![]() | 考えないヒト - ケータイ依存で退化した日本人中央公論新社このアイテムの詳細を見る |
「ひきこもり」の反対の「出歩き」という行為が同じ若者層で行われている。その数は、ネファミレスに座れる4人。「出歩く地域」は「渋谷」なら、渋谷と決まっていて、自分達のテリトリーからは決して出ない。
「自分のしたいことが分からない」或いは「自分とは誰か分からない」という悩みは、「自分は何をすべきであると社会から求められているのか分からない」或いは「自分を社会はどう見ているか不明である」という事と同じ意味になる。
この本に出てきた上記の内容を読んで感じたのは、「10数年前までは携帯電話がなかったから、人間は何がしかの人間らしい集団」にいなければならなかった。しかし、携帯電話(特にメール)が一般化する様になり、誰とも繋がれる可能性が出来、逆に「社会というものが何か?」分からなくなってきていて、自分達の気心の知れた仲間といつもの街をたむろする様になったのではないかと、考えさせられた。
ちょっと、僕の思っていた「今の社会に対する疑問」が解けた様な気がした。




