写真は、昨日に引き続き先月28日に伐採された青葉通りのケヤキです。
昨日今日と少し落ち着いてきましたが、JTが輸入した中国産ギョウザに農薬が混じっていて千人くらいの人が体調に異変を来たし、重症となった子どももいました。
被害に合われた本人やご家族には心よりお見舞い申し上げたいと思います。一日も早く回復してください。
今回の事件で改めて知ったことがあります。それは日本の食糧事情は中国に如何に依存しているかということです。
もはや、中国からの輸入なくして日本の食生活は成り立たなくなっているといっても過言ではないということです。
便利さと安さを追求していったら、すべては中国に行き着いてしまったということになるのではないでしょうか。
そしてギョウザが信用できないとなると、中国からの輸入品すべてがおかしい、信じられないということになってしまいましたが、何かおかしいと思いませんか。それでいいので省か(また、出ました「省か」が)。
何ですぐにゼロかすべてかになってしまうのでしょうか、なんでそこまで極端にいってしまうので省か。日頃まともに自分たちの食生活なんてまじめに考えてこなかったくせに、私も含めて。
所詮は、安さと便利さを追求していった(とくに”百均”、百円で生活に必要なものはほとんど買えるようになってしまいました。「安かろう悪かろう」という商品はないようですが、それを追い求めれば追い求めるだけ、日本の中小企業はつぶれていくのではないですか。)日本企業及びそれを要求してきた私たちに原因があるのではないですか。そう思うのは思い上がりですか。
食の安全を考えるのならば中国ばかりでなく、アメリカはどうなのですか。BSE,狂牛病の方はどうなっているのでしょうか。3日くらい前ですか、ショッキングな映像を地上波テレビで見てしまいました。皆さんの中にも見た人がいるかと思います。
いわゆる「へたれ牛」です。自分で立てなくなってしまった牛です。それをナントなんと何と、アングロサクソン人はフォークリフトを使って転がしているのです。笑いながら。単なる物体として。まだ生きているのに。悲しそうな表情、様子をしているのに。電気棒でショックも与えたりしていました。楽しんで。
しかもこういう「へたれ牛」を平気で食料として食べていたというではありませんか。アングロサクソン人は平気なのかも??もちろん日本にも輸入されているはずです。BSEについては、日本の世論の盛り上がりのため、日米での協議がありましたが、結局は何の進展もなかったようで、時間ばかりかけて、つまりはほとぼりが冷めるのを待つという形で輸入が再開され、吉野屋あたりはまた急激に売り上げを伸ばしているようですが、実態はなにも変わっていないようです。(この件で詳しくは「きっこの日記」の4日くらい前の日記を見ていただきたいと思います。
何をいいたいのかというと、これをいい機会として改めて日本の食糧事情を考えてみようではないですか、ということです。
カロリー換算で食料(食糧)の自給率はたったの39%です。米を除けばもっともっと下がるはずです。そんな状況で、そんな農業政策で国家として独立しているといえますか。将来にわたって独立国として生存していけると考えますか。(政治的には全く独立していないのですが、それはちょっと置いといて)
国家の基盤はなんですか。食糧事情、国民が安心して食べていけることではないですか。安心・安全をいうなら、テロとの戦い以前に食糧の確保ですよ。それなくして何が独立国家ですか。なにが安心・安全な国ですか。
いわゆる先進国といわれている国はいずこも農業には力を入れています。当たり前のことです。食べることがすべての基本ですから。ヨーロッパ諸国はいうに及ばず、あのアングロサクソンのアメリカは正に世界最大の農業国です。軍事・経済すべての分野で世界支配を目論んでいるというのは絶対に認めるわけにはいかないことですが、なんのかんのといってもアメリカは農業を大事にしています。西部開拓の精神(本当はネイティブの虐殺の歴史に他ならないのですが)が生きているのでしょうか。
振り返って日本は、極端にいえば「自動車のためにすべてを犠牲にしている」といっていい状態ではないで省か(また出た)。それでいいのですか。
トヨタ、世界のトヨタは生産台数で遂に世界一になったというではないですか。販売台数ではちょっとの差で二位とか。それはそれで素晴らしいことです。豊田織機からよくぞここまで来たものです。1937年の創業から70年で世界一です。すごいです。何しろ純利益が1兆円を越えているのですから。すごいの一言です。皆さん信じられますか。純利益ですよ。
日本国民は「トヨタ」のためにすべてを犠牲にしている、それで幸せと思っているのでしょうか。宮城県にも世界のトヨタの関連会社が進出してくるということで、知事も仙台市長も大変よろこんでおりますが、確かに雇用とかで、経済効果は大きいでしょう。でも、それと同時に農業というものにももっともっと目を向けて欲しいものです。
これからはやはり「地産地消」で行くよりほかはないのでは。生産者と消費者が顔の見える範囲で共同してやっていくより他はない。本当に安心・安全な食に徹底的に拘るのならば。
そして農業製品、農産物に対してはうるさいことをいうのは止めましょう。つまり、オーダーメードは止めましょう。レディメードでいいではないですか。
そうすれば価格だって低くなるでしょう。つくる人の手間暇も少なくなるでしょう。
安心して食べられるものを農家の人がつくってくれればそれでいいではないですか。そして、旬のものを美味しく頂くのです。「いただく」のです。「命をいただくのです」感謝して。つくってくれた人と、食べる物自体に。
つまりは、贅沢するな、贅沢言うな、ということにもつながるのかなあ。であれば抵抗する人は一杯いるだろうなあ。
何といっても、今回の一連の騒動(被害に会われた方には申し訳ないですが)といってもいいような出来事は、日本人の性格を現しているとしかいいようがありません、国民もマスコミも全く同じようなことを連日繰り返す、不安を煽る、それに乗って関係ない商品までの商品の撤去、不買行動、それがいつまで続くことやら。
繰り返します。ここで改めて日本の農業を皆で考えませんか。被害に会った人のためにも。でないと、また繰り返しますよ。
今道路特定財源で議論百出です。道路といえば車です。日本中、隈なく幅広の道路をつくらなければならないのですか。改めて考える必要があるのではないでしょうか。皮肉なものです。道路をつくって、地方を壊しているのですよ。地方のためにといいながら、都市による地方の搾取に手を貸している、商工業のために。もっともっと農業を、日本の農業を、そして農家の人を大切に使用ではありませんか。
いわば我々の生活様式、生活の仕方・考え方そのものが問われているのではないかと私は思います。
ケヤキの伐採だって、本当に地下鉄東西線が仙台の発展のために役立ってくれるのでしょうか。杜の都の否定とならなければいいのですが。