鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

4月も 後半で、

2015-04-16 16:26:39 | お知らせ

 花曇りでしょうか、陽気はパッとしませんが、寒くはなく逆に暖かい、車に乗ると暑いくらいの天気でした。

 

     

 きのうの雨のためでしょうか。 広瀬川は増水しています。 当然濁っています。 

 

  

             

 今年はずーといい水量を保っていますので、汽水域にいる稚鮎の遡上はスムーズに行くのではないでしょうか、居るのであれば、多分居るでしょう。

  

 今年の養殖アユの放流はどういう風にやるのか全く分かりませんが、考えてみれば晩秋になって鮎が浅瀬に産卵して、稚魚となって海に降下し、汽水域で冬を過ごして晩春から初夏にかけて遡上してくるということが毎年順調にいくようなシステムがうまく行けば、何も稚鮎を放流することなんかまったくないわけで、そのために産卵場の整備や堰堤を小さい魚にも優しいような堰堤にすれば、広瀬川は天然遡上鮎だけで鮎釣りが楽しめるということになり、もうこれは万々歳!!ですね。 鮎の養殖や放流の必要がないわけで、アユに関しては入漁料が不要になったりして、・・・・なんてことは夢物語でしょうかね。 漁業権はもっと複雑なのでしょうが。

  

                  

 こういう風にどこまで水位が上がったかが分かります。きれいに小枝が揃って並んでいます。タンポポも飲み込まれたのですが、大丈夫です。

            

 

 きょうの新聞にも先月亡くなった人間国宝 桂米朝 さんの追悼記事が載っていました、今回は桂三枝さんの追悼文です。

         

 「 師匠の想いは「落語の灯を永遠にともし続けること」だったと思います。だから、せめて遺志を継いで頑張ってほしい、残された落語をますます発展させて欲しい・・・・そんな声が欲しかったなあと思いつつ、残された私たちは、少しでも近づけるよう、ほんの僅かでも近づけるように、頑張っていくしかないのです。 」と語っています。

 ここで出てくるのはまたしても礼の 島之内寄席 です。 第一回は昭和47年の2月21日から25日まででした。

 この写真は第5回のもので、6月開会のものです。

                       

 6月26日から30日までは同じメンバーが出演します。ここには桂三枝の名前は出ていませんが、懐かしい(誰が?)桂春蝶の名前が載っています。 とっても細い体の口の大きいおもろい人でした。そうそう目が大きかったなあ。顔全体を使って演じていました。そういうところは桂枝雀と似ているかも。

 

 その中で桂米朝が 「ネタ帳」 を書いています。 細かいですが、何とか読めるでしょう。落語家だからただ出ておもしろくしゃべればいいというものではないのですね。つねに全体を見渡ながらその中で自分の持ち味を出していくということが求められるようです。

      

 いい人は皆早く亡くなるのですねえ~。 やはり悪人ほど長生きするのは本当のようです。 社会が必要としているのになくなってしまう人がこのところ多すぎます。

            

 

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