鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

またしても、廃業。

2007-05-19 22:34:18 | 思いつくまま

 仙台では、今日と明日「青葉祭り」で賑わいます。

 今日は雨が降ったり、止んだり、陽射しが出てきたり、雷が鳴ったり、お天気雨が降ったり、全く持って天気の変わりやすい一日でした。

 それでも街なかはいたるところで”すずめ踊り”の軽快なメロディー、お囃子が響き渡りました。お祭り気分一色というところですか。

 写真は、明日街に繰り出す”山車”のひとつで、仙台市の山車です。(どうでもいいことですが、飛騨高山の山車も有名ですが、あそこは”屋台”というのですね。屋台が保存されているところに行ったことがありますが、そこを”屋台村”といっていました。) 

 

 これも、うちの奥さんがフルスタへ行ったからでしょうか?14:00からの楽天VSロッテ戦。

 案の定奥さんが応援に行くと、楽天は負けます、それも大敗します。今日だって4-12で負けてしまいました。雨のため途中でゲームセットになってしまいましたが。

 

 「♪本ならなんでも宝文堂 ♪本のデパート宝文堂 ♪仙台中央通りの宝文堂♪ 宝文堂は本の店♪」

 確かそのようなコマーシャルソングが、仙台市の中心部のアーケード街を流れていましたが、その歌も今月で聞かれなくなってしまいそうです(もう今はやってないのかも)。

 戦前から営業をしてきた老舗の本屋さん、「宝文堂書店」が今月いっぱいで廃業するとの新聞記事が出ていて、びっくりしました。またしても、地元の本屋さんが廃業するのかと思うと、さびしい限りです。

  先には同じく地元の「高山書店」や「アイエ書店」が商売をやめてしまいました。「丸善」もありましたが、移転してしまいましたし。

 これで、仙台市の中心商店街に残る昔からの本屋さんは「金港堂書店」ひとつだけになってしまいました。しかもこの書店は中心街の南端にあり、あまり人通りが多いとはいえません。店内も何か暗い感じですし。

 

  前は、中心街に本屋さんが(本店のほかに小さい支店なども)いっぱいあって、本屋さんに入るのが楽しみでした。(楽しみが少ないから本屋に入っていたと言えないこともないですが。)

 特に、一番丁にはほぼ向かい合って「高山書店」と「アイエ書店」が営業していて、お互いに補い合うような形で、高山書店になければアイエ書店にあったりして、両方に入ればほしい本は何とかなるという感じでした。

  また、私としては棚にぎっしりと並べられた本を見るのが好きで、本を手にとって開いたときの本のというか紙のにおいというものが好きでした。

 昔の文庫本は今のように多くはなく、岩波文庫・角川文庫・新潮文庫が三大文庫でした。当時の私にはそれぞれの文庫のにおい(紙のにおい)が違っているのがわかりました(そのつもりでした)。

 とくに際立っていたのが、岩波文庫ですか、独特のにおいがありました。今はまったく感じません。鼻が悪くなったこともあるでしょうが、紙の質も変わってきたのでは(よくなってきたから?)ないでしょうか。

 

  市内の老舗の本屋さんが潰れていく原因はいろいろあるでしょうが、何といっても中央の大手書店が大々的に乗り込んできたからです。紀伊国屋書店、ジュンク堂書店、そして大きくなった丸善、あゆみBOOKS。

 それら大手書店の規模は、既存の老舗書店の規模を大きく上回ります。圧倒的な差があります。とてもまともには太刀打ちできません。

 かく言う私もいつしか大手の本屋に足が向くようになってしまいましたし、格好いいことは言えないのですが、また誠に勝手な言い分ですが、やはりあまり利用しなくても街中には本屋さんがあってほしいのです。

 買い物か何かのついでにふらっと立ち寄れる、そういう本屋さんが存在してほしいのです。

 

 でもよく見ると、必ずしも中央資本の大手本屋ばかりではなく、山形市からは「八文字屋書店」、石巻市の本屋(名前が思い出せません)も仙台市内で大きな店を出しています。

 こう見てくると、経営の問題ということになるのでしょうか。先見の明がなかった、現状に安住してしまった、ということもあるのでしょうか。街中、人通りの多いところに店を出していても、特色のある積極的な新しい戦略を打ち出せなかった、打ち出さなかったということなのでしょうか。「宝文堂書店」は膨大な数の郷土史関係の本も出版したのですが、それが経営にはかえって仇になったこともあったようです。

(老舗のホテルも身売りしているし、グローバリズム、市場主義が地方都市をも飲み込みつつということか。)

 

 それと、インターネットの普及に伴い“アマゾン”等のインターネット書店の普及充実が拍車をかけているともいえるでしょう。

 さらに、今の子どもたちは本を読まなくなったということ(私は必ずしもそうとは思いませんが)。子どもたちが読まなくなったということは、とりもなおさず、われわれ大人が読まなくなったということの反映ではないかと思います。

 

 こう考えると、やっぱりテレビが悪いということになるのでしょうか(ブラウン管テレビが使えなくなるのを機会に、テレビをなくしてしまうというのもいいのかも)。

 大人にとってはテレビ、子どもにとってはテレビとゲームとケータイ電話、両者にとってはインターネットの普及、そういう便利で面白い娯楽が増えてきたことが読書の時間を少なくしているともいえるでしょう。

 かく言う私も、笑うに笑えないのですが、ブログを始めてからは、ブログにとられる時間が多くなり、文化教養的な時間がなくなってきました。夜の時間がなくなってきました。何か本末転倒のような気がします。これでいいのだろうかと自問してしまいます。少し(かなり)悩んでいるところです。(笑い)

 

  脳のトレーニングの研究で今脚光を浴びている、東北大学加齢医学研究所の川島教授によると、脳で一番大事な『前頭前野』のトレーニングは読書活動でできるとのことです。

 読書は脳を逞しく育むことに役立っているし、読書するということは脳の健康を守る第一の方法だそうです。読書活動の頻度の高い人は、何歳であっても脳機能が高いと。つまりぼけ防止に役立つといいます。

 嬉しいこと?に読書は、興味があろうがなかろうがまったく関係なく、活字を読みさえすれば脳のトレーニングとなり、声に出せば効果は倍増するとまでいっています。

 

 (蛇足になりますが、パソコンを使っても脳は働かないそうです。

 パソコンは情報処理のためにあり、情報の処理は前頭前野がつかさどっているが、パソコンを使えば前頭前野を使うことなく結果が出てくるので、脳は動かないということだそうです。

 ITべったりの生活をするとどうなるか、あっというまに認知症が待っているだろうとまでいっています。だから、子どもと高齢者にとっては、ITだらけの社会は非常に危険だとも。

 また、書くことの重要性も言っていますが、手紙でも手できちんと書かないと意味がなく、ケータイやパソコンで書いても、前頭前野は働かないそうです。ここまで言われると怖くなってきます。)

コメント (1)
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