秀策発!! 囲碁新時代

 「囲碁は日本の文化である」と胸を張って言えるよう、囲碁普及などへの提言をします。

経験とエピソード記憶

2015年03月02日 | 囲碁界への提言

 大人の方が囲碁を挫折してしまう原因。それは、囲碁はなかなか強くなれないから。特にご自身の実力が伸び悩んでいる時、一方であっという間に強くなる子供達を眼前にすると、自分には才能が全く無いのかと無力感に苛まれます。特に実戦経験の少ない人や、低い棋力の人によくみられる現象です。
  子供の頃は記憶力や運動能力が急激に伸びる時期ですから、比べれば敵わないに決まっています。
  しかし、人間の才能や資質とはそれだけではありません。誰しもがそれまでに積み上げてきた人生経験というものがあります。まるでちがう、それぞれの経験を活かす事こそが文化の発展には重要なのです。

  経験を積んでこそ出来る事。その一つが、≪エピソード記憶≫という手法。プロが詰碁に関しての話をする時、
「碁経衆妙で見る様な筋だな」
  という表現をする事があるそうです。碁経衆妙や碁経精妙等は難しい問題の代表、玄々碁経は頻出しやしい詰碁の代表。この様に、学んだ数多くの詰碁を記憶の中で分類しているのです。
「韓国のプロが打った新手は、実は呉清源先生が打っていた」
 これもやはり、記憶をカテゴリーで分けて、憶えたり思い出す時の手がかりにしています。心理学や記憶の研究で注目されていますが、囲碁界では長年に渡り使われてきた手法、あるいは習慣の様です。
※これはあくまでも記憶の為の手法。呉清源先生が打っていたから正しいというのではない。良し悪しの判断は別問題なので要注意。

  他にも、大ヨセと小ヨセの違いを問われた時、料理の塩少々と塩ひとつまみの違いを比べて考える。木下かおりさんが『囲碁未来』の連載で取り上げられていましたが、流石に料理教室の主催者らしい。
 この様に、些細な事を考える際にも、これまでの体験が役に立つ事があります。囲碁の難しさという問題に困惑する人は大勢いますが、それを解消するには、
≪経験とエピソード記憶≫
  が重要なヒントになるかも知れません。




セカンドオピニオンの必要性

2015年02月16日 | 囲碁界への提言

  若手プロが自分の打った碁で分からない事があった時、3人の実力者に聞く。実力者とは、タイトルホルダーやタイトル経験者等。

「三人寄れば文殊の知恵」
「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」

  とは言いますが、複数の第一人者の意見を聞く事で、自分の実力を高めたり、視野をより広くする事が出来ます。これはプロ同士の間では日常行為だそうです。この様に第三者の意見を取り入れる。これを私は、
≪セカンドオピニオン≫
  と読んでいます。セカンドオピニオンとは医療に関する言葉で、複数の医師の診断を参考に治療方針を決めると言う意味。誤診や医療事故を防いだり、別の治療方法の可能性を探る為。ガンなどの大病や、処方薬の効果があまり見られない時等に有効と言われています。

  碁会所や囲碁サロンにて、上手が下手に対し教えている風景を見る事があります。それはそれでよいのですが、教わっている下手の方の表情が芳しく無く、頭を抱えていたり、放心状態の様になったり、ため息をしたりしている事がよくあります。気になり私が見てみた所、その人の問題の原因の大方は、指摘内容とは別にある様に思います。

 アマチュアの碁に見られる典型的な失敗は、私見では3種類かあります。

  ≪取れない石を取りにいく≫

  ≪攻めるべき石を攻めない≫

  ≪守るべき石を守らない≫

  石を取りにいく癖のある人にもっと沢山石を取れと指摘したり、攻め一辺倒になってしまう人にもっと攻めろと指摘したりする。この様に相手の特性をよく鑑ないでは、上達の妨げになる原因になる事は目に見えています。
  相手の特性を見誤る事は誰にもあります。
「俺の言う事にも間違いがありかもしれないから、自分でしっかり考えろ」
  と、藤沢秀行名誉棋聖がおっしゃっていましたが、常識や思い込みに囚われず、出来る限り正確な判断をする事は困難。それを実現する方法として、セカンドオピニオンが必要になるのだと思います。

埋もれた名局の集め方

2015年02月02日 | 囲碁界への提言




 高川格、梶原武雄、坂田栄男、藤沢秀行。昭和中期の囲碁界を代表する4人のプロ棋士。私が囲碁を学び始めた頃、高川名誉本因坊は既に亡く、他の御三方は現役を引退されていました。ある時思い立ち、棋譜並べをしてみようと高川先生や坂田先生の棋譜を探してみましたが見付からない。
  その一方、江戸時代の高手である本因坊道策や本因坊秀策の打碁集は廉価本として販売されている。これは一体化どういう事なのか、囲碁を始めたばかりの頃でしたから、兎に角困りました。

  私と同じか年下のプロ棋士であっても、呉清源先生や坂田先生の打碁全集は必ずと言って良い程に勉強しているようです。2000年代初頭のNHKの囲碁雑誌を見ますと、打碁集を左手に持って棋譜並べをしている写真が掲載されています。それらは、今では在庫切れとなっており、古本屋かネットオークションで取引されている物ばかり。以前ある古本屋に問い合わせてみた所、坂田全集が4万円、高川全集が3万円との事でした。またアマゾンのネットオークションに出品されていた秀哉名人全集は、たしか20万円を超えていた記憶があります。中には、中国や韓国で出版された、江戸時代の打碁集が出品されている事があります。
 若手プロが勉強している打碁全集は、例えば囲碁教室や修行先の本棚にある物であったり、院生やプロになった記念としてプレゼントされた物の様です。ちなみに、関西棋院所属の高津さんも、院生入門の際の餞別として打碁集を貰ったとの事です。

 しかし、万単位の打碁集を買って勉強するというのは大変。それでも今はネット碁という物があり、会員サービスの1つとして、プロの打碁の閲覧やプリントが出来る物があります。
 または、大手の図書館には打碁集がある所かも知れません。もし無くとも、申請すれば他の図書館の物を取り寄せて貰う事が出来ます。あるいは過去の新聞の連載棋譜をコピーし、スクラップ保管するのもお薦めです。


伝わりにくいことば 後編

2015年01月19日 | 囲碁界への提言

  非日常的であったり、日常用語とは意味合いが違う。それが専門用語というもので、専門能力の修得には、正確な意味の理解が欠かせません。例えば雨が短時間に降ったりやんだりする様な様子を不安定な天気と話す事があるかと思いますが、実は間違いらしい。気象用語で≪不安定≫とは、軽い空気が地上付近にあり、重い空気が上空にある状況。これでは確かにバランスが悪い。

  よく使われる囲碁用語にも、曖昧な意味の物があります。特に≪筋≫については、プロですら共通の説明が出来ない。
「筋とは、勝つ為の技である」(瀬越憲作)
「形は石の守り方、筋は石の攻め方」(高川格)
  囲碁界を代表する名文家のお二人でさえ、意味の捉え方がまるで違う。その原因を考えてみると、≪筋≫という言葉が使われる打ち方があまりにも多すぎる為。その上、評価の善し悪しが頻繁に変わる事さえあります。
  星目碁で下手側が劫をしかけて攻める打ち方について、手筋の本では厳しい打ち方と推奨されている一方、置碁の本では難しいからと別案が紹介されている、そんな事がよくあるのです。それを知らずに教えたり勉強したりしている。これが、囲碁の学習を一層難解な物にしている原因でもありましょう。
  囲碁用語の≪筋≫の冠に付く言葉は、石を取る、石を守る、振り替わる、等々あり、さらにそこから枝分かれした技が無数にある。これら全てを身に付けようとするのは無謀。司法試験でやってはいけない勉強は無計画な法律知識の丸暗記である。これは司法試験講師・伊藤真先生による指摘ですが、囲碁の指導や学習を考えれば、正確で体系的な説明が出来る様にすり必要があります。それは、非常に重要な、今後の囲碁界の課題と断言します。

 最後に佐々木修先生がおっしゃっていた悪手についての説明、これは兎に角わかりやすかったので、参考としてご紹介します。
「悪手とは、攻めるべき石を攻めず、守るべき石を守らず、取るべき石を取らない事」

伝わりにくいことば 前編

2015年01月05日 | 囲碁界への提言


「囲碁に折角興味を持って頂けたのに、難しいという理由だけでやめてしまう人が多い」
  稲葉禄子さんよりこの様な話を聞いた事があります。囲碁サロンやイベント等での普及活動に尽力されている方の言葉だけに重みがあります。
  囲碁を続けるかどうかは本人次第と思われるでしょう。日経ビジネスによる囲碁ガールブーム関連の取材にダイヤモンド囲碁サロンのスタッフがこたえていますが、囲碁入門者の大半は、実は入門後1年すら続かない。教え上手で評判の石倉昇先生でさえ、教室の生徒さん全員に3ヶ月で辞められてしまった事があると、週刊碁掲載の座談会で語っています。囲碁の楽しみがわからず、指導者や他の受講生との親好が深まらなければ、続ける義理はありませんから。

  囲碁とは兎に角厄介で、面白さがわかるまでにはとにかく時間がかかる。石倉先生の例に限らず、入門後間も無く辞めた方々は、囲碁対局の面白さを何一つ実感しなかった筈。
  囲碁についての説明がわかりにくい。例えば、囲碁を始めたばかりの人にとっては、ハサミとカカリの区別すらつかない事は当然。囲碁を教える際、指導者は普段通りの言葉で囲碁の打ち方を説明しますが、その殆どか囲碁特有の専門用語であり、日常的に使られる日本語とは意味合いがまるで違う。囲碁用語は専門用語であり、限られた人のみが使っている隠語であるとの意識が無くなってしまうのでしょう。
  こんな話もあります。囲碁用語に≪梅鉢型≫という物があります。これは前田陣彌・九段が名付け親と言われています。また梅鉢型が前田家の家紋である事は、歴史好きにはよく知られています。ところが、院生経験者ですら、梅鉢型という言葉を聞いた事すらないという人もいる。

  専門用語の難しさ。これに加えて、専門用語の意味が、実はプロの間でも共有されていない。何となくのニュアンスで会話をしている節がある。囲碁の普及という視点で見れば、これは見直さなければなりません。




「わかりやすく」の心得

2014年12月15日 | 囲碁界への提言

   むずかしい事をわかりやすく
      わかりやすい事を重く
       重い事をおもしろく

※≪重く=真摯に、もしくはより深く≫と、私は捉えています。

  永六輔さんのベストセラー、『大往生』の前書きで紹介されている作家・井上ひさしさんの言葉で、私自身大事にしています。

     明るく楽しく真剣に

  これは、気象予報会社のウェザーニューズの活動、≪みんなでGENSAI≫の基本方針。大事な事は真剣にやならければならないが、難しい事を難しいまま説明しては、大事な事は伝わらない。メッセージを理解して貰うには、分かりやすく伝えなければなりません。また難しい事を学ぶ際には、楽しくなければ続きません。

  囲碁の有段者の中には、

「弱い人や子供には理屈が通じない」

  と言う人がいますが、それは本来禁句とすべき。私自信、戒めとしています。仮に相手に通じないとしたら、それは教える人間の実力不足に他ならない。教材を与え、少しヒントを与えれば、積極的に取り組む様子を何度も見ています。

  では、分かりやすい説明とは何か。他にもあるでしょうが、私は次の3つが考えます。

A;見える化
  初学者が詰碁や死活の問題が難しく感じる一因は、出題の意図が伝わらない事にあります。その時は問題図を碁盤に並べ、注目すべき所を指で指し示すだけでも効果があります。

B;別の手法を使う(アングルを変える)
  ある月例の講義で、黄孟正先生が最新布石を解説されていました。黄先生の解説は分かりやすいと評判がいいのですが、その日に限って受講者の反応が鈍い。そこで解説内容を石の方向から手割論に代えたところ、いつもの反応に戻りました。

C;名前を付ける
  潘坤ゆさんの場合、≪四目中手≫の形を≪シーソー≫と呼び、≪五目中手≫の形を≪中華包丁≫と呼んでいるそうです。

  この3つ以外にも、方法は沢山あります。どう分かりやすくするかが、指導者の腕の見せどころです。

目標の立て方

2014年12月01日 | 囲碁界への提言

「幸せはいつでもあんたの背中にある。手を伸ばせば届きそうでも届かない所や」
  これは宮川大助・花子の漫才の中にある、私が好きな台詞。何とも奥深く、味わい深い一言です。
  これを学問やスポーツの目標に置き換えてみましょう。目標設定が高過ぎれば挫折してしまう。逆に低過ぎれば手応えを感じない。やはり届きそうでも届かない位が程よいのかも知れません。しかしそれとは反対に、あえて高く設定して挑む人もいます。当然、どちらにも長所短所があり、うまく活用すれば高い効果が得られますが、もしもやり方を間違えれば、大きな副作用さえ考えられます。
「囲碁を始めたばかりのアマ20級の人が、1年後にアマ7段になろう」
 これはあきらかに不適切。人によって実現出来るとしても、決して万人が実現可能では無く、一流の指導者でもその術は持ち合わせてはいません。目標設定の際には適切なレベルと、目標達成の時期、この2つのバランスが非常に重要な意味を持ちます。

  達成時期について考える場合、超長期、長期、中期、短期、超短期の5つがあります。

  5年後10年後を考える超長期目標。現実に叶うかどうかは到底わからないが、将来像を描き、練習や勉強の動機付けや上達意欲を高める為には必要。
  半年ないし1年単位で考える長期目標。実現には大変な労力がいるが、たゆまず継続すれば叶えられる場合には有効。
  2ヶ月3ヶ月単位で考える中期目標。学習や練習の全体的な進捗状況を調整する為に必要。
  週単位で考える短期目標。練習や学習の具体的な計画を立てる際に用いる。
  1日もしくは時間単位で考える超短期目標。いまやるべき事の取捨選択を行い、集中して取り組む。

  日本には努力・勤勉を尊ぶ文化があります。それを十二分に活かし良い成果を得るには目標設定が重要。努力一辺倒では実現する期待は疎ら。個人組織問わず、夢を叶えた人の多くは、目標設定の仕方が実に上手かったそうです。


まずは出来る事から

2014年11月17日 | 囲碁界への提言



 数年前に放送された、漫画家の赤塚不二夫さん追悼番組をご覧になった方はいらっしゃるでしょうか。漫画家の聖地と呼ばれたアパート≪トキワ荘≫での修行時代から、晩年の闘病期迄。私はおおよそは記憶しています。

 『もーれつア太郎』『天才バカボン』『ひみつのアッコちゃん』。赤塚漫画の代表作は数々ありますが、その何れも決して上手い絵とは思えない。しかしプロの漫画家だけあって、絵を描くスピードは物凄く早い。下書きをしなくとも、マジック1本であっという間に原稿を仕上げてしまう。それ以上に驚いたのは、小学生の頃に描かれた映画のポスターの模写。子供が描いたとは思えない完成度。素人目には見分けがつかず、本物そっくり。機会があれば一度ご覧下さい。
「山下清がコンパスを使わず、ペン1本できれいな円を描いているのをテレビで見た事がある」
  これは佐々木修先生から聞いた話ですが、漫画家をはじめとした絵描きは、頭の中に決め細やかな下書きを準備し、それをキャンパス上にそのまま再現しているのでしょうか。

 今となっては20年も昔となるのでしょうが、羽生善治さんが目をつむりながら将棋を指すCMがありました。それが出来るのは、頭の中に将棋盤が入っているから。林海峰先生も、頭の中に碁盤を入れるのが大事だと言われます。しかしそれはプロを目指す院生などに限っての事で、一般のアマが容易に出来る事ではありません。
 では、一般のアマが出来る事は何か。よい碁を沢山目の中に焼き付け、それを碁盤の上で再現してみる。私はこれを、≪鑑賞≫と≪下書き≫と読んでいますが、鑑賞と下書きを繰り返し行い、良い技術や思考を体得する。真似するだけであればそれほど苦しくは無く、継続しやすい。
 アスリートのトレーニング見ますと、楽しくゆったりとしています。これを考慮すると、厳しく難しい練習ばかりが大事ではない。アマチュア級位者の指導や学習も、見直す必要があるのかも知れません。

指導は決して焦らずに

2014年02月17日 | 囲碁界への提言



「道具や機械は金を出せば何度でも替える事が出来る。しかし、人間の石頭だけは替えられない」
 本田宗一郎氏の著書にあった言葉ですが、人付き合いの難しさがよく現れています。先生が教えた通りにしない、いつも同じ様な間違いをする。考えられない様な事を繰り返す。子供教室等の講師に悩みの種が尽きる事はありません。

 囲碁の技術論に限って考えてみますと、原因は知識や経験が圧倒的に不足している事。正しい技術の修得には、教えを受けた当人が納得出来る事が大前提。腑におちる、そんな表現もあります。また、教えられた直後は納得しても、暫くすると忘れてしまう。それはやる気の問題ばかりでは無く、全く別の原因があるのではと疑ってみる必要があります。
 野村克也さんが著書で紹介されていますが、監督やコーチに言われた事をそのまま理解し行うのは、プロ野球選手でさえ難しいそうです。プロの場合、今までのやり方が体に身に付いていている場合が多く、それを急にかえるには、必ず抵抗があるのだとか。また経験が無ければ、真意を理解する事が出来無い。
 そこで、野村さんのミーティングでは、憶える事を要求しない。監督の話しが記憶の片隅に残り、いつか思い出してくれればいい。決して焦らず、長期的な視野で向かい合っているのだそうです。
 宮崎龍太郎先生も指導の際には、1日に1つ憶えてくれればいいとおっしゃいます。プロとアマの場合、実力にも知識にも経験にも圧倒的な差がありますが、同じ人間として見た場合、得意苦手は必ずありますし、人によって違いがある事を考慮しなければなりません。

 専門的な技術を学ぶ際に大切なのは、それぞれの強みを引き伸ばし、無理なく弱味を克服する事。強引に弱味を矯正しようとすると、どこかに負担がかかりすぎ、後々大変な問題が発生してしまう。
 そこで、囲碁の技術指導の際には、

「急がず焦らずじっくり」

 と、向かい合うのが具合が良いみたいです。


よき指導者の誕生を願って~梶原武雄先生と佐々木修先生~

2013年08月18日 | 囲碁界への提言
≪強者回顧≫ 


 碁席秀策開店以来約30年。以来当店師範を引き受けて下さった佐々木修先生。
 その名前を知る人はいまや少なくなってしまいました。そんな佐々木先生の棋譜をもう一度見直そうと、ある青年が活動しています。
 秀策情報ブログ に、佐々木先生の棋譜が紹介されています。ごらん下さい。

 佐々木先生、生涯をアマチュアの碁打ちとして全うされました。しかしアマチュアとはいえ、かつての東京の囲碁界を知る人であれば、当世一流である事実を否定する事はありません。院生時代の山下敬吾や謝依旻といった幾多の実力者を鍛えた事からもわかる様に、アマチュアや素人といった枠を遥かに突き抜けた実力者。
 そんな佐々木先生、雑誌企画にて梶原武雄先生と対局され、見事に中押しで勝たれました。勝因は梶原先生の終盤戦があまりにも不味すぎた為でしたが、そんな失着以外については、
「梶原さんは、大変な苦労人だったからねぇ」
 と、棋風、人柄、生涯を懐かしく回顧されていました。

≪導かれた才能≫ 


 プロとアマ。本来であれば実力立場いずれも相容れないはずですが、梶原先生と佐々木先生に限っては奇妙な類似点が幾つかあります。
 かたや新潟県佐渡島出身の梶原先生、かたや東京都八丈島出身の佐々木先生。何事もなければ、お互い顔をあわす事すら無かった筈。大会での優勝経験こそ無いけれども、群を抜いた才能を認めているプロは多い。お二人に師事してプロになった人も多い。
 棋風に限っては正反対でしょうが、徹底的に調べ尽くそうとする姿勢もまた同じ。梶原先生と言えば、「石の方向性と働き」。囲碁の最善手を求め続けていた事はよく知られています。
 一方の佐々木先生のこだわりと言えば、「簡明さと明解さ」。プロがアマチュアに奨める「わかりやすい打ち方」なる物の中にも、実は難しかったり後々の変化が紛らわしかったりするものが実に多い。ならば本当に必要最低限の知識や技術とは何なのか。長年アマチュアの世界に身を置いていたからこそ、囲碁の汎用性について問い詰める必要性を痛感したのでしょう。若い頃、図書館に通って囲碁の本を読み漁ったとも聞いています。

≪調べ尽くす覚悟≫ 

 碁打ちの実力と云うもの、打碁の結果とネームバリューでしか判断されない傾向があります。しかし私は、その人が強くなるまでの経緯についても注目してみたい。今の囲碁界、分かりやすい指導を心掛けている人が増えている一方で、その多くが紋切り型の指導しか出来ない事も事実。近所の図書館の蔵書を紐解けばすぐにわかる事でさえ、知らない分からないと言っている有段者が兎に角多い。
  囲碁の指導者、仮にも人様の人生の一端をお預かりしているという自覚が無ければならない。何も調べもせず、わからないわからないと軽々しく言っている人に、これから囲碁を学ぼうと志す人達からの期待に応える事が出来るのでしょうか。囲碁を教えるという事は、囲碁の打ち方や技術のみを説明するだけが役目ではない筈。

≪次世代の指導者の育成を急げ≫ 

 『四強二修』と云う、昭和の観戦記者が作った言葉があります。
 菊池康郎、平田博則、村上文祥、原田実の強豪4人に、佐々木と西村の2人の「修」。
 アマチュアでありながらもプロに対して勝るとも劣らぬ実力。そんな評価を受け実績もある人達。そんな強豪達の青少年期の事を探る事で、また囲碁指導者としての経験や工夫を訊ねる事で、今後の囲碁界における教育や指導法の手がかりを探る事が出来るのでは無いか、私はそう推測します。

 私が佐々木先生に受けた指導、その大半は囲碁指導のあり方についてでした。分かりやすく伝える事、本質を誤解無く理解して貰う事。私がそれらについてある程度受け入れられたのは、池上彰さんや永六輔さんの著書を読み、伝える為の重要性をある程度意識していた為でしょう。また佐々木先生とは、大正や昭和の著名な経営者や、スポーツ関係者のコーチングについての話題が広がりました。もしも私が囲碁以外の事について何も関心がなければ、囲碁指導の在り方など考える事は無かったはずです。そんな議題について追究していく内、囲碁指導についての新しい可能性が見えてきました。それらは、現代のプロに対しても意見具申するに値する物かもしれません。
 囲碁の実力を強くする方策はいくつもあるでしょうが、囲碁普及の重要性を良く理解出来る指導者を育成する事は極めて困難。今の囲碁界、囲碁の指導者の技量はあまりにも喜ばしい物ではありません。一人一人の人生に良き指針を与えられる、優れた指導者を一人でも多く育成しなければならない。今この機会に、囲碁の普及と青少年の育成を急がねばなりません。
 梶原先生や佐々木先生程の実力や見識ある指導者が必要なのですが……

 井山裕太と云う関西の天才棋士が世界大会で優勝された事は快挙かもしれませんが、何もしなければ一過性の幸福的現象として終わってしまう。
 世界の頂点に立つ意味。それは、囲碁を知らない人々に大いなる希望と夢を与える意味があるのですから。

教え方を学ぼう

2013年02月04日 | 囲碁界への提言




 好きな事をやるのは楽しいが、それを仕事にすると大変。人に教えようとしても、なかなか理解してもらえない。囲碁をやる人のジレンマで、どうして教えた通りに出来ないんだと、悩んでいる指導者や上手は大勢います。そんな現実を、私はこれまで目にして来ました。

 それらへの課題には、木下かおりさんが以前雑誌連載されていた、
『公開します 私の教え方ノート』
 が良いヒントになるかと思います。私も愛読者の1人で、非常に面白く楽しみにしていました。このブログの記事の大半は、実はこの連載に対する返答のつもりであり、囲碁の教え方伝え方を私なりに考え、文章として掲載しています。
 分かりにくい、固い記事ばかりで申し訳なく思いますが、宜しくお付き合いください。

 囲碁は教えるのが難しい。その原因は何かと言えば、まずは囲碁の指導法のマニュアルやガイドラインが存在せず、教える人の知識や経験に一任されている事にあります。つまり、いい先生に出会えるかどうかは運次第、という事になりかねません。だからこそ、今後は囲碁指導の為のガイドラインの編纂や、指導者のコーチング能力の向上が急務なのです。

 では、教える実力を高めるにはどうすればいいか。まずは自分がどの様に教えているのかを振り返ってみては如何でしょう。教えている風景をビデオで録画する、あるいは他の実力者の意見を聞く、等々あります。
「あんな風に教えて良かったのかな」
 と振り返る事を習慣にする事で、自分を客観的に見る様になり、教え方や指導内容の良し悪しに気が付けます。

 次に、指導技術や方法論に関する知識の学び方について。その為には、多くの情報を集める事。プロアマ問わず、教え上手と呼ばれる人は大勢います。指導の上手いプロとしては山部俊郎先生や細川千仭先生等。お二人は故人ではありますが、図書館や古本屋にある著書を探す。例え昔のものであっても、何かしらの良きヒントが見つかるはずです。



「褒めて育てる」 の盲点

2011年09月19日 | 囲碁界への提言


 「公開します 私の教え方ノート」というものを御覧になった方はいらっしゃいますでしょうか。
 以前、『囲碁未来』という囲碁雑誌で木下かおりさん (囲碁インストラクター)が連載されていました。
 「囲碁を未経験者や子供に教えたいけれど、教えるのはどうも苦手」
 という人は大勢いらっしゃるそうです。そんな方達の為に、どのように未経験者や子供と接し、囲碁を押しいたらいいのか。木下さんの実体験をもとにまとめられたものです。

 その連載で木下さんが特に重視した事の一つは、
 「正しく打てたら褒める。間違った場合でも叱責せず、失敗をフォローする」
 この二つが入門指導には欠かせないという事でした。これについてある方、アマ強豪の方にお話しすると、ある二つの疑問が提示されました。
「褒めるといったって、何が良くて褒められたのか入門者にはわかりませんよ。これでは(上達の為の)毒にも薬にもなりません」
「上手が囲碁をしっかり勉強していないと、褒めなくてもいい所で褒めたりする。こんな事があってはねぇ……」
 全くその通りですね。

 大抵の囲碁ファン(アマチュア)の方々は、特に50代以上であれば実戦一辺倒で強くなったという例が多く、5段以上になると詰碁や戦いについては目の付けどころが良い方が多い。しかし、囲碁の基本や原理原則を専門的に学んだ事がある人は意外と少なく、その為にある種の癖や思い込みが強いという問題点もあります。大抵の囲碁ファンという人々は、もちろん私も含めて「自分の考えは正しい」と考えている節が多いので、それが下手に理解されないとやきもきしてしまう事もあります。それゆえ、下手が失敗すると思わず叱ってしまう。これは個々人が反省しなければならない問題でしょう。
 また、昔ながらの碁会所やサークルなどには「初心者専門」という指導係がいます。そういった人は、大抵その組織の中で一番弱い方。ある程度囲碁が強い方は、人に教えるより沢山打ちたいと、入門指導を避けるという例が多いのです。

 これは木下さんにお会いした時にお話しした事なのですが、
「日本人は褒める文化で育てられてなかった。特に50代以上の男性」
 というのは、私個人の意見です。日本人夫婦の代表的な会話、「風呂、飯、寝る」。日本社会では、饒舌な成人男性はあまり高い評価を受けません。また、儒学教育や年功序列の時代の名残からか、年下の人間が目上に対し別意見を話す事もやはり良くは思われていません。長幼の孝は大切なことに決まってはいますが、『囲碁』というゲームに接するならば、年齢や棋力にとらわれず、「碁盤の上の、石の状況を客観的に判断する」事も欠かせません。 



 では、下手を褒める際には何が大切なのでしょうか。

1≫下手の実力で、善し悪しがはっきり分かる

 切られそうな石をしっかりつなぐ。取られそうな石をしっかり守る。これらはその逆(相手の石を切る、取る)もしかり。
 上手が下手に教える内容は、勝負どころや下手の失着の局面でどうすればよかったか。という対策かと思われます。
 ここで注意しなければならない事は、「五分のわかれ」の解説をしてはいけないという事です。こういった場合、特に下手が負けた場合、自分の失敗を悔やみ、落ち込み、体力や気力を消耗しきっています。その状況では、下手の学習能力は普段より劣っていると考えるべきです。そういった時には、
「五分の別れにする方法」
 ではなく、もっと局面をさかのぼり、
「ここでこうすれば大きくリードできた」
 という解説をすべき。その局面で正解を出せたら、「それでいいですね」と、考えた努力を慰労するのが良いと思います。


2≫下手の成長を評価する

 囲碁というゲームは、どれ程勉強しても自分がどの程度強くなったのか、それを自覚するのは困難なものです。ペーパーテストや段級認定問題の成績が良くなる。段級認定問題の詰碁が溶けるようになる。それで知識が身に付いた事が確認できても、それらを実戦で活用できるかどうかは別。囲碁はわからないからこそ、強くなろうと学ぶものですが、たった一人での努力には限界があります。
 もし、下手がほんの少し強くなっていたら、それを正しく評価し、思わぬ急成長していたら大いに褒める。こういったとは上手の大切な仕事です。



2≫
3≫






福島県の合唱のつよさ

2011年09月12日 | 囲碁界への提言
なぜ、合唱?


 2~3年前でしたでしょうか、福島県内のテレビ番組で、
 「音楽関係者で、福島県の合唱を知らない人はモグリ」
 という話がありました。NHK総合で放送された、『みんなのテレビ』という福島県内の情報を扱う毎月一回の番組。福島県代表になった中学・高校の合唱部は、全国大会で何度も上位入賞をしているというニュースを何度も聞いています。しかし、本当にそうなのか、なぜそうなのか、その理由を番組を見て初めて知りました。

 福島県を代表する学校といえば、福島県立安積黎明(あさかれいめい)高等学校のコーラス部。福島県の人間にとっては、共学化前の安積女子高等学校の名称の方が耳になじんでいます。全国大会に出場すれば常に上位入賞、優勝するかどうかが話題になる程の強豪だそうです。共学化前からカウントすれば、NHKのコンクールでは過去15回の日本一。全日本合唱コンクール(朝コン)の全国大会では31年連続金賞受賞、最優秀を受賞したのは23回。
 一地方の県立高校が圧倒的な記録を打ちだしている。なぜ、それほどの記録を打ち出せるのでしょうか。安積黎明(旧・安積女子)に限って言えば、「言葉を大切にする教育」が受け継がれているためだそうです。
 また県単位で見れば、福島県郡山市が「東北のシカゴ」と呼ばれるほど治安の悪かった時代、治安回復の一環として市民による合唱の活動が行われたところから、『合唱の強豪・福島県』が始まったそうです。

 では、福島県内で合唱を教える環境はどうでしょうか。

1≫県大会参加校が多い。
 中学・高校の県大会に参加する合唱部は、他の都道府県に比べて圧倒的に多いようです。加えて当然ながら、合唱を学ぶ児童・生徒の人数も多い。団体や人数が多ければ、県内での競争が激しくなり、ここの実力が向上するのは当然でしょう。

2≫指導者の質の高さ。
 私が記憶する限りでは、福島県内で歌を専門に学ぶ大学は無いはずです。そこで、東京などの音大で教員免許をとりを卒業した方が福島へ戻り、中学や高校で合唱の指導に当たる。常に最高レベルのレッスンが受けられるようです。

3≫県全体での連帯感。
 「福島県の合唱部は、本当に仲がいい」というのが、他県合唱関係者から頂いている評価だそうです。大会に参加する生徒・児童のみならず、指導者同士も敵対感情がまるでない。指導者の場合、普段から連絡を取り合い相談をしあい、合唱指導の実力の研鑽を行っている。さらには全国大会には他の学校の指導者も駆けつけ、発表の直前までレッスンの手伝いをする事もある。福島県以外の都道府県では、ここまで熱心に他校の応援をする事は考えられないのだそうです。
 こういった仲のよさは、生徒にも指導者にも余計なプレッシャーを与えず実力を発揮させる、そんな効果もあるのでしょう。




指導者よ、大いに学びあえ


 こういった福島県の合唱指導の環境、囲碁の普及指導の参考になる事はあるのでしょうか。
 囲碁大会の参加者を一気に増やす、それは現実上は難しい。しかし、囲碁指導者同士の関係を強化する事なら、すぐにでもできるはずです。

 囲碁指導の難しさは、特に囲碁入門については、熱心に囲碁指導をされている方なら良くご存じです。以前、囲碁未来という囲碁雑誌で連載されていた「わたしの教え方ノート」で、木下かおりさんもそれについて指摘されています。囲碁を教える人が強いかどうかの問題はもちろん、
 「囲碁指導・入門指導についてどれだけ学び、どれだけ準備してきたか」
 という事も欠かせません。ルールや知識に限らず、囲碁を学ぼうとしている人の気持ちを察する心得や、入門者の年代や性別に対する理解、ありとあらゆる事が指導者には求められるのです。

 さらに付け加えれば、囲碁の専門新聞『週刊碁』の対談にて、
「囲碁指導の研究は殆どされていない。プロ棋士はもっと、囲碁の普及活動やその研究に力を入れるべきではないのか」
 という苦言を、囲碁普及の第一人者である石倉昇先生(現役のプロ棋士)がされています。東京近郊、愛知県近郊、大阪府近郊など、日本棋院や関西棋院が近い土地では囲碁入門が催されていますが、そこから離れた地域では、プロが囲碁指導をするということは滅多にありません。そういった地域では地元在住のアマチュアが担っていますが、普及に関する熱心さや技量などは大きな格差が生じています。
 これが、「囲碁の文化の国」日本の現状のようです。

 色々と問題はあると思いますが、まずは、「囲碁指導者同士の勉強会」を開くことから始めてみるというのはどうでしょうか。


※朝積黎明高校コーラス部と、音速ライン(男性ユニット)のコラボ計画が進められているようです。第2弾として、音速ラインの代表作『空になる』の合唱バージョンをネット配信、収益金全額を寄付されるそうです。



修学旅行で囲碁体験を(案)

2011年08月19日 | 囲碁界への提言
 数年前にNHKの囲碁雑誌『NHK囲碁講座』の観戦記に、高校生が日本棋院の対局室を見学したという記事がありました。確か沖縄県の高校生が地元出身の知念かおりさんの対局を、プロ棋士の加藤正夫先生に案内されてという内容だったと記憶しています。
 当時は『ヒカルの碁』のブームの最中であつたはずですが、現在の地方は影響はゼロに近く、『ヒカルの碁』を知らない子も沢山います。また、指導者が少なかったりあるいは高齢化などから、普及しようという気持ちはあっても体力や経済面で大変というのが現実です。
 それならば、修学旅行で東京に来る中学生や高校生を相手に囲碁の体験レッスンを行い、囲碁を覚えて帰って頂けるようにしては
どうでしょうか。

 下が私が考えています素案です。宜しければご参考に。



≪1≫囲碁体験会場……都内ホテル
 都内ホテルには、囲碁サロンのあるところが多い。
 そのホテルに宿泊する修学旅行生を対象にすれば、指導者、受講者、ともに体験会場に移動する手間が省ける。


≪2≫指導者   ……大学囲碁部員


≪3≫お土産   ……フリーペーパー『碁的』
           ボールぺンやシール等(日本棋院で販売しているキャラクターデザインの物)
 都内では「碁的」を扱うところは多いが、地方ではその存在すら知られていない事もある。
 『碁的』をお土産に渡せば、帰りの新幹線や飛行機の中でのおしゃべりの話題になるし、特に女子学生などは帰宅後家族や知人にクチコミで広げてくれる可能性がある。


≪4≫スポンサー ……スポンサーを紹介する冊子を印刷し、お土産と一緒に渡す。

[A]都内の碁会所・囲碁サロン
 30年前に比べ、利用者が半減しているという報告。ひと月の売り上げがテナント料一カ月分とほほ同じという例もあるという。
 この体験入門をした生徒(20人中2~3人)が、進学や就職などで上京した際、都内の碁会所を利用する事が期待できる。

[B]都内の商店街・飲食店
 修学旅行で生徒が企画を立てた場合、自由な行動時間は繁華街(池袋・渋谷・新宿)でのショッピング、東京タワーや水族館、全国的に有名な所しか行き先を選ばない(知らないので選べない)。繁華街からは少し離れた商店街にも、良いお店は沢山存在する。また、家族親戚の大人が東京へ出張・転勤する際の参考情報としても役に立つ。

[C]都内企業
 関東圏(東京大田区・埼玉県・千葉県)には、技術力・売上高・取引先からの信頼が高い中小零細企業がとにかく多い。しかし、大手企業に比べ知名度が低く広報活動を苦手としている企業も多いため、求人を公募しても就職希望者が集まらず、若手技術者や後継者不足に悩む事例がある。
 一方で地方の高校生などは、学校で技術を身につけても地元で就職先が無い場合がある。こういった求人と就職のミスマッチを解消する手助けができると考えられる。
 これに関しては、ハローワークや都内銀行に協力をお願いすれば、情報はすぐに集まると考えられる。


囲碁イベントで料理教室を

2011年08月15日 | 囲碁界への提言
 今年も囲碁フェスティバルは開催されるのでしょうか。残念ながら私は参加できませんでしたが、確か10月に開かれ、過去3回のいずれも大盛況だったと聞いています。
 この他にも囲碁大会やイベントは数多く開かれていますが、特に最近好評なのは、任天堂の子供囲碁大会。最新のゲーム(ハード・ソフト)が数多く提供されている事も一因なのでしょうが、子供の参加者だけで1000人を超えるとはすごいですね。年によっては参加希望者が定員を大幅に越え、やむを得ずお断りする事もあるそうです。


 しかしその一方で、囲碁愛好家の高齢化等の問題は深刻。高齢者が囲碁を楽しめる環境が多くある事自体は問題ないのですが、やはり若年層の囲碁離れは深刻。娯楽の多様化という点から考えれば、
 「野球やサッカーとは違った魅力・面白さ」
 をアピールできていないという、普及に関する問題が大きいと思います。あるいはそれ以前に、
 「囲碁という物、それ自体を知らない。碁会所・囲碁サロンの存在を知らない」
 と考えた方が正確かも知れません。

 そう思わざるを得ないのは、私がいくつかのイベントに参加しての感想です。
 問題と提案を簡単にまとめてみましたので、もし大会運営の関係者がご覧になっていましたら、次回以降の参考にして頂ければと思います。



≪問題点≫一般の囲碁大会は、参加者の偏りが大きい。

 例 > 参加者の多くは、60代以上の男性。
    30代以下は、全参加者の内10パーセント以下という事は珍しくない。
    子供大会の場合、保護者は送迎のみで、参加せず帰ってしまう事もある。

    (宝酒造杯の場合)
    お酒を提供するという理由上、子供は参加できない。
    人前での飲酒をしたくない人(特に女性)もいると考えられる。

 私は全くお酒を飲めません。ですので、宝酒造杯への参加申し込みすら考えていません。
 参加される方にお話しを聞いた事がありますが、自分の棋力に合った部門を選んで参加できるためか、棋力が高かろうが低かろうが、対局相手がたくさんいる。普段会う事が無い人と沢山打てるそうで、みなさん楽しそうでした。


≪対応策≫ 「仕事を休んででも参加したい」
     と思って頂けるような囲碁大会を、いかに企画し、運営するか。
     そしてそれを、囲碁未経験者にうまくPRできるか。




≪企画案≫ 囲碁を知らない方でも、気軽に参加して頂けるであろう、併設のイベント。
      下記の案が実現した場合、農林水産省などの協力を得られる可能性がある。
      「食糧自給率アップ」をうたい、農水省の事業に協力する事も大事。 
 

 <1>囲碁+お野菜教室
    「子供の好き嫌いを無くすための料理教室」
     子供が囲碁に参加している間、保護者は料理教室(実演)に参加する。
      ※もちろん、対局の観戦も可能。
     調理した物は試食が可能。
     教室で紹介する全ての料理には、レシピを用意し、配布する。
     配布するレシピの裏には、『詰碁』などをプリントしておく。
     

 <2>囲碁+乳製品 ※試食販売あり
     近年、日本国内での乳製品の消費量は減少を続けている。
     東京で開催する場合、まずは東京近郊の乳製品をブースにて展示する。
     東京近郊以外の物でも、保存がきくのであれば取り扱える。
     
 また大人がメインの大会には、「お孫さん同伴者へのサービス」があっても良いと思います。