秀策発!! 囲碁新時代

 「囲碁は日本の文化である」と胸を張って言えるよう、囲碁普及などへの提言をします。

囲碁観戦記の鑑賞術≪1≫ 〜棋書嫌いの原因は?〜

2015年08月17日 | 囲碁の話題
「一般の新聞は、囲碁を知らない人が大勢読んでいる。だから僕は、囲碁を知らない人達に興味を持って貰える観戦記を書く様に意識している」

 新聞での囲碁観戦記の連載を依頼された中山典之先生、観戦記の執筆について相談をしたところ、囲碁の観戦記者をされていた山田虎吉さんからこの様なアドバイスを受けたそうです。
 その一方で、囲碁の本に書いてある事は難しい、プロの碁を並べても強くなれない、そんな話をアマ高段者の多くから聞いています。囲碁の入門書を読み終えたばかりの頃から打碁集を読んでいた私からすれば、異様としか思えない事でした。プロに3子局で指導碁を受けている実力者達が、観戦記や打碁集を何故理解出来ない、わからないのか。

 それらを推測すれば、日本の囲碁愛好家の大半は還暦以上の年齢。若年世代が増えつつあるとはいえ、碁会所のアマ高段者の過半数は高齢者。親族や近所の人が集まって対局するいわゆる井戸端碁や、若りし頃に所属した軍隊や職場での交流の中で囲碁を覚えたり楽しんできた世代。実戦主体の愛好家とでもいいましょうか。
 そんな人達の多くは読書が苦手という人が多く、囲碁の本に関してもあまり読まれない。確かに、昔の本は文字が細かくて読みにくかった、解説が難しかった…… それで読んだ事が少ないと言う人達に囲碁を教わった若年世代も多くいますが、そんな人達も棋書をあまり読まない。プロの碁は難しくとも、工夫次第で難なく理解出来る様になります。

 以前の『囲碁フォーカス』(2013/07/28)にて、高見亮子さんの特集がありました。囲碁観戦記者の方々とはご縁の無い立場ですが、成程そんな風にお仕事をされているのかと、非常に興味深く拝見しました。
 囲碁が好きな人が多くても、観戦記や観戦記者に注目している人は存外少ない。折角の機会ですから、私がどの様に囲碁の観戦記を読んでいるのか、数回にわたりご紹介したいと思います。宜しければご参考にして下さい。≪続≫


囲碁普及に関して  6

2015年08月03日 | 囲碁界への提言

  昨今特に教育問題が議論されてはいますが、それでも公平な日本式教育は世界からそれなりに良き評価を受けており、それを導入して学力向上に成功した例もあるそうです。
  しかしそんな日本が何故教育問題を抱えているのか。原因の一つは、環境が恵まれ過ぎている為だと考えられます。
  この数年はインターネット環境の整備により、ネットユーザーが急増、あらゆる情報が安易に入手し易くなりました。学校での指導計画の立て方も見つかりやすく、ネット情報を利用した教科指導を行っている先生方も多いそうです。私自身はそれに反対するつもりはありません。しかし、既存の情報を大事にするあまり、それぞれの教育現場で起こる個々の問題に対応出来無くなる恐れがあります。

  更には経済や社会の発達・成熟により価値観が多様化し、それにかなう人材を十分に育成出来ていない為でしょう。公教育と一般社会とは、就職活動以外に接点が無いに等しいのです。生徒が若い時代に夢が持てない原因とはそれなのでしょう。

  2012年の春頃、橋本武という国語教師の授業がメデァアに取り上げられました。兵庫県の私学、灘高にて約50年に渡り教鞭をとった方で、教材は中勘助の『銀の匙』と『徒然草』の二冊を3年かけて読み込むというもの。それをやっているのは当然ながら誰一人として居らず、教材も指導計画もゼロからの手作り。さすがに大変な作業だったと回想されて居ました。
  何故、こんな変わり種の授業を行ったのか。始まりは終戦。軍事体制下に作られた国語教科書の使用に規制がかかり、使い物にならなくなった。そこで探し出した結果がかの二冊。灘高といえば関西私学のトップである事は有名ですが、そのきっかけとなった一因は、橋本先生の国語の授業と言われています。

 この橋本先生の授業の神髄は、生徒一人一人の意欲や関心を引き出し、生徒の社会的視野を広げた事にあります。囲碁教育でもそれが出来れば良いのですが……