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お楽しみはこれからだ❣️

本と映画とテレビと鉄道をこよなく愛するブログ

俳優さんあれこれ

2023年02月22日 | テレビドラマ

ドラマでミヤコ蝶々さんと何度か御一緒した。ミヤコ蝶々さんはスタジオ入りする時に、いつも愛犬ゲランちゃんを連れて来る。

まず、ゲランちゃんが勢い良く、スタジオの廊下を走って来て、その後に蝶々さんが来られるのだ。

そんな時、蝶々さんの楽屋には「ミヤコ蝶々様」「ゲラン様」と書かれた札を掛けて置く。

「ゲラン、お前の名前もちゃんと書いてくれてはるでぇー」と蝶々さんが嬉しそうに言う。

楽屋の中には、会社の近くのダイエーで買って来た「犬用のビーフジャーキー」。
ゲランちゃんがしっぽを振りながら、それを食べる。

過酷な労働条件のAPの仕事の中で心が温かくなる一刻だ。

大阪・千里中央のスタジオでドラマの収録をやっていた時、中村玉緒さんは必ずお付きの人と二人で新大阪駅から地下鉄に乗って来られた。

「玉緒さん、新大阪からはタクシーに乗って下さい。精算しますから」と申し上げても、固辞された。

「地下鉄の方が時間が読めますねん。お気遣い有難うございます」
と玉緒さん。その飾らない人柄に感銘を受けた。

東京から大阪に来て頂く俳優さんには「新幹線の回数券」を渡していた。回数券には「グリーン車」と「普通車」がある。

当時、売り出し中だった内藤剛志さんには「普通車の回数券」を渡していたが、大阪・亀岡、どこのロケやスタジオでも長いコートを着て颯爽と現れた。かっこいい!

後年、僕が東京に来てドラマをやっていた時、偶然、東宝撮影所でお見かけした。大阪の朝ドラから十年以上の月日が経っていた。

僕は人見知り。内藤さんが僕の事を憶えて下さっているかなぁーと躊躇して、声をかけられなかった。しかし、内藤さんの方が気づき、気さくに声をかけて下さったのだ。

「久しぶりじぁないですか?元気にされていましたか?」

とても嬉しかった。あの過酷な撮影現場を一緒に経験した戦友の様に僕には思えた。

名前は出さないが、朝ドラを長くやっていて、スタジオに来る度に、「何故、僕は新幹線の回数券がグリーン車ではなくて、普通車なの?」と言い続ける若手の男優さんがいた。

僕は彼の話を半年くらい聞き流していたが、その彼を含めて若手の出演者と飲みに行った時、また同じ事を僕の横に座って言い始めた。

僕は彼だけに聞こえる様に言った。
「あなたがそんな事を自分自身で言うのは賢くない。それは事務所を通して言う事だよ。例えば、大女優さんを普通車には絶対乗せない。基本、視聴者を含めて周りのあなたに対する価値観でグリーン車に乗れるかどうかは決まると思うよ」

僕は酔っ払ってはいたが、気持ちは冷めていた。情けなかった。

東京に出て来て、ドラマ「天国への階段」(2002年4〜6月)のプロデューサーをやった。主演は佐藤浩市さん。

北海道で1ヶ月、沖縄・宮古島でのロケ。浩市さんとはとても親しくして頂いた。

ドラマが終わって何年か経って、TBS緑山スタジオで浩市さんとお会いした。

僕はその時、同じ宣伝部の女性と一緒だった。彼女は「天国への階段」でドラマの宣伝デビューしていた。

佐藤さんがその時撮影していたドラマが山田太一原作の「高原(こうげん)へいらっしゃい」。

宣伝部の女性が言った。
「浩市さん、今、『たかはらへいらっしゃい」というドラマ、撮影していらっしゃるのですね」

浩市さんと僕はスタジオのロビーで笑い転げた。とてもとても楽しく嬉しい瞬間だった。

宣伝部の女性はポカンと口を開けていた。


連続ドラマ「心療内科医涼子」

2023年02月21日 | テレビドラマ

「明日の朝までに企画書書き上げますから、グループインタビューに他の企画書と一緒にかけて下さい」

僕はチーフ・プロデューサーの山本和夫さん(現・ドラマデザイン社代表取締役)に懇願していた。

グループインタビューとは、幾つかのドラマの企画書を、一般の主婦やOL(ドラマのメインターゲット)に読んでもらい、その感想を聞くという調査)のこと。

三つの企画書がこの時、出来上がっていたのだが、プロデューサーである僕にはどうしてもやりたい企画があった。

「心の病を治療する医者のドラマ」

「朝までに企画書が書けたら、グループインタビューにかけよう」と山本さんは言った。

僕はタクシーに飛び乗り、自宅に向かった。心が急いていた。自宅に着いたのが午後11時過ぎ。

ワープロの前で一心不乱に自分のやりたいドラマを書き続けた。トランス状態になっていた。企画書のデッドラインは朝の9時半。完全に時間の経つのも忘れていた。こんなに集中して何事かをするのは、後にも先にもあの時一回だった。A4用紙で15枚。

この時、書き上げた企画書が連続ドラマ「心療内科医涼子」の原型。

ギリギリ締切に間に合い、FAXで調査会社に企画書を送った。

午後1時、グループインタビューが始まる。

僕の書いた企画書も入れて、四つの企画書が出席した女性たちに配られ、調査会社の人が司会。
一つ一つの企画書に関して、いろんな側面から女性たちに話を訊く。

最後、遂に僕の書いた企画書の番だ。

企画書を読み終えた女性たちから感想・意見・ドラマ化されたら観たいかどうか、など忌憚のない意見が出始めた。

「心療内科医涼子」の企画書は概ね好評だった。

僕の横に座って、マジックミラー越しに女性たちの声に耳を傾けていたCPの山本さんが手の指で丸を作った。
この企画で行こうという合図だ。

「心療内科」が舞台になる初めてのドラマ。医療監修は「東邦大学大森病院心療内科」。

後に脚本作りの時、お世話になったのが、当時医局長をやられていた平陽一先生。

僕たちプロデューサーとドラマのディレクターは「心療内科」の話を伺いに、何度も大森病院を訪ねた。

望月涼子役、主演は室井滋さんにオファーした。

この前年、室井さんは病院ものの連続ドラマに出演されていたが、「初めて『心の病』を治療する医者」という点で企画に魅力を感じてもらい、出演を快諾して頂いた。

問題は脚本である。

例えば、天才外科医のドラマであれば、治る可能性が著しく低い病をその外科医が他の医者には出来ない見事な手術で一話一話のドラマの解決を作る事ができる。
「起承転結」の「転」がある。

しかし、「心の病」はそういった手術で治すものでは無い。

そんな時、俳優・的場浩司さんのマネージャーさんからこんな話を聞いた。

映画「誘拐」の出演者、渡哲也さん始め皆さんが脚本を絶賛しています、と。

すぐに映画を観て、僕は大阪在住の脚本家・森下直(ただし)さんに会いに行った。

待ち合わせは梅田の新阪急ホテルの喫茶ルーム。

当時、森下さんは映画「誘拐」の脚本で松竹の「城戸賞」を受賞。ABC朝日放送の「部長刑事」の脚本を書かれていた。

彼女と話していて、彼女も僕もアメリカの本格推理作家「エラリー・クィーン」が大好きだという事が分かり、その話で長時間盛り上がった。

そして、森下さんに上京してもらい、「心療内科医涼子」第一話の脚本作りが始まった。

彼女の第三稿がFAXで来た。CPの山本さんが先に読み始めた。僕も遅れて読んでいると、山本さんが指で丸を作った。

「十年に一回出会えるかどうかの素晴らしい脚本だよ!」と。

ここからは僕の勝手な想像だが、「心の病の治療」は「心の中にある謎を解きほぐすこと」。
それは森下直さんが「エラリー・クィーン」を好きだったという事とどこかで繋がるのかも知れない。

さらに、制作会社ノアズのプロデューサー佐藤丈さん、演出の国本雅広さん始め、キャスト・スタッフの皆さんのお陰で「心療内科医涼子」は他では作れないドラマになったと思う。

残念なのは、本放送(1997年10月〜12月)が終わって、未だ一度の再放送もDVD化もされていないという事。

ストレス過多、メンタルヘルスがとっても重要視されている今の世の中、見直されても良いドラマだと思う。自画自賛ではありません。

以下、各話のサブタイトルとゲストを書いておこう。

第一話
「盗食する女」
麻生祐未、藤田朋子

第二話
「虚言する女」
篠原涼子

第三話
「良い子は母を殴る」
榎本加奈子

第四話
「買い物しすぎる女」
斉藤由貴

第五話
「顔を変え続ける女」
菊池麻衣子

第六話
「嫁VS姑 心理戦争」
羽野晶紀

第七話
「水を飲み続ける少女」
奥菜恵

第八話
「トラブルメーカー」
松嶋菜々子

第九話
「首が回らない女優」
手塚理美

第十話
「子供を投げる母」
田中律子

こうして、書いてみるとゲストに出てくださった方々は主演級の女優さんだった。


タレント控室

2023年02月20日 | テレビドラマ
1983年、入社した社屋(開局した当時の社屋)にはスタジオが2つ、サブ(副調整室・・・ディレクター等がいて、スタジオに指示を与える部屋)が1つだった。サブが1つという事は、同時に2つのスタジオを使う事は出来ない。

それと、いちばんの問題は「タレント控室」が2つしか無かった事。

「11PM」の司会者・藤本義一さんには控室が無く、いつもメイク室の鏡の前で、原稿用紙を斜めにしてモンブランの万年筆で原稿を書いておられた。

入社して、4〜5年が経ち、新しい社屋の建設が進んでいた。

ある日、「新社屋の見学会」があり、僕も参加した。

見学が終わった後、新社屋建設委員会のお偉いさんを前にして、質疑応答が行われた。

「怒らないから、どんな事でも質問して下さい!」

その言葉を信じて、僕は質問した。
「スタジオが3つあるのに、タレント控室が5つ。全然足らないんじゃ無いですか?」

「バカもん!足りる様に設計しておる!」
とお偉いさん。彼は番組制作現場を知らない人だった。
物凄く激怒されて、呆気に取られた僕。

建設中の社屋には3つのスタジオがあり、3つのサブがあった。
という事は、「3つの番組の本番」が同時に行なえるという事。

実際、社屋が建って、いちばん広い「第1スタジオ」では「朝の連続ドラマ」の収録。「第2スタジオ」では、「鶴瓶・上岡のパペポTV」の収録や「ざまぁKANKAN!」「ミヤネ屋」の生放送。第3スタジオでは、「11PM」の生放送が行われた。

5つのタレント控室では、「朝ドラ」だけでも足りない。ミヤコ蝶々さん、中村珠緒さん、野際陽子さんら大女優を相部屋には絶対出来ない。

「リハーサル室」をパーテーションで区切って、ヒロイン・渡辺典子さんの二畳くらいの広さの控室を作ったり、無理言って、複数の男優さんに1つの控室に入ってもらった。かなり、苦言を呈されたが。

何故か、この社屋には、「床山(時代劇で使うカツラ専用の部屋)」があったりしたので、そこも「控室」に転用した。

「ミヤネ屋」のMC・宮根誠司さんの控室として使われた事もあった。

各番組の控室調整をしていた制作管理部のMさんと日々相談しながら、頭を悩ませ、控室を決めていった。

そして、数年前に建った、僕から見れば、「新々社屋(現社屋)」。「タレント控室」の数は20。3つのスタジオでこれだけあれば十分だろう。本当に羨ましいかぎりである。

うちの会社、東京にドラマ専用スタジオを持っていた事がある。京王堀之内にあった「多摩スタジオ」。スタジオは2つ、「タレント控室」は24。数としては十分。

ここで連続ドラマの収録をし、他社にもレンタルしていた。

フジテレビ・浅野温子主演の連続ドラマ「沙粧妙子・最後の事件」なども「多摩スタジオ」の廊下を「捜査一課の廊下」として使っている。

「タレント控室」がたくさんあり、ロケ車両を駐車できる駐車場も完備していたから。

日本テレビ・生田スタジオでもそうだが、よくテレビドラマに出てくる「病院」や「警察」の廊下や階段はスタジオ館内にあるものを使う事が多い。テレビドラマのスタジオはそんな事も考えて、設計されている。

スタジオ内で館内ロケをやれば、「タレント控室」の心配をする必要は無い。ロケ車両を出す事も無くなる。

「タレント控室」はテレビ番組の制作に不可欠でとてもとても重要なものなのである。

「タレント控室」に関しての悲喜交々。


昭和歌謡ミュージカル「また逢う日まで」

2023年02月19日 | テレビドラマ

NHK総合テレビ2/23(祝)午後3時5分、昭和歌謡ミュージカル「また逢う日まで」が放送される。

この番組は昨年BSプレミアムで放送されたものだが、今回は73分の拡大バージョンになっている。

昭和を代表する歌手・山口百恵、松田聖子、ピンクレディー、中島みゆき、尾崎紀世彦などの楽曲を主人公たちが唄って踊りながら、ドラマは上質のエンタテインメントとして進んでいく。

僕はBSプレミアムで放送された時に観ている。放送が終わった後、ドラマの中で出て来た「昭和歌謡」を口づさみながら、気持ちは昭和という時代にドップリと包み込まれ、とても昂揚していた。

今回はその拡大バージョン。とてもとても楽しみにしている。


ドラマのマイスターたち

2023年02月17日 | テレビドラマ
僕は「運」がいい。

大阪でドラマを作っていた当時、憧れていた「ドラマ作りの諸先輩たち」に東京に来て出会えた。そして、一緒にドラマを作る事が出来たのだ。

「29歳のクリスマス」「ニューヨーク恋物語」「さよなら李香蘭」「金(キム)の戦争」「過ぎし日のセレナーデ」などのプロデュースを手がけた中山和記さん。

「黄金の日日」「獅子の時代」「男たちの旅路」「シャツの店」のプロデューサー、近藤晋さん。

「仮の宿なるを」など「木曜ゴールデンドラマ」で様々な賞を取った演出家の鶴橋康夫さん。

「予備校ブギ」「ADブギ」「魔女の条件」「さとうきび畑の唄」「女王の教室」「家政婦のミタ」の脚本家、遊川和彦さん。

叶わなかったが、「ふぞろいの林檎たち」の脚本家、山田太一さんとは一回でいいから、ドラマを作りたかった。

先日、久しぶりに遊川和彦さんとは食事を共にした。

コロナ禍で、「過保護のカホコ」の後にお会いして以来の3年ぶりの再会。

雪がみぞれになったあの日のこと。遊川さんに会って、僕は元気をもらった。

食事後、外に出たら手先が痺れるほど寒かったが、心の中で僕はスキップしていた。心は温かくなっていた。

今日、突然訃報が入った。ドラマの演出家で制作局長でもあり、僕たち夫婦の仲人もして頂いた荻野慶人さんが90歳で逝去された。

荻野さんは、大阪で僕が初めてAPで付いた朝の連続ドラマ「花いちばん」の監督を務められた。和歌山・南部のロケ地でのしんどくも懐かしいAP時代を思い出す。

あの大阪での「朝ドラ」があったからこそ、東京で出会えた「ドラマのマイスターたち」との仕事も心を込めて出来たのだと、今は思う。

その優しい笑顔を思い浮かべながら、荻野慶人さんの御冥福をお祈り致します。合掌。

連続ドラマ「永遠の仔」の宣伝

2023年02月17日 | テレビドラマ

プロデューサー。ドラマを作る時に絶対考えなければならないのが、そのドラマをどう売るか?という事。
「宣伝」が重要な要素だと考えていなければならない。

連続ドラマ「永遠の仔」をやった時考えたのは次の二つのセールスポイント。

「天童荒太の大ベストセラーのドラマ化」
「中谷美紀、椎名桔平、石田ゆり子、渡部篤郎という4人のメジャーな俳優が出演」

このコンセプトを基に、まず「ポスタービジュアル」を考えた。

「DV(家庭内暴力)」「性的虐待」が大きなテーマになっている原作。

4人の俳優さんに「いちばん悲しい表情」をしてもらう事にした。顔のアップで。

写真撮影は、海外の要人など、雑誌「AERA」の表紙を撮り続けていたカメラマン坂田栄一郎さんに依頼。

出来上がった4人の写真。ポスターデザインを手掛けた美術の藤本美歩が中谷美紀さんの「目を瞑った写真」をどうしても使いたいと言った。

僕はかなり迷ったが、「幼い頃、父親から性的虐待を受け続けていた中谷美紀さん演じる主人公」の「深い悲しみ」を想像し、藤本の意見に賛同した。

テレビで流れる「PRの映像」も「大ベストセラーのドラマ化」「4人のメジャーな俳優さんが出演」の二点に絞った。

子役3人が石鎚山の頂上に登って行く本編映像」「原作本が本屋に山積みにされている映像」「大人になった主人公たちを演じた4人のモノクロの写真」で構成し、二つの要素が端的に分かるナレーションも入れた。

初回の視聴率は17%。有難い事にたくさんの方に観て頂けた。2000年4月の事である。

あれから23年。僕は「永遠の仔」のプロデューサーを務めた数年後、東京宣伝部に異動になった。

十数本の連続ドラマ・スペシャルドラマ、バラエティー、アニメの宣伝を担当して分かった事。

それは、番組を宣伝する時、その番組の「売り」を一言で言い表せなければいけないという事だった。

食べ物に関する番組。ケーキをどの切り口で見せるか、じゅうじゅうに焼けているステーキの肉汁をどの角度で見せるか。その事がとてもとても大切になってくる。

その「切り口」や「肉汁」探しが「番組宣伝」の基本になっている様に思う。

「永遠の仔」の原作を出版した幻冬舎。新聞広告。おそらく、角川書店で辣腕を奮っていた社長の見城徹氏が全てに目を通していると思われるが、巧い。

幻冬舎は広告以前に、どんな本が今売れるかという「嗅覚」も鋭い。

そして、出来上がった本に有名人の感想を入れたり、見城徹社長自身のコメントを入れたり。「宣伝」という角度でも攻めていると思う。

テレビも出版も、この情報過多の時代を生き延びなければならない。よりシビアな世の中になったと思う。

サブカルチャー好きの僕にとっては、あまり他人が見ない番組、あまり売れていない本の中から、自分にとっての「宝石」を見つけるのが快感なのだが。

10本観て1本の映画や番組、10冊読んで1冊の本。

エンタテインメント界の宝探し、「ルパン三世」の様に生きていきたい、プライベートでは。


※このDVD-BOXのビジュアルがポスターデザイン



ドラマのエキストラ

2023年02月08日 | テレビドラマ
ドラマで必要だが、お金のかかるのが、エキストラ。

今、放送中の大河ドラマ「どうする家康」。最新のCGを駆使している。そのCGが嘘くさいとの批判も出ている様だが。

CGを使うのは、歴史上の建物等のセットを建てずに済む為。そしてもう一つはエキストラの人数を減らせる為だ。

大阪でドラマを作っている時代、もちろんCGなど無い。アクタープロという俳優事務所の見た目「アマゾンの半魚人」、でも人柄は抜群に良い樋口さんというおばちゃんがエキストラの手配を仕切っていた。

料金は一日8時間労働で1人8000円。半年で25分×130本の朝ドラ。終わりの方の撮影では予算が枯渇して来る。

そんな時、まず削られるのがエキストラ費。

でも、監督が必要となると「内トラ」の出番である。「内トラ」とはエキストラがいない時、スタッフが代わって画面に出る事。

ある時、うどん屋のシーンで美術スタッフが「内トラ」で出た。彼は俳優さんたちが演技する横でうどんを食べる。

その「うどん」を準備していた別のスタッフがいたずらで、七味を山盛り「うどん」に入れた。

いよいよ、本番!
「用意、スタート!」
「内トラ」の彼もうどんを食べ始める。彼は七味でむせそうになりながら、懸命にうどんを食べていた。懸命に我慢する。俳優さん以外は音を出してはいけない。咳き込んで、NGはありえない。

エキストラの事務所の樋口さんは夜自宅に電話すると、必ず酔っていて麻雀の真っ最中。電話越しにじゃらじゃらという音が聞こえた。そんな彼女にエキストラの設定と数を伝える。
助監督のセカンドがエキストラ発注の担当だ。

ドラマにはいろんなエキストラが出て来る。
「赤ちゃん」「外国人」「子供」「サラリーマン」「OL」「カップル」「家族連れ」等々。

「赤ちゃん」の場合、付き添いのお母さんと二人分の16000円。

撮影スタジオの埃っぽい現場、僕は「赤ちゃん」を連れて来る事にかなり疑問を持っていたのだが。

「赤ちゃん」は泣き出したら、泣き止まない子もいるので、重要なシーンでは3人くらいスタンバイした事もあった。

看護師さんの指導が要るシーンが有ったら、実際に「看護師」をやっている人をエキストラとして呼んだ。手作りのドラマ制作現場だった。

そして、外国人。
東京なら「外国人専門の事務所」もあるが、大阪では半魚人の樋口のおばちゃんが手配する。

神戸・北野町の「パン屋さん」「肉屋さん」など、普段別の仕事をやっている外国人を連れて来る。一人44444円。つまり、手取り4万円という事だ。お店を休みにして、エキストラに来るので「一日のお店の売り上げ」から弾き出しての金額がこれ。

太平洋戦争末期、満州にいた日本人たちがソ連軍に襲われるシーン。

京都・木津川の「流れ橋」(時代劇でよく使われる木製の橋。台風で川の流れが激しくなると、自然に流され、川の氾濫を回避する)で撮った。

予算の関係で、ソ連軍として呼べる外国人エキストラは二人。

監督にこの条件で撮って欲しいと懇願した。

ベテランの監督はしばらく考え、10人分の軍靴を用意してくれと言った。

いよいよ、そのシーンの撮影。いちばん先頭の二人は外国人エキストラ。その後ろに続くは軍靴を履いた「内トラ」が八人。

まずは、鬱蒼とした林の中を進む軍隊を横から「レール移動」で撮る。そして、軍隊が止まったところで、カメラは軍隊の前へ。
外国人エキストラの足元から顔にパーンアップして、銃をカメラに向けて、照準を合わせた。

赤ちゃんを抱いて、逃げ惑う日本人エキストラ。

編集してみれば、緊迫した戦場のシーンになっていた。

僕も「内トラ」をやった事がある。身長が高いので、米軍の衣裳にサングラスをかけて、進駐軍の将校の役だ。

そんなこんなで、大阪時代、エキストラには苦労した。樋口のおばちゃんには本当にお世話になった。

東京で作られているドラマの数々。今はDVD化や配信を見据えて、「顔」が「個人情報」であるという観点から、画面に映っている人は、役者以外、全てエキストラだ。

学校を舞台にしたドラマを観ていると、こんなにたくさんのエキストラを使えて羨ましいと思う。

でも、監督がこのシーンは300人欲しい!と言ってもプロデューサーは150人で!という会話がどこの現場でも存在するのだろうなぁ。

エキストラにプロデューサーは厳しいという話。

ドラマ「しょうもない僕らの恋愛論」中田青渚がとてもイイ❣️

2023年02月03日 | テレビドラマ
NHK「善人長屋」で主役を演じていた時から魅力的だった。





ドラマ「ブラッシュアップライフ」

2023年02月02日 | テレビドラマ
ドラマ「ブラッシュアップライフ」を観る。安藤サクラの演技とナレーションが途轍もなく巧い。

劇中で今回彼女はドラマの現場APになる。僕も同じ仕事を長年やっていたので、「そうそう!」と頷きながら観ていた。バカリズムの脚本は細部に渡って、現場APの仕事を再現している。

ドラマの中に出て来る「スタッフの名前」が実際の日本テレビドラマスタッフの名前をもじっていたのも可笑しかった。

1時間があっという間に経つこのドラマを毎週妻と二人で楽しみに観ている。超オススメ❣️




朝ドラスタッフルーム・・・勝新太郎と遊川和彦

2023年02月01日 | テレビドラマ

突然、勝新(敬称略・大映映画のトップスター・勝新太郎さん)が長男・奥村雄大さん(後の雁龍さん)の手をしっかりと握って駆け足で「朝ドラ」のスタッフルームに入って来た。

スタジオ収録中だったので、僕一人しかいない。

奥村雄大さんにとって初のドラマ出演。母の中村珠緒さんも出演していたかも知れない。

勝新の温かい親ごころ。

勝新は雄大さんに、「芝居の在り方」を怒鳴る様な大声で指導。何故か、「朝ドラ」でそんなシーンが出て来るはずも無いのに、「殺陣」をつけ始めた。

勝新の顔が赤い。とてもとても酒臭い。鬼の形相で雄大さんに教えている。周りの事は目に入らぬ様子。迫力は今まで会ったどの俳優よりも凄い。

僕は黙って下を向いて、仕事をするフリをしていた。

「こんな時、勝新の控え室はどうしたらいいのだろう?」
もちろん、朝ドラに出演していない勝新の控え室など要らないのだが。

20〜30分、勝新の熱い演技指導は続いただろうか?
入って来たと同様、二人は勢いよく駆け出て行った。

先年、奥村雄大さんは急逝されたと聞いた。

大阪・千里中央にあるスタジオ。そのスタッフルームに染み付いた僕の記憶。

土砂降りの雨の日にロケを中止して、プロデューサーに電話で連絡すると
「雨が降っても、槍が降っても、ロケに行かなきゃダメなのよ!中止ばっかりしていたら、ロケ費が幾らあっても足りないのよ!」
と激怒された事。

「夜食」を出す時間ギリギリで、マクドナルドのハンバーガーを50人分買って来たら、撮影は終わっていてキャスト・スタッフ誰もおらず、途方に暮れた事。

撮影の多い東京と違って、当時大阪には「夜食」を作ってくれる業者がいなかった。

今、放送中の朝の連続テレビ小説「舞いあがれ!」。ヒロイン・舞を演じる福原遥さんの魅力が画面いっぱいに出ている。

NHK大阪がヒロインの為に作った新しい衣裳がうちの朝ドラのヒロインの衣裳になるというまことしやかな噂を聞いた事もある。
実際、うちの朝ドラの予算では新しい衣裳は作れないし・・・

キャスト・スタッフが連日、並々ならぬ苦労をしている。APの僕はそんな中、時々はスタジオに顔を出しながら、一日の大方をスタッフルームで過ごしていた。

俳優さんの事務所へ台本や新幹線のチケットを送る。俳優さんの入りの確認。終わった俳優さんのタクシーの手配。俳優・監督・スタッフのホテルの手配。「宅送」(撮影が深夜になった時、タクシーでキャスト・スタッフを送る事)の準備。夜食の買い出し。

こうした作業が週4日、朝8時からよる23時過ぎまで続くのである。

一日中、気の休まらない作業の中で、昼休み、本屋に行って立ち読みするのだけが楽しみだった。

大阪での「朝ドラの日々」は僕にとって、「本当にしんどかったが、同時にかけがえのない時間」だった。

この頃、スタッフルームで密かに見ていたドラマが「予備校ブギ」「ADブギ」。脚本は遊川和彦さん。

僕の中には、いっぺんでいいから、東京という憧れの地に行って、この遊川和彦という人と仕事がしてみたいという気持ちが芽生えていた。

それから二十年余りの歳月が経ち、その「夢」は実現する。

今はお会いした遊川和彦さんの顔を思い出しながら、遊川ドラマを楽しんでいる。


ドラマ「魔女の条件」

2023年01月28日 | テレビドラマ

大分前に買っておいた、連続ドラマ「魔女の条件」のDVDを毎日観ている。松嶋菜々子と滝沢秀明、教師と生徒の「禁断の愛」。


遊川和彦さんの脚本が巧い。今観てもドンドン先を観たくなるドラマ。


しかし、今の現実は、13歳の少女がスマホが原因で母親を殺める時代。何が起こってもおかしくない。つまり、「禁断」という概念がほとんど無くなっている。ある意味でとっても悲しい時代である。


「禁断」があるから、「ドラマ」が生まれると思う。そんな事もあって、今の連続ドラマ作りは難しいのではないだろうか。


連続ドラマ「大奥」。ドラマを「時代劇」にする。


「江戸時代」というパッケージの中でドラマが進行するので、「リアリティー」を追求しなくても、「禁断」の設定がしやすくなる。だからドラマが成立するのである。


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ドラマ「大奥」がめちゃくちゃ面白い❣️

2023年01月28日 | テレビドラマ

NHK「大奥」徳川家光役を演じている堀田真由が素晴らしくいい。

去年、大河ドラマ「鎌倉殿の十三人」小栗旬演じる北条義時の二番目の妻を演じた女優さんである。


このドラマは、男しか罹らない流行り病で男がどんどん死んでいく。女が世の中を牛耳っている。


それゆえ、徳川家は女が代々将軍をやる事になり、堀田真由が男勝りの家光を、富永愛が吉宗を演じている。


史実ではたくさんの女が男の将軍に仕えていた「大奥」だが、設定が真逆になり、美男の男達が「大奥」に集められ、将軍の周りに監禁されている。


この女将軍と大奥の男達のドラマがとても面白いのである。


脚本を手がけているのは、「仁」や「ファーストペンギン」を書いた森下佳子。この男女逆転の芝居は見事だ。





「エキストラ」の反乱

2023年01月25日 | テレビドラマ
「エキストラが反乱を起こしています!すぐにスタジオに降りて来て下さい」

午前5時、スタジオの助監督からすがる様な電話がかかって来た。ドラマのスタッフルームにいた僕。

慌てて駆け降りると、スタジオでは大勢のエキストラが大騒ぎしていた。まず、その騒ぎを鎮める。

原因をよく聞くと、チーフ助監督のT君がこうエキストラに言ったとの事。

「もうすぐ朝が明けます。撮影が終わったら、皆さん電車で帰れる時間ですね!」

この日の撮影は「押しに押して(撮影スケジュールが遅れる事)」いた。元々の撮影終了時間は夜中の12時。5時間以上の遅れ。

「百貨店の食品売り場」のシーンだったので、俳優やエキストラがたくさん出て、撮影に時間がかかっていたのだ。

こういう時、まずは大物俳優の映っているカットから撮影し、大物度合いによって俳優を順番に撮っていく。自動的にエキストラの皆さんだけのカットはいちばん後回しになる事に。

チーフ助監督のT君も夜も明けて来て、その場を明るくする為に冗談で言ったのだろうが、その冗談がエキストラには通じなかった。

東京の撮影現場は数が多い。エキストラを扱う会社も多く、エキストラで生計を立てているプロのエキストラの方も多数いる。

それに対して、大阪のエキストラ会社は当時一社しかなく、昼間働いたり、大学へ通っているサラリーマン・OL・学生さんがほとんどだった。

夜の12時に終わると聞いて、撮影に臨んだ彼ら。朝5時まで撮影が続くと、昼間の仕事や学校につながって支障が出てしまう。

彼らがそんな事を心配していた時、「宅送(タクシーで自宅まで送る事)」では無く、撮影が終わったら「電車」で帰る様に感じる発言を助監督がしたのだからたまらない。彼らも反乱を起こす訳だ。

僕はエキストラの皆さん一人一人に、「必ずタクシーで送りますので、安心して下さい。撮影もあと少しなので、よろしくお願いします」と言って、深々と頭を下げた。

撮影が終わり、エキストラの皆さんが会社の表に出て来るかなり前にタクシーを呼び、ここでも一台一台、「お疲れ様でした。有難うございました」と声かけをした。
壮絶な一日が終わった。周りはすでに明るくなっていた。

「宅送」と言えば、ルールが決まっていた。会社発、午後11時30分。この時刻を越えれば、タクシーでの帰宅が認められる。

ドラマの撮影終了時間が午後11時から11時半の間だと微妙だ。

「宅送」にしたいが為に、この時間帯、スタッフの動きが何故か遅くなる「牛歩戦術」を取られた事もある。

撮影が終わっても各部署片付けがある。その時間がまちまちなのだ。
それゆえ、「同じ部署のスタッフ」を同乗させる。「送る方向が同じスタッフ」を訊いて廻る。これがなかなか複雑で大変な作業。こうして作られるのが「宅送マップ」。スタッフに気持ち良く仕事をしてもらうのもAPである僕の大切な役目。

「宅送」を一回出すと、数十万円の予算が飛んでいく。予算管理の大事なポイントでもある。

このドラマの時、三重県名張市に住んでいるスタッフがいた。大阪市内、スタジオ近くのホテルに泊まって欲しいと相談した。だけど、彼も「宅送」で帰る事もあった。一回、彼だけでタクシー代が3万円を優に超えた。

東京に来て、「逆宅送」というのも経験した。
東名高速・用賀インター・マクドナルド前に朝3時半。自宅からスタッフ全員、タクシーで集合場所まで来て、そこでロケバスに乗り換えて、湘南の海岸に向かう。確か「朝陽狙いのロケ」だったと記憶している。

ドラマの撮影現場はどこもキツイ。撮影隊の数だけ「宅送」有り。
「宅送」って本当に大事だ。

毎日、都内のどこかで、「宅送」が行われている。


ドラマディレクター山本和夫さん

2023年01月23日 | テレビドラマ
山本和夫さんというディレクターがいた。故人。TBSで、「東芝日曜劇場・石井ふく子プロデュース作品」の演出、「時間ですよ」のプロデューサー等を務めたドラマ界の大ベテランだった。

大阪で「朝の連続ドラマ」をやっている時、フリーになった山本さんと出会った。50代半ば過ぎだっただろうか。

山本さんは当時、「女優を撮らせたら日本一」と言われていた。

紺のキャップに真っ白なシワひとつ無いシャツ、筋目がはっきりと付いたスラックスで現場を指揮していた。僕は女優さんが惚れるのも当たり前だなと思った。

山本さん、ロケ現場ではキャスト・スタッフに配られる「ロケ弁当」を一切食べない。悪い意味では無く、今思うとキャスト・スタッフと一線を画して置きたかったのかもと思う。

当時AP(アシスタントプロデューサー)だった僕はロケ出発前、近くの食堂に無理言って、山本さんが好きな「おかかのおにぎり」を作ってもらい、監督に手渡した。さすがにコンビニのおにぎりでは切ないと思ったから。

飲み物は甘い甘い砂糖のたくさん入った「UCCの缶コーヒー」を毎日5〜6本。「監督という仕事」は心身共に疲れるので、糖分が必要なんだろう。

ある時、極寒の京都ロケ、山本さんが突然「オムライス」を食べたいと言い出した。

スマホもインターネットも無い時代、作ってくれる店を探しに探し、繁華街まで行って喫茶店で「オムライス」を作ってもらった。

ロケ現場に帰ると、誰もいなかった。ロケスケジュールとロケ地図を確認して、「オムライス」を持ってタクシーで次のロケ地に向かった。

すっかり冷めた「オムライス」。監督は半分も食べてくれなかった。

僕は心の中で大きなため息を吐き、「オムライスの皿」を無理言って作ってくれた喫茶店に返しに行った。

忙しくて現場に来られないプロデューサー。監督の愚痴をAPの僕はいつも聞いていた。

プロデューサーに会って、監督の不満について相談すると、
「放っとけばいいのよ!」と言われた。僕は連日、監督とプロデューサーの間でキツイ板挟み状態になっていた。

ある日、精算の為、本社に行った。一階のパーラーで、監督とプロデューサーが談笑。二人とも大声を出して笑っている。

そこに出くわした僕は・・・
「そんなに仲が良いんなら、今後は直接二人で話して下さい!」と怒鳴っていた。

一瞬、談笑は止まり、静寂が訪れた。そして二人は再び大爆笑。
「今ちゃん、真面目なんだから」

こうして、僕は二人に愛されている事を感じた。なぜか・・・

それから月日が過ぎ、僕は東京でドラマをやり、プロデューサーになっていた。

タクシーに乗っていると、誰かの携帯に一本の電話がかかって来た。
山本和夫監督が70歳で亡くなったという知らせ。タクシーに同乗していたディレクターもチーフプロデューサーも山本和夫さんをよく知る人だった。みんな頭が真っ白になっていた。無口だった。

故人の意思で、「お葬式」の参列も無く、「お別れの会」は開かれなかった。

僕らの前では、「お酒は飲めない」と言い続けていた山本監督。TBSのスタッフとは一切飲まなかったが、制作会社のADたちを引き連れ痛飲していたと後で聞いた。

あくまでもスマートに。僕はそんな生き方を山本和夫さんに見せられた気がした。