鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

縛り不動尊お祭り(その1)

2008-09-29 22:55:58 | お知らせ

 4日間ブログを休ませていただきました。

 

 そもそもこのブログをスタートしたのは、アユ釣りに関することを”釣れ釣れなるままに”書いていくことを目的にしたもので、23日に最後のアユ釣りとして最上川の高屋地区に行き、そのときのことを翌24日にアップしました。

 23日のことをかなり詳しく(長たらしく)、丁寧に(しつこく、くり返して)、これが最後という気持ちで書いたこともあり、書き終わったあとは、それなりに完全燃焼というか燃え尽き症候群というか、そういう気持ちになったわけです。

 一方では最後ということで、力を入れて書いたので、思い上がりとしか言いようがないのですが、次の日のアクセス数はかなりまたは、それなりの数値を記録するのではないかと勝手に思い込んでしまい、現実の数値に燃え尽き症候群の灰も吹き飛ばされてしまった、というような内面の葛藤があったということです。とっくに不惑は過ぎたというのに、いつまでも惑わされています、自分で惑っています。

 また前置きが長くなってしまいました。

 

 27日、28日の両日、恒例の町内のお祭りがありました。お祭り自体はもうとうに50年を超えています。それだけに町内会としても年間行事としては一番力を入れているものです。

 「縛り不動明王祭典」 我々は「縛り不動尊」、「お不動さん」と呼んできました。

 行灯やお神輿の渡御のほかに、前日にイベントを開催して、お祭りを少しでも盛大なものにしよう、住民により親しまれるお祭りにしようということで、前日にいろいろな店を、それも自分たちで出そうということになったわけです。 それももう既に20年は超えています。

 

 

 上の写真はお不動さんを正面斜めから撮ったものです。

 数年前に改築しまして、本堂(右側に少しだけ屋根瓦が写っています)等を改築しました。

 紅白の幕の前には、町内会長等のお歴々が座って、お参りしてくれた人に対して振る舞いをします。

 

 そうそう、夏に七夕飾りが飾られたところです。 まあ、町内の核というか、まとまりの中心といっていいのでしょう。

 

 

 2枚目の写真は、本堂の中の様子です。 毎年町内会の長老たちが粛々と準備してくれます。

 中央に鎮座ましますのが、縛られた石です。お不動さんが動かないようにときつく縄で縛られています。

 

 

 3枚目の写真はその縛り地蔵をアップしたものです。 縄で下から上までグル巻きにされています。

 お祭りの前には、近くのお寺の住職を呼んで、読経してもらいます。

 

 

 これは縛り不動尊の前に飾られた地域の子どもたちの行灯です。

 行灯ですから、中にろうそくをさして火をつけます。 行灯は夜にこそその美しさを発揮します。

 

 

 上の写真は、道路を挟んで北側に設置された行灯です。 全部で70くらいですか。  

 かってはもっともっと沢山の行灯が飾られたものです。 そのうちの何枚かはろうそくの火が移って燃えてしまったりもしたものです。

 

 行灯は27日の夕方から飾り、ろうそくにも火をともし、それらを背景にイベントの開催です。テントを4張り、テントのパイプにライトを設置します。

 といっても、やきそば、フランクフルト、やきとり、水ヨーヨーやラムネの販売、子ども用のおもちゃの販売、バルーンアート?や折り紙、ビーズコーナー、そして私が中心となった竹細工コーナーです。 販売金額はほとんどが半値以下です。収支とんとんか、少し赤字くらいにしています。

 

 すっかりマンネンリ化していますが、竹細工コーナーでは、例によって”箸=マイはし”の作成、紙鉄砲(今年は太い笹竹が入手しましたので、直径が5ミリ前後の威力のある紙鉄砲にしました)、チャカポコ、水差し(ひしゃく)を作りましたが、何かを作るばかりではなく、のこぎりで竹を切らせてみたり、ナイフを持たせて実際に切らせて見たりという実践を重視しています。 事故がなく続けてこれたのが不思議なくらい?です。

 いつものことですが、男子よりも女子の方が元気です。挑戦する気概に溢れています。

 

 

 そして、翌日になると、・・・・

 

 

 いよいよお神輿渡御です。 先頭は裃(かみしも)軍団、裃姿の面々がお賽銭を受取り、お払いをします。塩も撒きます。

 そのあとに太鼓が続きます。 昔から伝わってきたリズムでたたいてもらいます。

 この太鼓はかなりの年数を経過しています。50年くらいはもっているのではないでしょうか。 ささくれ立っています。 バチは何代目になるのでしょうか。

 

 

 大みこしというには小さいですが、これでも前後左右で担ぎ手は最低でも12人が必要です。

 でも、今の子どもは担ぐということが分からないようで、両手で持ってしまいます。 だから、みこしの位置は低くなってしまいます。

 私は先導役として、担ぎ棒の先を持って、笛(ホイッスル)を吹きながらバックの姿勢で誘導します。 ”ピッピ”のあとに”わっしょい”と言わせて、みこしを少し持ち上げるのですが、今回はそこまではいきませんでした。

 途中2回ほど休憩します。

 

 

 これは小さい子ども用のおみこしです。 いろいろと痛んできています。歴史を感じさせるものです。

 

 どちらにしても、子どもたちが多く集まらないとお神輿はできないことになります。 おみこし渡御が中止とならいように祈るばかりです。

 

 

 P.S

 おみこし本体を担ぎ棒に紅白の紐で結びますが、これがああでもない、こうでもないと大変で、皆で必死に前のことを思い出しながら結んでは解いたりして何とか見栄えがする?ようにできました。

 

 長老からの伝承はきちんと受け継がないといけません。

 

 

 

 

 

 

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