鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

苦悩から苦悩へ

2011-05-16 21:26:29 | お知らせ

 今日も朝日歌壇から始まります。(作者の方、選者の先生、再掲をご了承ください。)

 先週の朝日歌壇については11日のブログで取り上げさせていただきました。そのなかで「がんばれ」という言葉についての短歌2首をお知らせして、私のコメントをつけさせていただきました。

 今週も掲載されていました。「がんばれ」という言葉は禁句にして欲しいものです。

 「頑張って」「がんばれ」「ガンバレ」もう沢山!私とっくに頑張っています      (仙台市:坂本 捷子さん)

 それと同じくらい「日本は強い国」とかくり返されるのもいい気分ではありません。やめて欲しいです。

 大戦の前夜の如き響きもて繰り返される「強い日本」                     (東京都:津路野志峰さん)

 亡くなった子どもへの思いがひしひしと伝わってくる短歌です。

 入学式の返事の中に低い声遺影を抱いた母親の声                 (塩尻市:百瀬 享さん)

 遺影抱く入学式こそ悲しけれ呼ばれし名前「はい」と言う声             (松原市:北岡 稔さん)

 起立する子等のうしろに遺影抱く入学式に二人の母よ                      (千葉市:加藤 伊津さん)

 今日の東日本大震災を歌った短歌の中で、一番強烈な印象が残ったのは次の短歌です。

 油ねべ車うごがね雪降るべはだしでどごでも逃げらんにべさ            (神栖市:香島之魯鈍さん)

 西暦2011年3月11日金曜日午後2時46分の巨大地震と巨大津波、その被害に遭った人の心情をこれほど端的に表現している歌はないと思います。実際に体験した人でなければ作れない、作ったのではない、語れない言葉だと思います。いかにも東北人らしい朴訥な、もうどうしようもない悲しみに打ちひしがれた人の押し殺したつぶやきに圧倒されます。言葉がでません。

 

 そしてきょう5月16日は忘れられません、去年のきょうですが、初めてベートーベン第九の合唱の練習がスタートした日なのです。そうなのです、私にとっても苦難のスタートだったのです。いとも簡単に考えていた自分の甘さにほとほと嫌気が差し、これからどうしようかとまじめに迷った日でした。スタートから止めようかなと思ってしまったのですから。

 楽譜を見ています。5月16日は第4楽章の257小節から264小節、それと543小節から590小節まで習ったのです。合唱全くの初心者である私が最初からこんなに歌わせられたのです。いや、歌えるはずがないではないですか。

(257~264小節)

 Deine  Zauber binden wieder, was die Mode strengeteilt; alle Menschen werden Bruder, wo dein sanfter Flugelweilt.

(543~590小節)  ※ 下線引きの文字はウムラウトです。

  Freude, schoner Gotterfunken, Tochter aus Elysium, Wir betreten feuertrunken, Himmlische, dein Heiligtum! 以下上記の文言(257~264小節)が繰り返されます。

 ベートーベンといえば”苦悩をつきぬけ歓喜へ”となるのですが、その時はとてもとてもそんな気分にはなれませんでした。”苦悩に負けて苦悩の底へ”とでもいうような心境でした。とんでもないところに来てしまったと後悔しました。

 でも、でも一時はとてもとても無理だと思ったのですが、悔しさと負けず嫌いと執念、日々の練習で何とか乗り切ったのです。なせばなったのです。

 そうなんだな、なせばなる!前に進まなければ、いつまでも落ち込んでいられない、停滞していられない、のだ!

 

 


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5月15日

2011-05-15 21:15:08 | お知らせ

 いくら震度3くらいとはいえ、一日に何回も揺れるのはたくさんです。朝から夜まで何回体感したでしょうか。夜の9時過ぎにも揺れましたが、考えてみると朝の9時過ぎにも揺れました。こんなにいつまで経っても余震が収まらないということは、もしかして大きなM8.0クラスの地震が来るのかも、と考えたくなくても悪い方向に考えてしまいます。振り返ってみると、もしかして2ヶ月以上も毎日何らかの揺れに遭っているということになるのかも。こんなこともちろん初めてのことですし、精神的におかしくならない方がおかしいのかもしれません。子どもたちに悪い影響がなければいいのですが。

 毎日の余震だけでなく、それ以上に長期にわたる不安の元凶、原発、福島第一原発を抱えている地域のみなさんの心身はどうなのでしょうか。彼らのことを考えると、こんな自分が情けなく恥ずかしい次第です。 原発の状況はさっぱりいい方向に向かっているようには感じませんし、何といっても東電や政府の言うことが信じられません。東電や政府の人間が記者会見等で言っていることの裏は何だろうか、何か隠してはいないか、本当はどうなっているのか、眉唾物です。せめてもの備えとして”騙されない”という気構えは持ちたいです。

 14日現在の大震災による死亡は15,037人、行方不明は9,487人とのことです。死亡が15,000人を超えてしまいました。そして避難している人が116,591人もいます。電気が通じなくて専らラジオしか聞けなかった頃は何百人が死亡したとかいう段階でした。仙台でも荒浜で200人以上が死亡したとか言っていましたが、そのときはそれだけでもビックリしました。本当か、そんなに津波でやられたのかと驚くと同時にそんなことがありえるのかと半信半疑でもありました。それがどうですか、あっというまに5桁もの数字になってしまいました。これが現実、現実を受け止めないと、受け止めて前に進まないと、そうです、そのとおりです、でも、となってしまう。安っぽい感傷でしょうか。もしかしてそうかもしれません。気持ちを切り替えないといけません。

 

 あまりマスコミでは取り上げられていませんが、きょう5月15日は「沖縄本土復帰の日」なのですね。1972年・昭和47年5月15日に正式に復帰しました。それから39年が経つのですか。来年が40年ということで、来年は大きく取り上げられるかもしれません。東日本大震災があったし。でも今の沖縄の現状をみてみると、復帰してよかったのか、本土(という言い方は嫌ですね)の人間が言うのもおこがましいのですが、米軍基地を巡るおととしからの動きをみると、復帰してよかったと心からいえるかどうか疑問です。1国2制度、香港やマカオのようになっていた方がよかったのかもしれません。

 それはそれとして、今日の朝日新聞に一面広告が出ていました。「意見広告」というのでしょうか。

 ”命どう宝” 

 「普天間吉は撤去、米海兵隊は撤退を。」

 『トモダチ作戦』はいらない。

 『思いやり予算』を復興支援に。

 「変えよう!軍隊や核抑止力、原発に頼らない日本へ。」

 主催は沖縄・意見広告運動東京事務所・関西事務所ですか。

 昭和20年の今頃の沖縄では、日米両軍の死闘が展開されていました。日本軍にとっては絶望的な戦いでした。沖縄の住民も否応なく戦闘に巻き込まれて死んでいきました。場所によっては沖縄の住民に自決を強いておいて、住民を守るはずだった日本軍が満足に戦わずに投降するという悲劇を超えて喜劇としかいいようのない事件もありました。

 大江健三郎の「沖縄ノート」裁判で、大江健三郎達の主張が最高裁で認められたのは幸いでした。いくら政権べったりの最高裁であっても、彼らの主張を認めざるを得なかったという事実は重いです。

 10年くらい前ですか、夫婦で沖縄をレンタカーを借りて一周しました。カーナビがついていたのですが、カーナビにうつる地図に閉める米軍基地の広大さにはびっくりしました。基地の中に沖縄がある、基地の空間を利用して道路を走らせているのかと思いました。あまりに沖縄に負担を押し付けています。本土側の身勝手です、身勝手すぎます。やはりここはアメリカ軍に出て行ってもらうしかありません。その点フィリピンはよくやったと思います。巨大な、フィリピンにある巨大な米軍基地を撤去させた。

 でもなあ、日本の場合、外務省は日本の外務省ではなく、アメリカの国務省の日本支店だからなあ。外務官僚にとって、日本や日本人は目じゃない、アメリカあっての日本ということが国是ならぬ省是となっているらしい。アメリカの利益になるようにすることが、日本国外務省の仕事というのだから呆れて物が言えません。まず外務省から大幅に改革しないと、沖縄問題は一歩も前には進まないでしょう、悲しいけれど。

 こういう構図は福島第一原発にも当てはまります。住んでいる住民のことよりも、東電や歴代政権が進めてきた原発行政を守ろうとしているように感じます。東電の態度には、絶対に東電はつぶされることはないのだというものを感じて腹が立ちます。かかった費用は国民が負担すべき、なぜなら国策として原発は推進されてきたのだからと。一体どうなっているのでしょう、日本は。

 

 暗くなったついでに、もうひとつ。朝日新聞の社会面に載っていたのですが、「淡水魚からもセシウム  いわきのアユ 北塩原ワカサギ」という見出しです。いわき市の鮫川のアユから基準値を超える放射性セシウムが検出されたそうです。

 放射性セシウムの基準は1キロあたり500ベクレルのところ、アユは720ベクレルだったとか。これだけなら大したことはないように感じますが、福島第一原発の状況を考えると、これから増えることはあっても減ることはないと思うのですが・・・。

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ネットの石

2011-05-14 21:18:39 | 広瀬川

 同じ地震でも地震に遭いたくない場所というものがありますよね。私の場合は風呂場とトイレですね。お風呂とトイレに入っている時には地震には遭いたくない。何故か?大体察しがつくかと思います。・・・。そのとおりです。

 何年前になるかな、7,8年かな、宮城県を中心として狭い範囲で、結構大きな揺れを伴う地震が続きました。不思議なことに5月、7月、9月と2カ月おきに地震が起きました。しかも26日(だったと思います)に。こんなこともあるのかと不思議だったのですが、実際に起きたのです。仙台で震度4くらいだったか、丁度お風呂に入っている時にも起きました。慌てましたね。風呂場は広くはないところです。しかも裸です。無防備です。絶対に裸のままで死にたくない!貧相な裸体を晒したくない!せめてパンツは穿いておきたい!そう思いますが、可笑しいと思いますか。揺れがすぐ止むようであれば、また大したことがなさそうならばいいのですが、その時は結構強くて、慌てて風呂から出て体を拭く間もなくパンツを穿いたことがあります。当然濡れます。

 今朝方は久し振りに割と大きい揺れがゆっくりとやや長く揺れました。依然として地殻の神様は怒りが収まらないのか、2ヶ月も経ったというのに。実は今日はトイレの中だったのです。地震は一杯経験してきましたが、トイレの中ははじめての経験でした。密室空間にいるわけですから。地震の揺れに伴い、めまいを起こしたのかと思いつつも、両者が一緒になってしまったように感じてしまいました。気分悪いものです。

 今週はむかしむかしということが多くなっていますが、これもむかしもむかしのこと、NHKのラジオ番組に「とんち教室」ではなく、「話しのいずみ」がありました。本当にいろんなことに詳しい人たちが出ていて、面白くためになる番組でした。子どもでも聞いていて楽しかったです。その中で地震のことも話題になり、出演者のうちの一人が、地震のときの逃げ場所として「便所」がいい、あそこは狭い割りに骨格がしっかりしているから、と。ああなるほどと感心したことも覚えています。

 それと1978年の宮城県沖地震のとき、同僚が丁度トイレに入っていたというのです。そのときはもうダメだ、これまでかと思ったそうです。そのこともよく覚えています。

 何か関係ないことが長くなりました。いつものことですので、少々痴呆症がみられる初老の男の話しとお許しください。

 前に何度か取り上げていますが、”ネットの石”の件です。もう何ヶ月も澱橋の河川敷に積まれたままになっているのですが、それが使われているのをはじめて目にしました。

 

 上の写真は左岸の上流側から見たものです。下流側から見ると下のようになります。

 

 この場所は牛越橋の下流の河川敷です。一段と高くなった河川敷を高水から守るために、ここに並べたのでしょう。でも、牛越橋付近は右側にカーブしているので、左岸側よりも右岸側こそ補強すべきではないかと思うのですが。

 

 上の写真はネットの石が並べられているところの少し下流ですが、この部分は河川敷と川の接点の部分が写真の左側の河川敷よりも高くなっているのがお分かりでしょう。 (どうも文章がくどい、まったくきたない文章となっているのに腹が立ちます、我ながら) 積み上げられた石は川の中から掘り起こすような形で積み上げられています。

 気になるのは河川敷の石の方が川底の石よりも大きいことです。水が流れていないところの石の方が、鮎にとっては好ましい石ではないかと思われます。

 石に関連して、これは石というよりは岩の破片というべきでしょう。誰かが浅瀬に並べていました。こういう遊び心は大好きです。遠くから見ると恐竜の背中の化石かな?と見まがうような岩の破片の配列。面白いではないですか。

 


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こけしとこめと、

2011-05-13 21:29:48 | 思いつくまま

 夕方から昨夜にかけての雨は結構降った感じだったのですが、朝川に行ってみたら大したことはありませんでした。昨日と同じくらいの水量でした。濁りがきつくはなっていましたが。

               

 例によって、上の写真が上流域、下が下流域の様子です。今夏はもしかしてこの分流でもアユが釣れるかもしれません。ショベルカーで分流の上下の出入り口を掘り下げたりしたもので、水量がとっても豊富になりました。

 多分ここにもアユは居つくでしょう。ただし、7メートルくらいの短竿でないと操作が困難です。竿は出せても取り込むところがなかなかなく、それも問題です。この分流は左岸・右岸どちらからでも竿は出せます。本流筋が釣れないときは、分流をねらってみるのも一つの手ではあります。

 

 もう何十年前になるでしょうか、4,50年前にもなるでしょうか、西公園に巨大な鉄のこけし搭があります。頭の直径だけでも1メートルは越すでしょう。全体で6メートルはなるでしょうか、大きなこけしがじっと立っています。木々に囲まれ、木々を背景にして静かに佇んでいます。ほとんどの人は見向きもしないようです。

           

 まったく昔々と何も変わってはいないように感じます。何十年もただそこにジッとしているということだけでも凄いことじゃないですか。人が振り向こうが無視しようがそんなこととは一切無関係に、世間・世俗を超越して存在している。その存在感は見る人に様々に語りかけるのではないでしょうか。

 ついでにそのすぐそばにはSLも動くことなく鎮座ましましています。

       

 こちらは運転席に入れることもあり、何十年か前に設置された頃とは少しは異なっている感じです。外観は変わりませんが。

 中学、高校の頃まだSLは走っていました。ガラス窓のほかに細かい網戸もついていて、トンネルなんかに入る時には慌てて閉めたように記憶しています。

 大学の時か北海道に行った時、SLの重連の列車、確かニセコ号だったように思うのですが、C62の機関車が2台連結して走るのに乗ったことがあります。雪の羊蹄山を見ながら走り、なかなかいい趣の旅でした。

 むかしのことはよく覚えているのに、ついさっきのことは思い出せない、1階に居るとき2階にあるものが必要になってパッパッと上がっていったのはいいが、部屋に入ったとたんに「あれっ、何をしに上がってきたんだっけ」となることがシバシバなのです。これは拙い!まずい!絶対にマズイ!と思っても如何ともしがたいのが現実です。世間でボケないようにと言われていることは、人よりもたくさんしているつもりなのですが、頭の老化は着々と進行しているようです。

  

 写真は米俵ならぬ米袋です。1袋30キロ入りの米。宮城県の”ひとめぼれ”です。これを農家の人から直接購入しています、友人の紹介で。

 7日に残りの玄米をもってきました。これはひとめぼれの玄米です。いや、玄米のひとめぼれです。これを10キロずつ精米して食べています。といっても私は玄米食で、他の家族は精米した米を食べていますが。

 この米は農薬1/2、化学肥料1/2節減ということで宮城県の認証を受けています。

 玄米食べているからボケない、ボケにくいということはないようです、残念ながら。玄米食で健康にどのようによくなっているのかということも分かりません。血圧は上がらなくなったようには感じるのですが。もともと高くなっていたらしい血圧を何とかしようということで玄米食にしてもらったわけですので、その意味では効果があるといえるのでしょう。

 そうそう、玄米に小豆を加えています。美味いです。

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雨が降っています、

2011-05-12 21:56:04 | 広瀬川

 仙台ではお昼前頃から霧雨が振り出し、小雨から徐々に本降りとなってきました。低気圧の影響で全国的に雨降り、とくに西日本では豪雨となり、川も大増水となって被害も出ているようです。みなさまのところは大丈夫ですか。十分お気をつけください。まず第一に自分の身は自分で守る、この覚悟が必要です、絶対に。常日頃からそのための備えは十分にしておく必要があります。まず、「自助」、これあるのみ。「共助」が当然というような地域コミュニティが、普段から確立しているところならいいのですが、今の世の中なかなかそうはいかないでしょう。痛い目に遭わないと「共助」の大切さがわからなのです。

 また話がそれてきました。広瀬川の分流の様子、9日と11日の比較です。昨日から雪解け水の影響でしょうか、水量が多くなってきました。

 

 分流の上流域。上が9日、下が11日です。増水しているのがおわかりでしょう。別に雨が降ったわけではありません。

 

          

          分流の下流域。上が9日、下が11日。

          

 下の2枚はおまけです。

       

 どちらも澱橋下流のトロ場の左岸側の様子です。八重桜と菜の花です。(ですよね。)

                

 このような写真を見ている限りは平和そのものという感じがしますが、今日の福島第一原発1号機の状況を聞くと、まるでメルトダウンのようではないですか。いままでやってきたことは一体なんだったのでしょうか。少しでもいい方向に向かっていたのでしょうか。放水して原子炉を冷やせば何とかなるといわんばかりでやってきたものの、さっぱり改善されていないではないですか。せいぜい悪いままの現状維持ではないですか。東京電力はもちろん政府の言い方も全く信用できません。全ては眉唾物です。絶対に本当のことを隠して、少しでもいいようなところをのみ発表しているのではないかと勘ぐってしまいます。悲しいことです。

 東京電力の責任が問われるのは当たり前ですが、それと同じくらいに責任を問われなければならないのは当時の政権党だった自民党です。自民党と官僚が一体となって独占企業である電力会社に原発を造らせた、利用させてきたのではないですか。(個人的には全く現政権を支持する者ではありません。)だから自民党が原発事故に何ら積極的な発言がないのは当然ですが、だからこそ、現政権のやり方を非難なり批判する資格はない。少しでも責任を感じているのならば、反省をしているのならば、今は野党ですが当時の政権党として現政権とともに原発問題の解決に向けて共同・協働して動くのが当然ではないですか。自民党には、どう転んでも、どこをどう見ても、現政権の対応策に文句をつけられる立場にはない。

 それと原発を製造している企業、売り込んでいる企業、日立製作所や東芝ですか、GEもあるか、これらの企業の責任はどうなのでしょうか、責任はないのでしょうか。いい加減な製品を製造販売していたのではないでしょうね。そう思いたい。でも福島第一原発の状況を見ていると、製造者の責任及び責任に基づく行動が厳しく問われなければならないと考えます。

 何にしても、これはもうダメだなと観念しなければならないのではないかと悲観的になってきます。若い人たちや子どもたちが可哀そうです。


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大震災2ヶ月

2011-05-11 21:38:52 | お知らせ

 きのう10日現在で、3月11日の東北地方太平洋沖地震・大津波で亡くなった人や依然として行方不明の人は25,000人近くもいる。この数字、いまだにピンと来ません。信じられません。

 そのうち小中高校生の死亡や行方不明者は、岩手・宮城・福島3県で516人もいます。両親を亡くした子ども達も百数十名います。 合掌

 まだまだ被災者にとっては厳しい日々が続きます。とくに東京電力福島第一原発事故の被害者にいたってはいつ終わるのか、検討もつきません。ふるさとを奪われ流浪の民となっています。定住地・安住地が見つかればいいのですが、せめて差別を受けることなく生活していってほしいものです。

 9日の朝日歌壇及びきょうのみちのく歌壇から引用させていただきます。作者、選者のみなさん、ご了解願います。

【朝日歌壇】

 頑張れの声が重荷になるときは休んでいいよ誰も責めない        ( 逗子市:荒木陽一郎さん )

 「がんばろう」「がんばって」より「大丈夫、心配ないよ」と言って欲しい    ( 福島市:伊藤  緑さん )

 言ってる本人は全く悪気はないのでしょうが、あまりに安易で、あまりに便利な言葉「がんばれ」(がんばって・がんばろう)。言葉に詰まったらとりあえずは「がんばって」といえばいい。もっともっと言われる方の立場、感情に配慮すべきです。これは何も今回の大震災に限りません。スポーツでも勉強でも何でもです。自分で自分を鼓舞するために自分から「がんばります」というのはいいとしても、そう言わせるように仕向けるのはよくないです。そういう意味からいっても、この際「がんばれ」という言葉を禁句にしてもいいくらいではないかと思います。みなさんはどう思いますか?

 記者らみな「瓦礫」と書くに「オモイデ」とルビ振りながら読む人もいる   ( 久喜市:児玉 正広さん )

 確かに津波は瓦礫の山を築きました。なにもかもが破壊されて元の形を失くしてしまう。利用価値がなくなってしまう。邪魔物と化してしまう。でもついさっきまでは大切なもの、大事なもの、かけがえのないもnだったものです。家自体も、家具も調度品も食器類も、電化製品も、その人にとっては、その家族にとってはなくてはならないものだったはずです。形がなくなったから、壊れたからといって、変形したり、汚れたりしたからといって、一瞬のうちに無用の長物になったわけではありません。家族にとっては無残、無念なものになってしまったのです。瓦礫ではありません。瓦礫に代わるいい言葉があればいいのですが。

 地震の地にむかひて奏でるN響の嗚咽のごときアリアを聴けり       ( 名古屋市:羽生由紀子さん )

 これは私もこのブログで何回か取り上げました4月10日に行われたNHK交響楽団の「第九」の演奏です。ズービン・メータ指揮の第九も良かったですが、その前に演奏されたアリア(G線上のアリア)が本当に聞く人の心に染み渡りました。素晴らしい演奏でした。涙なくして聴けないというか、聴いていれば自然と涙が溢れてくるような演奏でした。まさに「嗚咽のごとき」です。

 何もない一人佇む老人に今何がほしいと聴く無神経             ( 仙台市:山川かねよさん )

 被災者や被害者に何か聞かなければならないアナウンサーも大変なのは分かりますが、それにしても「無神経」過ぎるアナウンサーがいます。言葉を職業とするのであれば、もっと日本語を勉強しろといいたい。相手の身になって考えるということができないのでしょうか、分からないのでしょうか。無理に聴かないで、ただ黙って数秒間マイクを向けて一緒にその悲しみを共有し、それを見る人に伝える、沈黙の訴えみたいなことができないものでしょうか。

 【みちのく歌壇】

 一本の蝋燭の灯と星明り淡くかなしく地震(ない)揺れ続く        ( 宮城・美里町:桜井 レイさん )

 電気ガス水道止まる地震の夜父に呼ばれて星空見上ぐる        ( 宮城・柴田町:山家 史仁さん )

 星空のことは私も書きましたけれど、全市が停電するということは滅多にないけれど、ないだけに、ふと見上げた夜空のきれいなこと、星空の眩いばかりのきらめき、でも冷めた冷たい輝きでした。確かにこんなに星があるのかとビックリするくらい、たくさんの星が見えました。地上、水面では数万人の犠牲者がでたというのに、星空は何事もなかったかのようにただおとなしく静に光っていました。この対比、どう表現すればいいのでしょうか。

 【両者共通として】

(朝日歌壇)

 復興の初めの一歩朝市へ雪の中からバッケ掘り上ぐ           ( 気仙沼市:渡部千寿子さん )

 (みちのく歌壇)

 枯草の根方にそっと萌え出でしバッケを摘みて春うららなり           ( 湯沢市:佐藤 亮子 ) 

 バッケとはふきのとうのことだそうです。ニ首ともバッケを採ることによって前に進もう、自然と共に力むことなく、それでも力強く生きていこうという明るさが感じられます。


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がけ崩れに注意!

2011-05-10 20:56:46 | 広瀬川

 今まで何度もアップしようと思いつつも他の話題等でついつい遅くなってしまいましたが、きょうは地震関連で広瀬川のがけ崩れについて報告します。

 年齢に関する法律によれば3月11日の地震も、11日の前日である10日でもって満2ヶ月、ちょうど2ヶ月が経過したことになります。早いものです。

 前にも書いたことがありますが、市内を流れる広瀬川の中流域は15メートル以上もある断崖絶壁が続き、まるで上流域の様子を呈してします。 今回ご紹介するところは、澱橋から牛越橋までの間の現象です。

 

 ①上下の写真は西道路のトンネルが途切れているところのすぐ上流のところです。もともと危なっかしいところだったのですが、やはり崩壊してしまいました。上の小屋みたいなところの真下の岩が崩れ落ちています。

 

               

 ②この上下の写真は①の下流50メートルくらいの右岸の様子です。ちょっと意外なところが崩れていました。どこが崩れるか分からないものです。それだけ要注意ということでしょう。

               

 ③下の写真は、これまでも少しずつ崩れてはいましたが、いつもよりも多く細かい岩片が落ちているように感じました。②の100メートルくらい下流です。

 

 ④以下は③の30から50メートル下流の様子です。

      

      

      

 この上下の写真は、上の写真の木の根っこの下の部分が落下したようです。

      

 こう見てくると、M9.0の巨大地震にもかかわらず、常日頃から危なっかしいと思っていた崖は意外としっかりしていたなとも思います。

 でも、今年の夏は、当然川には入りますが、極力右岸側には立たないようにしようと思っています。アユ釣りをしていて、がけ崩れで死傷したでは洒落にもなりません。水死なら仕方ないですが、泳げませんので・・・。

  

 あしたで2ヶ月が経つのですね、あの巨大地震から2ヶ月が。感無量です。地震のあと雪が降ったっけ、水道が凍ったりもした、・・・2ヶ月経ったきょうの最高気温は夏日の26.2度でした。


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まだまだ続きます、河川工事

2011-05-09 16:51:58 | 広瀬川

 きょうは風も強くなく、過ごしやすい一日でした。河原ではウグイスやキジも鳴いていました。川面に立つとカジカカエルの爽やかな鳴き声も聞こえました。とっても得した感じがしました。

 (写真はいずれも昨日8日に撮ったものです。)

 澱橋の下の河川敷にショベルカーが3台もあったので何事かと見に行きました。大きいのが2台と中型が1台。大きい方はキャタピラーが鉄製ですが、中型はゴム製です。

                

 いろいろなショベルが並んでいます。

 

 これはまた何か河川をいじるな、どこかに工事のお知らせの表示があるはずと探すとありました。

 これは前からあって澱橋の上流域をいじって?いました。頭大の石で河川敷をつくった感じではありますが、砂も土も一杯混じっていて、これでは増水の度に川に濁りが入ります。増水を利用して砂や土を取り去ろうというのでしょうか。何回か大水が出れば石が一杯敷き詰められた河川敷となることでしょう。あと、10日あまりで工事は終了するようです。

 

 問題は、ビックリしたのはしたの表示板です。何となんとナント広瀬川の護岸工事をするというのです。今までの工事は環境整備ということで、まだ川の流れ等に大きな変更はなかったのですが、護岸工事となれば、どこまでどのようにやるのかは分かりませんが、環境整備よりはより川に大きな変化を与えるのではないでしょうか。

  

 しかも、問題は期間です。10月31日までとなっています。つまりはアユ釣り期間がすっぽり入ってしまうということです。それでなくても短い7月から9月中旬までの2ヶ月半の釣期なのに・・・。

 5月から工事をはじめたら10月一杯までは6ヶ月間もあります。そんなに長期にわたってどんな工事をするのか、心配です、不安です。アユ釣りどころではなくなるのではないか?!そんな不安がよぎりました。

 でももしかしたら工事期間が長いということは、アユ釣りの時期を休工にするためかも?とも考えましたが、果たして本当のところはどうなのか、分かりません。たしか仲の瀬橋下流に建設中の地下鉄東西線の橋梁工事では、アユ釣りの時期は工事をしないとか言っていたように記憶します。何とか審議会での審議の会議録に書いてあったような気がします。それを踏襲してくれれば、もしかして夏の間は休工してくれるのかもしれません。

 そうだとしても、その前後、とくに前は河川をいじくるわけで、アユに影響がないとはいいきれません。そこが心配です。

 釣り人の身勝手なのでしょうか?でも、広瀬川、大都会の真ん中を流れる広瀬川、鮎の棲む清流広瀬川、100万市民の憩いの広瀬川、仙台の夏の風物詩・広瀬川のアユ釣り、そういうことをむかしから繰り返し言ってきた仙台市ですから、夏の広瀬川でのアユ釣りは大切にして欲しいと思うのですが、どうでしょうか。

 でも、でも、なぜ今この付近の広川の護岸工事をしなければならないのか、それが理解できません。必要性が感じられません。費用だってかなりかかるでしょう。もう十分に川をいじってきたのに・・・。

 


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あゆっこ温泉

2011-05-08 21:36:12 | 小国川

 昨日は地震がなかった(感じなかった)ので、これはいい傾向かなと思っていたのですが、今朝方と朝3回くらい揺れましたし。夕方も揺れました。ギシギシと音を立てて、また一気にグラグラと来たり、もうすぐ2ヶ月になろうというのに、天はまだ不満なのでしょうか、まだまだ許してくれないのでしょうか。

 加えて一日中強風が吹き荒れました。夕方河原を散歩しましたが、まあ、風は好き放題に吹いていました。広いところでこれだけ吹けばさぞかし風も本望でしょう。吹き荒れるというよりも吹き狂っている、強風よりも狂風といったほうがいいでしょうか。

 また午前中の一時、空は掻き曇り、暗くなったと思ったら稲光と共に重低音の雷鳴が轟くではないですか。まったく変な天気でした。

 

 またきょうも小国川関係でいかせてもらいます。小国川、舟形町といえば、そうです、温泉、あゆっこ温泉です。高台にあるのですが、しょっぱい温泉です。(ここの名物アユのぼりはすでに5日に紹介しました。)

 入浴してさっぱりしたあとは、小さいレストランのテラスで外気に当たるのが楽しみです。ここから見える周りの山々の風景が絶景です。でも5日は残念ながら少し霞んでいて、雪を頂く月山はよく見えませんでした。

 露天風呂からも見えます。

 

 

 

 

 最後の写真は小国川の年券です。今年も購入しました。毎年購入していますが、去年は3回しか小国川に通いませんでした。シマノ・がまかつ・ダイワの大会のみ。体力が衰退したためもあるのでしょうが、悲しいことではあります。今年も3つの大会には参加する予定です。

 60代で栄冠を手にするなんて素敵ではないですか、夢想ですが。

             

 小国川は日釣り券は1,800円ですので、5回釣行しないと元は取れないことになるのですが、それはそれでいいのです。少しでも小国川漁協の手助けになってくれればと殊勝にも思っている次第です。財政的な支援の一つの方法です。

 

 きょうは母の日でした。プレゼントを買おうと思っていたのに、すっかり忘れてしまいました。みなさんはプレゼントしましたか。あした何か買ってこようと思っています。機嫌を直してくれるかどうか・・・。

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山形県 小国川

2011-05-07 22:32:54 | 小国川

 昨日は最上川、今日は小国川(最上小国川)を紹介します。撮影は5日です。

 松原アユで有名な、東北を代表するアユ釣り河川「小国川」、毎年数万人の釣り人が訪れるという「小国川」、それだけアユが豊富だということ、漁協もしっかりしていること、それを証明しています。

 それなのに、山形県はどうしてもこの小国川にダムを造りたい、何が何でもダムを、穴あきダムを造ろうとしています。

 古来日本を統治する者は、治山・治水に努力してきました。多分そのお陰もあって日本には緑が残されてきたのでしょう。でも近代になって工業力の、殖産興業のために電力が必要となり、ダムを造り始めた。そのうちダムの建設、それ自体が公共事業の推進ということで日本の各河川の至るところでダムのためのダムが造られるようになった。

 いつしか火力発電所から効率のいい原子力発電所が造られ始め、いつしか電力の30%以上が原発によるものとなった。世界的にCO2の削減が言われ始め、そのためにはクリーンな電力、原発の推進が唱えられ始め、国家戦力として推進されようとしていたところに、あの忌まわしい巨大地震・大津波・原発事故が起こってしまった、3月11日金曜日午後2時46分、忘れたくても忘れられない3月11日。

 小国川から話しがそれてきましたが、それたついでに今原発を止めると電力が不足するということで計画停電みたいなことが言われています。でも電力会社や政府のいうことを真に受けてはいけません。原発を止めても、火力発電所を復活させたり、揚水発電とかで結構十分補うことができるというではないですか。どこのテレビやラジオのマスコミや政府は言いませんが、それは原発を止めさせたくない、縮小させたくないということの表れに他なりません。代替の発電はあるというではないですか。それを公表しないで、電力不足ということだけをマスコミを通じて強調する、卑怯です。ずるいです。そういうことをするから、だから政府もマスコミをそのまま信用することはできません。何か裏があるのではないかと疑ってかからなければなりません。悲しいことですが、それが現実です。福島第一原発事故がらみの政府や東電の動きをみればお分かりでしょう。住民のことよりもいままでの原発行政を守ろうとしている。

 ただ、菅首相が浜岡原発について休止するといったのですか、再開を認めないということを言ったようですが、注目していく必要があります。本当にやる気があるのかどうか。

 小国川です。

 場所は一関大橋の上下の小国川です。

 

 上下の写真は下流域の様子です。水量の多さがお分かりでしょう。

 

 以下の3枚は上流域の様子です。ヤナが見えます。アユの代わりに、大きな木の枝が一杯引っかかっています。

 

 そのヤナの左岸側の様子です。増水のためにヤナの一部がなくなっているのか、アユの遡上を助けるために除去しているのか。」

 

 上流域の右岸側の様子ですが、かなり変わってきていませんか。山肌が削られています。護岸工事もされているような感じです。

 

 今年はこの小国川でどんなアユ釣りの戦いが展開されるのか、楽しみです。今年もシマノ・がまかつ・ダイワの大会には申し込む予定です。今年は本気でやるかも・・・。

 それにしても、山形は雪が多い。


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舟形町手前の最上川

2011-05-06 21:54:26 | 最上川

 今回見ていただく写真は舟形町に入る手前の最上川です。こんなにも増水し、濁っている最上川も珍しいです、私にとっては。今年の冬が如何に寒く雪が多かったか、如実に物語っています。撮影は5日。

 流れは写真奥から手前に流れています。左岸側を見ればどれだけ増水しているかお分かりかと思います。

 

 桜はこれからなのです。悠久の流れ、最上川。こうやってみるととても日本三大急流の一つとは思えませんよね。

 

 山形県では田植えもまだです。まだ田んぼに水さえ張っていません。

 

 下流に行くにしたがって桜は咲いていますが、まだまだこれからです。

 

 ところで下の写真の左隅のものは何だかお分かりですか。まあ、分かるでしょうね。

                

 そうなのです、雪です、雪の塊。道路に積もった雪をこの広場に持ってきていたのですね。いわば雪捨て場。そういえば、小国川の手前の川、丹生(にゅう)川にも河川敷にものすごい量の雪が黒くなって静に横たわって?いました。河川敷に捨てなければどうにも仕様がないのです。サッポロでも河川敷や直接川の流れに捨てていたように記憶します。

                

 手前の1BOXカーからその高さを想像してみてください。軽く3メートル以上の高さがあります。

                

 この雪が山形県内の各河川にどのような影響を与えるか、夏のアユ釣りはどうなるのか、アユへの影響はどうなるのか、楽しみでもあり心配でもあります。

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青い鯉のぼり

2011-05-05 21:42:04 | お知らせ

 こどもの日・端午の節句・鯉のぼり

 夕方のニュースで見ました、知りました。「青い鯉のぼりプロジェクト」のことを。

 東松島市の高校生伊藤さん、母、祖父母、下の弟の4人が津波で行方不明となり、その後遺体が見つかったのは5歳の弟だけ、まだ見つからない3人を探すうちに”泥だらけの青い鯉のぼり”が出てきた。

 弟は鯉のぼりが大好きだった。その時今年も鯉のぼりを高く掲げてねという弟の声が聞こえたといいます。 彼は次々と出てきた4匹の鯉のぼりを川で洗い、家のあったあたりに高く掲げました。

 そして、彼のお願いです。

 青い鯉のぼりを弟や大震災で亡くなった子ども達のために、地震や津波の心配のない大空高くに掲げてください。

 不用になった青い鯉のぼりがあったら、送ってください、自分の街や人々の復興のシンボルとして、また亡くなった子ども達が寂しくないように沢山の青い鯉のぼりを空高く掲げたいから。

 テレビでは全国から送られてきた200匹の青い鯉のぼりが風を受けて泳いでいました。伊藤さんの表情は明るかったですが、ここまでくるのにどんなに辛かったことか、想像するに余りあります。残念ながら家には送る鯉のぼりがありません。

 青い鯉のぼりプロジェクト実行委員会(3D-FACTORY内)

 宮城県遠田郡美里町字素山街65 千葉さん方 〒987-0012

 shu.c@wadaiko.info  ℡ 080-5550-9984

 

  詳しくは明日以降に書こうかと思っていますが、きょうはとりあえず鯉ではなくアユに拘って、アユの彫刻と天を目指すアユを紹介します。いずれも山形県は舟形町のあゆっこ温泉です。

 (全長1.3メートルくらいもありますか。木彫りです)

 

        

 (温泉の駐車場に立つシンボルアユ。大きさは3または4メートルもあるでしょうか)

              

    (こちらは広瀬川の澱橋横で泳ぐこいのぼりです)

       

 


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あすという日が

2011-05-04 21:23:48 | お知らせ

 今朝方の民放テレビで見ました、聴きました。

 「あすという日が」という歌を。

 仙台市立八軒中学校の吹奏楽部と合唱部による演奏を。中学生が全国大会への出場を断念して、代わりに避難所となっている中学校で、避難している人々を前に歌いました。まさに天使の歌声、透き通るような歌声はすんなりと琴線に触れました。響きました。感動しました、静かなさわやかな感動。涙が滲んできます。

 こういう歌があったのですね。歌詞と一体となった旋律が、今大地震、大津波の被害を受け、打ちひしがれ、明日に希望を見出せない被災者の気持ちにそっと寄り添い、見守りながら励まします。心に沁みてきます、聴いているだけで。

 AC Japanのメッセージよりも、一企業であるサントリーですか、企業名を前面に出さないで流れてくる「上を向いて歩こう」や「見上げてご覧 夜の星を」がいいなあと思ってましたが、この曲を聴いてからは「あすという日が」が大震災からの復興に立ち向かう人々の心の支えになるのではないでしょうか。

 何といっても「頑張れ」「頑張って」「頑張ろう」なんかよりはるかにいい。今日の朝日新聞の声欄の投書にもありましたが、我々日本人はあまりに安易に”がんばれ”という言葉を使いすぎます。それだけ便利な言葉であることは間違いないですが、ともすれば無責任な言葉にもなります。”がんばれ”といっておけばなんでもそれですむという雰囲気が嫌です。私は個人的に極力使わないようにしています。言うべき言葉が見つからなかったら、黙って見つめるだけでもいい、黙って見守っていればいいと思います。

 ・・・・・・

 青空に手をのばす 細い枝  大きな木の実をささえてる

 いま 生きていること いっっしょうけんめい 生きること

 なんてなんて すばらしい

 あすという日があるかぎり しあわせを信じて

 ・・・・・・

 ふまれても なおのびる道の草 踏まれた後から芽ぶいてる

 いま 生きていること いっしょうけんめい 生きること

 なんてなんて すばらしい

 あすという日が くるかぎり 自分を信じて

 ・・・・・・

 

 昼前にイトーヨーカ堂に買い物に行きました。水産物販売コーナーから戻ってきた妻がいいました、「鮎がいっぱい並んでた、多分養殖だろうが」と。

 すぐに行って見ました。いました、ありました、たくさんのあゆ・アユ・鮎が。岐阜県の養殖アユですが、氷の上に30から40匹くらいのアユが無造作に並べられていました。2匹セット、3匹セットのものもありました。

 大きさは22センチくらい、養殖アユではありますが、そんなにデブちゃんアユではなかったです。1匹@198円でした。

 今年初めてアユを見たのかな、そんなこともあり写真を撮ろうと思い、勝手に撮るのもなんだから店員に「写真を撮ってもいいですか?」と殊勝にも聞いたところ、彼は奥の方に行って鮮魚の責任者なのでしょうか、そういう人としばらく話しをしてから戻ってきました。

 時間がかかったので、これだめだろうなと思っていたら、やはり「撮影はどうも」というお断りの返事。「そうですか、私はアユ釣りが大好きで、こんなにもたくさんのきれいなアユを見たものだから嬉しくなって写真を撮りたくなったのですが。」といってその場を去りました。

 これで一人の客をなくしました。どこをどう見ても商売敵ではないし、どうぞどうぞと言って撮らしてくれたらよかったのに。デジカメだからどういう風に撮れたか見て判断できただろうに。

 これでも商売人なのでしょうか。そうか、これが仙台商人の典型ということかも。サービス精神に欠け、殿様商売をしてしまう。「写真、何枚撮ってもいいよ、その代わりどんどん宣伝してよ」というようなことを言えないのでしょうか。残念です。


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憲法記念日に、

2011-05-03 21:33:57 | 思いつくまま

 5月3日火曜日、憲法記念日。毎年この日は改憲派と護憲派が競って集会を開き、市内をデモ行進するのが恒例でしたが、今年は3月11日の巨大地震がその流れを変えてしまったのでしょうか。

 昨日から一番のニュースは米軍によるオサマビンラディンの殺害のようです。9・11の報復がようやく叶ったというのでしょうか。アメリカとしてはこれで面子が保たれ、オバマ大統領もこれで支持率がアップして再選が有利になると喜んでいるのでしょうか。

 考えてみればオサマビンラディンもアルカイダも、もともとはアメリカが養成した人物であり組織ではないですか。それがいつしか親米組織から反米組織になり、ついには飼い犬に大怪我をさせられる始末。

 これでイスラム過激派のテロ、反米闘争がなくなると考えますか、本気でそう思いますか。甘く楽観すぎやしませんか。オバマになって少しはましになったアメリカではありますが、まだまだアメリカ帝国主義は世界にとって打倒の対象であることに変わりはありません。

 そもそもアメリカがかってに国外で、自国民ではない人間を殺害すること、これは許されることなのですか。逮捕拘束するのならまだしも、一気に殺害とは、しかも彼の子どもと女性も殺害するとは、許されることなのでしょうか。まるでアメリカが世界を牛耳っている。世界の警察であり軍隊であるという思い上がり、世界を何とでも出来るという鼻持ちならぬ思い上がり、そういう気持ちに基づくさまざまな行動が世界から反発を買っているわけです。

 なぜアメリカは世界から嫌われているのかそのことを謙虚に考え、慎み深さを身に着けるべきです。世界の金の亡者はアメリカを絶賛するでしょうが、私みたいなプロレタリアートの息子はアングロサクソンは好きにはなれません。アメリカは建国時代に戻って謙虚に時刻の歴史を反省し、生まれ変わっていかなければなりません。アメリカの先住民を虐殺、抹殺したこと、ここから虚心に反省しなければ世界から好意を持たれることはないでしょう。

 話しは逸れてしまった。

 唱和(syouwaと入力して変換したら、「昭和」でなくて「唱和」が一番先に出てきた!!何だ、これは!)20年の、昭和20年の今頃は沖縄では沖縄の住民を巻き込んでアメリカ軍と日本軍の激戦が展開されていました。3月26日からの戦闘は、アメリカ軍優勢の展開で、戦史によると小波津での戦闘、前田高地での戦闘が行われていたようです。

 5月3日は憲法記念日。この日は憲法とあわせて沖縄戦についてももっと語るべきです。300万人近い人々の犠牲によって、新憲法ができたといってもいいでしょう。日本国憲法はまさに平和の象徴、平和と対極にあるのが戦争です、その際たるものが沖縄戦です。だからもっと沖縄戦について思いを馳せ、語るべきです。

 沖縄戦といえば住民虐殺、日本軍による直接の殺害ではないが自決を強いたということからいえば、集団自決は集団虐殺に他なりません。大江健三郎の岩波新書「沖縄ノート」に対する最高裁の判断が下されました。軍による(また揺れている)強制された集団自決ということが認められました。

 そうなのです、沖縄戦は軍隊というところはどういうところなのか、軍隊の本質は何かを教えてくれるからこそ、憲法と一体のものとして教え、学ぶ必要があると考えます。日本もアメリカ同様、先の戦争について、軍隊の行動について深く反省し、謙虚に学ばなければなりません。

 堤防では八重桜が咲き誇っています。京都の二条城の八重桜もきれいでしたが、いまもあるのでしょうか?むかしむかしの話ですが。

 桜を愛でて戦死者や大津波で亡くなった人を偲ぶといったら怒られますか。無念さを抱きつつ桜を見る、ゆるされることと思います。

 

        

                 

 日本に世界に平和が訪れますように。


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エグザイルと志津川中学校と朝日歌壇と

2011-05-02 20:36:30 | お知らせ

 回数は減ってきているとはいえ相変わらず余震は続きます。昨日から今日にかけて強風が吹き荒れました。

 歳をとったからというばかりではなく、このところ本当に涙もろくなってきました。見たり読んだりしただけで、涙がいやでも滲んできます。巨大地震もそうですが、何といってもあの大津波の情け容赦ない怒涛の破壊力、ショックでした。電気が消えてしまったためにラジオでいろいろ聞いてはいましたが、ラジオではかなり抑えに抑えて放送していたのですね、今思えばすぐにあの映像を見なくて、見れなくて良かったのかもしれません。2,3日経っても、ラジオである程度聞いていても、あの画面を見たときの激しいショック、これは応えました。立ち直れないくらいにメチャクチャ圧倒されました。今でも思い出すたびに胸が締め付けられます、苦しくなります。張り裂けそうです。なんで、なんで、なんで、ここまで痛めつけるのか。お恥ずかしいようですが、テレビの画面しかみていないのにPTSDになってしまったかのようです。本当に悔しくて悔しくてたまりませんでした。現場を見たら、現場に居合わせていたら、もしかしたら発狂していたかも、そこまでいかなくても大声で絶叫していたかも。海に向かって、天に向かって。何か話しが暗くなってしまいました。仕事ではともに前に進みましょうなんて地域の人を励ましていたというのに、お恥ずかしい次第です。

 

 今日の朝日歌壇です。今日も勝手に引用させてもらいます。お許しください。

 零歳も一歳もある悲しさの棺を作れば如何に小さき

                      (東久留米市:田村 精進さん)

 なんとなく皆がやさしくなりにけり余震が続く雑踏の街

                      (仙台市:福原 幹夫さん)

 走り行く「福井」と書いたレスキュー車何とはなしに涙溢るる

                       (仙台市:海老塚 忠さん)

 写経にも似て丁寧に震災の歌を写しぬ朝日歌壇の

                       (埼玉県:吉野 ミヨ子さん)

 みんな心に沁みてきます。そのとおりです。お互いに助け合うということは何と素晴らしいことなのでしょう。いつまでも持ち続けたい。

 

 今日宮城県の志津川中学校の避難所にエグザイルが来ました。テレビのニュースで見ました。卒業生が歌うことになっていた「道」という歌をアカペラで歌っていました。子どもたちは大感激の様子。嬉しかったですね。

 その志津川中学校の校長先生は菅原貞芳先生。3月12日に予定していた卒業式を28日に行いました。その時の校長先生の式辞を読み、何と素晴らしい校長先生であることかと感激してしまいました。

 これは新潮ムックとして出版された「これからを生きる君たちへ」という冊子です。小学校・中学校・高校・大学の校長(学長、総長)の式辞11編が収められています。その中に志津川中学校の菅原校長先生の式辞もあります。

 とっても子どもたちへの愛情あふれる感動的なあいさつです。地域の人たちがいかに学校を、子どもたちを支えてきたかということをきちんと伝えています。

 それを紹介する前に、この中学校では、合唱コンクールでもう15年以上も「ベートーベン交響曲第九番(歓喜の歌)」を、全校合唱という形で歌っているそうです。恒例の全校合唱だそうです。このことを知ってなおのことこの中学校が、校長先生が好きになりました。とっても親近感を持ってしまいました。(余談ですが、30日に、4月10日に演奏されたN響の第九、ズービン・メータ指揮の第九のコピーを頂きまして、第1楽章から第4楽章まで聴いたばかりでした。)中学生に「第九」を歌わせる、その感動を味わせる、なんとすばらしい教育でしょう。

 先生は、「自助・共助・公助」について、今回の大震災が学び直しの機会や実践の機会を与えてくれた、ということを話し、避難所の地域の人たちが「力をあわせ、自分のできることをきちんと行い、協力し合えることを進んで行い、互いに支え合うという『自助と共助』の姿を示してくれたといい、「この志津川に住む大人として『つながり』と『共に生かされた命』を大切にして、弱きものを慈しみ、出来ることから自らの役割を果そうと笑顔で頑張っている大人たちの姿を君たちの瞼にしっかりと焼き付けて欲しい」といいます。   (また揺れました)

 そしてただ悲しみ嘆くだけでなく、顔を上げ、前に進むこと、前を向くことが大切で、持続可能な南三陸町の町づくりに君たちの若い力が必要なので、そのために、「人が何で困り、何を必要としているかに心配りができる人間になってほしい、相手を思いやり、我慢する気持ちを持ってほしい」といいます。

 また、今日の小さな夢が明日の大きな夢へとつながるので、「夢を抱き、夢を追い、夢を「志」に変えていく努力を一人一人がしていってほしい」、と。

 最後に贈る言葉として、「かかわる・もとめる・はたす」を校歌と関係付けて話し、「十年後に社会の中で責任を果せる大人になること」を期待しています。

 子どもたちは卒業を前にして大きな惨事に見舞われましたが、素晴らしい校長先生や諸先生方に見守られて勉強できたことはきっと一生の財産になることでしょう。是非ともなって欲しいと思います。

 同書では、釜石小学校の加藤孔子校長の式辞も掲載されています。紹介は略しますが、校歌は紹介したいと思います。作詞はこの前亡くなった井上ひさしとのこと。いかにも彼らしい詩です。

       釜石小学校 校歌

一 いきいき生きる いきいき生きる

  ひとりで立って まっすぐ生きる

  困ったときは 目をあげて

  星を目あてに まっすぐ生きる

  息あるうちは いきいき生きる

二 はっきり話す はっきり話す

  びくびくせずに はっきり話す

  困ったときは あわてずに

  人間について よく考える

  考えたなら はっきり話す

三 しっかりつかむ しっかりつかむ

  まことの知恵を しっかりつかむ

  困ったときは 手を出して

  ともだちの手を しっかりつかむ

  手と手とつないで しっかり生きる

 

 どんな旋律かはまったく分かりませんが、とっても良い詩ではないですか。生きるために必要なこと、心構えを分かりやすい言葉で表現しています。難しいことを分かりやすくという信条の彼らしい詩ではありませんか。

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