鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

またしても、児童虐待死

2009-04-24 21:45:27 | 思いつくまま

 大阪市で起こった継子いじめの虐待死、やりきれません。 小学校4年生、9歳で実の母親や母親の内縁の夫等に殺されてしまいました。 日常的な食事もろくに与えない、ネグレクト、身体的暴行、その果ての虐待死、そして穴に埋められてしまう、一体彼女、松本聖香ちゃんは一体何のために生まれて来たのでしょうか、彼女のあまりに短すぎる人生は一体何だったのでしょうか。悲惨すぎます。悲しすぎます。

 悔やまれるのは、いまだに児童虐待に気付いた者は児童相談所か市町村の担当窓口に通報しなければならないということが知られていないということです。マンションの住民はベランダに放置されていたことを知っていたようですし、学校の先生方も暴力を受けていたということを知っていながら、児童相談所や福祉事務所には通報しなかった。これが悔やまれます、悔しいです。

 結果として虐待ではなかったというのならそれで構わないのです、間違って通報したからといって、責任は問われません。真夜中で市役所は閉まっていても、市役所に電話してください、守衛さんに話しをしてください、児童相談所や児童福祉の部署の職員に連絡が行くはずです。

 もう自分で自分の身を守ることができない子どもたちの虐待死をやめさせましょう、なくしましょう! 近くに虐待が疑われる子どもがいたら、近くの民生委員にも知らせておきましょう、主任児童委員もいます、周りの大人がその子どもに代わって、SOSを伝えましょう。 もうこういう悲劇、惨劇はたくさんです。 地域で少子化のなかの子どもたちを見守っていきたいものです。子どもたちの明るい笑顔、笑い声が絶えない社会、地域のコミュニティの活発な社会、そういう社会でありあたい、そういう社会をみんなでつくり上げていきたいと切望します。

 朝日ジャーナルが復刊されました。形は、「週刊朝日緊急増刊」となっています。 「創刊50年」 「怒りの復活」 そして、”崩壊寸前の「日本型社会システム」 いま問われているのは、私たちの「知性」、そして「感性」-”と。 「朝日ジャーナル」はかっては「平凡パンチ」とともに、若かった我々のバイブルというか、ファッションというか、硬派の雑誌として読まれていました。編集長には、今は亡くなりましたが筑紫哲也がいました。

 今の日本を何とかしないいけないという危機感を持って雑誌は、幅広く取材したり、鼎談・座談記事、コラム等を掲載しています。その中に一つ面白いコラム、はっと気付かせてくれるコラムがありました。来月から施行される裁判員制度について、千葉大学の新藤宗幸教授が言っています。

 司法制度改革審議会は、司法改革の一つに市民の裁判への参加を考えましたが、陪審制や参審制のメリット、デメリットが論じられる中、市民が参加する裁判は”民事裁判”が有力だったそうです。 しかし、国民の関心が高いだろうとの理由で、刑事事件、それも死刑もありうる重罪裁判への参加ということになったばかりでなく、量刑評決へも参加させられることになったというのです。 しかしながら、筆者は、主権者たる市民が法廷に参加することで、裁判の信頼性と司法の民主主義を確立するというのであれば、対象とすべき裁判は、政治家・行政官の収賄事件、行政訴訟、国家賠償請求訴訟にまず設定されるべきだと言います。そうすれば、選挙以外でも国民による政治や行政の統制チャンネルともなろうと。

 21日ですか、最高裁判所第三小法廷で、和歌山カレー事件に対する判決が出され、林真須美被告の死刑が確定しました。 この判決が出たことについて、この裁判の一審が裁判員制度だったらどうだったかという記事が各新聞から出されました。 明確な犯行動機も不明なまま、自白もなく、状況証拠を積み重ねることで検察側は死刑を求刑し、裁判所もそれを認めたということになります。 このような事件が今後起こらないとは誰もいえません。専門職でもない一般市民が突然呼び出されて、有罪か無罪か、有罪なら何年の量刑が、または死刑が妥当かどうか判断してくれと強制されてもできるものではありません。 でも、来月からはしなければならないのです。その重圧にとても耐えられそうもありません。精神がおかしくなってしまうのではないでしょうか。「意に反する身体的精神的強制」に他ならず、憲法違反ではないかとさえ思ってしまいますが。

 それはそうとして、死刑が確定した「和歌山カレー事件」ですが、写真にもあるように、「冤罪File」No.05の記事に、「和歌山毒カレー事件の重大局面」と題しての『創』編集長篠田さんの特別寄稿があります。 これを読むと最高裁の判決でよかったのか、疑問にもなってきます。被告のふてぶてしさや体格、容貌から察するといかにも犯人らしいと誰もが思ってしまいかねないし、マスコミは例によって犯人扱いして、警察側の情報を流し続けたりしたのですが、いろいろな状況から判断すると「この事件が食中毒を偽装したものであり、犯人がヒ素の毒性を知らない人なら、(この事件は)無差別殺人ではなく、傷害および傷害致死ということになり、・・・・、(既に去年の)7月25日に時効が成立する」(安田弁護士の発言)というようなことまで、寄稿文のなかで紹介しています。 正直言って、どちらが正しいのか分からなくなります。悩んでも判断つきません。でもそれでいいと思っています。それだけ思い事件ですから。 こんなことではとても裁判員は務まりそうもありません。みなさんはどうですか。

 家で栽培したチューリップです。今いろんな花がきれいに咲いています。

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2 コメント

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Unknown (jiji)
2009-04-25 22:07:32
裁判員制度は私も参加したくないと思っている一人です。情報が本当に正しく伝えられるているのか?私などは、マスコミの情報に惑わされそうですし、そんな状態の中で人を裁く自信はありません。
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Unknown (newone)
2009-04-25 22:55:49
 なんのために専門職としての裁判官を税金で養成したのか分からなくなります。責任放棄、責任転嫁みたいな感じです。裁判官自信がもっと世間知を知りように努力すればいいのだし、裁判の効率化を図れば済む話です。必要ならもう少し裁判官を増やしたって仕方がないのだし。
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