秀策発!! 囲碁新時代

 「囲碁は日本の文化である」と胸を張って言えるよう、囲碁普及などへの提言をします。

 《半夏生》 って、知っていますか?

2012年07月09日 | ふるさとのおはなし


 碁席秀策スタッフの方、お時間のよい時に一読願います。



 ウェザーニュースが配信する番組・ソライブ(BS・910ch)にて、《半夏生・はんげしょう》についての話題がありました。
 日本には半夏生という節句・風習があり、大阪ではタコを、奈良では小麦餅を、香川ではうどんを、福井では鯖を食べる習慣があるそうです。

 7月土用の丑の日にうなぎを食べる習慣は平賀源内が始まり。きっかけは夏場に売れないうなぎを売る為のキャッチコピーでしたが、高温多湿の日本の夏を乗りきる為にうなぎの蒲焼きはいいらしい。これを考えると、タコには良質のタンパク質があり、鯖にはサラサラの動物性脂質がある。とにかく、夏の健康維持には良いのかも知れません。
 私は知りませんでしたし、当店スタッフも初めて聞いた風習だそうです。ウェザーニュース所属の気象予報士の方も、就職するまでは知らなかったと話されていましたから、おそらくは主に西日本中心に残った文化なのでしょう。二月の節分に恵方巻きを食べるようになったのも、東日本ではここ数年の事。


 《半夏生》は夏バテ防止の節句。私はその様に捉えてみたい。そこで、

「《半夏生》には甘酒やお酢入りドリンクを飲んで、元気に過ごす日」

 というのはどうでしょう。最近では、リンゴ酢、梅酢、ブルーベリー酢など、飲みやすいフルーツ系のお酢も市販されているのですから。


※例えば、「焼酎のソーダ割り」にフルーツ味のお酢を加えるとどうだろう。
 うまい、のかなぁ……

新番組のお知らせ

2011年05月04日 | ふるさとのおはなし

 宝塚歌劇の娘役トップをされていた白羽ゆりさんの新番組が始まりました。

 白羽ゆりの夢組


 毎週月曜~金曜 夕方4時45分~5時00分


 「夢に向かってチャレンジしている福島県在住
  またはゆかりの『夢追い人』を白羽ゆりが
  直接出向いて話をうかがい
  紹介して行く番組です」

 現在はauの携帯電話のサービスなどで聴くことができるかも知れませんので(被災地の情報して)、福島県外の方もいかがでしょうか。
 

望郷耽想 ~宮城県

2007年02月28日 | ふるさとのおはなし
  Ⅰ.ミヤギの横顔


 宮城県は、東北の人間にとってあこがれの町。東北屈指のメトロポリタンでありながら、山のふもとには田園風景、海をのぞめば緑深き松島。良質なお米や野菜に恵まれ、中でもササニシキ・コシヒカリは絶品。お盆とお彼岸には『ずんだもち』。茹でた枝豆をすりつぶして砂糖で味付けし、お持ちにあえて食べる。
 もっとも親しい、郷土料理の一つ。

 さとう宗幸さんが歌った、『青葉城恋歌』の舞台。穏やかな街。

 そして何より、独眼流・伊達政宗。鎧兜を身にまとった伊達男が騎馬にまたがり、
 「いざ敵陣へ」
 と勇ましくも突き進もうとしているその姿。 
 過ぎし日の栄光をどこかに残す青葉城跡から、城下町に暮らす人々を今も見守る。
 過ぎし日々から3百数十年、平成の時代。
 そんな姿を、地元の子らは見続けて育つ。


  Ⅱ.凛々しき平成の若武者(宝塚編)


 かの凛々しき姿は、『軍神マルスの申し子』としてよみがえった。

 涼風真世と、朝海ひかる。

 宮城県出身のこの二人は、故郷から遠く離れた兵庫県宝塚市で青春時代をすごし、華やかなる宝塚の舞台にて役者としての経験を重ね、時来たりて、あの名作の主役を演じた。

 『ベルサイユのばら』  オスカル・フランソワ・ド・ジャルジェを。

 1974年に初演され大ヒットしたこのお芝居。主題歌『愛あればこそ』は知らぬものはない名曲だが、ベルばらを彩る歌はいずれも名曲である。

 その1つ、『わが名はオスカル』。

 「愛の肖像」と言うシーンで歌われる、名曲である。

 ある事件がもとで失明してしまったアンドレが、オスカルに寄せる思いを一人語る。革命に揺れるフランスの市中へ飛び込んでゆくオスカルを、俺が守ると決断する。
 その一人語りの最中、オスカルが軍馬にまたがる肖像画が舞台に現れる。
 アンドレが微笑みながら舞台を降りると、肖像画の奥にオスカルが現れる。

 純白の軍馬にまたがった、オスカル。
 雄雄しくも飛び立つ軍馬の背中で歌い、満面の笑顔で客席に手を振る。
 前半を締めくくるこの場面、この歌に、ある人は笑顔を返し、ある人は瞳を潤ませる。


 『わが名はオスカル』は1991年のオスカル編(月組)で涼風真世が初めて歌い、2001年には稔幸、2006年には朝海ひかるが歌い継いだ。



  まあ、偶然でしょうが、『わが名はオスカル』を熱唱したトップスターの二人が宮城県出身。たとえ舞台の上とはいえ、甲冑を身につけ空飛ぶぺガサスにのるとは、まさん実現するとは。
 まさしく、夢以上の夢でしたでしょう。

 幼い時代に見ていた、独眼竜・伊達政宗のように。



  Ⅲ.父と娘・安倍九段と岡田六段(囲碁界)


 囲碁の世界では、安倍吉輝九段が宮城県出身。
 氏は、「囲碁は恋人」と断言しているという、囲碁界きっての囲碁ファン。手合(試合、の事)がない
日でも朝早く日本棋院に来て、誰かしらの囲碁を見て、皆と調べているという話は有名。
 「馬はかわいそう。だって囲碁が打てないから」
 という名言まである。

 
 氏のご息女は、岡田結美子六段。ご息女は安倍九段とは違い、囲碁が大嫌いだったそうだ。筆者に理由は分からぬが、すぐにでもやめたいと思っていたという。
 プロになり数年、勉強のため呉清源九段主催の研究会を訪れた。昭和の囲碁界に大いなる軌跡を残し、
「200年以来の神童」
「現代碁の神様」
 と謳われるその人である。呉清源九段は当時80才を過ぎていたであろうが、各国からトッププロが教えていただきたいと駆け付けて、大先生の鋭く明快なアドバイスを受けている。

 その先生の下を訪れた岡田六段。昔、父君に手を引かれてお会いしたとき以来。
 大人になり、プロになって再開した先生のお姿に、素晴らしいオーラを感じたという。
 以来、少しずつ囲碁の面白さに気づき、先生の薫陶を受け、

 『女流プロ最強戦』

 というタイトルを獲得された。今では父君との絆も深まり、お子さんにも恵まれた、素敵な囲碁ファミリーである。


                       アダタラ・ダン