鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

知ってましたか??

2007-02-10 22:57:30 | 提案・要望

 『われら愛す』 

 

 今日の「JAN JAN」の記事です。

 「われら愛す」という文言から何を想像しますか。誰を愛するのか、愛国心のことかとか思ったのではないでしょうか。

 

 実は「国歌」、それも「幻の国歌」だというのです。1953年(昭和28年)10月10日、東京の日比谷公会堂で東京地区の発表会が行われたということです。三番まであります。

 

1) われら愛す  胸せまる  あつきおもひに 

   この国を愛す  しらぬ火筑紫のうみべ

   みずずかる信濃のやまべ  われら愛す

   涙あふれて  この国の空の青さよ  この国の水の青さよ

 

2) われら歌ふ  かなしみの  ふかければこそ

   この国の  とほき青春  詩ありき雲白かりき

   愛ありきひと直かりき  われら歌ふ  をさなごのこと

   この国のたかきロマンを  この国のひとのまことを

 

3) われら進む  かがやける  明日を信じて

   たじろがず  われら進む  空に満つ平和の祈り

   地にひびく自由の誓ひ  われら進む  かたくうでくみ

   日本のきよき未来よ  かぐわしき夜明けの風よ

 

 1953年7月18日、壽屋(サントリー)が8000万人の「私たちの歌」新国民歌歌詞入選発表として、日刊紙に広告を掲載したというのです。歌詞の応募総数は50,823編、作曲応募数3,000編。

 結局、作詞者は芳賀秀次郎、作曲者は西崎嘉太郎。

 

 審査員がすごいのです。作詞の審査員は、堀内敬三、土岐善麿、多き惇夫、西条八十、サトウハチロウ、佐藤春夫、三好達治です。

 作曲の審査員は、堀内敬三、山田耕作、増沢健美、古関裕而、サトウハチロウ、諸井三郎。山田耕作が四部合唱に編曲したそうです。

 

 この歌は、ラジオからも流れたということです。祖国への愛情と情熱を込めて口ずさんでいるうちに国歌になるようにとの願いが込められていたようです。

 

 この年になって、初めて知りました。

 

 写真は、工事中の仲の瀬橋を下流側から撮影したものです。

コメント (1)
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