秀策発!! 囲碁新時代

 「囲碁は日本の文化である」と胸を張って言えるよう、囲碁普及などへの提言をします。

囲碁観戦記の鑑賞術≪6≫〜読み物としての楽しみ〜

2015年11月02日 | 囲碁界への提言
 それまで囲碁と縁がなかったが、定年退職されたご主人に誘われ碁会に始めて参加した。それがきっかけで新しい交遊関係が出来た。そんな女性の囲碁ファンも大勢いらっしゃいます。
「囲碁始めたばかりで全然強くない」
 と言う人にも、それぞれにあった楽しみ方がある。囲碁の番組や本を見る、囲碁の仲間と食事に行く、それもまた良いでしょう。今回、囲碁の観戦記について取り上げた理由も、実は囲碁が強くなくとも楽しめる、それを是非とも知って頂きたかったから。

「打碁集や観戦記を読んで勉強する際は、解説や参考図を読まず、棋譜並べだけに集中する事」
 これが棋譜並べの際の心得とされています。しかし、昭和40年以降はそうとは限らない。棋譜解説は分かりやすく、観戦記は読んで面白く。観戦記者はこれを意識して執筆し、解説担当のプロもそうする様に注意しているそうです。ですから、仮に解説が難しくわからないとしても、観戦記に書かれたエピソードを読み、より囲碁に親しむのもいい。はじめから勉強第一と意識する必要はありません。
 プロの碁はよくわからない。しかし、囲碁界の話題や対局者についての興味が少しでもあれば、観戦記は結構面白く読めます。打碁の進行内容や観戦記者のアングルにもよりますが、雑誌や新聞で取り上げられなかったエピソードが紹介される事も多々あります。普及活動、国際試合、研究会の様子…… そして観戦記は作品。新聞連載のエッセイや小説と同じ立場。そう思えば、仲間との会話のネタが見つかり、囲碁談義が盛り上がります。対局以外にも楽しみは沢山あるのです。

 昭和中期までは囲碁記者が少なかった事もあるのでしょうが、観戦記の人気が新聞の売上に直結する事もあり、著名作家が担当する事も多かった様です。中でも、戦中に川端康成が担当した本因坊秀哉名人引退碁の観戦記は、特に評判が高い。これは川端の全集にも収録されていますので、一度はご覧頂きたい作品です。≪続≫

囲碁観戦記の鑑賞術≪5≫ 〜つなげる事の重要性〜

2015年10月19日 | 囲碁界への提言
 私が公民館のサークルで囲碁を打ち始めたばかりの頃。相手がアマ5〜7段の場合、星目(石9ツのハンデ戦)ですらまだ勝てなかった。その時によく言われた事が、
「あんたみたいに形良く打っていたり、石を繋げているだけでは、いつになっても勝てるわけがない」
「そんな打ち方ばかりしているから、日本のプロは弱くなったんだ」
 相手方からすれば、守ってばかりで貧弱過ぎると感じたのでしょう。確かに当時は、石の攻め方を知らない。それでもどうにか強くなろうとしていました。そして縁あって『碁席秀策』の師範であった佐々木修先生のご指導を仰ぐ様になりました。

 佐々木先生に一体何を教わったのか…… アマ代表として梶原武男・八段に定先で勝ち、院生時代の山下敬吾や謝依旻に指導碁を打っていた。それほどの実力者は一体何を考え、そして何を教えているのか。佐々木先生にお会いした方ならご存知でしょうが、
「打碁の良し悪しは、『石の連絡』と『石の形』である」
 と、その2つを徹底して主張されていました。これはプロもアマも関係無く、また、如何なる時代も関係無く、囲碁の真理である。安心や安全の2つを最優先に考えるべきとも。
 とにかくチカラをつけたい、強くなりたいと思っていた初期の頃は、そんな事でいいのかと思っていました。しかし、実は佐々木先生の師事を仰ぐ度、次第に合点がいく事が多々あり、反対に一般のアマの間には誤った情報が流布しているのではと思う様になりました。

 今ならば、乱打戦や切ったはったばかりが戦いではない事はわかります。戦況優位の為に味方と協力し合ったり(=連絡)、必要な装備を揃えたり(=形)する。相手の石の連絡を妨害する事、相手の石の整形を妨害する事、つまり囲碁用語で言う連絡と形、佐々木先生の主張を反対の意味で考えれば、実はどちらも攻めの思想として説明が出来る。初めて聴いてからこれに気付く迄、それにしても時間がかかり過ぎました。≪続≫

囲碁観戦記の鑑賞術≪4≫〜作戦に注目する〜

2015年10月05日 | 囲碁界への提言
 プロの実戦譜を並べる事は大変有効な勉強法。かつての木谷門下では、学校へ行く前に棋譜並べをするのが習慣で、名だたる名手の実戦譜を多く体感する事で各々の感性と素質が高められたと言われています。

 そんな木谷門下生の一員であった加藤正夫先生、新聞連載の観戦記に目を通す事が日課だったようです。加藤先生の研究会へ行くと、まずは観戦記を新聞から切り抜いたり整理したりしていたと、どなたかの回想記で読んだ記憶があります。
 囲碁が強くなるにはどうすればいいか。上記の加藤先生は、何か1つ得意戦法を持ち、徹底的に研究する事を推奨されていました。得意戦法を徹底的に研究する事で、その戦法の真意が確実に身に付き、学んだその人の確かな実力となるという。
 加藤先生、本職の囲碁では中国流を、趣味の将棋では棒銀を愛用されていたという。まずは愛用する打ち方について詳しく、徹底的に調べてみる。そしてそれから、同じ様な打ち方をするプロの碁を探して並べてみる。プロの碁が分からないとは言え、ご自身愛用の打ち方ならば分かりやすい筈。当然分かりやすいだけではなく、調べれば調べる程知らなかった事も彼是出てくるので、次第に学ぶ楽しみも気が付く筈。

 料理好きの間では、この数年、塩糀が注目されています。塩糀その物は格段旨くはありませんが、発酵食品ならではの特徴、食材の旨味を引き出す働きがあり、色々な料理との相性が良い。それにレシピ本も多く出版されているので、塩糀レシピだけ毎日作って食べても飽きが来ない。料理は材料を理解すると書きますが、何か1つを突き詰めて調べ理解する事は、実は囲碁や料理に限らず、古来学問の本道でもあるのです。
 中国流、高中国流、ミニ中国流、二連星、三連星、多々ある囲碁の序盤戦法。いずれも日々研究が進んでいますので、ご自身が長年愛用している型であっても、調べれば調べる程、それまで知らなかった事が次々と見つかるかもしれません。≪続≫

囲碁観戦記の鑑賞術≪3≫ 〜好きな人への注目〜

2015年09月21日 | 囲碁界への提言
「歴代の名人の中でも坂田栄男さんは別格。勉強するなら、坂田さんの打碁がいい」
 と、佐々木修先生に勧められました。佐々木先生に限らず、私と同年代のプロも坂田先生の打碁を勉強していると言う話しは何度か聞いてはいましたので、一体どんな方なのかはずっと気になっていました。しかし、私が囲碁を始めた頃は坂田先生は既に引退され、囲碁雑誌でも書店でも坂田先生の打碁を見つけられません。
 ある時、坂田先生の実戦譜をまとめた本の復刻版を書店で見つけ、目を通してみました。結構難解な解説も多くありましたが、成程と思った打ち方がありました。それがきっかけで、坂田先生の打碁を出来る範囲で調べてみよう、と思ったのを覚えています。

 アマ高段者であってもプロの碁がわからないと原因と言うのは、何を選んで勉強したらいいのだろうか、そんな迷いが一因ではないかと考えられます。それならまず手始めに、著名棋士の打碁集を数冊読んでみては如何でしょうか。『囲碁名局精選』や『現代囲碁体系』等には当時のエピソードが紹介されていたり、実戦解説もわかりやすかったりと、囲碁に多少なりとも関心があれば十分に楽しむ事が出来ます。それらを読んで気になる打ち方が見つかれば、更に他の棋書や新聞の観戦記等を調べる等して、じっくりと深堀していく。
 囲碁と料理を比較して考える。囲碁インストラクターの木下かおりさんの手法を拝借すれば、有名シェフの番組をきっかけに、色々なレシピに挑戦してみる。テレビ朝日やBS朝日で土井善晴さんの料理番組が放送されていますが、これをきっかけに料理に初挑戦した方も大勢いらっしゃるでしょう。もしかしたら、それから父君の土井勝さんのレシピ本等を読む様になったと言う例もあっておかしく無い。

 何事を始めるにも、スタート以前には敷居を高く感じる物。ならば、技術の理解は一切後回しに、ご自身の好きな人のみに注目してみる。そうすれば思う以上にはじめ易くなる筈。これをその1つとして推薦します。≪続≫

囲碁観戦記の鑑賞術≪2≫ 〜プロの実戦譜の集め方〜

2015年09月07日 | 囲碁界への提言
 現在では出版環境も随分良くなっていますので、良質な囲碁教材が多くあります。ですので、昔に比べれば随分便利になっている筈。
 本因坊秀策や本因坊秀栄等、時代の名手の実戦譜は打碁集として出版されています。プロはそれらを並べて勉強している、そんな話を聞く事があります。しかし、例え勉強するのは良いとはいえ、一般のアマチュアが数万円の打碁集を買うのはやはり大変でしょう。一例として本因坊秀哉名人の打碁集の取引価格を調べて見たところ、Amazon(アマゾン)の中古品で10万円(当時)を越えていました。

 本でプロの碁を勉強したいが、どれを買ったら良いか分からない、欲しい物があるが高すぎる。そういった場合には、最初から本の購入をせずとも、新聞連載や雑誌掲載の物から始めるのが良いと思います。最初から本の購入をせずとも、新聞連載や雑誌掲載の物から始めるのが良いと思います。

 プロの実戦の多くは記録が採られ、専門紙や新聞等で紹介されます。棋聖戦は読売新聞、名人戦は朝日新聞、本因坊戦は毎日新聞…… 近年では主要なタイトル争奪戦が現場から中継されますし、ネットで閲覧する事も出来ます。また一部のプロは、自分の実戦譜を自身のブログなどで公開している様です。解説の有無を問わなければ、今や膨大な数の棋譜を取り寄せる環境が えられています。
 新聞や雑誌の切り抜きが、おそらく一番手軽に出来る棋譜収集でしょう。図書館に行けば、主要新聞数紙が読む事が出来、中には戦前の新聞を保存している所もあります。館内で手続きをとればコピーをとる事も出来ます。
「○○新聞のコピーをとりたい」
 と、図書館司書の方に伺えば、詳しく教えて貰えます。
 プロの碁のコピーや切り抜きを集める際には、
『○○新聞 ○○年○月○日』
『雑誌名○○ ○○年○月号』
 と、記事が掲載されていた原本名と日時を書き添えておいてください。後で読み返したり整理したりする際に便利です。≪続≫

囲碁普及に関して  6

2015年08月03日 | 囲碁界への提言

  昨今特に教育問題が議論されてはいますが、それでも公平な日本式教育は世界からそれなりに良き評価を受けており、それを導入して学力向上に成功した例もあるそうです。
  しかしそんな日本が何故教育問題を抱えているのか。原因の一つは、環境が恵まれ過ぎている為だと考えられます。
  この数年はインターネット環境の整備により、ネットユーザーが急増、あらゆる情報が安易に入手し易くなりました。学校での指導計画の立て方も見つかりやすく、ネット情報を利用した教科指導を行っている先生方も多いそうです。私自身はそれに反対するつもりはありません。しかし、既存の情報を大事にするあまり、それぞれの教育現場で起こる個々の問題に対応出来無くなる恐れがあります。

  更には経済や社会の発達・成熟により価値観が多様化し、それにかなう人材を十分に育成出来ていない為でしょう。公教育と一般社会とは、就職活動以外に接点が無いに等しいのです。生徒が若い時代に夢が持てない原因とはそれなのでしょう。

  2012年の春頃、橋本武という国語教師の授業がメデァアに取り上げられました。兵庫県の私学、灘高にて約50年に渡り教鞭をとった方で、教材は中勘助の『銀の匙』と『徒然草』の二冊を3年かけて読み込むというもの。それをやっているのは当然ながら誰一人として居らず、教材も指導計画もゼロからの手作り。さすがに大変な作業だったと回想されて居ました。
  何故、こんな変わり種の授業を行ったのか。始まりは終戦。軍事体制下に作られた国語教科書の使用に規制がかかり、使い物にならなくなった。そこで探し出した結果がかの二冊。灘高といえば関西私学のトップである事は有名ですが、そのきっかけとなった一因は、橋本先生の国語の授業と言われています。

 この橋本先生の授業の神髄は、生徒一人一人の意欲や関心を引き出し、生徒の社会的視野を広げた事にあります。囲碁教育でもそれが出来れば良いのですが……



囲碁普及に関して 5

2015年07月20日 | 囲碁界への提言

「忙しいからって、学校の先生は進路相談にのってくれない」
「毎日毎日教科書の説明を聞いて問題を解くだけで、今の勉強に何の意味があるのかわからない」
  集英社新書『愚問だらけの東大入試』に紹介されていたエピソードの一部。これは有名大学を目指す、成績優秀な予備校生からの相談。たしかそんな内容でした。
  時期は受験戦争と言われた昭和40〜50年代と思われます。急速な経済発展と大学進学者の増加した時期。大学進学に高い目標を見つけた生徒がいる一方、将来のビジョンを何一つ描けず不安を抱えたまま受験勉強に苦闘する生徒もいる。そこに日本の公教育特有の激務が重なって、高校の先生が生徒の相談に乗る事が出来ず、受験専門の指導教諭になってしまうと云う。日本教育の歪みが端的に現れていると言えましょう。

  高校教師の方々は、それぞれか専門教科に高い実力を持たれている事は確かではありますが、それを工夫して教える事を苦手としている人も多い様です。
 教えるご本人には専門教科には高い関心がある。しかし、学ぶ意欲が高くても、それに関心を持てないで困っている生徒に対してどう接するか。教科書や指導要領にあるまま教えては学ぶ意味はなさない。それには教科指導の技術だけでは足りず、社会性のある幅広い見識が必要となります。例えば高層建築の高さを測量する一つに、中学数学で取り上げられている三角比の計算法が使われている。そんな実用的な例え噺ができる必要があります。そんなやり取りの積み重ねが、生徒の学習意欲を引き出し、学ぶ意義や生きる意義を見つけ出すきっかけ作りの一つになるであろう事は、容易に想像が出来る筈。
  しかし、それが思う様にいかないというジレンマが現代日本の教育界にある様です。

  しかし私が見た所、それは囲碁指導の環境にも当てはまるのではないか。日本の囲碁教室などでは躾と実力指導が重視されていますが、本当にそれで良いのか、疑問に思うのです。





囲碁普及に関して 5

2015年07月06日 | 囲碁界への提言

「忙しいからって、学校の先生は進路相談にのってくれない」
「毎日毎日教科書の説明を聞いて問題を解くだけで、今の勉強に何の意味があるのかわからない」
  集英社新書『愚問だらけの東大入試』に紹介されていたエピソードの一部。これは有名大学を目指す、成績優秀な予備校生からの相談。たしかそんな内容でした。
  時期は受験戦争と言われた昭和40〜50年代と思われます。急速な経済発展と大学進学者の増加した時期。大学進学に高い目標を見つけた生徒がいる一方、将来のビジョンを何一つ描けず不安を抱えたまま受験勉強に苦闘する生徒もいる。そこに日本の公教育特有の激務が重なって、高校の先生が生徒の相談に乗る事が出来ず、受験専門の指導教諭になってしまうと云う。日本教育の歪みが端的に現れていると言えましょう。

  高校教師の方々は、それぞれか専門教科に高い実力を持たれている事は確かではありますが、それを工夫して教える事を苦手としている人も多い様です。
  教えるご本人には専門教科には高い関心がある。しかし、学ぶ意欲が高くても、それに関心を持てないで困っている生徒に対してどう接するか。教科書や指導要領にあるまま教えては学ぶ意味はなさない。それには教科指導の技術だけでは足りず、社会性のある幅広い見識が必要となります。例えば高層建築の高さを測量する一つに、中学数学で取り上げられている三角比の計算法が使われている。そんな実用的な例え噺ができる必要があります。そんなやり取りの積み重ねが、生徒の学習意欲を引き出し、学ぶ意義や生きる意義を見つけ出すきっかけ作りの一つになるであろう事は、容易に想像が出来る筈。
  しかし、それが思う様にいかないというジレンマが現代日本の教育界にある様です。

  しかし私が見た所、それは囲碁指導の環境にも当てはまるのではないか。日本の囲碁教室などでは躾と実力指導が重視されていますが、本当にそれで良いのか、疑問に思うのです。



囲碁普及に関して 4

2015年06月15日 | 囲碁界への提言

 大正か昭和初期の頃。阪急百貨店の最上階に開店したレストランが人気を博していました。
 そのレストラン、夜はコース料理の注文が多いので利益が出る。しかし昼間は、サラリーマンがライスだけ注文してソースのみで食事をするので全く利益が上がらない。そこで料理長が、
   <ライスのみのお客様御断り>

  の貼り紙を出した所、阪急創業者・小林一三の意見により、
「ライスだけでも歓迎します」
  に変更。以来、昼はライスのみの注文が確かに増えましたが、レストランの売上や利益は以前より上がったそうです。

  親がパチンコや買い物をしている最中、車の中で待っていた子供が、熱中症や脱水症状で倒れ病院に搬送される。中には死亡してしまう悲劇も少なくありません。この数年、特に夏場になると、必ずと言っていい程に取り上げられます。以来パチンコ店では、子供同伴の来店・入場をお断りしますという注意喚起がされる様になりました。
 また、他の利用者の迷惑になるから、年齢を問わず、ボール遊びを禁じている公園があります。子供の運動能力の低下が議論されている昨今、体を積極的に動かす外遊びが推奨されてますが、なんとも奇妙な話。以前、NHKのある番組で、
「子供が遊んで迷惑をかけるのは当たり前。公園で迷惑をかけずに遊べるのは、テレビゲームしかない」
  と、ある外国人が意見していました。これはあきらかにおかしなルール。育児・子育て・教育問題に取り組まなければならないと言われている状況下、社会認識が全く無いのではないかと思わざるを得ません。

 少子化や子育てに関する環境を整備しようとの動きはありますが、まだまだ手付かず。子供の車中放置問題。子供が外遊びしにくい環境。パチンコ店で規制せざるを得ないのであれば、子供の利用者を増やそうとしている碁会所や囲碁サロンで受け入れてみては如何でしょうか。これなら出来る所が多い筈。関係者には、是非ご検討戴きたいと思っています。

囲碁普及に関して 3

2015年06月01日 | 囲碁界への提言

 年取った男の人がやるもの。以前はそんな事が言われていましたが、『碁的』の影響があり、囲碁ガールと呼ばれる女性ファンが次々と誕生しました。囲碁には知的な面白さがあり、脳のアンチエイジングが期待出来る。違う会社や業種で働いている人が沢山いるので、新しい仲間が作りやすい。既存の男性ファンは勝負に面白さを感じますが、それとは違う囲碁の楽しみや価値がある事を、囲碁ガールによって再評価されました。しかし、これまでが男性ファンが中心であった為、囲碁ファンか多い東京でさえ、女性が楽しめる環境はまだまだ整備されてはいません。

 歴史、落語、サッカー、天体観察。一見関連無いこの4つも、実はここ数年、若い女性ファンが増えているそうです。この4つに注目し、囲碁ガールを迎える為のサービスを検証してみます。
  歴女や戦国女子は『戦国無双』というゲームがきっかけ。秋葉原等には関連グッツ店あり。全国の名城や城跡を巡る旅行をする人も多い。
  落語女子はアイドルグループのTOKIOが出演した番組や映画がきっかけ。仕事終わりに着物に着替えて寄席に通う。NHKの演芸番組にも、若い女性客が増えている。
 サッカーの女性ファンは、ワールドカップ等での日本代表の活躍がきっかけ。Jリーガーによるファンサービスも充実し、スタジアム周辺には飲食店が多い。
  宙ガールこと女性の天文ファンは、デジカメや一眼レフの普及。低価格で性能も良く、気軽な撮影が出来る。ブログやSNSに掲載する等をして楽しんでいる。

  上記4ついずれにしても、女性が物事を楽しむ場合、社交が大きな要素を占めます。趣味に関する事は勿論、ファッションや食べ物に関する会話を楽しみながら、仲間との親交を深めると言います。今後はネット碁の利用者が増加する事は確かですが、市内店舗の客離れの原因には直結はしない。むしろ人と対面し歓談するリアルの場としての役割が、これまで以上に求められるでしょう。


囲碁普及に関して 2

2015年05月25日 | 囲碁界への提言

「サッカー以外にも、いろいろな事を体験させてほしい」
  子供にサッカーをさせたいという番組司会者からの質問に対して、ゲスト講師のセルジオ越後さんからの返答。また、
「講談の修行中には、落語も聴けと……」
  そんな話を、一斎貞水さんがおっしゃっていました。
  サッカーばかりだと友達が減る。講談の修行ばかりでは芸が狭くなる。人が社会で生きていく為には、出来れば広い視野を持っていた方がいい。社会に出る前にも、関心や好奇心は、学校の勉強に対しても意欲や向上心を掻き立てる原動力になりますから。

  囲碁をやる人は、囲碁以外にあまり関心を持たない。将棋界の様に、外部に積極的にPRをしない。稲葉禄子さんの意見ですが、稲葉さん以外からも聞いた事があります。例えば、若い女性の囲碁ファンを増やす事が長年の課題でした。2010年秋、囲碁ガールと呼ばれる女性ファンが急増しましたが、それはインターネット上で偶然発生したもの。またそのきっかけを作った『碁的』も、日本棋院とは全く関係ない、小さな団体が創刊させたもの。
 しかし、かつてはそうではなかった。観戦記者の山田虎吉さんによれば、囲碁を知らない人にも関心を持って貰えるよう、囲碁の解説が少なくても面白くべきだと語られたそうです。また山田さん以外にも、例えば観戦記者の三堀将さんは、歌舞伎用語を観戦記に取り入れ、プロの対局に華を添えていた。お二人の様な方がかつては大勢居たらしく、昭和の囲碁観戦記は大変に面白い物ばかり。そんな囲碁一筋では無い、様々な感性を持つ人が集まってこそ、囲碁は日本の大衆文化として盛り上がる。囲碁の最盛期と呼ばれた日本囲碁界がそうでした。

  人気ある観光地等は、四季別のイベントや演出等、様々な要素を取り入れる事で、お客を飽きさせず楽しませます。囲碁界ももう少し多様性を取り入れれば、新規ファンやコアファン問わず、良いサービスを提供出来る様になるでしょう。



囲碁普及に関して 1

2015年05月04日 | 囲碁界への提言

 囲碁を続けてもらうには何が必要か。続けたいと思える様にするには何をなすべきか。その為には、顧客の潜在的なニーズを汲み取り検証する必要があります。しかし囲碁界は、昔からそれが苦手でありました。
  顧客は根っからの囲碁好きで、店の創業者も典型的な囲碁好き。類は友を呼ぶではありませんが、同じ仲間が集まりやすいので、それ以外の人達の声が、囲碁関係者になかなか届かないのです。
 今後、囲碁人口の底割れがさらに進む恐れがある日本。そんな状況下、囲碁関係者は何をなすべき事は2つ。それは、囲碁指導の技能向上と、マーケティングや顧客創造の重要性の再認識。

  昭和50〜60年代。最盛期と言われた当時の碁会所や囲碁サロンは1ヶ月のテナント代が1週間で稼げた。連日満席は当然で、1日3回の入れ替えをやらなければならない程だった。そんな関係者の証言があります。
  その当時に比べて、今の顧客数は3〜4割程まで減少。平日の場合、20人の利用者がいれば多い方かも知れません。
  碁会所や囲碁サロンの役割。最盛期は、家族親族、または近所に囲碁ファンが大勢居て、また大衆娯楽として認知されていたので、囲碁を打てる場所を提供するだけで十分でした。今は囲碁を知っている人自体が少ないので、入門者向けのサービスにシフトチェンジしています。しかし、それが出来るのは良い方で、顧客の減少や経営者の高齢化により、廃業する店の方が圧倒的に多いのです。

  碁会所や囲碁サロンは囲碁を打つだけの場所でしょうか。競技場としては当然ですが、社交場という役割もあります。特に5級未満の方々には、囲碁の学習環境であり、新しい囲碁仲間と出会える数少ない場所なのです。点数制や打込制による降段・級を取り入れている店や、有段者ばかりが集まっている店では、息苦しさや居心地の悪さを感じると訴える声が多くあります。勝ち負けを意識せず、親交を楽しむサービスの重要性を見直さなければなりません。




思い出に残る囲碁指導を

2015年04月27日 | 囲碁界への提言



 布石、定石、手筋、死活、ヨセと、囲碁の実力向上には学ぶ範囲が余りにも広く、その上、学んだ事全てが身には付かない。だからこそ熱心に囲碁を教える人は、少しでも強くなって貰いたいと、様々な教材を準備して教えるのですが、時としてそれが逆効果になってしまう。いわゆる、≪消化不良≫と呼ばれる現象です。

   ≪記憶に残る『幕の内弁当』は無い≫

  東北の復興と魅力を考える番組、『東北発未来塾』で講師を勤めた松康(作詞家)さんがおっしゃっていましたが、外部に魅力を発信する場合、沢山の物に手を出さず、石巻の海鮮丼は旨い、気仙沼のフカヒレは旨いと、何か1つに力を入れる事が、他者の印象に残す秘訣だそうです。
  囲碁を教える場合も同じ様に、何か1つのものに力を入れる方が効果的でしょう。白江治彦先生の場合、有名格言を厳選して指導する。淡路修三先生の場合、講義の中から生まれたオリジナルの格言『淡路語録』を活用する。特に有名なのは梶原武雄先生の解説で、詩吟で鍛えられた声と講談調の語り口に聞き惚れたファンも多いでしょう。
  私の場合、まだ5級前後の時期から、佐々木修先生に師事するご縁があり、様々な事を教わりました。明治・大正期から残る伝統的な指導法、接近戦の時の考え方、プロの碁の高度な思考に関する事まで。囲碁に対する視野は広がったかと思います。佐々木先生の指導は連絡と石の形がメイン。課題分野をあえてその2つにのみ絞ったからこそ、記憶に残り易かったのかもしれません。

 今回のテーマ『思い出に残る囲碁指導』は、
「教える相手に媚を売る」
 と言う意味ではありません。状況に応じて必要な事を伝える事。囲碁は楽しいと感じ、囲碁を勉強してよかったと思い出にして貰える事。その為には、自分が教わった事や本に書いてある事の説明に終始せず、各々が軸となる考え方を持ち、工夫しなければならないのです。
 これは本当に大変ですが、普及の為に頑張りましょう。

スランプと原点回帰

2015年04月06日 | 囲碁界への提言

いかなる世界にもスランプはあり、これには多くの人が悩まされています。
勝てる筈なのに勝てない。人一倍勉強しているのに強くなれない。残念ながら人間は、練習した事、努力が全て報われる事は有り得ない。これについては、野村克也さんも著書等で指摘されています。
では、そのスランプの正体は何なのか。

≪9才の壁≫という言葉が、放送大学の『心理学概論』という番組で取り上げられていました。これによると、ほぼ一定間隔で誰しも経験する通過点。これに似た見解を取られているのが石倉昇先生。著書の『ヒカルの碁勝利学』にて、囲碁のアマチュアの場合、ある一定感覚で訪れると紹介されています。

佐々木修先生によれば、アマチュアが強くなれない理由は、知識の歪みが原因。そこで、教える相手の脳内の状況を探り、誤って身に付いた知識を矯正する必要があるとの事。これは≪知識の棚卸し≫とも言えますが、物事を学び直す事で、より正しく理解する事の大切さを訴えています。

スランプ脱出の方法として、石倉先生の場合、野球選手が自分の好調の時の映像を見てフォームを整える様に、自分の過去の会心譜を並べ返すそうです。また人によっては、旅行をしたり音楽を聞くなどしているうちにスランプを脱出する事もあるそうです。
私個人の経験では、置き石を多目に、置碁で繰り返し対局する事。方法は時によりけりで、指導碁であったりPC対局であったりしますが、これで、普段の対局にやってしまう余計な雑念やヨミを排除し、本来の判断力を戻す事が出来る様です。そう言えば、
「あんた、一晩で2目半強くなっている」
と、佐々木修先生に言われた事がありました。それは、アマ強豪の指導碁を2日間で5局受けた直後で、恐らくはその効果が運良く出たのかも知れません。
私の例が参考になるかどうかは解りませんが、その人の本来のスタイルを取り戻す事、つまり原点回帰が必要なのではないかと思います。

苦手課題への取り組み方

2015年03月16日 | 囲碁界への提言
 

 私の知り合いには、社会や歴史は苦手という人の方が多かった。勉強する意味がわからないと言う人もいました。その一方では、TBSアナウンサーの小林悠さんの様に、仏像拝観が趣味といい女性が増えているそうです。
 学生時代は学ぶ意味がわからなくとも、卒業して社会人になれば、仕事や旅行など、面白く感じる事が増えてきます。今東京では、江戸東京野菜で町興しをする運動が始まっています。その中には、享保の大飢饉の際、徳川吉宗が青木昆陽に栽培を命じたさつま芋もあります。そんな歴史を知らない人も大勢いるでしょうが、こういった事が分かれば、学ぶ事が楽しくなる筈。

  苦手な事や嫌いな事を学ぶ事は誰しもが苦痛ではありますが、苦しまずに学ぶ方法はあります。
  棋譜並べをして布石を学ぶ。詰碁に取り組んで読みを鍛える。この2つは囲碁学習の定石の様なものですが、苦手な人には別の方法もあります。例えば、映像教材やパソコン教材等もあり、比較的気軽に取り組む事が出来ます。私が歴史好きになった理由はテレビがきっかけでした。これを基に考えると、苦手な物は映像教材で学ぶのも良いと思います。
  今ではスマートフォンがあり、専用のアプリがいくつかあります。それらを使うのも有効。何れは、電車やバスの中で囲碁の解説映像を見たり、詰碁専門のゲームをする等、そんな事が当たり前になるかと思います。
 他には、個人指導も有効。大手予備校の様に大人数の教室での聴講もありますが、苦手な人には不向きらしい。書籍教材とにらめっこせず、碁盤に並べ、講師と対面しながら説明を受ける方がいい。
  男子サッカーの日本代表を率いたイビチャ・オシムやザッケローニ等の名指導者は、練習のレパートリーを豊富に持ち、選手や状況に合わせた組み合わせトレーニングを行える。それはサッカーに限らず囲碁でもそうでしょうが、人に合わせて指導方法を変えられれば、より付加価値の高い指導が出来る様になる筈です。