東京都青少年健全育成条例と表現の自由問題1のつづき
ここでは原理原則論に立ちつつも東浩紀氏の問題意識にも配慮し、将来に向けたざっくりとした考えを書いておく(ゆえに現在の判例通説等からは逸脱している)。
0.結論
①実在する児童のポルノは厳格に法規制する。製作販売頒布公然陳列販売目的所持単純所持の違法化。
②それ以外のワイセツ表現物一般について、法規制により徹底したゾーニングをする。
③13歳未満の児童にワイセツ表現物を販売しないように法規制する。
④それ以外は原則として自主規制にゆだねるが、現在以上にレイティング及びレイティング表示をより厳格にする。
1.前提となる憲法の議論
憲法21条が規定する表現の自由は人間にとって極めて重要な自由である。そこには①言論活動によって民主制に資するという自己統治の価値のみならず、②個人が言論活動を通じて人格を発展させるという自己実現の価値がある。そして、個人がどのように人格を発展させるかは個人の自由に任せられるべき問題であり、少なくとも公権力がそれに介入するべき問題ではない。
もちろん、表現は個人の内心にとどまるものではなく、外部へ公表するものであるから、他人の人権や自由と衝突する可能性がある。故に表現の自由は絶対無制約のものではなく、制約を受ける場合もある。しかし、それはあくまでも具体的な他者の権利や自由と衝突した場合及び衝突が差し迫っている場合に限定されるのが原則である。
したがって、最高裁判例とは異なり、「性生活に関する秩序及び健全な風俗の維持」 は刑法や条例等によって保護すべきものとは考えない。それらは法による規制によってではなく、対抗言論によって維持されるべきものである。
以下では、ワイセツ表現を、実在/非実在、児童/非児童という分類をして考えたいと思う。
2.実在ポルノ
(1)実在児童ポルノ
児童の性的自由や人格、人権を守るため、実写のアダルトビデオや写真集の規制は必要である。水着や衣服を着用した状態でのいわゆる「着エロ」などにも極めて過激なものがあり、また、幼児や小学生なども被写体となっていることから、これを保護する必要がある。実在児童ポルノの法規制はこの観点から必要である。但し、単純所持は違法化しても罰則規定は設けるべきではない。
(2)実在非児童ポルノ
1)児童でない者が被写体となるアダルトビデオ等については、それが個人の自由な意思に基づく出演であるかぎり法規制をするべきではない(刑法175条不要)。但し、往々にして女性という身体的弱者に対する強要・搾取がありうることから、有形無形の強要については厳しく望むべきである。
その上で、「性生活に関する秩序及び健全な風俗の維持」をするべきであるという社会の言論を踏まえ、民間による自主規制として、従来の規制を継続するべきである。
2)犯罪の結果得られた撮影物等をアダルトビデオとして販売することは当然禁止されるべきであり、また、演技であると表記しているものの実態として犯罪行為が行われている可能性があることを考慮し、犯罪行為らしきものが映っているものについては第三者機関による調査(場合によっては警察による捜査)を積極的に行う必要がある。
しかし、完全なフィクションとしての犯罪描写については、それを法規制すべきではない。前述の山口弁護士が指摘している通りである。また、アダルトビデオ等の創作物がそれを見た者にいかなる悪影響を及ぼすか(犯罪へと走らせるか)は今なお明確な答えの出ていない問題であり、それを公権力側が立証できる程度に明らかにならない限りは認めるべきではない。
この問題についても、民間の自主規制にまかせるべきである。
※なお、近親婚は婚姻障害自由であるからそのような結婚は禁止されているが、しかし、近親相姦それ自体はなんら違法ではないことは山口弁護士が指摘する通りである。
そして、そのような「近親婚」というタブーも、その内容については人類普遍の原理があるわけではなく、社会や民族によって大きく異なるものであることに留意する必要がある。
3.非実在ポルノ
(1)非実在児童ポルノ
これらに対して、「漫画、アニメーションその他の画像(実写を除く。)」による表現は法規制の対象とすべきではない(非実在児童ポルノ)。原則として児童の人権侵害等が観念できないからである。単純所持の違法化も不要である。
なお、実在児童・青少年をモデルにし、本人を特定することができる程度に写実的な画像については例外的に規制の対象とすることも検討すべきであるが、その線引き問題は残る。
この点、本都条例改正案が、最も法規制すべき実在児童ポルノを排除し、法規制すべきではない非実在児童ポルノを規制しようとする点は理解できない。
(2)非実在非児童ポルノ
1)非実在の(児童ではない)ポルノは、更に法規制するべきではない。
しかし、実在非児童ポルノと同様に、自主規制をするべきである。
2)非実在のポルノについては、そこで犯罪が成立することはほとんどあり得ない。
また、犯罪に相当する行為を描写することを法規制するべきではなく、自主規制に任せるべきことは実在ポルノと同様である。
4.ゾーニング及び販売・入手について、受手側から
(1)見たくないという成人保護(20歳以上)
上述のように、「性生活に関する秩序及び健全な風俗の維持」などを目的とした法規制には反対である。
しかし、 性的な表現物を見る自由がある一方で、性的な表現物を見ない自由もある。アダルトビデオやアダルトコミック等のパッケージなどを見ることにすら不快感を持つ人間が居ることを踏まえ、「見たくない人」を保護するための法規制、徹底的なゾーニングが必要不可欠であると考える。売り場を一般作品と分離した上、外部からは商品が見えないようにするべきである。
(2)未成年者の保護(18歳以上20歳未満)
未成年者がわいせつ物を入手して見ることを未成年者の保護を理由に規制するべきではない。
(3)児童の保護
1)13歳以上18歳未満
児童ポルノに対してパターナリスティックな規制を設けることとのバランスをとるため、 児童(18歳未満)に対しては一定の規制を設けるべきである。しかし、人格に対するダメージや人権侵害の程度、可塑性が異なることから、緩やかな法規制に留まるべきであると考える。業界団体が自主規制を設けるべきことを努力目標として規定する程度が望ましく、少なくとも現行と同程度の法規制がその限界であると考える。
2)児童(13歳未満)
しかし、児童の中でも13歳未満はより保護の要請が強いと考える。13歳未満の児童に対する販売頒布等についてはより厳格な規制が必要である。
そのため、徹底したゾーニングに加え、民間の自主規制としてより細やかなレイティングとレイティング認定ラベルの表示等が必要である。
***問題発言について
参照:石原都知事:同性愛者「気の毒」
同性愛者について「テレビなんかでも同性愛者の連中が出てきて平気でやるでしょ。日本は野放図になり過ぎている」 「どこかやっぱり足りない感じがする。遺伝とかのせいでしょう。マイノリティーで気の毒ですよ」 http://mainichi.jp/select/seiji/news/20101208ddm041010103000c.html
参照:猪瀬副知事「ネトウヨは夕張で雪かきしろ」 漫画規制の取材申し込みに条件
http://www.j-cast.com/2010/12/06082742.html?p=1
前者の石原発言は同性愛者に対する差別的な発言であり、「日本は野放図になり過ぎている」 という発言は同性愛表現を規制したいという考えが顕れたものではないかとも言われている。(なお、私は差別表現についても自由とした上で対抗言論によって駆逐するのが原則だと考えている。)
後者の猪瀬発言はそもそも趣旨が良く分からない。飲酒して酔った状態でのツイートだったとも言われている。私はそもそも「ネトウヨ」という表現は無意味であると考えているが、とりあえず「ネトウヨ」=「インターネット上において右翼的な言動をする人物」 だとしよう。しかし、公権力による表現規制に批判的であったのは元来左翼的な思想を有する側であったはずだし(戦前の弾圧の記憶がある)、なによりも、石原都知事自身がネット上では右翼的な文脈でたびたび礼賛される人物だったはずである。
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ここでは原理原則論に立ちつつも東浩紀氏の問題意識にも配慮し、将来に向けたざっくりとした考えを書いておく(ゆえに現在の判例通説等からは逸脱している)。
0.結論
①実在する児童のポルノは厳格に法規制する。製作販売頒布公然陳列販売目的所持単純所持の違法化。
②それ以外のワイセツ表現物一般について、法規制により徹底したゾーニングをする。
③13歳未満の児童にワイセツ表現物を販売しないように法規制する。
④それ以外は原則として自主規制にゆだねるが、現在以上にレイティング及びレイティング表示をより厳格にする。
1.前提となる憲法の議論
憲法21条が規定する表現の自由は人間にとって極めて重要な自由である。そこには①言論活動によって民主制に資するという自己統治の価値のみならず、②個人が言論活動を通じて人格を発展させるという自己実現の価値がある。そして、個人がどのように人格を発展させるかは個人の自由に任せられるべき問題であり、少なくとも公権力がそれに介入するべき問題ではない。
もちろん、表現は個人の内心にとどまるものではなく、外部へ公表するものであるから、他人の人権や自由と衝突する可能性がある。故に表現の自由は絶対無制約のものではなく、制約を受ける場合もある。しかし、それはあくまでも具体的な他者の権利や自由と衝突した場合及び衝突が差し迫っている場合に限定されるのが原則である。
したがって、最高裁判例とは異なり、「性生活に関する秩序及び健全な風俗の維持」 は刑法や条例等によって保護すべきものとは考えない。それらは法による規制によってではなく、対抗言論によって維持されるべきものである。
以下では、ワイセツ表現を、実在/非実在、児童/非児童という分類をして考えたいと思う。
2.実在ポルノ
(1)実在児童ポルノ
児童の性的自由や人格、人権を守るため、実写のアダルトビデオや写真集の規制は必要である。水着や衣服を着用した状態でのいわゆる「着エロ」などにも極めて過激なものがあり、また、幼児や小学生なども被写体となっていることから、これを保護する必要がある。実在児童ポルノの法規制はこの観点から必要である。但し、単純所持は違法化しても罰則規定は設けるべきではない。
(2)実在非児童ポルノ
1)児童でない者が被写体となるアダルトビデオ等については、それが個人の自由な意思に基づく出演であるかぎり法規制をするべきではない(刑法175条不要)。但し、往々にして女性という身体的弱者に対する強要・搾取がありうることから、有形無形の強要については厳しく望むべきである。
その上で、「性生活に関する秩序及び健全な風俗の維持」をするべきであるという社会の言論を踏まえ、民間による自主規制として、従来の規制を継続するべきである。
2)犯罪の結果得られた撮影物等をアダルトビデオとして販売することは当然禁止されるべきであり、また、演技であると表記しているものの実態として犯罪行為が行われている可能性があることを考慮し、犯罪行為らしきものが映っているものについては第三者機関による調査(場合によっては警察による捜査)を積極的に行う必要がある。
しかし、完全なフィクションとしての犯罪描写については、それを法規制すべきではない。前述の山口弁護士が指摘している通りである。また、アダルトビデオ等の創作物がそれを見た者にいかなる悪影響を及ぼすか(犯罪へと走らせるか)は今なお明確な答えの出ていない問題であり、それを公権力側が立証できる程度に明らかにならない限りは認めるべきではない。
この問題についても、民間の自主規制にまかせるべきである。
※なお、近親婚は婚姻障害自由であるからそのような結婚は禁止されているが、しかし、近親相姦それ自体はなんら違法ではないことは山口弁護士が指摘する通りである。
そして、そのような「近親婚」というタブーも、その内容については人類普遍の原理があるわけではなく、社会や民族によって大きく異なるものであることに留意する必要がある。
3.非実在ポルノ
(1)非実在児童ポルノ
これらに対して、「漫画、アニメーションその他の画像(実写を除く。)」による表現は法規制の対象とすべきではない(非実在児童ポルノ)。原則として児童の人権侵害等が観念できないからである。単純所持の違法化も不要である。
なお、実在児童・青少年をモデルにし、本人を特定することができる程度に写実的な画像については例外的に規制の対象とすることも検討すべきであるが、その線引き問題は残る。
この点、本都条例改正案が、最も法規制すべき実在児童ポルノを排除し、法規制すべきではない非実在児童ポルノを規制しようとする点は理解できない。
(2)非実在非児童ポルノ
1)非実在の(児童ではない)ポルノは、更に法規制するべきではない。
しかし、実在非児童ポルノと同様に、自主規制をするべきである。
2)非実在のポルノについては、そこで犯罪が成立することはほとんどあり得ない。
また、犯罪に相当する行為を描写することを法規制するべきではなく、自主規制に任せるべきことは実在ポルノと同様である。
4.ゾーニング及び販売・入手について、受手側から
(1)見たくないという成人保護(20歳以上)
上述のように、「性生活に関する秩序及び健全な風俗の維持」などを目的とした法規制には反対である。
しかし、 性的な表現物を見る自由がある一方で、性的な表現物を見ない自由もある。アダルトビデオやアダルトコミック等のパッケージなどを見ることにすら不快感を持つ人間が居ることを踏まえ、「見たくない人」を保護するための法規制、徹底的なゾーニングが必要不可欠であると考える。売り場を一般作品と分離した上、外部からは商品が見えないようにするべきである。
(2)未成年者の保護(18歳以上20歳未満)
未成年者がわいせつ物を入手して見ることを未成年者の保護を理由に規制するべきではない。
(3)児童の保護
1)13歳以上18歳未満
児童ポルノに対してパターナリスティックな規制を設けることとのバランスをとるため、 児童(18歳未満)に対しては一定の規制を設けるべきである。しかし、人格に対するダメージや人権侵害の程度、可塑性が異なることから、緩やかな法規制に留まるべきであると考える。業界団体が自主規制を設けるべきことを努力目標として規定する程度が望ましく、少なくとも現行と同程度の法規制がその限界であると考える。
2)児童(13歳未満)
しかし、児童の中でも13歳未満はより保護の要請が強いと考える。13歳未満の児童に対する販売頒布等についてはより厳格な規制が必要である。
そのため、徹底したゾーニングに加え、民間の自主規制としてより細やかなレイティングとレイティング認定ラベルの表示等が必要である。
***問題発言について
参照:石原都知事:同性愛者「気の毒」
同性愛者について「テレビなんかでも同性愛者の連中が出てきて平気でやるでしょ。日本は野放図になり過ぎている」 「どこかやっぱり足りない感じがする。遺伝とかのせいでしょう。マイノリティーで気の毒ですよ」 http://mainichi.jp/select/seiji/news/20101208ddm041010103000c.html
参照:猪瀬副知事「ネトウヨは夕張で雪かきしろ」 漫画規制の取材申し込みに条件
http://www.j-cast.com/2010/12/06082742.html?p=1
前者の石原発言は同性愛者に対する差別的な発言であり、「日本は野放図になり過ぎている」 という発言は同性愛表現を規制したいという考えが顕れたものではないかとも言われている。(なお、私は差別表現についても自由とした上で対抗言論によって駆逐するのが原則だと考えている。)
後者の猪瀬発言はそもそも趣旨が良く分からない。飲酒して酔った状態でのツイートだったとも言われている。私はそもそも「ネトウヨ」という表現は無意味であると考えているが、とりあえず「ネトウヨ」=「インターネット上において右翼的な言動をする人物」 だとしよう。しかし、公権力による表現規制に批判的であったのは元来左翼的な思想を有する側であったはずだし(戦前の弾圧の記憶がある)、なによりも、石原都知事自身がネット上では右翼的な文脈でたびたび礼賛される人物だったはずである。
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