちで来ただけで、長居をするつもり
はなかった。
春先の、穏やかな夕暮れ時で、彼女の家に着く頃に、周りは暗く
なっていた。「コーヒー淹れるから」という言葉に甘えて、上げて
貰った。その頃普通の家庭ではインスタントコーヒがコーヒーで
ある時代で、ネスカフェだったか、マックスウェルだったかの記憶
は残っていないが、砂糖を落として飲んだ。
他愛もない話をした後、旦那が帰るとまずいことになるので、用を
たして、早々に引き上げた。これが《彼女にとってのサプライズ》
明くる日会社での昼休みに、少しだけ昨夜の事を話題にした。
後は、帰りにゆっくり出来るときに話をすればいい。
たまたまカミサンが急な用事で里に帰った夜。今夜は会えないから
と言われていたので、僕は早々に帰宅していた。
当時僕は全日空ホテルの反対側(南側)に住んでいて、それはビルの
3階だった。代々木などが建つ随分前のことで、自宅の居間から
全日空ホテルは目の前に見えていた。勿論、通りを歩く人の姿も
認識出来た。
何気なく窓外を眺めていて「あれっ彼女だ」と思った。
声では届かない、僕はライターを手に持って火を点けた。2回3回と
大きく振った。気が付いた彼女は立ち止まり手を振る。
暫くして電話が鳴り、彼女は僕の部屋へ現れた。
コレが僕にとっての《サプライズ》だった。嬉しかった。
何の約束もしない時に、思いがけず会えるという事は大変嬉しい
ものである。「今日は会えない」と言っていた彼女が、何故家の
前を歩いていたのか、の説明は、長くなるので省きますが・・・
その後で付き合った彼女はそういう「サプライズ」を楽しむような
人ではなかった。今の・・もそういうタイプではない。「僕にとって」
それは、僕と・・の関係にも依るところが大きい気がする。
僕は今でも「サプライズ」は楽しみたい方では有るが、矢張り
僕と・・の関係では、相手に迷惑がかかる、そう思うから行かない
一度仲直りに行ったが、矢張り行ってはいけなかったと思う。
とは言っても、僕はたまに期待する。
サプライズはなにも、相手の所に行くばかりでは有りません。
今日は会えない・・・そう分かっているときに「会いたい」と
言われることも「サプライズ」です。しかしサプライズは起きません。
当たり前・・でしょう。
~~眠られないままに~~